私の使い魔
準備は良いかとの言葉に私は大きく頷くと、ナディムは問いかけてきた。
「もう一度聞くよ。君がヴォーチェを望む理由は?」
「え?どこにいるのか分からないゾルゲを探るために、黒魔術に対抗できるような魔界の生き物に協力してほしいからだけど…。何で?」
さっきも言ったじゃないってニュアンスで逆に聞き返すとナディムは軽く微笑んで、
「ヴォーチェはこういう流れなんだよ。まず何が望みでどんな能力に長けた生き物を必要としているか宣言するのが第一」
って言いながら少し離れた所の床を指でなぞる。
ナディムがなぞった床は光始めていて、見る見るうちに魔法陣が出来上がっていく…。
「手早いわね」
「魔界にいる時、少しでも親に褒められたくてボンバート家に伝わる偉業の本に載っていた黒魔術を暗記したんだ、詠唱も魔法陣も全部。結局人間が使う魔術を魔族が覚えるなんて愚かだって散々殴られて終わったけど…じゃあ何で暗記するくらい読めだなんて教育してたんだか…」
「…ナディムって本当に魔界っていうか、実家が嫌いなのね」
ナディムはフゥとため息をつく。
「嫌いにさせられたんだ。最初から嫌いだったわけじゃない」
「…」
「…」
そこで話が中断してしまって気まずい雰囲気が流れる。こういう家のゴタゴタの話ってどう声をかければいいのか分からない…。
「結局ボンバート家はインラスと僕たちの手で滅亡したし、もう終わったことだよ」
「…」
それ余計なんて言えばいいのか分からないんだけど…良かったわねって言えばいいの?それとも残念だったわねって言えばいいの?
言葉に困っているとナディムは顔を上げた。
「マイレージとリビウスはボンバート家滅亡おめでとうって祝ってくれたよ」
「おめでとうでいいわけ?」
「最初は家族をインラスに殺されて可哀想にって対応だったけどね。一つもいい思い出が無い家だったって伝えたら思いっきり祝ってその夜にベルーノがホールケーキを買ってきて、インラスにバレないように四人でこっそり食べたよ」
ナディムはフフ、と笑う。
「インラスは最悪だったけど、マイレージとリビウスとベルーノは良い奴らだった。楽しかったよ、インラスさえいなかったらあの旅は。
多分三人もそう思っていたんじゃないかな、インラスさえいなかったらきっと僕たちは楽しい冒険ができていたって。まあインラスが居なかったら僕らが会うこともなかったかな」
ナディムはそう言いながら魔法陣を完成させた。そのまま私に向かって、
「じゃあ僕が言う通りに呪文を唱えてくれる?」
って言うから頷く。
ロッテの時と同じね。ナディムが唱える言葉をそっくりそのまま言えばいいんだわ。ロッテの屋敷でも意味不明な言葉の羅列を繰り返せたんだもの、きっと出来るわ。
「じゃあいくよ。『我望む、汝我が元に下り…』」
ナディムの言葉に続けて私も続けて詠唱していく。
ロッテの屋敷で唱えた呪文と違ってちゃんと分かりやすい言葉だし、あの時と違ってサードとアレンの言葉が被ってこないから楽に詠唱できる。
「『…来たれ!』」
唱え終わると、目の前の魔法陣がチカチカと瞬きだして、天井まで一気に光があふれだしていく。
一体どんな生き物が来るのかしら。ゾルゲを探すための探し人関係だから、犬みたいな生き物とか?…シビルハンスキーみたいなのだったらいいかもしれない、顔は怖いけど人懐っこくて可愛かったし思いっきり抱きつけるしモフモフできるし…。
光が段々と弱まってきて魔法陣の光が徐々に薄れてきて…ついには元の暗さに戻る。
「…あら?誰もいない?」
「いや、居る。ごらん」
「ギャッ」
ナディムの視線と指さす下方向に視線をずらして、思わず驚いて飛び上がってしまった。
床が暗くて気づかなかったけど、魔法陣の内にはものすごくガリガリに痩せこけて、服はいつ洗ったのか分からないくらい真っ黒に汚れたズタボロの服を着た…かろうじて人型と分かるシルエットの人が横たわっていたから…。
近寄ってみると…男の人かしら。でも痩せこけた体と全身が泥にまみれた真っ黒な汚れでろくにどんな姿なのか分からない。しかもピクリとも動きやしない。
「死…!?」
呼び出したと思ったらいきなり死んでるのかと思ってナディムに視線を向けると、ナディムはその魔界の生き物の傍らに膝をついて上から見下ろした。
「いや、かすかに口が動いて息をしているようだ。もう少しで死にそうではあるけど」
私から見たら今にももう死にそうなんだけど…。
「これどうすればいいの、私回復魔法使えない…」
そう言いながら私も傍らに膝をつくと、瞬きもしないでぽっかり開いた魔界の生き物の目…瞳がかすかに動いて私を見た。
「魔族だったら水さえあればしばらく生き延びれる、飲ませてやったらどうだ」
ナディムの言葉に従って荷物入れから水を取り出して飲ませようとすると、ナディムが止めた。
「少し頭を抱え起こした方が飲みやすいよ」
「じゃあナディムも手伝ってよ」
「…残念だけど僕はこれまでだ」
「え?」
「こうやって人の目に映るようにするのって疲れるんだよ、悪いけどもうこれ以上は姿を保てない。とりあえず僕はヒズに入ってまたここに来るからその間に水を飲ませてやれ」
そう言い終わると同時にナディムの姿がスゥ…と消えた。
…疲れるの?お化けみたいなものなのに?
ともかく人型の魔界の生き物の頭を抱え起こして口の中に水を少しずつ流しいれていく。
「飲めてる?大丈夫?」
喉を見ると…かすかに動いている。どうやら飲めているみたいとホッとしたけど、それと同時に水が口から流れ出ていく。
「えっ、あっ、ごめんなさい、量が多かったかしら…」
すると足音が聞こえてきて部屋に入ってくる。それはヒズ…じゃないわ、顔を見るとナディムね。
「水は飲めたか?」
「少し飲んだけど、それより口からあふれる量のほうが多くて…」
ナディムはふん?と言いながらも、
「少しでも飲めたなら大丈夫だ、飴玉かチョコレートはあるか?その欠片でも口に入れてやれば回復も早まる、見た所飢えて弱っている状態だから何か食べたら回復するはずだよ」
「…」
魔族ってやっぱり体が丈夫なのね。人間だったら即入院レベルの状態だけど。思えばジェノも睡眠と食事をしっかりとったら動けない状態から三日で回復したって言っていたっけ。
そう思いながら大きいバッグを探って、いざという時用の栄養価の高い非常食用の飴を一つ取り出して口元に持って行く。
「食べられる?」
「答えられないだろうからそのまま口に押し込んでおけばいい」
その言葉に口に飴を含ませる。それを後ろから見ていたナディムは呟いた。
「…多分そいつは魔族だな」
「魔族…」
魔族を使い魔として呼べるのはレアケース。まさかそのレアケースの魔族が来たってこと?
そう思っているとナディムは独り言みたいに続ける。
「けどこんなに飢えて弱っているんだ、だとしたら家も持てず自力で食事の確保もできないぐらいの低層にいた奴かもね。
それでもこれくらいの見た目まで生きてきたのなら強い魔族に取り入るのが上手な要領のいい者、しかし後ろ盾だった強い魔族が居なくなってテリトリーを追われて食事を確保できずこの状況…ってところか」
その言葉をそのままで受け取るとしたら、私が使い魔として呼び出したこの魔族、人に取り入るのだけが上手なめちゃくちゃ弱い人ってこと…?
いや、別に弱いか強いかはどうでもいいけど…それよりまずこの人…じゃなくて魔族をベッドに連れていって休ませたほうがいいわ。
「ベッドに連れて行きたいんだけれど、ここから近いベッドってどこかしら」
「別にここに置いたままでも大丈夫だよ、飴もちゃんと舐めてるみたいだからあとは放っておけば朝には回復してるさ」
「…」
同族だからこそ平気って言っているのかもしれないけど…優しさがない。
ともかくベッドに運ぼう。でも一人だと引きずることになっちゃう。
さすがにここまで衰弱している人を引きずるのは良くないと皆の元に助けを呼びに戻って、入口から中に声をかけた。
「ねえ、ヴォーチェで使い魔が来たんだけど…」
「使えそうな奴か?」
サードが真っ先にそんなことを聞いてくるけれどそんな会話をしている場合じゃないわ。
「ナディムが言うには魔族らしいんだけど、弱ってて今にも死にそうなの」
使い魔に魔族が来たと聞くとサードは「ほう?」と満足そうにしたけれど、今にも死にそうって言葉で一気に失望の色に染まる。
「んだぁ?レアな魔族が来たっつーのに死にかけだあ?殺して別の呼べよ」
サードをギッと睨みつけてからアレンとガウリスに視線を移す。
「ベッドに運びたいんだけど私一人じゃ難しいから手伝ってくれる?」
「オッケー、どこ?」
「分かりました」
二人は即座に動いてくれたから私は「こっちの部屋よ」と魔族が横たわって、ナディムが待っている部屋に二人を連れて行く。
「うひゃー。何でこんなに痩せてんの…大丈夫?これ…」
「それに体の汚れも酷いですね、もう少し体が回復したらお湯で体を拭いて差し上げましょう」
二人はそんな会話をしながら脇の下と足に手をかける。すると魔族は急に呻きだした。
アレンはハッとして、
「ガウリス、魔族に触ったらいけないんじゃなかった?」
「あ」
ガウリスはそっと魔族から手を離すと、近くで見ていたナディムの顔がヒュッとマイレージに切り替わって、
「しょうがねぇな、だったら俺が持つ」
とアレンの二人で持ち上げて移動してくれる。
「…体軽すぎて怖いよぉ…。大丈夫?死なない?」
運びながらアレンが心配そうに言うから、
「水が少しでも飲めたなら回復の見込みはあるってさっきナディムが言っていたわ。今は非常時用の栄養価の高い飴も舐めているし…」
そう言いながら運ばれる魔族の顔を覗き込むと、明らかにさっきより目の焦点がしっかりしてきている気がする。…え?ってことはあの飴玉一個だけでここまで回復したってこと?こんな短時間で?
確かにあの飴は「舐めたら体の疲れも空腹も大幅回復、迷いやすいダンジョンや山のお供に!」って売り文句で冒険者の間ではロングセラーの実績を誇る商品だけど…ここまで回復するんだ。それより魔族の回復力すごくない?
すると魔族の口がわずかに動いてるのに気づいて、顔を寄せる。なんて言っているのかよく分からなかったけど、かすれた声で飴って言っているような気がした。
「飴?さっきの飴が食べたいの?」
私は飴を取り出して「どうぞ」と口に入れた。
「…俺もエリーに飴玉口に入れられたい…」
アレンが何か言っているけど無視する。
空いている部屋のベッドまで運んで横にすると、魔族は飴をゆっくり味わいながら口の中で転がしているみたい。どうやらだいぶ意識も回復しているようだしと私は声をかけた。
「私の声が聞こえる?」
魔族は目を私に向ける。体はまだあまり動けないみたいだけど意識はちゃんとあって声も聞こえているみたいだから、飴の入った布の袋を取り出しやすい位置に置く。
「これ、飴ね。ここに置いておくから好きなだけ食べて」
かすかに魔族が頷くから、簡単に今の現状を伝えておこうと目線を合わせて、
「ここは地上、人間界よ。私はエリー・マイ。あなたのことはヴォーチェっていう術で魔界から使い魔として呼びだしたの。…とりあえず詳しい話はもっとあなたが回復したら話すわ、とりあえずゆっくり眠って?」
するとナディムが後ろから声をかけてきた。
「いや、契約だけ今したほうがいい。契約しないままだったら回復次第逃げ出すかもしれない」
「でも…こんなに弱っていて何も分からないまま呼び出されたのに勝手に契約されるとか可哀想じゃないの。ヴォーチェは私と相性がいい人が来るんでしょ?私と相性がいいなら勝手に逃げるなんてことしないわ」
ナディムは軽くため息をついて、
「ま、君がそれでいいならそれでいいさ。でもいくら相性が良くても先に逃げられてしまったら終わりだよ」
…そう言われると少し不安になるわね…そもそも魔族が人間の下で働くだなんて屈辱的なものでしょうし…。
チラとベッドに寝ている魔族を見ると、黙って私を見上げている。
その目は何を訴えているわけでもないし、嫌がっているわけでもない。
どちらかと言えば…サードが目の前にいる人は何を考えているのかと観察しているようなそんな雰囲気を感じる。「はたしてこの人間はこう言われてどんな対応に出るのだろう」みたいな。
逃げられるかもと言われたら不安だけど、それでもやっぱりろくな説明もないまま契約するのは気が引ける。
私はナディムを真っすぐ見て、
「それでも私はこの魔族が回復して話し合ってから契約するわ」
それを聞いてナディムは鼻で軽くため息をついた。
「君はとても良い雇用者だね」
それって褒めているの?それとも皮肉?…あれ、そう言えばサードは?
そう思いながらサードの居る場所に戻ってみた。するとミスマルは困ったような笑顔でサードにとくとくと何か言っている。
「いいかキーチ。魔族であれ相手にも命があるんだから殺して他のを呼べとはあまりにも酷い口ぶりだったぞ、お前だってこちらに来て病気にならなかったか?そんな時に弱っているから殺せなんて他の者に言われたらどんな気持ちだ?少しは考えなさい」
「…」
サードはミスマルから説教を受けている。それもサードは相手が相手だからか何も言わずムスッとあっちをみてそっぽ向いたまま。
それでもろくに何も言い返さないまま叱られ続けているサードって、珍しい光景。
…ふっ、あの傍若無人で俺様のサードが叱られているとか、いい気味。
そう思って入口の影からニヤニヤと見ていると、気配を感じたのか振り返ったサードは私の姿を見つける。そしてすぐさま嫌そうに顔をしかめた。
「コボーズみてえなことすんじゃねえよ、俺がジューショクに叱られてるの見てニヤニヤしやがって」
そう言うとミスマルはブハッと吹きだして、
「そうだなぁ、あの子のことでいつも私はキーチに『お前のほうが頭が回るんだから許してやれ』と諭してたなぁ」
「本当に面倒くせえ野郎だったぜ、いちいち一方的に突っかかって来やがって…。何度ぶん殴って静かにさせてやろうと思ったことか」
「一度手をあげていたな、ほれお前が立ち去ると言ったあの日だ、手紙とお重を返してもらおうとしたら中庭で…」
「逆だ、あいつが先に俺のことをカゲマだのなんだの言いながら殴ってきやがったんだ。だが俺は手加減して中庭にぶん投げたぐらいで許してやったんだぜ?俺が本気出しゃ縁側から真っ逆さまに頭落として首の骨へし折って殺してらぁ」
「ふぁっふぁっふぁっ、そりゃいかん」
「…」
私がニヤニヤしていたのを見た二人の間で昔話に花が咲きだしている。
「積もる話もあるでしょうから、私たちはこのまま寝ましょうか」
盛り上がる二人にガウリスがそう声をかけてきて、それもそうね、久しぶりに会ったんだものねと私たちはその場を後にした。
「異界からのサイン」松谷みよ子(著)
世界大戦でジャングル方面へ出兵して飢えた人たちの話があったのですが、飢えて動けなくなると生きているのに体にウジが湧くそうです(熱帯地域だから余計かもしれない)。目から一番最初にウジ虫がコロコロ湧いて体中からコロコロウジ虫が湧いて出て、そんな立つ力もないほどの兵士が急に立ち上がって、
「上官、姉が迎えに来たので行ってもいいでありますか」
というと上官も心得てるから、
「よし、許す」
と言うとそのままバッタリ倒れて死んでいったと。
大体そうやって迎えに来る人というのは先に亡くなっていた人だったようだというそんな話。




