第15話 曹宇《そうう》:謙虚な魏のラストエンペラーの父
曹宇は曹操の子で、字を彭祖といいます。
以前紹介した十三歳で亡くなった曹沖の同母弟になります。
曹宇は曹叡が天子に就く前から仲が良く、曹叡のよき相談相手になっていました。
燕王といえば以前紹介した公孫淵が称していましたが、曹宇もだいたいそのころに曹叡から燕王に封じられています。
曹叡は三十六歳という若さで亡くなりました。
臨終のまぎわ、曹叡は曹宇を大将軍にし、つぎの天子である曹芳を補佐させようとしましたが、謙虚な曹宇はこれを固辞。
ここで前回の記事で登場した劉放が、「曹宇は大任が果たせないと自覚している」として、曹宇にかわって曹爽を推挙。さらにその後見人として司馬懿をつけるという、あまり謙虚でない二人組を重要なポストに置きます。
これがのちの、魏のお家騒動につながっていきます。
曹叡が亡くなって曹芳の代になると、権力は曹爽へと移っていきます。
曹宇は中央から追われました。
曹髦の代になると、司馬懿の子である司馬昭が権力を握ります。
耐えかねた曹髦は司馬昭を討ち取ろうとしますが、返り討ちにあって殺されます。
曹髦の次の天子が、曹宇の子の曹奐です。
しかしもはや就任当初から司馬昭の傀儡でしかありませんでした。
司馬昭が亡くなると、子の司馬炎が禅譲という名目で帝位をゆずるよう曹奐に迫ります。
曹奐は泣く泣く帝位をゆずり、陳留王に格下げされました。
こうして魏は滅亡し、晋が興ったのです。
ちなみに曹宇がいつ亡くなったかは不明ですが、めだたないように生きていたので、ひどい死に方はしなかったのではないかと思われます。
その子の曹奐も、帝位を追われたとはいえ、殺されることなく鄴で暮らしていたようです。