いつもと違うサードの話
「素晴らしかったですね!」
二曲目が終わった後、ガウリスは興奮したように腕を動かして一言いった。
アレンの陰になっていたからガウリスがどんな表情で見ていたのかはよく分からないけど、すごく感動してる。
でもアレンは二曲目はどこまでも悲しそうに舞台を見ていたのよね。きっと失恋した気分を味わっていたんだわ。
心奪われた女性が男で、しかもずっと一緒に旅をしていたサードだったんだからショックは二倍よね…。
アレンに声をかけようとすると、肩に手を乗せられてバーリアスが私の耳元に口を寄せた。
「エリー。ここを出てたら右に真っすぐいって、二番目の曲がり角を左に行って」
「…どうして?」
怪訝な顔でバーリアスを見ると、バーリアスは少しふざけた表情を引っ込めて、
「どうしても」
と答えにならない言葉を言いながら私の肩を抱いて扉を開けて、
「ちょっとエリー、トイレ行ってくるってー」
と皆に宣言して外に出た。
「ちょっと…!なんなの、冥界で一人で移動するなんて嫌よ。大体にして他の言い訳考えつかないわけ?なんでトイレってことにするのよ」
怒りながら言うと、バーリアスはごめんごめん、と笑いながら私の背中を押した。
「心のケアしてあげてよ。俺神様だけど男だから無理なの」
「…」
何なの、納得いかない。
そう思ってるとバーリアスは笑う。
「今は女の子の柔らかい癒しの部分がほしいんだよ。さ、行った行った」
何が何なのか分からないけどとりあえずバーリアスに言われた通りの道筋を歩いて行くと、二番目の曲がり角に舞台に立っていた姿のままのサードが膝を抱えてうずくまっていた。
「ギャッ」
思わず驚いて叫んで飛び上がると、サードは私が近づいてるのに気づかなかったのか、私と同じように驚いて顔を上げる。
「ちょ、何、どうしたの」
舞台上のサードを見ている時のドキドキとは違う驚いた時のドキドキを味わいながらサードを見ていると、サードはゆっくりと立ち上がって私と向き合った。
舞台の上だと優しい顔つきのあどけなくも色っぽい女性にしか見えなかったのに…今こうして向かい合うと、目つきの鋭さも不愉快そうな顔も全部がサードだわ。
不思議、舞台の上だと正体がサードだって分かっても女の人にしか見えなかったのに。
ジロジロとサードを見ていると、サードはスッと一歩前に出て腕を私の背中に回して抱きついてきた。
「…!」
柔らかいサラサラしたロングガウンの感触と、明らかに男と分かる胸の固さが頬に伝わってくる。
サードを押しのけようとしたけど、腕ごと抱きしめられているから押しのけられない。私はもがいた。
「どうしたの急に、やめて」
「今は女の体に触りてえんだ、黙ってろ」
サードは腕に力を込めて、ふぅ、とため息をつく。
「…やわらけえ」
サードはそう言いながら私をしっかりと掴んで離さない。
「…」
これどういう状況?
よく状況がつかめないまましばらく黙っていたけど、さっきバーリアスが言った言葉を思い出した。
『心のケアをしてあげてよ、俺は神様だけど男だから無理なの。今は女の子の柔らかい癒しの部分がほしいんだよ』
私は考えた。
サードは踊るのをすごく嫌がってた。それでも皆に説得されて踊って、今はここで膝を抱えて一人でいた…。
つまりサードは嫌な踊りを踊ったから落ち込んでいたの?でもあんなにすごい踊りのどこが嫌なの?女装するところ?
「サード…さっきの踊りだけど…」
「クソだったろ」
私は思いっきり首を横に振る。
「どこが!サードは踊りたくなさそうだからよっぽど変な踊りなのねって思ってた。でもあんなに綺麗で…」
さっきまでの色香を放つ舞台上のサードを思い出すと少し胸がドキドキしてきて、一瞬黙り込んでから、
「綺麗で、すごく見とれちゃった。…確かに女装するなんてサードは恥ずかしくて嫌なのかもしれないけど…」
「これは男が女の成りをして踊るもんだ、別に変なことじゃねえ」
あ、女装するから恥ずかしいとか嫌だとかじゃないの。サードが嫌がるといったらそれかと思っていたけれど…。
「ならもっと自慢してもいいと思うわ。皆サードに釘付けだったもの」
「自慢できるか、あんな」
サードは急にそこで言葉を止めて黙り込んだ。体をくるんでいる腕に力が入る。
「…三歳ぐらいの頃、俺は踊りを教える家に養子に入った。ちゃんとしたイエモトじゃねえ、踊りを教えるので生計を立ててる程度の家だ。だがキョウからも踊りを教えに来る本格的なもんだった」
サードが急に身の上話しを始めて、驚いてサードの顔を見る。
「養父は俺の親父で、師匠だった。俺は背も小せえし顔つきでもこの踊りが合うだろうとこの踊りを習った。あの野郎…養父に本物の女より動きが綺麗だ、子供だろうがどんな年齢の男でも骨抜きにできるほどだと褒められて俺も悪い気分じゃなかった。
だから俺はこのまま家と踊りを継いで生きていくんだって思ってた。…七歳ぐらいまでは」
ギリギリと腕に力が入って行く。アレンに抱きしめられた時よりはマシだけど、痛いし苦しいのは変わりない。
サードは私の肩に頭を乗せた。
「そうしたらあの野郎、祭りの前日に俺が白塗りしてこんな女の成りして通し稽古してる時、何したと思う?」
私が何か言おうとする前にサードは続けた。
「いきなり俺の服の裾を剥いで上に覆いかぶさってきやがった。…何しようとしてたか分かるか」
「…!」
ショックで頭が一瞬真っ白になった。
「だ、だって、お父さん、なんじゃ…」
震える声で言うけど、続きは聞きたくない。何も聞きたくない。
「…」
サードも何も言わない。言いたくないんだわ。
でもサードの艶やかな踊りを思い出して何となく思った。
男のアレンは心を奪われて、女の私だって色香に惑わされてドキドキした。
七歳という年齢でも愛らしいを通り越して、よほど人の心を奪うほどの色気を放っていたんじゃないのかしら。
でも私はゼルスにさらわれた時、上着のローブの紐をほどかれそうになっただけで頭が真っ白になるほどの気持ち悪さと恐怖に襲われた。
それなのにサードは…大人の力に太刀打ちできない年齢の時に、父親で、師匠でもある人にそんな仕打ちを…。
私のお父様が急にそんなことをしてきたら…ううん、お父様は絶対にそんなことはしないけど、それぐらい信頼している人に裏切られたんだとしたら私には考えがつかないほどの傷を心に負ったと想像がつく。
サード、あなたはどれほど怖い思いをしたの?
思わず涙ぐんでいるとサードの足が崩れ落ちて、私はサードの体重を支え切れずに一緒に地面に膝をついた。
「だから俺はこんなのやりたくなかったんだ、嫌でもあの野郎とあの時のことを思い出す。化粧の仕方、服の着こなし方、肩の落とし方、手の動き、扇の持ち方、視線の送り方、客の一人に視線を向け続けること、足の運び、首の傾げ方、腰の落とし方…。
全部あの野郎から教わったことだ、あんな野郎のこと思い出したくもねえのにこれをやるとなると全部あの野郎に教わったことだ…!」
サードは身震い一つした。
「あれ以来、踊りなんて踊れなくなった、気分が悪くなるんだ、さっきだって何度ぶっ倒れそうになったか…!」
私の肩にサードの爪が食い込む。
舞台の上ではそんな様子なんてちっとも見えなかったのに。
船の上でグロッキーになっていたサードとはまた違う、別の表情を見せるサードに困惑した。
こんなに自分のこと…しかも普段だったら絶対に言わないようなことをこうやって言うなんて…。
『ああいう自分というものを隠すのが上手な人ほど心の中は不安定なものです、気遣ってあげてください』
ふと頭の中に船の船長、ヤッジャが最後に言った言葉がよぎった。
…もしかしてヤッジャが薄々勘付いていたのは、サードの裏の顔じゃなくて、こういう所?
サードを見るけどサードは私の肩に頭をもたげているから表情は見えない。でも肩に食い込んでいる指先からはかすかな震えを感じる。
こんなサード、見たことがない。
私はサードの背中にそっと手を回した。
するとサードは体を跳ね上げるようにして顔を上げて、至近距離で目が合う。
その目には色んな感情が混ざり合っている。
ただ一番強く感じたのは恐怖。普段ならサードが絶対に誰にも見せない感情。
それを見て確信した。
今サードは一人だとどうにもできない気持ちを吐きだしてるんだわ。
それならサードの気持ちを受け止めてあげるべき?…ううん、そんなのただの気休めにもならない。
私はサードの目を見つめながら色々と考えた。でも口が勝手に開く。
「サード、あのね」
何を言うとサードの気持ちが休まるかしらと一旦言葉を止めたけど、言葉が思い浮かばない。サードの心に響く言葉なんてきっと言えない。それくらいのことをサードは経験しているんだから。
でも「あのね」と言ったのに黙り込んでいるのが限界になってきて、心の奥底で思っていたけど、今は言わない方がいいかなと思っていた言葉がポロッと出た。
「こういう風に弱みを見せてくれてちょっと嬉しい」
「…」
サードが眉間にしわを寄せて私を見ている。
こんな時になんだよと怒るかしらと思ったけどサードは何も言わないから、私はとりなすように続けた。
「だってさっきレデスが言っていたじゃない。『舞台の上に立っている限りは役者か。民衆を表の顔でだまし続けるだけのことはある』って。…それって、ずっとサードは皆の前で素の自分を隠して演じているってことじゃない?
もしかして私たちの前でもそうだったのかなって思ったの。偉そうな怒りっぽい態度をずっと演じていたのかなって…」
いつものサードはこんな弱気な姿を見せない。だったら今みたいに不安で誰かにすがりたいとき、いつもサードはどうしていたの?
私は冒険をしてから不安なことがあればずっとアレンにすがってきた。でもサードは誰にもすがっているのを見たことがない。
その不安ですがりたい気持ちを、偉そうな態度で怒る自分を演じて、皆に背を向けて一人で耐えていたんじゃないの?そんなの辛いし、気の休まることなんてないんじゃないの?
そこまで考えて私は思った。
…サード、あなたは私たちと一緒にいても、ずっと孤独だったんだわ。
私は悲しくなってきて口をつぐんだけど、顔を上げる。
「…サード。私はサードほど頭も良くないし役に立たないと思う。けど…こうやってもっと弱いところも見せて。サードの感じた嫌な過去を克服させるようなことは言えないけど、人に話すだけで楽になることもあるから。こうやって話を聞くくらいなら役に立つから。
だからまたこんな風に気持ちが落ち着かなくなったら私でも、アレンでも、ガウリスでも頼って?皆サードを支えられるのよ。私たちはサードの仲間なんだから、いくらでも頼ってよ」
「…」
サードはしばらく私の目を見ていたけど、その目からは恐怖と不安の感情はほとんど消えている。
サードはまた私の肩に頭を乗せてハァ、とため息をついた。
息が首筋にかかって少しくすぐったい。
「…勘違いしてるみてえだから言っておくが、未遂だからな」
いきなり何のこと?…もしかして義理のお父さんに襲われた話?
「上に覆いかぶさられて、何か変だと気づいて奴の片目を潰してその隙に逃げた。あの時目に食い込む指の感覚も未だに消えねえ。それも腹立つ。気持ち悪い」
口調は落ち着いて、いつも通りだわ。
何か言葉をかけようかと思ったけど、あえて黙ってサードの背中をポンポン叩いていた。
「…なあエリー」
サードが完全に落ち着いた口調で少し身を離す。
良かった、落ち着いたみたいと思いつつ、
「ん?」
と、軽く返事をすると、サードは舞台上で見せたような伏し目がちの目で私を見ている。
「なら頼っても…甘えてもいいか?」
「…ぃぃょ」
予想外のサードの言葉に戸惑ったけど、その戸惑いを見せないように頷いてサードの顔を見る。
その顔はいつも通りの不満気な顔じゃなくて、舞台の上でみた優し気で、あどけないけど色気のある女性の顔…。
けどどう甘えるつもりなの、今まで誰にも頼ってこなかったサードが。
ああ、でもこんな至近距離でこんな表情で見つめられると、本当に危ない感情を抱いてしまいそう…。でも相手はサードなのよ、でもドキドキする…でも相手はサードなんだから落ち着いて…。
ドキドキとヒヤヒヤの入り混じったまま緊張してサードの言葉を待っていると、サードはゆっくりと微笑んで囁いた。
「ケツ触らせてくれ」
「ダメ」
その姿でそんなセリフ言ってほしくなかった。しかもどさくさに紛れて何を言っているの、この男。
サード
「甘えてもいいって言ったくせに…嘘つきが」(プイ)
エリー
「(…不満そうな顔もいい…。ハッ、ヤバいわ、男目線じゃないの私)」




