ラスボスの頼み
木造建ての明るい部屋の中、私はふかふかのクッション付きの椅子に座りテーブルの上に飾られている花を見つめている。
すると陶器が触れ合うカチャカチャという音が響き、目の前に茶色い液体の入ったお洒落なティーカップがコトリと置かれた。
「はいどうぞー」
ティーカップの他にアップルパイとフォークも目の前にそくそくと置かれる。
アップルパイなんて冒険していると中々食べられないから「わぁ」と顔がほころんでしまったけど、慌ててそれを自制して口をキュッと引き結んだ。
ラグナス・ウィードという名前の女の子…ううん、魔族でありスライムの塔のラスボス。
それが何故私をこんな所に連れ込んでティータイムをしようとしているの?
それより聞いたことがあるわ。魔族に出されたものを食べると死ぬとか、モンスターになるって話。
ラグナスは私の向かいに座った。
「食べないの?冷めちゃうよ」
「…」
私はラグナスを信用ならない目でシゲシケゲと見た。
ラグナスはもうフードを取り外している。
サードの食指が動いた通り、その顔はぽやーんとした雰囲気の可愛らしい女の子だった。本人が魔族だと主張しても大体の人は信じないんじゃないかってくらい人間と同じような見た目。
「言ったでしょ、別に私はあなたと戦うつもりもないし、悪いようにする気もないって」
相手はミルクの入った小さい壷を傾け紅茶の中に入れ、クルクルとスプーンでかき回した後にクイッと一口飲んだ。
―話は少しさかのぼる。
「私はここのラスボス、ラグナス・ウィードでーす。イエー」
ラグナスはやる気の感じられない声でそう言ったけれど、私は事態を飲みこめずにいた。
「え?」
「私、ラスボス、ここの」
相手は床と自分を指さすけど、私はまだ混乱していた。だって今まで会ってきた魔族はもっと人間とかけ離れた異形の姿で、こんな人間に近い姿はしていなかったもの。
「…もしやこっちの姿のほうが納得できる?」
その言葉と共にラグナスの周りが歪んだかと思うと、体が大きく膨れ上がった。
それから現れたのは、頭は鳥の骸骨をかたどった仮面、不気味な赤い光がチラチラ動く落ちくぼんだ黒い眼窩、風もないのにゆらゆら揺れている黒いボロボロの衣服…。
「あ、そうそう!魔族ってそんな姿!」
「こっちはラスボス専用の人間に舐められないようにするためのコスプレみたいなもんだよ、怖いでしょ?」
「まぁ…さっきの女の子の姿と比べたら」
だとすればラグナスがスライムの塔のラスボスなのは間違いないんだわ。でもならなぜ私をいきなりラスボスの間に連れてこられたの?
…まさか勇者一行だと気づいて皆をバラバラにして一人ずつ潰していくつもりで…!?
一人だけどやるしかない、と杖をギュっと握って身構えたけど、ラグナスは異形の姿を解いて元の女の子の姿に戻ると、
「別に私あなたと戦うつもりもないし攻撃する気もないから。それより話があるの、ちょっとこっちに来てくれる?」
と背中を向けて歩き出した。
その隙だらけの背中に攻撃とも思ったけれど、こんなにも堂々と背中を向けている相手に攻撃ってどうなのと思い直し、警戒しながらそろそろとついて行った。
たどり着いたのは扉向こうにあったこの木造建ての部屋で、
「まあ座って。ティータイムしながら話そう。どうぞお座りくださいレディー」
と冗談交じりに椅子を引かれたところで冒頭に戻る。
「…それで話って?」
目の前の美味しそうなアップルパイに目が奪われるけど、心を強く持って手を付けずに我慢している。
ラグナスはその様子を見て、
「それより食べたら?」
とすすめてきた。
それでも私はラグナスを慎重深い目で見る。しばらく無言の見つめ合いが続いて、ラグナスはフゥ、と軽いため息をついた。
「もしかして魔族が作ったものを食べたらモンスターになるとか死ぬとか信じてるクチ?」
なおも黙ってラグナスを見返す。
無言の肯定と受け取ったのね、ラグナスは自分のアップルパイをフォークで一口大に切り分けて口に運ぶ。
「確かに魔族の作ったものを食べるとモンスターになるとか、死ぬとかそういうのはあるよ?でもねぇ、食べたら死ぬって、人間界でも普通に毒とか混ぜたら死ぬじゃん?
それにモンスターにするって、魔族が作ったものを食べさせるだけじゃなくてそういう薬を食べ物に混ぜないといけないの。その薬って今は作れる人も少なくて高いんだよ。
一個買うと一族が潰れるとか、十個買うと国が傾く言われるくらい高いの。もし一般家庭で手に入れたら家宝にして代々伝来させる家もあるくらいなんだよ?そんなものをここで使うと思う?」
魔族の話なのに、なんだか人間界に通じる切実な内容ね…。嘘をついているようにも見えないけれど、まだ信用もできない。
「だって魔族自らアップルパイと紅茶をだして人間をもてなすとか…あり得ないわ。それに何で作ったかも分からないし…」
「大丈夫だよ。これこの村の雑貨屋から買ってきた小麦と砂糖で作ったアップルパイと紅茶の茶葉だから。村で見なかった?雑貨屋サミィ。私よく行くんだけど」
「えっ。買いに…いってるの?村の雑貨屋に?あなたが?魔族でスライムの塔のラスボスなのに人間の雑貨屋に?」
「人間界の食べ物食べたり雑貨見るの楽しいんだもん」
ラグナスは立ち上がって一冊の本を持ってきて、再び椅子に座って身を乗り出してくる。
「ほら見て。これ見ながら作ってみたの。『おいしいパイの作り方・初心者編』」
ラグナスはウキウキした表情でアップルパイのページを開いて見せてくる。
「ページの最後には美味しい紅茶の入れ方も書いてあってね、この紅茶もこれを見ながら入れたんだ~。この本を買ったら雑貨屋の娘さんが今度村に伝わる伝統的なパイの作り方教えてあげるねって言ってくれて、今度ここに来て教えてもらうつもり…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
話を遮って身をのり出す。
「なんで魔族が人間と親しくしてるのよ!敵対してるんじゃないの!?っていうか、店屋の娘さんがどうやってこんなラスボスの間までこられるのよ!」
どこからどう突っ込めばいいのか分からないので言いたい事は全部言いきった。
ラグナスは一拍間を置いてから人差し指を一本立てる。
「質問には答えるね。一つ目の質問、何故人間と親しくしてるのか?さっき言った通り、人間の生活に興味があるから村に足しげく通っていたら仲良くなったの。村の皆にはダンジョン傍の生態系調査員だって言ってるよ」
指をピースの形に変えて、
「質問二、敵対しているんじゃないのか?確かに魔族と人間は昔から折り合いが悪いからお互いに倒し倒されの関係を続けてきてるけどね、私はそこまで熱心に人間を倒したいとは思ってないの。
むしろ人間の生活に興味があるし、私以外にもそういう魔族は結構いるよ。まあ魔族の中では変わり者の部類だけどね」
指を三本たてて、
「質問三、村の人がラスボスの間に来れるのか?ここはラスボスの間じゃなくて、村から少し離れた所にある小屋。石の塔ってここの湿気の多い気候に合ってなくてジメジメするから普段はここで過ごしてるの。スライムには過ごしやすい条件だけどね、石の塔は。
村の人も私が生態系調査員としてダンジョン近くのこの小屋に過ごしてることは知ってるからたまに遊びに来たりもしてるよ。そして私の得意技は召喚と転移。つまり好きな所から好きな所にワープしたりさせたりできる」
ああ、だからさっき塔の壁に扉が現れて、入ったらラスボスの間、それからここに一瞬で移動できたの。
それにしてもラグナスは転移をいとも簡単にやってのけているけど、転移はかなり高度な魔術。それなのにこんな一瞬一瞬で好きな所にポンポン転移できるんだとしたらやっぱり強い魔族なのね。
だとすれば警戒は解けない。今はこうやってもてなしていても、いつ気が変わって攻撃してくるかも分からない。
するとふと紅茶を飲む手を止めてラグナスは顔を上げる。
「ああ、あのサードって勇者とアレンって赤毛の子は村の入口まで転送しただけだから安心して。本当はあそこにトラップなんて仕掛けてなかったんだけどね。
あのアレンって子は勇者にうまく使われてるし、勇者は腹に一物あるし舌も二枚あるし淫乱だから二人きりになりたくてさ。だとしたらあのパーティ内でこんな話できるのがあなただけだったんだ」
その一言に私は目を見張る。
だってサードはラグナスの前では勇者の仮面をずっとかぶっていて爽やかな顔でいたはず。そんな裏の顔なんて一切見せていなかったのに…。
ラグナスは私の顔を見て何を言いたいのか察したのか、ニンマリと微笑んでから身を乗り出した。
「魔族はね、どんなに隠そうが性根の腐った人間なんてすぐ分かるよ。悪い人間は欲さえちらつかせば魔族にとって使いやすい駒になるから、どんなに隠しても性格の悪い人間はすぐ分かるの。まー、あの勇者は扱いづらそうだけどね」
魔族にすら扱いづらそうって言われるサードって…。
思わず呆れを覚えたけど、改めて聞く。
「じゃあ…私をここまで連れ込んで、何を話したいっていうの?」
ラグナスはムー、と口を軽くとがらせて、テーブルの上にズルーっとうつ伏せになった。
「私やる気ないんだぁ」
「は?」
「本当はダンジョンのラスボスになるつもりなんてなかったんだぁ。なのに魔王様がね…」
「魔王!?いるの!?」
思わず前のめり気味に立ち上がって早口で聞き返す。
魔族が魔王を滅ぼしたから魔王の存在が抹消されたのではないか、というのが今では通説。なのにまさか魔王が普通にいるなんて…!
ラグナスは私を下から見上げ、あっさりと答えた。
「いるよ~?ただ人間界に居ないだけ。ほら前回の魔王様があまりにもひどくて内乱が起きたじゃん、だから魔界が荒れててその立て直しに専念してるから人間界に干渉する暇がないんだよ」
「別に…こっちからしてみたら干渉してこなくていいけど…」
これが人間界に住む全員の素直な感想だと思う。
驚きながらも椅子に座り直すとラグナスは身を起こして手をぺらぺらと動かす。
「そう言わないでよ。地上のモンスターのこともあるから来ないといけないんだよ。魔王っていう魔の中で一番の存在を見せないと地上で勝手に一番の存在になろうと頑張るモンスターだっているんだから。
そんで一番になりたいモンスター同士が徒党を組んで戦ったら一番被害に遭うの人間なんだからね。魔王様は必要悪ってやつだよ」
「…じゃあなに?魔王が居たほうが人間にとっては平和だって言いたいの?魔王がいると世の中が乱れるって私は習っているんだけど」
ラグナスは私の言葉を聞いて腕を組み、軽くうなる。
「うーん、それは難しい質問だな~。そこは魔王様のやり方次第で変わっていくだろうしさ。ちなみに前回の魔王様は最低の評価だね、人間からも魔族からも」
そんな風に言われ、私は自分の揺れる髪の毛をチラと見る。
魔王のやり方次第で変わる…。だとすれば魔王も人間界の王も同じようなものじゃないの?
純金になるこの髪を手に入れるために戦争を起こしたエルボ国と、隣のブロウ国。そのどちらかの国王がもっと賢かったら、あんな戦争にはならなかった…。
『バーカ、どんなに頭が良かろうが性格が良かろうが、過ぎた宝は結局持て余されんだよ。俺に拾われて良かっただろ』
頭の中に急激にサードの声が蘇ってきて私は激しく頭を振り、
「それで、本題は」
と話を促した。
「本題の前にもうちょっと前置きを聞いてもらうね。魔界では数百年に一度行われる大会があって、上位三位までの人が魔王様の下で働く権利をもらえるの。受けるかどうかは魔族次第なんだけどね、私も狙ってみたわけよ。魔王様公認で人間界を旅できる仕事があるみたいだからそれ狙いで」
「旅…?魔王の配下が人間界を?何のために?」
「旅をして人間界のモンスターとか調査してるの。でも魔族とバレないよう人間として旅するから人間と問題を起こしちゃいけないし、魔族ってばれて殺されても全部自己責任なんだけどさ。楽しそうでしょ?旅するの」
「…それで?」
「せめて三位と思って戦ってたらさっくりと一位になっちゃってさ。しかも斬新な戦い方だって魔王様にすごく褒められて直々に側近の末席にされちゃって…」
「斬新な戦い方って…召喚と転移が?」
確かにラグナスの転移魔法はすごいと思うけど目新しいってわけでもない。それより末席とはいえ魔王の側近なの?
見た目は大人しくて可愛らしくて。性格はやる気が無さそうだけど実力は魔王が認めるほどのものなのね。
油断ならないと身構えるけどラグナスは話を続ける。
「ううん、スライム使って戦ったの。私昔からスライムのプルプルしてるあの感じが好きだからさ。つついたら嫌がって逃げるでしょ?あの姿も可愛くてさ~ウヘヘへへ」
身構えたけどそのしまりのない笑いで気が抜ける。
「…だからあの塔はスライムだらけなの」
「そう。私の趣味がギュッと詰まったダンジョンだよ。その趣味ついでに色んなスライムを配合したり組み合わせたりで新種のスライムを作りだしたりしてて」
もしかしたらあの透明な分厚いスライムもこのラグナスが作り出したのかしら。冒険者の身からするとありがたくない事をしてくれるわ。
「それを利用してスライムを圧縮して固くしたり大きくして防御したりして色々やってたら、一番弱いモンスターで一位になったから変に注目されちゃったみたいで。
その流れで魔王様直々に人間界にダンジョンを持つ権利も貰ったんだけど…。そりゃ魔族にとって人間界にダンジョン持つのは力のある証拠で名誉なことだよ?でも私は旅係が良かったのに~。
でも魔王様直々に言われたら側近の件もラスボスの件も断れないじゃ〜ん、断ったらお前何様?って魔王様にも周りの側近にも目つけられるじゃ〜ん」
まいっちゃったよ、とラグナスはため息をつきながら紅茶をすすり、一息ついた。
「さて長々と前置きをしたけど、これからが本題」
ラグナスが少し真剣な表情になる。
「そんなわけで私はここの土地と人が好きなの。特産品も観光名所も無かった村に最近人がよく来るようになって活気がでてきて皆喜んでる。なのに私が倒されてここから居なくなったらまた元通りに戻っちゃう。だからあなたたちにはスライムの塔を攻略しないで帰って欲しい」
まさか魔族に戦わないで帰って欲しいと言われるなんて…。でもそれは私一人で決められる話じゃない。
困って悩んでいるとラグナスは続けた。
「これは頼みだからタダで去れとも言わないよ。お礼の報酬はそれなりにさせてもらう」
報酬と聞いたらサードが大喜びするでしょうけど、ここにサードはいない。
私はそっと口を開く。
「でもね、サードがここに来るって決めたから…。あいつは攻略するまで諦めないと思う」
「執念深そうだもんね。一回悪口言われたら十年たっても忘れないタイプと見たよ」
ラグナスがそんなことを言うから思わずプッと吹き出した。こうやってアレン以外の人とサードの性格の悪さを話せる日が来るとは思わなかった。
それでもね、と私はまた口を開いた。
「私たちがあの塔に来たことは皆分かってる。なのに勇者たちが攻略せずに帰ったとなったら、それだけ難しいダンジョンなんだって噂が広まって逆に人が来なくなるんじゃないかしら」
「もちろん私もそこまで考えたよ。だからもう一つ頼みを聞いてくれない?」
「もう一つ?」
まだ言いたいことがあるのと思いながら聞き返すと、ラグナスは微笑みながら頷いた。
「あのね…」
雑貨屋サミィの名前の由来…話を打ち込んでる時部屋の中が寒かった