表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志のこんな人物  作者: 渡辺仙州
17/44

第17話 孫魯班《そんろはん》:謀略と讒言で権力を握った悪女

 孫魯班そんろはんは字を大虎といい、孫権の側室である歩夫人(歩練師ほれんし)の娘です。

 妹は孫魯育そんろいく、字を小虎といいます。

 前回の歩練師の記事を読んでからのほうが内容が理解しやすいかと思います。

 

 孫魯班は最初周瑜(しゅうゆ)の長男・周循しゅうじゅんに嫁ぎました。

 しかし周循は早くに亡くなってしまい、そののち全琮ぜんそうに嫁ぎます。このことから「全公主」とも呼ばれます。

 

 母の死後、孫権から母の次に寵愛を受けていた王夫人が皇后に立てられることになりました。さらに王夫人の子・孫和そんかが皇太子に立てられます。


 孫魯班は王夫人をきらっていたので、母子ともども陥れようと、父・孫権に悪口を吹きこんでいきます。

 ここから孫魯班の謀略人生がはじまります。


 孫権が病の床についたとき、孫和は父の病が治ることを願って宗廟で祈祷をしました。

 その宗廟の近くに孫和の妃のおじ・張休ちょうきゅうが住んでいて、招かれたのでちょっと立ち寄ったのですが、それを知った孫魯班は、


「皇太子は宗廟に籠りもせず、妃の実家に行って謀略を協議しています。

 その母である王夫人も、陛下が病床についたのを見て嬉しそうな顔をしていました」


 と嘘の報告をしました。

 これによって孫権は王夫人をきらうようになり、王夫人は悲しみのあまり亡くなったといいます。

 また孫権は孫和を寵愛することもなくなり、代わりに孫覇そんはを寵愛するようになりました。


 陸遜りくそんは孫和を推していたので、それに対立する者たちが孫覇に付きました。


 こうして呉は、朝廷をも巻きこんだ孫和と孫覇の皇太子争いがはじまります。


 当然孫魯班は孫覇派。あの手この手で孫和派の重臣たちを陥れ、孫和を皇太子の座からひきずりおろそうとします。

 孫魯班のもくろみは成功し、孫権は孫和を都から追い出します。

 またこのとき多くの者が讒言によって誅殺されたり都を追われたりしました。


 ところが孫和と孫覇の対立のさなか、孫魯班は父の寵愛が幼い七男の孫亮そんりょうに向いていることに気づきました。

 そこで孫亮に取り入ることにします。

 夫の親族の全尚ぜんしょうの娘を褒め、孫亮の妃にします。

 

 孫和と孫覇の争いは、最終的にはケンカ両成敗ということでどちらも候補からはずれ、まだ幼い孫亮が皇太子に立てられました。


 孫権が亡くなり、孫亮が天子の位につくと、もくろみどおり孫魯班は権力を得ることができました。

 密通していた孫峻そんしゅんが朝廷を掌握すると、孫魯班の権力はさらに大きなものとなっていきます。


 孫儀そんぎが孫峻を暗殺しようとして失敗したとき、孫魯班は妹の孫魯育が孫和を廃することに否定的だったことを恨んでいたため、これを機にと、

「妹も暗殺計画に加わっていました」

 と讒言します。

 こうして孫魯育は処刑されてしまいました。

 妹までをも讒言によって殺してしまったのです。


 ところがこの件は、孫亮が知るところとなります。


「なぜ罪のない孫魯育が死ぬことになったのか」


 と問うたところ、孫魯班は怖れ、また孫和派であった朱拠しゅきょの二人の息子、朱熊しゅゆう朱損しゅそんが兵をあずかる身だったので、


「じつをいえば、わたしはよく知らなかったのです。すべては朱熊・朱損が申したことです」


 とまた讒言をします。

 こうして朱熊・朱損は処刑されてしまいました。

 孫魯班としては、政敵の息子たちをも始末できて一挙両得といったところでしょう。

 まさに謀略につぐ謀略の人生です。


 朝敵を排除しつづけ、孫峻とともに呉で権力を握った孫魯班ですが、おごれる者も久しからず、やがておわりの時がおとずれます。

 

 孫峻が亡くなると、朝廷の権力がそのいとこの孫綝そんちんに移ります。

 

 孫綝が専横をはじめたので、孫亮は孫魯班とともに孫綝の暗殺をもくろみます。が、事前に露見してしまいました。


 こうして孫亮は廃帝。孫綝によって孫亮の兄・孫休が天子になります。


 孫魯班は豫章に流され、権力を失いました。

 殺されなかっただけましといったところでしょう。


 悪女としての評価がありますが、一歩間違えれば自分が殺されるといった朝廷の中で、讒言と謀略によってうまく立ちまわってきたともいえます。

 中国史においても、権力を持った女性というのは、保身のために周囲に対してきびしくしつづけないと自分が生き残れません。

 仕方ないといえば仕方なかったのかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ