川下り
「今までずっとお金は使わないようにしてきたんだもの、いざお金を使えって言われたらこんなに大変だったなんて」
ようやくレディアに設定された金貨四枚分に達したとアレンに言われて私からそんな感想が出る。
皆で宿泊、馬車、遊び、食事とお金のことは何にも考えず湯水のように使い続けてきたけれど、それでもかなり時間がかかってしまったわね…。
急ぎの依頼も用事もないにしてもこんなに毎日ゆっくりしてていいのかしらと段々と落ち着かなくなってきてたのよね最近は。
「それで、デキャージャ国の隣から川下りがあってー、それで行ったら神様に近いドラゴンのいる地域に早く行けそうだぜ」
とりあえず次に向かうのはドラゴンが信仰されている地域。だけど川下り?何それ。
「川下りって何?」
「川下りって…まあそのままの意味だよ。舟に乗って、川の流れで移動するの。下ったほうが早いし楽だと思うんだよな」
と言いながらもチラとサードの様子をアレンが伺い見る。
サードは船の揺れに弱いし、舟に乗るとなればお金もかかるから却下されるかも。多分そう考えたんだと思う。
それでもサードは余裕の顔で返した。
「今のところ金に余裕があるからな。それなら乗っちまえばいいだろうが」
あら、サードが即答でお金を使うことを認めるなんて珍しい。
そう思っているとアレンは少し眉根を寄せてもう少し話を続ける。
「でもその川下りってのは荷物を運ぶついでに余裕があればお客さんも乗せるってやつなんだ。だからラーダリア湖みたいに個人で乗れる舟は無いんだよ。そんで今の時期だと川の流れも速いみたいだから三日ぐらいで目的のところまで行けるんだけどさ。シャワーも何もないけど、それでも大丈夫?」
アレンはそう言いながらサードと私に交互に視線を向ける。
シャワーの問題のことは主に私に聞いているわね?
でもまあ今の冬の時期だったら汗もそんなにかかないし、三日くらいだったらギリギリ耐えられる。その後すぐにシャワーを浴びられるのなら、だけど。
「大丈夫」
私が頷くのを見てアレンはホッとしたように「やったぁ」と小躍りした。
「あー良かった、サードもエリーも頷いてくれて。今の時期だと舟で三日で行ける場所が歩くと三週間かかるんだよぉ。それに川が増水して橋が壊れてたら橋が直るまで足止め喰らうかもしんないから陸路のほうが大変そうでさぁ」
…別に伺いを立てなくても最初からそう言っていたなら皆大丈夫ってすぐ頷いたと思うんだけどな。むしろサードは何も聞いていないのに直感的に陸路のほうがお金がかかりそうと踏んで舟に乗るってあっさり頷いたのかしら…。まさかね。
そうしてリロイたちのことを思い出しつつデキャージャ国を抜けて、川下りをする舟が集まっている中心都市へと向かって行った。
どうやらデキャージャ国の隣のリヴィール国は、国中を川と運搬用人口水路が張り巡っているみたいで、周辺の国への物資の運搬で懐が潤っている国みたい。
あちこちに荷物を入れる大きい蔵がずらっと立ち並んで、荷物を運ぶ人と荷馬車が激しく行き交い続けている。
「なんかランジ町思い出すなぁ」
アレンが呟く。
そう言われればアレンの故郷も船を使っての交易が盛んな所だったものね。海と川の違いはあるけれど確かにこの賑やかさと人の多さは似ているかも。
でも見る限り海辺の船は鉄製だったけれど、この辺の船は大体木製で、形に丸みがあってちょっと可愛い感じ。
「ちなみにどの舟に乗るかは決めているのですか?」
ガウリスが聞くと、アレンは真面目な顔でガウリスに振り返った。
「全っ然考えてない」
真面目な顔で言うことじゃないのよ。
それでもガウリスは思わず笑って、うつむいて肩を震わせている。
「とりあえず四人で普通に寝っ転がれるスペースがあればいいよなぁ。エリー用の部屋もあればいいけど…それは無理かな…」
考えるように呟くアレンの脇でサードが表の顔で毒ついた。
「私はアレンとは離れて眠りたいですね」
「何で?」
キョトン顔のアレンにサードは見下げる目をしてから、
「分かってない所が性質が悪い…」
と小さく悪態をついて黙り込んだ。でも分かる、アレンは寝ていると近くにいる人とか物にしがみついて眠る癖があるから、できるなら距離を取って寝たいのは。
前に申し訳なく思いながらもガウリスを犠牲にしてアレンの隣に寝てもらったけれど、ガウリスも何度もアレンにしがみつかれては引き離すことになって面倒になったのか、最終的に盾を抱きしめさせていたのよね。
朝に起きたアレンは、
「すっげぇツルツル頭のおじさんの頭をツルツルしてる夢見たと思ったら、ガウリスの盾だったんだよ」
ってよく分らない報告を私にしてきたものだわ。
「とりあえず舟の舳先にあの黄色い木札がぶら下がってたらまだ人が乗れるってサインみたいだからさ、そん中から良さげな舟選んで乗ろうぜ」
アレンはそう言いながら歩き出す。
ふーん、一応分かりやすい目印があるの。でも良さげな舟って言われてもどれが良い舟なのかよく分からないわよね。
黄色い木札を眺めてから皆からら少し遅れているのに気づいて歩き出そうとすると、
「乗れそうな船をお探しですかあ?」
と、のびやかで鈴を転がすような声が後ろから聞こえてきて振り向いた。そこにはとっても朗らかな笑顔の女の子が立っている。
ふんわりとした金髪のボブの髪型に、体をすっぽり覆うぐらいに大きいオレンジ色のガウン。
それでもそのガウンが大きすぎてほとんどチュニックでも通用しそうなぐらいだわ、もしかしてこのガウンって男物なんじゃないの?袖の丈も合っていなくて指先も出てるかどうかくらいじゃない。
そうだわ、これは彼服ってものよ。前にアレンがザ・パーティに載ってる男物の服を着たミレルのイラストを指さして、
「見てこれ見てこれ!ミレルの彼服!彼服!可愛い!すっげ可愛い!」
ってはしゃいでいた。彼服って何?って聞いたら、彼女が彼氏(ともかく男用)の服を着てダボッとしているような状態を彼服っていうみたい。
正直それの何がいいのかよく分からなかったけど…実物を目の前で見たら可愛いと思えるかも。声をかけてきた人は私よりも年上のお姉さんに見えるけど、華奢で小柄でちんまりしているからまるで子供が大人の服を着せられているみたいでなんか可愛い。
「ええ、乗れる舟を探してるの」
お姉さんの舟を探しているのか、の質問に簡単に返すと、お姉さんは「まあ」と両手を自分の胸の前で合わせて、ニッコリ微笑んで小首をかしげてきた。
「そうなんですねえ。それならうちの舟はどうですかあ?」
そのとびっきりの朗らかな笑顔に思わず頷く…。ってダメよ!ついお姉さんの笑顔に流されてしまいそうになったけれど勝手に一人で決められないわ。
皆を呼び戻そうと「ねえ…」と振り返ろうとしたけれど、向こうに歩いて行っていたサードがいつの間にかお姉さんの至近距離に詰め寄っていて、
「四人なのですが大丈夫ですか?そのうち体格のいい男が二人いるのですが」
と聞いている。
こいつ…可愛いお姉さんだから喰いつくのが早い…。
「わぁ何その大きい服、もうほとんど体隠れちゃってんじゃん。可愛い」
気付くとアレンも彼服風味になっているお姉さんに喰いついているわね。
お姉さんはガウンを両手で広げると、
「男物しかなくて、こんな風になっちゃってるんですよお」
と言いながらクルリと一回転して、アレンは両手で顔を抑えて空を仰ぐ。
「ヤバ…かわ…マジヤバ…」
アレンから語彙力が消えた。
「そのオレンジのガウンを着ているということは、あなたは船頭なのですか?」
「え、そうなの?」
ガウリスが質問した内容に驚いて私がその話に食いつくとお姉さんは微笑みながら頷いて、ガウリスが説明してくる。
「先ほどアレンさんが言っていましたよ。船頭は明るい色合いのガウンを羽織っていると」
お姉さんも頷きながら、
「そうなんですう、このガウンは船頭が着るものでえ、私は二週間前に船頭になったばっかりなんですう」
その言葉にお姉さんに喰いついていたサードもアレンも一瞬動きが止まった。それを見たお姉さんは「あ」と口を押さえてから慌てて手を動かし、
「でも船員たちは全員ベテランの舟乗りなんですよお。私はお父さんの跡を継いで船頭になったんですけどお、他の皆さんは最低でもこの道三十年のベテランの舟乗り揃いなんですう、大丈夫、私の至らないところは皆さんがカバーしてくれますから、川下りに支障はありませえん」
お願いお願い、乗って乗ってとばかりに必死な売り込みに断り辛くなってきたけど…でもやっぱり船頭になったばっかりの人の舟はちょっと怖いかも…。
「いやいや旦那方、その舟はやめたほうがいいですぜ」
後ろから声をかけられて、私たち全員が声の聞こえてきた後ろを振り向く。
他の舟の船頭なのかしら。おじさんというにはまだ若そうな年齢の男の人がゆっくり歩いてきてる。…冬だというのになんて日に焼けた肌の人なのかしら。
「メンヤーさん…」
お姉さんが少し顔と身を強ばらせて口をつぐむ。なるほど、この日に焼けた男の人はメンヤーって名前なの。
そのメンヤーは私たちの前まで歩いてくると立ち止まって、顎を撫でた。
「その舟に乗ったら途中で川に落とされますぜ、悪いことは言わない、別の舟に乗りなせえ」
川に落とされるって…どういうこと?
お姉さんに目を向けると、お姉さんは私の視線に気づいて、あわあわと手を動かす。
「違いますう、落としたんじゃなくて…ああでも落ちたのは事実なんですけど、でもあれは違うんですう」
「何言ってんだ、実際に客を次々に川に突き落としてるじゃねえか、お前が」
え、このフワフワしたお姉さんが客を川に!?
私どころかサードにアレンにガウリスの視線もお姉さんに集中する。
「ち、ちが、あ、でも違わないけど、ちが…」
「客どころか仲間も突き落としたじゃねえか?そのせいで俺たちの商売にも傷がついて客の入り足も前より減っちまった!」
怒鳴りつけるように肩をいからせるメンヤーの言葉に、お姉さんの体がふるふると震えて目に涙が浮かぶ。それでも必死に頑張って震える声を出した。
「ち、違うんですう、あれは、あれは…」
「とっとと辞めちまえ!てめえみてえな女に船頭なんて無理なんだよ!」
お姉さんはビクッと肩をすくめてメンヤーの怒鳴り声に脅えたように震えながら下から見上げている。
そんなお姉さんの様子を見たメンヤーは余裕の表情でニヤニヤと見下ろして、
「んだ、ガンつけて。やるってぇのか?売られた喧嘩は買うぜ?」
そのままメンヤーはガウンの袖をまくり上げ、日に焼けた腕の筋肉を盛り上げて拳を突き出す。
「いけません、女性相手に何を…」
ガウリスがお姉さんとメンヤーの間に割り入ると、メンヤーは呆れたような、鼻白んだ顔で袖を下ろした。
「それ見たことかい。船頭が若い女だと客もこうやって気ぃ使う羽目になんだよ、だから女のお前にゃ船頭は向かねえって教えてやってんだ。
その上お前は客を川に突き落として仲間も川に突き落とすだろ?そのうち一人は未だに意識も戻ってねえんだぜ、これ以上お前のせいで川下りの評判が落ちる前にとっとと辞めろって船頭代表として伝えてんだ俺は!」
お姉さんはショックを受けた顔でうつむいて、顔を強ばらせて唇も震わせた。
「泣くか?泣くか?あー、泣いちまえ、これくらいで泣くようならとっとと家に帰れ!」
「私じゃ…ないんですう」
「あ?」
お姉さんはほとんど泣いている顔でうつむきつつ、聞こえるか聞こえないかの声でボソボソと言う。
「私は…私自身は突き落としてないんですう、それは私じゃなくて…他の人…」
メンヤーは馬鹿にする顔で後ろで黙々と荷運びをしているおじさんたちに向かって声をかける。
「あんたらの船頭は人を川に突き落としたのは自分じゃねえっつってるぜ!本当かい!」
あんたらの船頭…ってことは、あのおじさんたちはこのお姉さんがさっき言っていたこの道最低三十年のベテランの船員の人たち?
すると何人かがチラと面倒くさそうに目を向けてくる。
「嘘に決まってんだろ、そいつが急に暴れて客や仲間を川に突き落としてんのは俺らも見てる」
「ったく、たまったもんじゃねえや」
おじさんたちのお姉さんを守るどころか見放して文句を言うのを聞いて、私も思わずショックを受けてしまう。
それよりこんなに朗らかな雰囲気のお姉さんが人を川に突き落としてるって、どういうこと…?
するとメンヤーがお姉さんに体を向けてあごをさする。
「ほらな。お前を船頭に望んでる奴なんて一人もいねえ、今のうちに大人しく辞めてもらったほうが皆喜ぶ、円満解決だ」
「ちょっと…!」
いくら何でもひどい言い様だわ、許せない!
もう震えてベソをかいているお姉さんに代わって文句を言ってやろうとすると、お姉さんが、
「やめて…お願いだからやめてくださいい…今はだめ…やめてえ…」
ってボソボソと言っている。
もしかして私に声をかけているのかと思って振り返った。
それでもお姉さんは私じゃなくて誰もいない場所を見て一生懸命首を横に振って「やめて、やめて」と繰り返している…?
「何だ?どうした?何も言い返せなくなったか?おいコラ」
メンヤーはからかう口調でお姉さんの頭をコツコツと軽く小突いて、それを見た私は完全にブチッとキレた。
こいつ、ぶっ飛ばす…!
杖を振り上げ魔法を発動しようとすると、お姉さんのほうが先に目に見えない速さでメンヤーの手を払いのけて、顔を上げる。
そのお姉さんの顔を見て、キレていたはずの私の体はギョッとして硬直してしまった。
だって表情が…全然違う。
さっきまで小動物みたいに震えて涙がウルウルあふれるのを必死にこらえていたのに、まるで今は…獲物に飛びつく直前の猛獣みたい。野性的なギラギラした目、吊り上がった眉、目尻、何もかもが面白くねえと舌打ちしそうな口元…。
そんなお姉さんはユラ、とメンヤーに向かい直る。
「てめえ、人が大人しくしてりゃあいい気になって好き勝手言いやがって」
えッ…今の本当にお姉さんから出た声?どう聞いても男の野太い声じゃないの。
お姉さんはガウンを脱ぎ捨てると、細く白い腕を見せつけながらニヤと口端を上げ、軽く前後に足を広げる。そのままフットワークも軽くトントンと前後に動かしあごの近くで両手を握り、人さし指を上に向けてチョイチョイとメンヤーに動かした。
「てめえ売られた喧嘩は買うんだって?なら買ってくれよ、今すぐに」
「…あ、ああ?」
急に雰囲気、表情、口調、声も変わったお姉さんの様子にメンヤーも少し驚いているようにみえるけれど、それでも何となく男として引けないと思ったのかガウンの袖をまくりあげる。
「それならてめえを病院送りにして働けない体にして無理やり辞めさせてやらああ!」
相手は小柄で細い女の人だというのに、メンヤーは腰を入れて本気で殴りにいってる…!
「いけない!」
アレンとガウリスが止めようと同時に動き出したけれど、お姉さんはその場を一歩も動くことなく、ス…とメンヤーの拳を余裕で避けた。
それも自然と相手の懐に入る状況になったお姉さんは、顔の前で握っていた左拳をメンヤーの顔に軽く打ち付けたと思ったら、すぐさま「シッ」と言いながら目に見えぬ速さで右拳を真下からあごに打ち付ける。
「うがっ」
思いっきりあごを殴られたメンヤーは殴られた衝撃で地面から足が浮いて、そのまま地面にベチャッと倒れ気絶する。
「…」
お姉さんが一発でメンヤーを倒したのに驚いて呆然としていると、
「…すげえ綺麗なアッパー…」
とアレンが混乱していると分かる口調でポツリと呟く。
するとお姉さんは腰に手を当てて倒れて気絶しているメンヤーを見下ろしたと思ったら、ガスガスと蹴り飛ばし始めた。
「おい、おい」
眼球をグラグラさせながら目を開けるメンヤーの胸倉を非力そうな細い腕で掴み、お姉さんは好戦的な顔をグッと近づけた。
「俺はまだ喧嘩売りてえ気分だ、もう一発買えよ」
「……」
メンヤーは話しかけられても返事もできない状態。それでもお姉さんは口端を上げながら力づくで起き上がらせて、
「俺は喧嘩を売ってんだぜ!?てめえ売られた喧嘩は買うっつっただろ!?なあ!買うんだろ!?買うんだよなぁ!?ああゴラ、買うんだろ!?なんとか言えよゴラ!」
とガクガクと頭を揺さぶり、もう一発、更に一発とメンヤーのあごを殴り飛ばし続ける。
「おい、やめろ!」
「また人を意識不明にするつもりか!」
荷運びをしていたおじさんたちがこっちの状況に気づいて駆け寄りお姉さんを羽交い絞めにしようとする。でもお姉さんがバッと振り返り顔の前を拳でガードする構えをすると、おじさんたちはウワッとばかりに飛びのいた。
それでも振り返ったと同時にお姉さんはおじさんたちのあごを貫くほどの勢いで次々と一撃で殴り倒していく。
そのまま倒れたおじさんを足蹴にして、挑発するようにジロリと周りにいるおじさんたちを睨み倒して拳を広げゴキゴキと骨を鳴らす。
「次は誰だ、誰が俺の喧嘩を買う!?ああ!?」
おじさんたちはこうなったらもう逃げるしかないとばかりに散り散りに逃げだし、お姉さんは足蹴にしているおじさんたちをガスガスと蹴り飛ばしながら、
「逃げんのか、この腰抜けのジジイどもが!それでも男かよ情けねー!」
とゲラゲラと肩を揺らし笑い続けた。
昔は運搬に川と海を使ってたから川の近くや沿岸部が栄えてたんですけどね。汽車や車ができてからは内陸部と平地のほうが栄えてる。




