神はいた
俺は団三郎の話を聞いて半信半疑ながらも寺に一旦戻り、住職に今さっきあったこと…。寺の坊主衆に疎ましく思われているからここの寺にも居たくないことも伝えた。
「だからどうなるか分からねえが、もし佐渡から他の所に行けるっていうなら俺はそのまま別の所にいくつもりだ。これで今生の別れになるかもしれねえ」
背を正して住職に告げると、住職は俺が団三郎から聞いた話を聞いて、昔話を聞いたかのような顔つきをしている。
「ずいぶんとまあ、出来上がった話というかなんというか…」
「俺だって未だに信じられねえ。だが団三郎は頭も口もしっかりしてるし、嘘を言ってるような雰囲気でもなかった。だからまず行ってみることにする」
住職は目を瞬かせ、少し寂しそうな顔をした。
「そうか…。そうだな、喜一はやはりこの島より外に出た方がよっぽど良い人生を送れるだろう。どうであれ自分の思った通りに生きなさい。喜一のこの先が見られなくなるのは残念だが、私も老い先短い年齢だ。まだまだ先の長いお前を留めておくのはあまりに自分勝手だろうな」
そう言いながら住職は寂しい気持ちを振り切るように俺を真っすぐに見た。
「行ってきなさい」
その顔を見て胸が痛んだが、その心に感謝して指を床について深々と頭を下げた。
「今まで世話になったこの御恩、この喜一、生涯忘れません」
「そんな他人行儀で終わりにするつもりか?」
住職に言われ頭を上げると、住職はいつも通りの微笑みで俺を見ている。
「いつも通りで別れようじゃないか。お前は用事があって出かけてくる。私はそれを見送る。それくらいの別れにしよう。お互いその方が気が楽だろう」
俺はふっと笑って立ち上がった。
「それなら行ってくる」
「お前は新しい所に行って周りと壁を作るんじゃないぞ。いいか、そつのない対応の喜一よりいつも通りの喜一を受け入れてくれる人を探すんだぞ。それとな…」
「うるせえ、全然いつも通りじゃねえじゃねえか」
俺は笑いながら寺を後にした。
寺の門から出て、住職にもう一度深く一礼したあとに団三郎の元に行き、夜を待つことにする。
確かに時を知らせる鐘の音が鳴り響いた後に坊主たちがやって来て、団三郎を横にして声をなんべんかかけて戻って行く。
俺はその時に外に出ていて、坊主が去っていったら中に戻り団三郎と話すということを繰り返した。
そうして夜も更け、団三郎は次第に口数が少なくなる。そうして口を開けてスコー、スコー、といびきをかきながら眠ってしまった。その規則正しいいびきを聞いていると、段々と俺も眠くなってくる。
思わずふあ、とあくびをして口を閉じると、団三郎の枕元に人影が見えた。
思わず飛びのいて離れた所に着地しようとしたが、思ったより小屋の中が狭くて背中を壁にしこたまうちつけ、大きい音が小屋の中に響いた。
その大きい音で団三郎は目が覚めたのか、はぁ、と間抜けな声を出し、枕元の人影を見る。
「ああ、やっぱり今日来たか」
「へんひほうはあ」
「ああ、体はもうぼろ雑巾のようだが、元気だよ」
団三郎はそう言って答えている。
目を凝らしてみると、団三郎が言った通りのボロボロで臭く汚い身なりの爺がそこに座っている。
いつの間に入って来た?いや、あくびをして目をつぶって開くまでにこんなヨボヨボの爺が物音を立てずに入って来れるわけがない。
まさか、これが一言主か。
「こほひのねはいははんあ?」
本当に何を言っているのかさっぱりわからない。一言主は団三郎の顔を覗き込んで話しかけている。
「今年はそっちの子供の願いを叶えてやってくれないか」
動く右腕を動かし、団三郎は俺に指を向けると、一言主が指先にいる俺に視線を動かした。
淀んだ目ヤニだらけの目がこちらを見ている。どう見ても不審な爺にしか見えない。これは神と言われても普通には信用できない。
一言主は団三郎に目を戻した。喜一などという全く見知らぬ子供の願いなど知らんとばかりに。
「暇で腰も痛くて鬱鬱としててなあ。そんな時に長々と気の触れたような話の相手になってもらえる嬉しさ、あんたなら分かるはずだがなあ」
団三郎の言葉に一言主は腑に落ちたような顔つきになると、不審な爺とは思えない優雅な動きでゆっくりと俺に向き直って居住まいを正した。
「へはひははんあ」
「願いは何だ」
団三郎が通訳する。
だが俺は一言主を警戒しながらゆっくりと団三郎の寝る布団に近寄って、顔を覗き込んだ。
「あんた、本当にもう一年そのままでいいのか」
「あと一年と思うなら耐えられる、お前はこれを逃したら折角の願いを叶えられる機会を逃すことになる。お前は違う世界に入りたいんだろう、佐渡から出たいんだろう。良いから願いを言え、年寄りが譲ったことを子供が遠慮するな」
団三郎のしわだらけの顔を見て、少し身を後ろに引き、感謝の意をもって指をつきスッと頭を下げた。
そして一言主にそのまま体を向けて顔を上げる。一言主も黙って俺を見ている。
「俺を…」
頭の中に渦巻く考えの中から言葉を選び取る。
「俺を、俺に合う世界に連れて行ってくれ」
「ひょうひひは」
「承知した」
その言葉が聞こえた瞬間、周りの景色は一変した。
先ほどの小屋の中じゃなくて、外。
空を見上げると満月が浮かんで周りを照らしている。
立ち上がり、周りを見渡した。風が通り抜ける。空気はヒンヤリと秋の風で、素足には冷たい土と砂利の感覚が伝わる。
だが今まで寺の片隅の小屋の中にいたはず、それなのになぜ俺はこんな山の中に裸足で立っているんだ?
混乱していても次第に頭の中は冷静になってきて、満月を見上げて呟いた。
「…化かされたか?」
思えば狸は人を化かす天才だ。つまり、あの団三郎に出会ったころから俺は化かされていたに違いない。そう気づくと本気で一言主だのなんだのという言葉に付き合っていたのが馬鹿らしくなって笑えてきた。
「あの爺、団三郎狸だな」
勝手に命名してみたが、語呂がいいからしっくりくる。
しかしここはどこだ?
佐渡にも山はあるが、こんなに果てしなく続く広い山では無かったはず。
それより今生の別れだと住職に別れを告げたというのに、一体どんな顔をして寺に戻ればいいのやら。きっと狸に化かされていたという話をしたら大声を上げて空気の抜けるような、ファッファッファッという笑い声をあげるだろう。
まあ、それはそれで土産話が出来たと思えばいいか…。
そう思ってニヤニヤしていると、茂みがガサガサと動く。身構えた。
暗闇の茂みから人が数人出てきたが…ギョッとなる。バテレンだ。
高い鼻に落ちくぼんだかのような眼窩の深さ。しかも腰を見ると武器らしい剣を持ち、固そうな鉄の鎧をまとって武装している。
なぜ佐渡にこんな武装したバテレンたちが居る?武装した男が二人、それとぶかぶかの服を着た女二人…。
「nfoweidnsd」
「…あ?」
「gjoeriwoegoweigfno?」
「…あ?」
言葉がさっぱり通じない。
だが顔を見る限りこちらに敵意は向けていない。それどころかぶかぶかの服を着た女二人は膝を折り曲げ俺に視線を合わせ、心配そうな顔をして覗き込んでくる。
「gjoeriwoegoweigfno?」
先ほどと同じ言葉を繰り返している。雰囲気的に、こちらの心配をしているようだ。
そこでふと空を見て気づいた。
思えば中秋の名月をだいぶ過ぎているというのに、なぜこの空に昇っている月は満月なんだ?おかしい。
俺はバテレンたちに目を移す。
「ここはどこだ、佐渡か?」
「zoi?saado?」
ぶかぶかの服の女が聞き返す。
「佐渡か?ここは、佐渡なのか?それとも佐渡じゃねえ所なのか?どうなんだ?」
向こうに俺の言葉が通じていないのは分かるが、俺も今の状況が分からず思わず聞いてしまう。
「サード?vbnowiodfghql?」
するとそのバテレン全員が「サード、サード」と繰り返し頷き合い、
「サード、asnwioevnwenofo、wngooewfni」
と話かけて来た。
…待て、まさかさっき繰り返していた言葉は名前を聞いていたのか?
「サード、goerogreignoe!」
「tutuoaeivo,サード!」
俺の名前はサードだと思い込んでいる武装した男二人は頭をぐりぐりと撫でつけたり、心配するような口ぶりでこちらに来るよう肩に手をかけ促したりする。
訂正しようにも言葉が通じないし、何を言えばいいのかも分からない。それより男に馴れ馴れしく肩に手を回され全身に鳥肌がたった。
「やめろ、触んな!」
暴れ出し逃げ出そうとすると、ぶかぶかの服を着た女の一人が男二人を制するように俺から引き離し、そのまま慣れたように俺を抱きしめ、あやすように頭をポンポン撫でてきた。
その行動にギョッとして俺は体を硬直させその女を見る。
なんてはしたねえことする女だ、子供であれ女が人前で男に抱きつくなど…。
内心この女は尻軽かと見下げたが、そんな俺の考えなど知らない女は身を固め驚く俺の様子を見て初心なものと感じとったのだろうか。
からかうように悪戯っぽく笑うと、俺の頬に素早く唇を当ててきた。
あの時耳に響いた唇が触れる音、頬に感じた柔らかさとみずみずしさ、そして体が押されるほどの弾力のあるやわい胸の感覚は今でも忘れない。
* * *
「…女の唇と体はこんなに柔らけえんだって、その時分かった。あのころからだな、女はいいもんだって思えたのは」
サードが語り終えると、ハチサブロウがため息をつきながら頬杖をついて心底羨ましそうな顔をする。
「そっかぁ、羨ましいなぁ」
まさかサードの女狂いはそこから始まったのかしら…だとしたらその女魔導士は余計なことをしてくれたものだわ。
「あーあ、お前とは女の話で盛り上がる前にお別れしちまったからなぁ。キーチ、お前どんな女が好きなんだ?」
「怒りっぽくねえ女かな」
ハチサブロウとサードはそんな話で盛り上がり始めていて、しかもサードは私をディスっている気がして腹が立って、
「じゃあ、サードは神様の力でこっちの世界に来たのね?」
と、わざと話をぶった切ると、サードは私に目を向けた。
「そういうこった。最初はまだ狸に化かされてるのかと思ったが、その後にスライムが転がってきて、魔導士の女が炎を杖先に灯して焼き殺した。
隠密の術にもそうやって敵をビビらせるもんがあるからそういうものだと思ったが、本当にゼロから炎を作り出して攻撃してると理解してから本当に別の世界に来ちまったんだって納得した」
「じゃあ俺と出会うまでサードはその冒険者パーティと一緒に居たのか?」
アレンが聞くと、サードは首を横に振った。
「次の町で孤児院に預けられた。悪かねえ所だったぜ。そこで言葉も文字も一から覚えられたし、シスターが元々城の姫君で喋りが上品だったから、丁寧な言葉やマナーも覚えられたからな。そこの神父が面倒になってそろそろ別のところに行くかと思ってたらアレンに会ったんだ」
ハチサブロウはうんうん頷いて、サードを指さした。
「お前、なんだかんだで悪運強いよなぁ。それでここまで信頼できる仲間ができて、スサノオの如く活躍してるんだろ?やっぱりお前はあの小さい島…いや、もう全てが平和になって、やり方も上下関係も細かく決まったトクガワの世に収まる男じゃなかったんだ。
別の世界で自分の力で道を切り開ける腕があったんだ。お前の顔見てると思うよ、今が楽しいだろ、寺の雑務やって、小坊主から悪態つかれる毎日と比べて今が楽しいだろうがよ、え?この野郎」
サードは少し考え込むように黙った後、フッと笑った。
「まあな」
表向きの爽やかな顔のようで、いつものようにキッチリとした笑顔でも、裏の顔の時の馬鹿にするような笑顔でもない。
前、お風呂の縁に頭をぶつけそうになって驚いた時みたいに、サードの素の顔が一瞬表に現れたように思えた。
「佐渡 団三郎 狸」で検索したら色々と出てきます。
佐渡ではありませんが、徳島県の金長神社に参拝後、駅に戻る途中にある狸のオブジェにどんぐりが二、三個置かれていてなんか良かったです。
でも少ししてから「梅雨に入る直前ぐらいの季節なのに、どっからあんなツヤツヤした綺麗などんぐりがやってきた!?」と混乱しました。徳島は六月でもどんぐり普通に落ちてるんでしょうか。
私は狸に化かされたんだと信じたい。タヌゥ。




