山の異変とサードの異変
ガウリスが花粉の付いた花を虫かごの中に入れたら、アネモはその花粉をコロコロと丸めながら落ち着きを取り戻して話し始めた。
私たちもアネモの入っている虫かごを大きい石の上に乗せ、囲むようにして座り話を聞くことにする。
「僕の国、シノベア国は大昔から栄えた国でした」
アネモの話はこうだった。
アネモは神と精霊の中間地点にいる存在みたい。
人間の中にはアネモたちのことを幸運のミツバチと呼ぶ者たちもいて、実際にアネモたちは人間に害を与えず、小さい幸運を人に配る存在なんだって。
今日は天気が良くて気持ちがいい、今日のお昼ご飯がいつもより量が多かった、なんだかスッキリ目覚められた、人に褒められた等々、そんなささやかな幸せを感じる時はアネモたちが幸運を配っているって。
その中でも幸運の塊といえるものがシノベア高原に生えている、幸運の花なのだそう。
「もしかして、あのおばさま方が言っていた今限定で咲いてる花ってそれなのかな」
アレンがふと思い返したように言うけど、アネモは首を横に振る。
「人の目に触れることはありません。これだけは…どんなに言われても咲く場所に連れて行くわけにはいきません…いかないんです…」
アネモは脅えながらサードの様子を窺うようにチラチラと見ている。
もしかしたら連れていけと脅されると思っているみたいだけど、サードが何も言わないで黙っているのを見てホッとしてから話を続ける。
本当はこうやって自分たちの存在を人間に明かすこともタブーとされているみたい。人間は他の種族に比べて欲深い所があって、そんな一部の欲深い者に見つかったらどうなるか分からないからって。
そうやって人に見つかることなくシノベア建国以来、王家の人たちは代々ずっとその幸運の花の花粉を集め、そして蜜を作っていた。
幸運のミツバチの頂点に君臨する王家の人たちが直々に作るその蜜はシノベア国でも希少で、これは本当に不幸のどん底に落ちて生きる希望を無くした人へ与えるための幸運の蜜なんだそう。
その幸運の花の咲く季節になると王家の人はせっせと幸運の蜜を作り、アネモのような働き蜂に持たせて世界中の生きる希望を無くした人たちにそっと配って来るようにと命じていたと。
「…しかしなぜそれなら人を傷つけるようなことを?」
ガウリスは理解できないとアネモに問いかけると、アネモも表情を歪める。
「僕もここからはるか遠い地に行って、最近帰って来たばかりなんです。しかし国に戻ってみたら国は荒れ放題で女王も国王も消えていました」
「え?蜂って女王蜂が中心で国王なんていないんじゃないの?」
アレンが聞くとアネモは、
「普通の蜂とは違うんですよ」
と言いながら続ける。
「僕の家族にどうしたのかと聞いてみたら…」
「え?蜂って女王蜂から生まれるから全員兄弟みたいなもんなんじゃないの?」
アレンが聞くとアネモは、
「普通の蜂とは違うんですよ」
「ちょっとアレン黙ってて」
アレンを止めておいた。このままじゃ話が進まない。
アネモの家族…お父さんは国の戦い蜂、お母さんは城下町で一般的な蜜作りの仕事をしている…その両親が言うには、貯蔵されていた幸運の蜜を野生の熊に見つけられて、地面から掘り起こされ食べられそうになったんだって。
それは戦い蜂が必死に守りぬいて熊を追い払ったけど、こんなことは建国以来初めての出来事で蜂のほとんどが驚いてパニックに陥った。
そんなパニック残る最中。野生の熊の臭いを嗅ぎつけたのか蜜の匂いを嗅ぎつけたのか、今度は熊型のモンスターが現れて途中まで掘り起こされていた幸運の蜜をまた掘り起こして食べ始めたって。
大体、野生動物が巨大化したような姿のモンスターは一般の野生動物よりも気が荒くて狂暴になる傾向がある。
野生の熊ですらやっと追い返したばかりで、それも混乱している蜂たちは続けざまにやってきたモンスターに歯が立たなかった。
そこで女王と国王は国を守るために二人で熊型のモンスターに向かっていったらしい。
でも幸運のミツバチと呼ばれ人に幸運をもたらす存在でも、その幸運は自身には向かなかったみたい。
二人はペロリと熊型のモンスターに食べられて、挙句の果てに幸運の蜜も全て食べつくされてしまったんだそう。
王家の最高権力者が同時に居なくなってから国はまとまりがなくなって、次第に荒廃していった。
そんな中、幸せじゃなくて不幸を配る蜂が現れ始めた。すると人が慌てふためくのが楽しいと人の不幸を楽しむ蜂が次第に増えはじめたって。
もちろん幸せを配る蜂のほうが圧倒的に数は多いけど、不幸を配る蜂たちの中には幸せを配る蜂たちを馬鹿にし蔑んで、国から出ていくように強く言い始めているらしい。
それもその不幸を配るのを楽しんでいるリーダー格の者が今頂点の近くにいるんだそうで…。
「じゃあさっきサードを操った蜂も…」
質問の途中だけどアネモは首を縦に振る。
「人の不幸は蜜の味という一味です。僕はたまたま通りかかったからやめるよう言っていたんです。でも黒髪のあなたが立ち止まった瞬間にあいつは僕が止めるのを聞かずに魔法で操ってしまって…。
僕の持つあらん限りの幸運の力で皆さんが怪我を負わないように頑張っていたんですけど、力を使い過ぎて段々と目が回ってしまって…」
それで逃げ遅れたの。
…でも私が下り坂を駆けおりるのに疲れて「休もう」って声をかけた後にそうなったみたい。
私は悪くないと思うけど、何となく私のせいでサードが暴れるきっかけを作ってしまったような気になってくるわ…。
「あの急斜面降りてる時からうるせえ蜂が飛んでるって思ってたが、それお前らだったのか」
サードがどこか納得がいったような声で聞くと、アネモはビクッと体を揺らして、
「すいません、すいません、すいません」
と謝り倒している。
ハルピュイアの歌声みたいなものだったらすぐに気づけたかもしれないけど、こんな山の中で蜂が周りをブンブン飛んでいたって、そりゃあ自然過ぎてサードもうるさい蜂がいる程度で気にすることもなかったでしょうね。
「けど普通、国の指導者がいなくなったら自然と次の指導者が出てくるもんだと思うけど」
アレンが言うと、アネモは首を横に振った。
「女王と国王はまだ生きています」
「喰われたんじゃねえのか」
アネモはアレンの言葉には普通に答えるけど、サードの質問にはビクッと体を揺らしてビクビクと脅えながら答える。
「あ、あの…僕たちは神と精霊との中間の存在なので、生き物に飲み込まれたくらいでは死なないんです。鳥などに飲み込まれてもその生き物が寝ているうちに口から出ていきます。
けど、相手がモンスターなら逃げだすのは容易ではありません、モンスターにとって僕たちは異物のようなものですから体の中に異物として残り続けて、そのモンスターが死んだらようやく体から抜け出せるんです」
「じゃあ助けられるじゃない」
気軽に私が言うと、ガウリスが軽く首を横に振った。
「それでもアネモさんたちがその熊のモンスターを倒すのは難しいのでは?」
ガウリスがアネモに視線を向けると、アネモも頷く。
「心根の悪い者はもはやお二人のことは気にせず好き勝手にしていますが、それ以外の皆は助けようと今でも必死に頑張っています。でも相手がモンスターというだけではなく、思わぬことも起きてしまっていて…」
「思わぬこと?」
アレンが聞くとアネモの顔が沈んでいく。
「僕たちは幸運のミツバチ、その僕たちをまとめる女王と国王は幸運を与え続ける存在の頂点にいます。しかもその熊型のモンスターは希望を無くした人でさえ希望を持つような幸運の蜜を全て食べつくしてしまいました」
そこまで言われたら私だってピンときたけど、サードの方が早く口を開いた。
「その熊型のモンスターはこの世の幸運を一匹で背負って歩いてるようなもんなんだな」
「その通りです!」
アネモが初めてサードに脅えずに返事をして、こちらに近寄って虫かごの網目を掴んだ。
アネモは言う。
女王と国王を助けようとする仲間は自分たちではどうにもならないから、向こうの山にいるハルピュイアたちにも応援を頼んだって。ハルピュイアなら獣型のモンスターを歌声で操れると国の古老が言ったから。
でもハルピュイアたちが熊のモンスターを操ろうと歌っても何も反応がない。
少しして分かったらしいけど、ハルピュイアに頼む少し前にその熊のモンスターは冒険者と戦っていて魔導士の爆発魔法で鼓膜が破れていたみたい。
だからハルピュイアは直接攻撃で高い所から突き落とそうとしたけど、そのたびに熊のモンスターは地面に生えている花に顔を寄せ、何かに視線を向けて体を動かし、思いついたようにクルリと方向転換してハルピュイアの攻撃をことごとくかわし続けた。
でもハルピュイアが周囲を飛び回って攻撃してくるのに腹が立ったのか、熊はいきなり二本足で立ち上がると暴れ出した。熊型のモンスター自身は運よくハルピュイアの攻撃を次々と避け続けるのに、熊型のモンスターが手を動かすと確実にハルピュイアの体を捉え、ハルピュイアの中に死亡者が出た。
そうなるとハルピュイアたちから、もう手助けはできないと断わられた。
熊自体は倒せるけど熊に付きまとう幸運がある限りこちらに分が悪い、これ以上仲間を死なせたくないって。
その代わりこの道を通っている人間を見かければ声をかけて注意して、けが人を見つけたらすぐさま助け出しているみたいだけど。
「その熊は未だに幸運続きで、ついにはこの辺のボスにまでなったらしいです」
アネモはそこで話を終わらせた。
「それはもしかしてここ十年以内の話ですか?」
ガウリスがヒュッテの主人の話を思い出したのか質問すると、アネモは少し首を傾げた。
「すみません、人の年数はよく分からないんです」
「ああ、そうですね、申し訳ありません」
人の尺度で聞いてしまった、とガウリスが申し訳なさそうな顔で謝ると、アネモも、
「あ、いやすみません。頭のいい人は人の年数もしっかり理解してるんですよ、ただ僕は苦手なだけで」
とあわあわと手を動かす。
「とりあえずだ」
サードが口を開いたから皆がサードに視線を向ける。
「お前らの国王と女王を助ければ、国は元通りになるのか?」
「…だと、思います。今は僕らを束ねる者が居ないから好きに動く仲間が居ますけど、昔は皆真面目に幸運を配っていましたから」
「ふーん」
と言いながらサードは黙り込んでアネモを見た。
アネモは黙り込むサードの視線にビクビクと脅えてまた反対側の方へとにじり下がっていく。
「助けてやってもいいぜ」
「えっ」
私にアレン、ガウリスの全員がサードの言葉に耳を疑って、声が詰まったように聞き返す。
「えっ」
信じられないからもう一度全員でサードの顔を見ながら聞き返す。
「んだよ」
サードが全員を睨みつけると、アレンが手を動かしながらサードを見た。
「だ、だってサード、おま…」
アレンがサードの額に手を添える。
「熱ある?」
「ねえよ」
サードがアレンの手を払う。
「ま、まだ操られてる…?」
ビクビクと恐ろしいものを見る目つきで私はサードを見る。
「ちげえよ」
サードの言葉に怒りがにじんで私を睨みつける。
「まさか成功の暁にはその幸運の蜜を分けていただくつもりで…?」
ハッとした表情でガウリスが言うと、サードは座りながらガウリスのすねを蹴とばした。
「ちげえよ!」
サードは怒鳴りながら私たち一同を睨みつけて、
「んだてめえら、俺をなんだと思ってんだ!?」
と言い出す。
なんだと思ってると言われても、何に対してもがめつい面倒くさがりな性格で人助けなんてものからは縁遠い人だと全員思っているんだと思う。
サードはイライラした表情で、
「俺が操られそうなのをこいつは止めようとして助けようとしたっつってるからその分の礼を返すんだよ、悪いか」
「いや悪くはねえけど…」
アレンはまだ信じられないという顔でサードを見て続ける。
「サードの嫌いなタダ働きになるかもしんないぜ?いいの?」
「恩は返す」
サードはそう言うと立ち上がって私たちの顔を見下ろした。
「てめえらの大好きな人助けだぜ、異論はねえだろ」
そんなサードの言い方は気に入らないけど、確かに異論はない。私たちも大きく頷くと立ち上がった。




