アレンの独白
ぼんやりと暗闇の空に浮かぶ、やせ細った月を眺めながら私は夜風に当たっている。
ロッテの屋敷にいる時には満月だった月も、あっという間に欠けちゃったなぁ。ロッテの屋敷の大広間にはまた本が大量に積み重ねられているのかしら、またあれだけの量がたまってるとしたら、一人で片付けるのは大変よね…。
取り留めも無いことを考えていると、
「エリー」
と声をかけられて振り返る。声だけで分かるけど、そこにはアレンがいる。
私は船べりから身を起こすと、アレンは私の横に並んだ。
等間隔でランタンが吊るされているけど、月の明かりが乏しいからほとんど顔と体の輪郭程度しかアレンが見えない。
「なあに?」
「サードが呼んでるから探しにきたんだけど…」
アレンの言葉に、私は鼻でハッと笑って船べりにもたれかかる。
「誰がいくものですか。もう夜なんだし寝ればいいのよ」
ドラゴン姿になったガウリスから船を守るため、ここ一番のタイミングでものにできた制御魔法。
制御魔法を使う感覚を覚えた私の魔法は一気に使える幅が広がった。
船全体を包み込んで穏やかな空間にできたんだから、サードをあの空間で包んだら波の揺れが無効化されて船酔いも収まるんじゃないかしらと私は考えた。
だから試しにサードの周りにあの穏やかな空間を広げてみた。
そうしたら私の考え通りサードの体調はみるみる良くなって、体調が良くなったから脱出用の船で陸地に戻ることも無しになった。
具合の良くなったサードに私はホッとして嬉しくなったものだわ。具合が悪いのに駆けつけてくれたサードの助けになることができたって。
「これで船旅を楽しめるわね、サード」
…と微笑んでいたのはここまで。
私が穏やかな空間を広げている時はサードの体調は良くなる、そして私が離れるとまた悪くなっちゃう。
夜に寝る時は酔い止めを飲んでから寝ているらしいけどそれでも薬を飲むより私の魔法の内にいるほうが気分は完全にいいみたいで、起きている間はずっとサードが私の近くにいるようになってしまった。
だから私がジュースを飲みに行こうとするとサードもついてくる。売店を覗こうとするとサードもついてくる。
でもサードは私の行くところに興味がないから表向きの顔で横からあれこれと別の所に行くよう指示を出してくる。
これがものすごく面倒くさいし鬱陶しいのよ。
横からごちゃごちゃ言われる度に魔法を解除して具合を悪くして部屋に戻してやろうかしらという考えが脳裏をかすめていく。でも具合の悪い時に助けに来てくれたんだし、と耐えて解除しないままでいる。
そんな様子を見てアレンは、
「俺の故郷でもさぁ、近所の暇な親父さんが奥さんの行くところ行くところ追いかけてって奥さんが面倒くさそうにしてたなぁ」
っておかしそうに笑っていたけど、私からしてみたら笑いごとじゃない。せっかくゆっくりできる時間がたくさんあるのに、私だけの自由時間が無くなっちゃうじゃない。
それにサードが部屋から外に出るようになると勇者と話したがってた人たちが次々に集まってきて、サードは一人ひとりの話し相手をして、その流れで私も傍にいる。
別に人と話すのは苦じゃないからここまではいいの。
サードは男の人相手だと数分で話を切り上げるけど、女の人が相手だと長話になるの。
それでタイプの女の人が現れると私を放って口説き始めるの。私も同じ場所にいるのに目の前で堂々と。
はーあ…さっきもそうよ。
あまりにサードがいい雰囲気を醸し出しながら優しい言葉を囁くから、女の人も段々と目がうっとりしてサードを熱っぽく見つめ始めて、私も隣にいるのに二人の世界に突入してしまった。
ああもうウンザリ。サードは人の恋路に興味ないって前に言っていたけど、私だってサードの節操のない女性遍歴に興味ない。
…そう思って、私はその場から静かに行方をくらませた。
きっと私が去ってからサードは具合が悪くなって部屋に戻ったに違いないわ。
だからわざわざアレンに言いつけて私を探させたんでしょうけど、だから何?私の魔法で具合を良くしてまた女性を口説こうとでもしているわけ?
イライラと眠ればいいのよって言う私の言葉を聞いたアレンはそれ以上私を強く連れて行こうとするでもなく、
「そうだな。もう寝ても良い時間帯だし、いっか」
と隣に並び、背中を丸めるように船べりに腕をついて海へ顔を向けた。
ここから海賊が登って来たのよね、と私は船べりを手で触って、この前立ち寄った港でのことを思い出した。
あの時は荷揚げと同時に捕えた海賊の引き渡しをしてから、何事もなくまた船は出航した。
「勇者御一行のおかげで、他の海賊の情報も入りそうです。今回の件、誠に感謝いたします」
出港して廊下で会った時、ヤッジャは帽子を胸に押し当て坊主頭を深々と下げてきた。
「雷に打たれて感電しても海賊の皆は無事だったの?」
濡れた状態で海賊たちが雷に打たれたのを見たサードが何人か死んだか、って言っていて気になっていたから質問すると、ヤッジャは片眉を上げて、
「海賊に人質に取られたというのに心配をなさるとは。さすがは勇者御一行、悪人にもお優しい」
と言うと、引き渡しの報告をしなければいけないからってせかせかと去ってしまって実際どうだったのかは分からなかった。
「あれだけ直撃すりゃあ、死ぬまではいかなくても瀕死だろ。あの大波で船から落ちる奴がいなかっただけでも十分奇跡だと思うぜ」
と、サードは言っていた。
「けどようやく落ち着いたな、周りの反応が」
アレンの言葉に私は先日の出来事からフッと我に返って、
「ね。大変だったわね」
と笑いながら答えた。
海賊を倒した時に甲板には私たちしかいなかった。だから乗客全員がどうやって私たちが海賊を倒したのかをすごく聞きたがってきたのよね。
戦闘以外のことも色々聞かれたわ。
「急に天候が悪くなったけど何あったんです?」
「ドラゴンいましたよねぇ!?ねぇ!」
「遠くの海は荒れていたけど船の周りだけ穏やかで…、あれ何が起きてたんでしょう?」
…とまあ、戦闘以外の質問だと大半がガウリスと私がやったことだったんだけど。
特に最上階の船長室からはドラゴン姿のガウリスがバッチリ見えたみたい。
あのドラゴンはどこから現れたのか、急に消えたけどどこに消えたのかって船長室に待機していた副船長から激しい質問攻めにあって大変だったわ。
ちなみに副船長はドラゴン姿のガウリスが現れてすぐ船を動かし逃げようとしたらしいんだけど、私の魔法の効果のせいか船は全く動かなくて、船長室の中はものすごいパニック状態かつ全員が死を覚悟していたって。
あとドラゴンから人間に戻ったガウリス。
ガウリスはアレンの上着を下半身にまとってるだけだったから人が甲板に集まる前に部屋に戻りますと即座に戻って行った。
その後ガウリスの部屋に行くと下半身をシーツで覆った状態でアレンに告げていたわ。
「アレンさん上着をありがとうございます、後ほど洗ってお返します」
そこで甲板での出来事を覚えてる?と聞いてみると、
「サードさんの指が喉元に近づいたところまでの記憶はあるのですが…。ところで私はなぜ裸だったんですか?」
と不安そうな顔で言っていたわ。
そっか、サードが指でゲキリンを押す直前から甲板に落下するまで記憶がスッポリと抜けているのね、じゃああの自分が起こした天変地異のこともさっぱり覚えていないのねと頷くと同時に思った。
ガウリスは体に合うサイズの服を船に乗る前にようやく見つけられたのに、ドラゴンの姿に変身したら服もズボンも破れて失くしたどころか防具の鎧と盾、武器の槍も失ったんじゃないかって。
実際甲板から探し出せたガウリスの装備品は、海賊の下敷きになっていたと船員が持ってきたストールだけ。
ガウリスの装備品はストール一枚になってしまったけどそれでも船内の売店にガウリスの巨体が収まる服なんてない。
こんなことなら無理にガウリスの体格にあった服を何着か買うんだったって後悔したわ。
服は一枚だけじゃなくて着替え分も何枚か買っておきましょうって言ったんだけど、
「いけません、これ以上エリーさんにお金を払わせては。一着で十分ですよ、今は気温の高い時期ですから洗ってもすぐ乾きますし、私の故郷に戻るまでのことですから」
と頑なに断られたから買わなかったけど、やっぱあの時買うんだったって。
シーツで体を覆ってる姿じゃ部屋の外に出られるはずもない、これからどうしようと頭を悩ませていると、廊下で私に声をかけてきた人たちがいた。
それは「勇者どこだよ」「こちとら服装決めてきたのに」「勇者どこだよ」とガウリスに噛みついていたあの三人組の女の子たち。
顔を見た瞬間に喧嘩を売られるのかと身構えたけど三人はどことなくバツが悪そうな顔で、
「エリーさん、あの宗教家の人と知り合いなんですよね?」
「これサンシラに売りにいく布なんですけど…あの宗教家みたいな人困ってるみたいだって聞いたんでどうぞ」
「サンシラ国の人なら着方は分かると思います」
と私に押し付けて去って行き、白くてただの大きい布にしか見えないそれを持ってガウリスの元へ届けた。
「これは…」
布を受け取ったガウリスはありがたそうにひたすら布を折ったり肩にかけたり体に巻き付きつけたりを繰り返すと、布一枚があっという間に簡易的な服になってしまった。
片肌は出ているけど十分外に出ても大丈夫なぐらい、この程度の露出だったら冒険者でもザラにいるし。
「本当は下にシャツも着るものですが…ちなみにこれはどこで?」
「この間の三人組の女の子たちよ。ガウリスが服がなさそうで困ってるとか、私たちと一緒に行動しているとかどっかで聞いたんでしょうね。私にそれを渡してさっさと行っちゃった」
その言葉にガウリスは嬉しそうに顔をほころばせて、どこかに向かって「神の祝福を」と呟いていたっけ。
ま、それでも渡された白の布地の服に色のついたストールは全然似合わないけどね。
それでもゲキリンは隠したほうがいいとガウリスも強く思ったみたいで、喉元にしっかりストールを巻き続けている。
「…それにしても、サードの言う通りガウリスのあのゲキリンって本当に触っちゃいけないものだったわね」
「だなぁ」
アレンも簡単に答える。
あのガウリスの暴れっぷり…。何度思い返してみてもものすごかったわ。
サードがゲキリンを触ると村が潰れると前に言った時は大げさに言うわねぇ、と呆れたものだけれど、大げさどころか本当に村一つくらいすぐに…、ううん。村一つどころか国一つ滅んでいたかも。
でもよかった。ガウリスがストールを巻くまでは見上げる場所に光る鱗が見えていて気になって気になって触りたい気持ちに駆られていたから。
我慢して触らないでいて本当に良かった。
「…」
「…」
ふっと、アレンに視線を移す。
いつもよりアレンの口数が少ないし、黙り込む時間が長い気がする。
しばらく眺めていてもアレンは何も言わないでジッと海を見ているまま。
おかしいわ、いつもだったらとりとめのない話をペラペラと話しているのに。
「どうかしたの?アレン」
アレンはハッとした雰囲気で私に顔を向けた。
「あ、いやちょっと考えごとしててさ。ごめん」
「別に私はいいんだけど、何かあったのかしらって思って」
アレンは「えー…」と言いながら顔を指でかいて、「うーん…」と言いながら顔をそっぽ向けている。
私に自分の考えことを言おうかなぁ、どうしようかなぁと悩んでいるようなアレンの間延びした困惑の声を聞きながら、私は黙って待った。
話すなら聞くし、話さないならそれでいいし。
そんな雰囲気が何となく伝わったのかも。アレンはまた船べりに腕をついて海に顔を向けて、少し下げた頭をガシガシとかいた。
「なんつーか、俺ももうちょっと頑張ろうかなーって思って」
「何を?」
「何をって…。武道家として戦えるようにさ」
えっ。アレンが戦うのを頑張るですって?
肩書は武道家だけど俺は非戦闘員だって堂々と宣言して、戦いの時には素早く後ろに下がっていくアレンが?
どうして?別にいいのに、戦いではサードと私で大体敵を倒せるもの。
アレンは性格的にも戦いに向いてないのはそうだけど、戦い以外のことは大体できる。
そもそもアレンが居るからこそサードと一緒でも今までやってこれたんだもの、アレンが同じパーティにいる、それだけで私はずっと助かってきた。
「別に無理しなくてもいいのよ。戦いなら私たちが…」
「無理なんかじゃなくてさぁ」
ムッとした声色が混じったからちょっと驚いて口をつぐむと、アレンは強い口調になったのに自分でもびっくりしたのか、ごめん、とすぐに謝ってから話を続ける。
「覚えてる?昨日俺がガウリスにサンシラの人って皆強ぇの?って言った時の話」
その会話なら覚えてる。昨日アレンが、
「サンシラの人って皆強ぇの?」
と聞いたらガウリスは強く頷いた。
「守るもののために力は必要です、優しさだけで人は救えません。…まあ、力を使うよりも話し合いで解決するに越したことはありませんがね」
そういえばあの後もアレンは珍しく黙り込んでいた気がする。
「俺さ」
アレンが口を開いたからアレンの言葉に集中する。
「それ聞いて簡単だけどその通りだなって思ったんだ。守りたいって思ってるだけじゃ守れるものも守れねぇんだよなって。そこに力がねぇとただ理想だけ言ってる奴にしかならないんだって」
段々とアレンの声が真剣になってきたから、口を挟まずに黙って話を聞く。
「今までサードとエリーが居れば俺は後ろでそっち危ない、こっちに逃げられる、とか言ってればいいなって思ってたんだ。
俺戦うの嫌いだし、痛いの嫌いだし、モンスターなんか近づきたくないし、触りたくないし、人間でも今回みたいな武器持った悪い人とも関わりたくないし…。とにかく戦うの好きじゃないんだよ、殴り合うとかナイフで血出る切り合いとかほんと無理、怖いもん」
本心をダダ漏れさせながらアレンは続ける。
「けど今回サードが具合悪くなっただろ?俺、ガウリスの言葉聞いて思ったんだよ。もしガウリスと出会ってなくて、サードも具合悪くて部屋から出られなくて、それでエリーが今回みたいに海賊に捕まったら、俺一人で助け出せたか?って。
今回はたまたま海賊が手を放したけど、あんなラッキーなこと滅多に起きないだろ?俺が戦闘の時にできるのはサードとエリーへの最低限のサポートと、ケガして二人の足手まといにならないように安全な場所を逃げ回ることだけだし。
サードにもパーティ組んだ時言われてたんだ、お前はとにかく死なないよう、怪我をしないように逃げ回れって」
黙ってアレンを見ている中、アレンは続ける。
「でもそれだけじゃあエリーを…皆が動けなくなった時には皆を守れないって、ガウリスの言葉聞いて気づいたんだよ。力って今回みたいな時のために備えて使うもんだって。ガウリスだって話し合いで解決したいけどあの時はエリーを守るために槍を振るったんだよな、それと比べると俺って今まで何してたんだろって思ったんだよ。
ずっと逃げてばっかりでこれでいいんだって今まで何もしないで…ロッテに自分の嫌なこと人にやらせ続けるつもりかって言われた時にはちょっとだけそんなことも考えたけど、やっぱり戦うの嫌だし二人もいるからって知らないふりしてた。でも今回のことで思ったんだ」
アレンは少し躊躇した雰囲気になったけど、意を決したように口を開いた。
「…俺、逃げるばっかりじゃなくて、強くなりてぇって」
そこでアレンは話し終えて、少し間が空く。
アレンはどこか居心地悪そうにうつむき体を動かし、
「でもま、あれだけどさ。俺が努力したって強くなれるわけないけど、ちょっとくらいは…」
と早口で喋りだすから、私は何を言っているのとばかりにボカッとアレンの腕を軽く殴った。
アレンは驚いたように私を見る。
薄暗くて表情の見えないアレンの顔を見上げて、私は微笑む。
「アレンが強くなるの、期待してる」
アレンはその一言を聞いて少し戸惑ったような感じだったけど、へへ、と照れくさそうに、嬉しそうに笑った。
「うん、頑張る。俺サードとエリーとガウリスと肩並べて戦えるようになるよ」




