餞別と出発
ああいい匂い、ヒズが置いてくれたこのマジックアイテムの匂い袋…最高…。これはすごくリラックスしながら眠れそう…。
匂いにうっとりしてボーっとしていると、サードに「おい」と肘で小突かれて、ハッと我に返った。
いけない、今は明日からどう動こうかと皆で話し合っている最中でシーリーとスダーシャンにも参加してもらっているのに段々と眠気が押し寄せてきてるわ。
とりあえずさっきまではインラス一行に会いに行ったほうがいい順番はあるのかってことを話していたけれど、それはインラスを最後にする以外は好きにすればいいって言われたのよね。
「だが俺らはマイレージみてえなのは見えないんだぜ、いくらここに行けばインラス一行に会えるっつったって、見えねえんじゃ回収のしようもねえんじゃねえの」
回収って、まるで物みたいに言うんじゃないわよ、かの有名な勇者一行たちを。
「でもそうだよな、よくよく考えたらヒズしかマイレージ見えねぇから全部ヒズ任せになっちゃうな」
アレンもサードの言葉に合わせるように言うとシーリーとスダーシャンは頷き、
「そうなんですよネ」
「そこで提案なんですけどー…ガウリスさん」
スダーシャンに名前を呼ばれたガウリスは顔を上げる。
「あなた、神に近い存在ですよねー?それも随分と神に愛されてますねー?」
ガウリスは少し返事に困ったように口をつぐんだけれど、
「まあ…神への信仰心はありますし元々神官だったので少なからず目をかけていただいていると思いますが」
「僕と同じ能力の一部を強制的に開放してもいいですかー?」
「…はい?」
「幽霊とか神様とか精霊とかそういうの目で捉える能力ですー」
「お化っ…」
「アレン、いい加減に慣れて」
今日一日お化けと聞いては脅えるアレンに散々しがみつかれてきた私は、そろそろ面倒くさくなってきてアレンの顔に手の平を当てて拒否する。
「その能力ってのは、そんな訳分かんねえのが見えるってだけか?」
ガウリスじゃなくてサードが質問するとスダーシャンはニコニコと笑いながら、
「どうですかねー。ガウリスさんは神と同等の立場っぽいからいい感じに能力が調整されそうなんでー、見るだけじゃなくて普通に会話することもできるんじゃないですかー?精神も強いし人のために能力を使ってくれそうだからいいかなーって」
「人のために…なるのですか?」
ガウリスの質問にスダーシャンは頷く。
「なりますよー。何のために僕この目を使って世界を歩き回ってると思ってるんですかー。僕自身もこの目があって助かったーって時たくさんあるんでおすすめですー。まあ悪い存在が神のふりして声かけてくる時もありますけどー、ガウリスさんならそんなのすぐシャットアウトできると思いますんでー。どうです?」
ガウリスは一瞬悩むような様子だったけれど、それでもすぐ頷いた。
「ではお願いします」
そんなガウリスにスダーシャンはニコ、と笑って手を差し出す。
「じゃあ僕と握手しましょー」
「え?ああ、はい」
ガウリスは素直に手を差し出して握手をする。スダーシャンはガウリスを見た。
お互い握手するとスダーシャンは目をわずかに開けて、細い目の中で金色に輝く魔法陣がグルグルと速く回転している。
これから一体これからどんなことが起きてガウリスの能力が解放されるのかしら…。
ジッと見ているとスダーシャンはガウリスから手を離す。
「終わりですー」
「え、早。もっと何か派手なこと起きるのかと思ってた」
スダーシャンは「アハハ〜」と笑って、
「ド派手な演出期待してましたー?現実なんてこんなものですー。精霊から力分けてもらった時もこんなものだったでしょー?」
そう言われれば、レンナとランディキングから力を受け取った時も握手してたっけ。なるほど、あれと同じ感じなんだ…。
「で、今ガウリスの目にはごちゃごちゃと幽霊が見えてんのか?」
幽霊と聞いたアレンが私にひっついてこようとするけれど、今日はもう鬱陶しいから顔を抑えて拒否していると、ガウリスは辺りをキョロキョロと見渡してから首をかしげた。
「いえ…。特にこれといった変化はないです。いつも通りですね」
「やっぱり神に近い存在ですから勝手に調整されるんですねー素晴らしいですー」
私にしがみつけないアレンは私の服を握りながらオドオドと脅えていて、
「なぁガウリス、変なの見えてもそこに何かいるとか言わないでくれよ?なぁ言わないでくれよ?」
と言うと、スダーシャンは落ち着かせるように声をかける。
「大丈夫ですよー、そういうものの大部分は見えないみたいですからー」
するとすぐさまサードが喰いついた。
「大部分、ってことはそんな訳分かんねえ幽霊の一部を見ることもあんだな?」
こいつ…どこまでもアレンを脅えさせようとしてるわ…。
スダーシャンはおかしそうに笑って、
「こういうのって個人の視力や物の見た目の好みが違うのと同じなんでー、確実に何が見えて何が見えないかって他人の僕が言えないですー。とりあえず人間か人間じゃないかの区別はハッキリつきますねー」
なるほど、とサードは頷いて引っ込んだ。多分これ以上聞いてもアレンを脅えさせる言葉は引き出せないと踏んだんだと思う。
あと私も気になっていたことがあったからシーリーとスダーシャンの二人に顔を向ける。
「ところでインラス一行の皆ってマイレージみたいに誰かにひっついて一緒にいたりするの?それとも一人でうろついているとか?」
するとスダーシャンはシーリーを、シーリーはスダーシャンを見る。お互い無言だけれど、それでもお互い頭の中で会話しているのかしら。
二人はほぼ一瞬目を合わせてから同時に私を見て、まずはシーリーが口を開く。
「そこはインラス一行たちの考え次第だと思いますがネ」
次にスダーシャンも口を開く。
「でも僕が今まで会ってきたお化けの方々を見る限りですとねー、自分の姿が見えて話の通じる人がいたらとにかく近づいてくるんですよー。勇者御一行でも元々人間なんですから、自分が見えて声が聞こえる人がいたら話を聞いてほしいってひっついてく可能性もありますよねー」
「それならヒズみてえに完全に体を乗っ取られてるかもしれねえのか?」
サードの重ねての質問にスダーシャンがすぐに答えていく。
「ヒズさんの場合は特殊ケースですけどねー。でも世の中、お化けに体乗っ取られやすい人も結構いますからー。体乗っ取られる人ってよっぽど依り代になる特性があるか、単に意志が弱いか無い人なんですよー。そのどれかだったら乗っ取られてるかもしれませんよねー」
サードはシーリーをチラと見ると、シーリーはにっこり笑い返した。
「現時点で僕の目では分かりませんネ、今ハッキリ分かるのは最終的に彼らに行き合う居場所だけです」
「そうか…。あーあ、人探しなんて面倒くせえ…それも目に見えやしねえ野郎どもだもんな…」
サードは本当に面倒臭そうにため息をついた。
* * *
それから数日間。
トリズはヒズのために冒険に必要な最高級の防具や身を守るための短剣、それと日常で必要な服や病気の時に欲しいアイテムその他もろもろの購入に奔走していた。
一度シーリーに死ぬと宣告されるくらい体もボロボロでしょうに、家の仕事に加えてヒズの冒険準備も同時進行しているから見ていて大丈夫かしらとハラハラしてしまうほどで…。
そうして今ようやく準備が整ったから出発しようとしている。
「トリズ大丈夫かしら、初めて会った時より疲れてるように見えるけど…」
この数日間、トリズが座っている所はほとんど見なかったもの。とりあえずヒズが夜は眠るようにしつこく言っていたから仕方なさそうに部屋に入っていたみたいだけれど…。
「馬鹿だよな、面倒くせえ仕事は他の奴らに任せときゃいいんだよ。全部自分でやろうとして勝手に追い込まれてんだぜ?ただの馬鹿じゃねえか、自業自得だ」
サードはトリズの働きぶりを近くで見ていたくせにそんな腹の立つ感想をのたまうからギッと睨みつけると「何だコラ」と睨み返してくる。
「レディアの働き方思い返してみろ、あいつは必要最低限の助言と視察、それに自分だけができる書類整理だけしてそれ以外のことは現場の奴らに全部任せてただろ?トップにいる奴は他人に任せられることは任せときゃいいんだ」
「トリズは真面目で責任感があるから自分が先になって動いているんじゃないの」
「仕事の采配が全然できてねえ証拠だろ。一人だけ仕事して他人に仕事回さねえなら人材育成もろくにできねえってことだ。そうなりゃ誰も仕事できなくなる、いくら真面目で責任感があってもトリズは仕事できねえ部類の…」
悪態を言い続けていると向こうの曲がり角からトリズがスッと顔を出してきたから瞬間的にサードの顔が表向きの表情に変わってニッコリ微笑んだ。
「いかがいたしました?」
…こいつ…。
呆れたけれどトリズはサードの言葉は聞こえていなかったみたいで、
「そろそろ出発でしょう。最後にお譲りしたい物がありますので、どうぞ庭に」
と手を差し向けるから私たちはトリズの後ろをついて行く。そのまま庭に出るとアレンとガウリスもいて、庭に置いてあるものに視線が釘付けになって思わず呟いてしまった。
「馬車…?」
「ええ。クッルスという隣町で作られている最新式の馬車です。ヒズはろくに歩けないでしょうから使ってください」
「えっ」
馬車は基本的に値段が高い。それも最新式なら…どれだけのお金を積み上げて買ったのか分からないわ。そんなものを使ってだなんて…。
「それはありがたいお話です」
だけどサードはなんのためらいもなく受け取る構えを見せる。それでもすぐ困ったような顔になると、あごをなぞり首を傾げた。
「しかしお譲りいただいてもヒズさんと戻ってくるころには長旅でさぞかしボロボロになってしまうことでしょう。このような値の張る貴重な物を渡されても扱いに困りますね、やはり遠慮しましょうか…」
…。これは遠慮するようにみせかけて、クッルスを返す時に「こんなにボロボロにして」と文句を言われたら面倒臭いから、後から文句を言われないよう予防線を張ろうとしているんだわ。こいつ…。
呆れて横目で見ているとトリズは首を横に振った。
「いいえ。今ここで完全に勇者御一行にお譲りします」
「え、マジで?いいの?これ絶対高いじゃん、なんなら金払うぜ?」
話を聞いていたアレンがすかさず振り返って会話に口を挟んでくるけれど、サードは表向きの顔ながらも「てめえは黙ってろ」とアレンを睨みつける。
そんなサードの視線には気づかず、トリズはクッルスに近寄って行ってそっと撫でた。
「これは私の主人が買った馬車なんです。…とはいえこれは魔力がないと動かせないんですよ。あの人も私もヒズも魔力がないので自分たちだけじゃ使えないんです。それならヒズの手助けをしてくれるあなた方に無料で明け渡して活用してもらったほうがあの人も喜ぶと思いますから」
旦那さんに思いを馳せているのかトリズはクッルスをジッと眺めている。そんなトリズを無視してサードは、
「なるほど…それならばありがたく使わせていただきましょう、では中を拝見してもよろしいですか?」
と話をさっさと進めはじめた。ちょっと、もう少しトリズの気持ちに寄り添いなさいよと止めようとしたけれどトリズは特に気にせず「ああはい」とクッルスの扉を開ける。
「わーすごーい。ガウリスこの中で普通に立てる?天井高いぜ」
早速アレンがウキウキとした顔で乗り込んでガウリスを招くと、ガウリスも「どうでしょうか」と乗り込んでいく。でもどう見てもこの高さじゃ二人が真っすぐ立てるわけないじゃないの。
そう思いながら私とサードも乗り込んでみる…。あれ?アレンもガウリスも普通にまっすぐ立ってる?それに外から見えた馬車の大きさより中が広いような…?
おかしいわ、だって外から見たら少し大きいぐらいの馬車なのに、中はちょっとしたホテルの一部屋ぐらいの広さだもの。
「特殊な魔法がかかっていますので、外から見るより空間が広くなっているんですよ。良かったです頭がつっかえないみたいで」
トリズも中に入り込んで、クッルスの説明を始めた。
「そこに梯子があって上に空間がありますよね?あそこは寝るためのスペースです。それとここがキッチン、そちらがテーブルにソファー。このソファーなんですけど、こうやってテーブルを下げると…」
トリズがテーブルを下に押し込んでソファーを引っ張ると、テーブルを隠すようにソファーがまっ平になって横になれるスペースができた。
「梯子の上のスペースだけじゃなくてここで寝ることも可能です。戻す時にはどちらも上に引っ張ったら元に戻りますので」
「おー、すげーかっちょいー」
アレンは楽しそうにガショガショとソファーを元に戻したり平らにしたりと自由に動かしているわ。そんな中、窓から外を見たサードが疑問そうに聞いた。
「ところで馬車というわりに馬を繋ぐ場所も御者が乗る場所もないように見えますが」
「ああ。この馬車は操縦する方の魔力を感知して動くので馬も御者も必要ないんですよ。恐らくエリーさんがいらっしゃれば大丈夫です。車体の扉を閉めたら動き出しますよ」
「…馬がいないのならただの車でいいのでは?」
サードの素朴な疑問にトリズは軽く笑って、
「それでも最新式の馬車との謳い文句で売り出された物ですから。ちなみに動かし方なんですけど、クッルスは操縦者の魔力を感知したらまずは真っすぐ進みます。曲がりたいときはそう思えば自動でそちらに曲がりますし、障害物は勝手に避けますから基本的には安全ですよ」
と言いながら説明を続ける。
「あと外の暑さ寒さは大体シャットアウトできまして、車輪部分にも魔法がかかっていますので振動は全く感じません。あとはそこに簡易のバスルームもありますけど、水を補給しないとシャワーもトイレも使えませんから」
「あ、それなら大丈夫だ。レンナからもらった力があれば水の問題ないもんな」
「ええそうね」
アレンの言葉に頷くと、すぐさまアレンはトリズに聞いた。
「そんでトイレって用足したらどうなんの?外に垂れ流し?」
「私たちは使ったことはないので見てないですけど、水さえ流せば瞬時に魔法の力が働いてどこかに消えるらしいですよ」
あ…良かった、外に垂れ流しとかそんなのじゃなくて…。移動した後にそんな跡が残るの嫌だし…。
っていうか改めて思うけれど、こんなに特殊な魔法が車体全体に使われまくっているこのクッルスってとてつもなくお高いものなんじゃない?本当にこれタダで譲り受けていいのかしら…。
「ねえトリズ、本当にこれ私たちが譲り受けてもいいの?とりあえず取っておいて魔法が使える人に動かしてもらえばいいじゃない」
トリズの背後からサードがものすごい目で睨んでくるけれど、いくら何でもこれは過剰に貰い過ぎってものだわ。
するとトリズは少し肩を落として、
「残念ですけど…もう今まで通りの暮らしはできそうにないんです。もしこれからお金に困った時に足元を見られた状態で売るよりなら、あなた方に使ってほしい。それが私が決めたことです」
「準備できましたあ」
オーダーメイドの革の装備に身を包んで、短剣を腰に差した状態のヒズがクッルスに乗り込んでくる。それとシーリーとスダーシャンも。
皆が乗り込んできたのを見てトリズはゆっくりと入口の近くに移動した。
「あ、トリズさん」
シーリーが声をかけて、トリズが振り向いた。
「最後に占いです。あなたが今大事にしないといけないことは仕事よりご自身の健康です。あなたがやっている仕事の半分以上は執事やメイドや使用人らに任せてください。それと最低でも睡眠は六時間とること、じゃないと半年後には病院送りですからネ。はい終わり」
するとスダーシャンも、
「僕からも言っておきますけどねー、ジョーエス家に仕えてる皆さんは手伝いたいのに何もさせてくれないって逆に不満持ってますからねー。買い物とか備品整理とか挨拶回りとか来客さばきとかそういうのは全部任せても何も問題ないんですからねー。はい終わりー」
トリズは目を瞬かせていたけれど、色々と腑に落ちることがあったのか、
「…はい」
と頷く。そのままヒズを見て、寂しそうに微笑みながら眺めた。
「ヒズ、無事でね。元気な姿で戻ってくるのよ」
その言葉にヒズの目からは涙が浮かんでボロボロと流れ落ちて、感極まったのかトリズにしがみついて子供のように泣きだしてしまった。
「お母さんも、私が帰ってくるまで無事で、元気で待っててくださいい…ちゃんと眠って、病院なんかに行かないで、お仕事も減らしてちゃんとご飯も食べて、それから、それから…」
泣きじゃくりながらあれこれ言うヒズにトリズは呆れたように笑いながら、背中を何回か強く叩いた。
「分かった、分かったから。母さんはもう降りるから、あなたはいってらっしゃい」
トリズはヒズを引き離すとクッルスから降りて、扉を閉める。と、扉が閉まった瞬間にクッルスが動きだした。
ヒズは窓を開けて、
「おがああざああん…!」
と身を乗り出し子供みたいに涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながらいつまでも手を大きく振っていて、トリズは涙をにじませ微笑みながら軽く手を振り、私たちを見送った。




