サード日本むかし話
日の当たる縁側で俺は雪駄を足の指でもてあそびながら地面を這うアリを見続けていた。ゾロゾロと途切れ無く行進するアリをただただ黙ってみている。
八三郎の葬儀はさっき終わった。今はもう地面の下に埋まっている。
八三郎は今朝方、浜辺に突っ伏して上半身が海に浸かって死んでいた。近くに一升の徳利があり中身が空になっていたから酒を飲んで酔っ払って海にはまり死んだんだろう、となったが…。
「喜一」
名前を呼ばれて振り返ると、住職が立っている。御年七十を超える長生きの住職だ。
「ずいぶん打ちひしがれているな?無理もない、無理もない。喜一は八三郎に可愛がってもらっていたからなぁ」
ヨタヨタと歩きながらドッコイショ、と隣に腰を下ろす。
「私としても、長年ここで寺男として働いていた八三郎が居なくなってとても寂しいよ。喜一も寂しいだろう」
「まあな」
住職は少し目を見開いて俺を見た。
「ずいぶんとまあ今日は素直な」
「俺は素直なんだ」
住職は思わずファッファッファッと空気の抜けたような声で笑う。
「ウソをつけ、お前ほどひねくれながらも達観した子供はまずいないぞ」
「殺されたんじゃねえか?八三郎は」
住職は笑いを収める。
「八三郎は江戸に帰るっつってた、必要な情報は手に入れたから江戸に帰るって。恐らく加賀藩がこの金山の金を横流ししようとしている証拠をあいつは掴んだんだ、だがそのことを加賀藩の隠密に知られてしまった、だから…」
「喜一」
たしなめるような住職の声に、黙り込んで住職の顔を見ると、厳しい顔つきで俺を見ている。
「聡すぎるとお前も八三郎の後を追うことになるぞ、これ以上、八三郎の死について言葉にするな」
…何だ、住職も八三郎が何者か知っていたのか。
しばらく互いに睨み合うようにしていたが、住職の方が先に顔を悲しそうに崩して空を見上げた。
「私も知っている、知っているがどうにもならん。だが、国同士の裏の探り合いで人が一人死んだのは変わりがない。それでもその一人の死は徳川様の耳に届くこともないだろう。…仕事に失敗した男という程度に話が伝わるかもしれんが」
俺は黙り込んでアリの行列に目を戻して黙り込んだ。
「本当は八三郎と共に江戸に行って将軍家に仕官するつもりだったのだろ?」
急に話を振られて住職の顔を見上げた。
「それも知ってたのか」
「八三郎は私に義理を通したいのか、喜一を江戸に連れて行って俺の仕事をさせたい、喜一はこんな小さい島で一生を終える子供じゃない、もっと別の世界で生きることができると言ってきてな、喜一もついて行く気満々だと説得してきたんだ。
…本来そのようなことを人に言うべきでは無かろうに、江戸っ子というのはああいうもんなのかね…、いや八三郎が義理堅い男だったんだろう」
俺は何も答えず、アリの行列に目を戻して黙り込む。
頭の中では色々な考えが回っているが、別に言葉にするまでもないどうでもいい考えだ。それに今は八三郎の死を前にして気分が沈んでいる。言葉にするのも面倒くさいと鼻でため息をつく。
「それとも喜一は隠密になりたかったか?」
黙ってアリの行列を見て、頭の中の考えを拾い上げて言葉にする。
「八三郎が生きてたならな。今はそんな気もさらさらねえ。あいつだって腕はいいのに国にいいように使われて消されたじゃねえか。
このアリ共と同じだ。いくら国のために働こうが、どいつがどういう働きしてるかなんて、国の頂点に居る将軍は見わけもつかねえんだろ。なら使われるだけ損だ」
住職は黙って頷き、しわだらけの口から長い息を吐いた。秋晴れの空にその息が吸い込まれていくような時間を感じる。
住職が息を吐き切ってふいに口を開いた。
「お前ほどひねくれて、達観して、考えが回って、あらゆることを一度で覚えるような子供を私は七十年生きてきて未だかつて見たことが無い。本来なら神童と呼ばれる子供は喜一くらいの年齢になると周りの子と同化して平凡になっていくものだ。
しかしお前は未だに突出している。踊りを教えれば大人顔負けの踊りに仕上がる、八三郎が正体を見破られ、面白おかしく隠密の術を教えればそれすら自分の物にする。
小坊主とて苦労して覚える経も一度二度唱えただけで内容を覚え、経の中の意味すら自分で考えほぼ理解してしまう。
優秀過ぎて空恐ろしい物を感じるくらいだ。私が喜一ぐらいの年の頃には青鼻を垂らして経など覚えたくないと駄々をこねている時だというのに」
その言葉に思わずブッと吹きだすと、住職もファッファッファッと笑った。
「確かに、お前はこの小さい島で一生を終えるような男ではないのかもしれないなぁ。きっと武家社会、商家、芸能、どの世界に入っても飛びぬけて名を遺すことだろう。本当はこの寺の跡を継いでくれるというのなら安心して任せられるのだがな」
「馬鹿言うな、俺は寺男だぞ」
「いやいやお前は僧侶としてもきっと一流に…」
話していると後ろから足音が聞こえてきたから住職が言葉を止めると、小坊主が手に手紙を持って現れた。
「手紙です」
「どれ」
住職は手紙を受け取り、封書から中身を取り出してバッと広げる。
「うんうん、では返事を書くから喜一に持って行ってもらおう。ついでに以前牡丹餅を貰ったからそのお重の箱も返そうな」
住職はそう言うとヨタヨタと歩きながら部屋へと戻っていき、その場に残された小坊主は俺を睨んだ。
「いい気になるなよ、寺男のお前なんかがこの寺の跡を継げるわけがないんだからな」
うんざりとした気持ちを隠しながらニッコリと微笑んでおいて、雪駄を履いて立ち上がる。
俺の記憶は悪鬼のごとき形相の母が鉄鍋を振りかぶった所から始まる。腹が減った何かねえのかとせがんだ直後の出来事だった気がする。
家になだれ込んできた八三郎に助け出され、寺に連れて来られて頭が混乱している時に住職は言った。
「いいか、丁寧でちゃんとした言葉遣いにいい笑顔。人はこれだけで大体生きていけるものだよ。笑っときゃ世の中なんとかなる。まずお前は八三郎と一緒に寺男の身分でうちにいなさい。…ほれ笑いなさい、笑いなさい」
しわだらけの弾力のない手で両頬を挟まれて、抹香の匂いがほのかに残る本堂で無理やり笑顔にさせられたのは今でも覚えている。
それと普通に話していたらまた誰かに殺されるのではという考えが根付いたのも。
それならちゃんとした言葉遣いにいい笑顔を覚えないといけないと、次の日から本尊のような微笑みを浮かべることを覚え、住職から丁寧な言葉遣いを習った。
八三郎は俺の命を救った恩人、住職は俺の命を守るための礼儀作法を教えてくれる恩人。
だから二人には本性をさらけ出して接していたが、それ以外の者には仏像のような微笑みと丁寧でハキハキとした言葉遣いを心がけている。
普通に話していたらいつ誰が母のように鉄鍋を振り回して殺しにかかってくるか分からないから、必要以上誰も近寄らせたくない。
八三郎に隠密の術を教わった今では襲いかかられても大丈夫だと思っているが、用心に越したことはない…。
「おい、どこに行く」
縁側から離れる俺に小坊主が声を張り上げてくる。
一度声変りしたくせに、相も変わらずのキンキン声だ、うるっせえ。
だがとりあずいつも通りの微笑みを浮かべて振り向く。
「出かける準備でもしようかと思いまして」
小坊主はふんぞり返り、俺を馬鹿にするように腕を組んで縁側から見下ろしてくる。
「寺男のくせに生意気だぞ、こっちはこの寺でお仕えしてるんだぞ、お前みたいに親に捨てられたんじゃなくて坊さんになるためにここに来たんだぞ」
だからどうした。
一、二度で経をそらで言えるようになってからというもの、この小坊主はことあるごとに突っかかってきて面倒くさい。しかも言葉で言い負かすと今度は泣き出す始末だ。
そして住職に注意を受けるのは俺。
まあ住職は俺の方が頭が回るのだから勘弁してやれと言うだけだが、前に住職に注意されている時、その小坊主が半開きのふすまの向こうでニヤニヤしてこちらを見ているのを見た時には鼻を潰して首をへし折って殺してやろうかと思った。
だが確かに俺の方が頭が回るのだから、こんなクソガキ相手と言い合いすること事体が馬鹿臭いのはよーく分かっている。
うるせえし住職が戻るまで離れに戻ろう。
「手紙持って行くんだろ、それなのにここから離れたら手紙持って行けないだろ!住職様の手を煩わせる気か!馬鹿が!馬鹿が!バーカ!」
小坊主はキーキーと喚いている。
年齢相応といえばそうだが、鬱陶しいこと限りない。ぶん殴って静かにさせられたらどんなに気分が晴れることかと、青い空を見上げる。
中秋の名月もだいぶ過ぎたからこれからは木の葉が落ちる季節だな。だとすれば毎朝、日暮れは庭掃きか…。
「黙ってんじゃねえ、この陰間!陰間!」
陰間…だと?
俺はカッとなって踵を返し、雪駄を履いたまま縁側に片足を上げて小坊主の胸倉を掴んだ。
「今なんつった、てめえ」
いつもは見せない態度で睨みつけると一瞬小坊主はたじろいだが、気を取り直したのかまた馬鹿にする顔で俺を見下す。
「か、陰間!しってるぞ、お前、女の成りして男相手にしてんだろ!なんならそのまま陰間になって男相手に金でも取ればいいじゃないか、いくらお経を覚えたってお前は僧じゃないから意味なんてないんだ!この寺から出ていけ!」
小坊主が腕を振り回して俺をぼこぼこと殴ってきた。
「んだ、ゴラァ!」
頭に血が昇った俺は体を回転させ、縁側から庭に小坊主をぶん投げた。
小坊主は庭を縦に横に転がり、呆然とした顔で俺を見る。自分から暴力をふるったくせに、まるで自分は暴力を振るわれないと思っていた顔つきだ。
その顔をみたら余計に腹が立ってきて、今までこいつから受けてきたせせこましい嫌がらせを思い出すともう足が止まらず、砂利を激しく踏みしめ小坊主に近づく。
「経の文句すらろくに覚えられねえくせして、男相手に色売って金をとる職業の事は知ってるんだな!まだ得度も済んでねえくせにもう色欲の生臭になってんのか!ぶっ殺してやろうかこの生臭がぁ!」
「だ、だって…他の兄さんたちが…そう言って…」
迫る俺にあわあわと口を動かして小坊主がにじり下がっていく。俺は小坊主の言葉を聞いて立ち止まった。
他の兄さん…修行中の僧侶見習いのあいつらが、そんなことを言っていたのか。
だがそんな片りんにはとっくに気づいている。
俺と住職はほぼ六十も歳が離れているが、互いに話がよく合う。
内容は雑談から始まって経のこと、神仏のこと、これからの世の中、狐狸妖怪の類など多岐に渡っていた。たまに小坊主と兄弟子も話に加わることもあったが、それでもふと気づけば俺と住職の話についてこられないのか黙って話を聞いているだけ。
そんな時小坊主は俺を睨みつけているが、兄弟子たちはやんわりと微笑んで苦笑しているのみだった。
…だがかなり前、夜に住職が説法をするというので兄弟子たちに小坊主、八三郎と俺も堂に集まり説法を聞いていた時。
その中で住職が経典の内容を誤って説法をしているのに気づいた。だが他の兄弟子は何も言わない。
弟子の身分で住職に指摘できないと思っているのかと全員の顔を見たが、全員が住職の話を聞き漏らすまいという真剣な表情をしていて、間違っていることにすら気づいていなかった。
このまま覚えたらこの兄弟子らがいずれ恥をかくことになるだろう。そう思った俺は親切心で、
「住職、失礼ながらそれは違います」
と住職に指摘した。住職は「ん?」という顔をしたが、すぐに、
「あ、ああー…。はは、すまん、間違えた」
と頭をかいて照れくさそうにしていた。
すると俺の隣に座っていた一番年上の者が、
「…喜一は住職様に指摘できるだけの見解があるのだな」
とこぼしてわずかに俺を見た。
その時の行灯に照らされた妙に悲しそうであり恨みがましそうな、怒っているような般若のような目を思い出す。
その目は確かに心の声が全て出ていた。
「ただの寺男のくせに」
あの目を思い出したら背中が粟立った。
どうやら俺は随分とこの寺の奴らに嫌われているらしい。まずいか?下手をしたら妙な因縁をつけられて殺される可能性だって…。
するとヨタヨタと住職が畳の上をすり足のようにして歩いて来る音がする。
「おや、どうした」
見ただけで大体何が起きたか察した表情をしているじゃねえか。すっとぼけやがって。
だが俺は仏像のように微笑んだ。
「なんでもありません、この者が蜻蛉を追いかけて縁側から落ちてしまったんです。まだまだ子供ですね」
俺は手紙の返書と風呂敷に包まれた重箱を受け取ると寺を後にした。
Q,本当に加賀藩は佐渡金山の金を横流ししようとしてたの?
A,加賀藩は江戸幕府から睨まれていたので、無駄に目をつけられるような事はしなかったと思います。しかし真実は全て闇の中。




