各自の室内は(サード目線)
エリーに扮した何者かは俺に組み敷かれた状態で黙って俺を見上げ続けている。
「お前、誰だよ。言ってみろ」
優しい声で囁く。
「エリーよ」
なるほど?まだ続けるか。だが素直にならねえなら素直にしてやる。
声に出ないような声で笑いながらじりじりと首筋に聖剣の先をめり込ませていくと、ヒッ、と声が漏れて、エリーの顔は完全な恐怖の色に染まった。
「やめて…!私はエリーだってば!」
「素直になれよ、それともこうやって責められるのが好きか?それなら首が落ちるまで付き合うぜ?」
エリーに扮した何者かは俺を睨んでくる。
だがこのままでは本当に首が落ちかねないと判断したのか、次第に諦めの表情になってゆるっと力が抜けた。
その次の瞬間にはエリーのような表情は消え失せ、妖艶に微笑んで横目で俺を誘うように見てくる。エリーの面でそんな表情をされるとたまんねえな。
エリーに扮した何者かはかすかに笑う。
「つまんないの。こんなに可愛い子に迫られてるのにこんなことして台無しにするなんて、勿体ない。私があんただったら喜んで相手するわよ?エリーって可愛い子だもの。でもよくあの興奮状態から私がエリーじゃないって見抜いたわよねぇ?」
声もエリーの高い声から艶のある女の声に変化している。エリーに扮した何者かの声か。
…むしろ女なのにエリーを相手にする気あんのか?こいつ?…女同士って何やるんだ…?
まあそんなことはどうだっていいと、俺は下にいる女に声をかける。
「エリーは男にローブを脱がされそうになるだけで拒否反応示す女だぜ、そんな女が酔っぱらったくらいで男にベタベタするかよ」
「あら、そんな子だったの?てっきり全員の味見してるのかと思ったけど。男が近くにいてもそんなことしない子だったなんてねぇ、男の中に女一人なのに」
エリーの金髪が濃いピンク色に変わっていって、俺の尻の下には黒くぴっちりとしたネグリジェをまとった女が横たわっている。
呼吸をして盛り上がる豊満な胸は…中々見ごたえがあるな。
女は体を見ていた俺を見て、俺の下できつそうに体をくねらせた。
「このまま続ける?」
「首が落ちるぜ」
「そんなんじゃないって分かってるくせに」
「世の中には男が寝るとやって来る夢魔ってモンスターがいるらしいが…それか?」
「物知りね。けど私は男だろうが女だろうがどっちでもいいのよ。でもまあどっちかといえば男が好きだけどね。それにそんな下等なモンスターじゃないってことは教えてあげる」
まだ聖剣を突きつけられているというのに、女は俺をおちょくるように微笑んだ。
「この首都によく出る魔族か?」
「だったらどうするぅ?」
女はクスクスと笑い、俺を見上げる。だがきっとこれはその通りだと言っているようなものだ。
俺は女の微笑みに合わせ微笑んだ。
「殺す」
聖剣を首に突き刺そうと腕に力を込めると、女が息を大きく吸い込んだ。
その次の瞬間には女の体から黒いものがバラバラと飛んで体が消えて行く。
いや、目に留まるものは…蝙蝠か?
蝙蝠は俺をすり抜け後ろに飛んで行くが、そのうちの一匹を聖剣でたたっ切るとあっけなく真っ二つに裂け、黒い蝙蝠がピンク色の女の髪に変わってベッドと床に散っていく。
蝙蝠が髪の毛に?どういうことだ?
「あっやだ!髪の毛切ったわね!」
背後から声が聞こえ振り向くと、女の肩にかかっていた髪の一部がすっぱり無くなっていて、女は髪を切られたことに立腹している。
…どうやらこの女の体は蝙蝠となって分裂するようだが、それでも蝙蝠は女の体の一部からなるもので、直接攻撃も効くと。そういうことだな。
「信じらんない、女の髪を切るなんて」
女は怒りの表情を向け睨みつけるが、俺は鼻で笑う。
「女の髪を大事にするような男が女を足でひっくり返して首に剣突き付けるかよ」
エリーの純金になる髪なら大事に扱ってやるがな。
俺は聖剣を構え女に向け突進すると、女の体はまたバラバラと蝙蝠になり、大きく俺を迂回して散っていく。
だが一斉に動く蝙蝠の進む方向と速さで蝙蝠が集まって人型になる場所は推測できる。
そうなれば俺から歩幅六歩分のところ…!
俺は一気に振り向き推測した場所にむかって間合いを詰め聖剣を振り下ろした。
「ぎゃっ」
推測した場所よりわずかに女の位置が遠く、脇腹をかすっただけだ。だが一撃喰らわせれば十分。
一撃を受けたらその痛みで一瞬でも隙ができる。その一瞬さえあれば十分に殺せる。
聖剣を女の首に通そうとすると、バッと蝙蝠が真上に飛んで行って高い天井をグルグルと飛び回りはじめた。
「天井なら届かねえとでも思ってんのか?」
挑発するように言ってみるが、さすがにこの高さの天井に聖剣は届かない。
跳ねたら剣先がギリギリ届くだろうが、そんな一々飛び跳ねて切るなんて間抜けな行動はしたくねえし、これだけの数の蝙蝠を切るとなると骨だ。エリーが居ればそこの蝋燭に灯っている炎で一気に焼きつくすんだが…。
さてどうするかと考えを巡らせていると、頬に何かが触れてきた。目だけを動かして触れてきた何かを見て思わずギョッと目を見開く。
手首だけが空中に浮いて俺の頬に触れている。
手はグイッと俺の首を動かした。
目の前にはそこには女の顔の下半分…鼻から顎にかけての部分だけが空中に浮いていて、そのまま俺の口に唇を押し当ててた。
伝わる柔らかい感触に何もない状況だったらこのまま続けたかもしれねえという考えが浮かんだが、今はそんな状態じゃねえ。
やめろ、と言いかけた俺の口を女は舌と歯を使ってこじ開け、互いの舌が絡みついたと思った矢先、俺の舌に痛みが走った。
「いっ…!」
俺は口を押さえ後ろに引いた。野郎…!舌先を噛みやがったな…!
舌先を噛まれた痛みが脳天に響いて、血の味が口の中に広がる。女をギロッと睨むと、蝙蝠に変わった手首と顔の下半分が羽音もなく飛んで、窓辺に佇んでいる女と一体化する。
左手と顔の下半分が無い姿だった女は完全な姿に戻った。
女は、アッハハ、と軽く手の甲で口を押さえ笑うと、してやったという顔で窓辺にもたれかかる。
「痛いでしょ。本当はキスするだでいいんだけど、髪の毛切られたお返しよ。ふふ、それにこれで勇者御一行も終わりだわ」
「なにが…」
舌先が噛まれたせいであれこれと聞きたいことがろくに言えねえ。今出た声だって女の耳に届くかも分からねえモゴモゴとした小さい声だった。
口を押さえてろくに喋られない俺を見て、女は微笑みながら頬に手を当てる。
「あなたたちはもう自然消滅するしかないのよ、その前に私を捕まえられるっていうのなら話は別だけど、まあ無理ね」
女はそう言うと窓をガタンと開けて、窓の外に向かって足を投げ出し、俺に指先をヒラヒラ動かした。
「アデュー、もう会わないでしょうけどお元気で」
女は投げキスを残し、そのままバラバラと蝙蝠の姿になって外に飛んで行く。
逃がしてなるものか、蝙蝠の一匹や二匹は切り落としてやると窓辺に駆け寄ったが、外を見る頃にはもうすでに聖剣すらも届かない夜空を…俺を馬鹿にするように一匹の蝙蝠が旋回して、暗闇に紛れていった。
…クッソ!
まだ舌先に残る痛みと、女を逃がした苛立ちで窓枠を強く叩いたが、まずは回復アイテム…まあ消毒液も兼ねた液体を口にしばらく含ませてから飲み込んだ。
これは体の表面に塗布し傷口の痛みを和らげ回復を早く促すためのものだ。目の周りや口の中などの粘膜近くには使用するなと注意書きもあるが、知ったことか。治ればいいんだ、治れば。
だがその回復アイテムがあまりにも不味いからアレンから渡された酒を飲みこんで口の中の不味さも胃袋に流し込む。…何度飲んでもいい酒だ。噛まれた舌先にアルコールがビリビリとしみるが、回復アイテムで痛みもだいぶなくなった。
俺は口を拭うと聖剣とピッキング用の諸々を手に持って廊下に出た。そしてエリーの部屋に向かう。
あの女は「本当はキスするだけでいいんだけど」と言っていた。つまりあいつに唇を奪われると非常にやっかいなことが起きるということだ。それも「勇者御一行は終わり」と全員が終わりだと断言した。
つまりエリーもアレンもガウリスもきっとあの女に唇を奪われた。だからこそあの女はああ言ったんだ。
それも男も女も関係ないだの、エリーのことを可愛いだの相手をしてもいいだの言っていた。
もしかしたらエリーの元にアレンかガウリスの姿に変身したあの女が訪れて、間違いでも起きてやしないか。もしそうだとしたら…。
俺はエリーの部屋の鍵を開ける。
ホテルと同じく鍵の造りも一流らしく少し手間取ったが、一分ほどで開けて部屋の中に入る。天井のシャンデリアは寝るにちょうど良い明るさで、うっすらと室内を照らしていた。
ベッドを見ると、大きい枕にエリーの頭が沈んでいる。ズカズカとベッドに近寄って布団を剥いだ。
横向きに寝ているエリーの寝間着はキッチリと着込まれている。全体的に見ても特に間違いが起きたかのような形跡は見当たらない。
何となく安堵して布団をそのままボスッと戻すが、エリーはよく熟睡しているらしくピクリとも動かない。
目をテーブルに移すと、酒を飲んだ形跡が見える。部屋に漂う匂いは甘い牛乳のようなもの。
あの女からもこの匂いが漂っていたが、エリーに合わせてこの酒を飲んでから俺の部屋に来たのか…?
だがエリーはこうやって布団を剥いでも手荒くかけ直しても起きないのだから、恐らく普通に唇は奪われただろう。
酒に近寄って酒のラベルを見る。ミルティ…って名前の酒か。
カップを用意し、少し注いで飲んでみた。だが俺の部屋にある酒と同じような味を期待した俺が馬鹿だった。
「うえ、甘」
ガキの飲み物かよ。
俺は湯で口をすすいで飲み込んでからエリーの部屋を出て、外から鍵をかけ直す。そのまま自分の部屋の前まで戻ってドアノブに手をかけてから、ふと思った。
思えばアレンとガウリスは?
「…」
俺の隣がガウリス、その更に隣がアレンの部屋だ。
…だがまあいいか、男どもは。
面倒だから部屋に戻ろうとしたが、それでも一応同じパーティの奴らなんだから、気を使って様子でも見に行ってやるかと思い直して一番心配なアレンの部屋の鍵を開けて中に入った。
ランニングとトランクス姿のアレンは、分厚い布団にしがみついて軽いいびきをかきながらスヤスヤ眠っていた。
その平和な寝顔を見ていたら妙に腹が立ち、頭をパァンッと叩いた。それでもアレンはスヤスヤと眠っている。
この体たらくなのだから唇を奪われたって気づきもしねえな。
なんとなくアレンの部屋のテーブルを見ると、酒は無い。ベッドの周りの棚を見ても酒は無かった。きっともうボトル一本開けてベッドの下にでも転がっているんだろ。
アレンの部屋を後にしてガウリスの部屋の鍵を開けて、扉を開けた。
と、中ではガウリスがベッドの上で槍を構え今にも俺に向かって投げつけようとしている。
だが俺の姿を確認すると即座に動きを止め、
「あ、サードさんですか。どうなさいました?外から鍵を開けなくてもノックしてくだされば普通に開けましたのに」
と槍をいそいそとベッドの脇に立てかけ直してベッドから降りた。
流石。危険と隣り合わせのサバイバル時代に鍛えられたとっさの反応だ。
危険に晒されてもぐっすり寝こけていたエリーとアレンを見た後だと、こんなにも異変を素早く察知して寝起きでも機敏に動ける奴が仲間になったのは心強い。口には出さないが、心の中で賛辞の言葉と拍手を送る。
俺はガウリスの部屋の中に入り、ドアを閉めた。
「俺の部屋にこの首都に出る魔族が現れた」
ガウリスが驚いたように目を丸くしているが、俺はさっき部屋で会った出来事を全て語って聞かせた。
そしてひとしきり話すと、ガウリスは少し眉間にしわを寄せる。
「実は…少し前に私の部屋にもエリーさんが訪れていたのです。まさかあれはエリーさんではなくエリーさんの姿をした魔族だったのでしょうか」
「いつきた」
俺が聞くとガウリスは置き時計を見やって、
「二十分…ほど前でしょうか」
俺も置時計に目を向ける。
今は十二時半過ぎ。あの女が俺の部屋に来たのは十二時十分。それからニ十分前だとすれば俺の部屋に来た時間と同じくらい。つまりガウリスの部屋に訪れてすぐに俺の部屋に来たって考えるのが自然か。
「体の関係を迫って来ただろ。その流れで唇は奪われたか?」
ガウリスはそんな、と首を横に振った。
「エリーさんが眠れないから何か話をしようと言っていたので、それなら神のみ言葉の話でもしましょうか、と話し始めたら眠くなったとすぐ戻っていきましたよ。エリーさんの興味のない難しい話を長々と話せば眠くなって部屋に戻ると思いまして」
俺も般若心経の小難しい話をして部屋に戻そうとしていたが、何俺と同じことしてんだこいつ。
思わず含み笑いをしてガウリスから視線を逸らした。
きっとあの女は魔族だから神のみ言葉なんて聞きたくもない話だったんだな。
「それなら確実に唇を奪われてねえのはガウリスだけだな」
「そうですね」
ガウリスは頷き、心配そうな顔でサードを見た。
「もしや口移しで毒のようなものを体の中に入れられたのでは…?」
「かもな」
「体は大丈夫なのですか?辛いとかは?」
自分の体の感覚をあちこち探ってみるが、痛みがあるのは噛まれた舌先だけで、他にはだるくもなければ苦しさも痺れも痛みもない。
「今のところ症状はなにも出てねえな。あの女は俺たちが『消えていなくなる』『自然消滅する』っつってたんだ。だから即効性の毒じゃなくてジワジワと効いてくるものかもしれねえ」
ガウリスは心配そうな顔で俺を見る。
「それでよくそんなに落ち着いていられますね…」
「焦ると見えるもんも見えなくなる。それに体は今のところ何ともねえから時間はまだあるだろ」
立ち上がってガウリスを見た。
「朝になるまでもう誰が来ようが扉は絶対に開けるなよ。俺らに何かあったら動けるのはてめえだけだからな、ガウリス」
そう言われるとガウリスは真面目な顔で頷き、ガウリスなら俺の言うことをしっかり聞くだろうと部屋から出た。
まず何をされたのか分からないのに問題解決のとっかかりもなく起きて無駄に動き回って体力消耗するのも馬鹿くさい。とりあえず体力回復のために寝るか。寝不足だと頭が回らねえからな。
アレン「( ˘ω˘)スヤァ…」
サード「(殴りたい、この寝顔)」(パァンッ)
アレン「スヤァ…( ˘ω˘)スヤァ…」




