本性
突然のレディアへのプロポーズにその場がシン…と静かになった。
「え、リロイはボーチが好きなんじゃ…」
アレンが聞くとリロイはアレンに振り返ってあっさり言う。
「どうみてもボーチは婚姻を結べる年齢じゃないだろう」
あ…そう、リロイもそのことは分かっていたの。それよりレディア?リロイはレディアが好みだったの?
だって今までのことを思い返してみてもリロイはボーチほどレディアに優しくなかったし、脅してやる、殺してやるぐらいのことも言っていたし実際殺しそうな気配もあったじゃない。
当のレディアはというと…ポカンとした顔でリロイを見ていた。
多分だけど、レディア本人もボーチのリロイへの懐き具合、それとリロイのボーチを見守る優しい視線を思い出して、ボーチをお嫁さんにって切り出されると思っていたのよね。
ポカンとしたまま何も言わないレディアに、リロイは手を握り続けながら身を寄せる。
「お前は強い女だ。ヲコや我のようなドラゴン相手に殺されそうになっても脅えもしなければ一歩も後ろに引かない。それどころか前に出て顔を引っぱたいてみせる。ヲコの前に真っすぐ立つあの後ろ姿を見て…なんていい女だと思ったんだ」
「…は?は?」
レディアはものすごく戸惑って動揺している。
「客を…自分より戦闘能力の高いエリーをわざわざ守るレディアをみて、我の嫁はこの女だと思った」
「この女って…失礼じゃありませんこと?」
ようやく言葉を返したレディアだけれど、いつもより嫌味の返しが弱い。そしてリロイは更にグッとレディアに身を乗り出す。
「これ以上の上手い言葉は言えん。それよりレディアはどうなんだ、了承するか?それとも我は嫌か?」
手を握られ真っすぐ目を見られ直球の言葉をぶつけられたせいか、レディアは思わず口をつぐんで目を激しく瞬かせてリロイから身を引いて視線を逸らす。そのまま馬鹿にするように口端を無理やり笑わせて、
「ば、馬鹿おっしゃらないでちょうだい。ドラゴンとの結婚なんて考えられませんわ。私はこの国のホテルを一手に引き受けているスペラービト商会の社長ですのよ?そんな私が何でドラゴンの嫁なんかにならなきゃならないんですの?」
「…」
リロイは眉間にギュッとしわを寄せて、唇を噛んでうつむいた。
「…そう、か…」
リロイはレディアからゆっくり手を離していく。
「そうだろうとは思っていた…人間界で成功している者が自身の成功と人生を捨ててわざわざモンスターの嫁になりたいはずがないとは…」
「ふん、当り前ですわ…」
そう言いながらレディアはリロイに掴まれた手を自分の手でさすって、ツンとリロイから視線を逸らす。
…でも…もしかしてだけど…レディアって男の人慣れしてないわね?その点に関しては私も人のこと言えないけれど、明らかにプロポーズされてドキマギしてるわよね?
だって少し離れたここから見ているだけでもレディアの顔どころか首から胸元まで真っ赤になっているのが分かるもの。
リロイは腰に手を当て、酷く残念そうな顔で自分の足元に視線を落として、
「急に変なことを言ってすまない。…忘れてくれ」
ああダメ、今引いたらダメよリロイ…!
私は後ろからリロイに近寄って背中を小突き、小声で囁いた。
「あのね、レディアは照れてるだけだから!ほら前にアレンに言われたでしょ?ツンデレってものなのよあれは」
「だが…」
リロイは肩を落として首を横に振るけれど、アレンも今引いたらダメだとばかりにリロイの肩に手を置いてレディアとリロイを交互に見る。
「いやぁ、お互いまだ知り合って日も浅いのに良い悪い決めつけるの勿体ないじゃん、食事とか飲みに行って親睦を深めようぜ、とりあえず皆でさ!な!な!」
「そうよそれがいいわ!とりあえずこの町が無事だった祝杯ってことで…」
「……ぞ」
私が喋っている途中で声が聞こえて、私は一旦口をつぐむ。するとレディアの背後にいたボーチがレディアを肩で押しのけ前に出てリロイに指を突き付けた。
「ふざっけんじゃねえぞ!」
子供の甲高い金切り声が部屋に響き渡る。
驚いてボーチを見ると…その顔はいつものボーチじゃない。いつもはオドオドと柔らかくて愛らしい控えめな微笑みを浮かべているのに、今は…心底リロイが憎いとばかりの睨み顔。
ボーチは自分の胸をバンバン叩いて喚きだした。
「どう考えたってあたしだろ、あたしを選ぶもんだろ、こんな性格の悪いババアにいじめられてる少女だぞこちとら!こんな金持ちの嫌味なババアのいじめに耐えてる奴隷の少女を嫁に選ぶのが普通だろうがこのクソボケがぁ!てめえの目は節穴かよこのクソドラゴンが!」
あまりにも口の悪すぎる言葉の数々がボーチの口から出てくるから、一瞬思考回路が停止した。
いや、でもまさか、あの健気で素直なボーチからそんな言葉が出るわけ…。私は何か幻覚でも見ているんじゃないかしら。
そう思ったけれど、ボーチはリロイのすねを何度も蹴とばしながら、
「大体にして男ってのはこんなあちこちに毛の生えてねえガキが好きなんだろうがよ!?ああ!?男は全員こういうツルツルボディの幼児体型が好きなんだろ!?違うのかよ!」
…ああ…。これは幻覚でも幻聴でもない。明らかにボーチから耳をふさぎたくなるくらいの品のない言葉が飛び出している…。
呆然として固まっているとレディアが後ろからボーチの口をふさごうとする。
「おやめなさいボーチ!なんてはしたない言葉を…!」
するとボーチはレディアの手に噛みついて、呻きながらレディアは手を離す。ボーチはリロイに噛みつかんばかりに詰め寄った。
「何であたしじゃねえんだ、何でなんだよ!てめえは随分と優しくしてきたじゃねえか、ああ?何とか言いやがれゴラァ!」
喚くボーチをリロイは静かに、それでもいつも通り慈しむような優しい表情で見下ろしている。
「…ようやく本当の姿を見せてくれたな」
ボーチは大きく目を見開いて口を閉じた。リロイはしゃがんでボーチと目線の高さを合わせると、優しく語りかける。
「お前は誰にでも媚びを売って取り入ろうとしていた。気に入られようとしていた。だがお前の目を見ると誰にも気を許していなかった、他人を憎んでいた。我がゲオルギオスドラゴンだと分かってから余計にお前は我に取り入ろうとしていただろう?
モンスターの中には生態系の頂点に立つ我に取り入り、楽に餌にありつこうと利用しようとする者もかなりいたんだ。…ボーチ、お前の目はそのように我の力を利用しようとする奴らと非常に似ていた」
「…いつから、そう思って…」
「最初から」
「…」
黙り込むボーチの後ろから、レディアが噛まれた手を押さえながら声をかける。
「まさかこんな形であなたの本性が出るなんてね」
ボーチは無言でレディアを振り返りながら見上げる。
「言っておきますけど、私も最初からあなたはおべっかを使ってその性格の悪さを隠していると気づいていましたわ。大人しく可憐な奴隷の私を演じながら、金持ちの主人である私を悪役に仕立てていちいち陥れようとするんですもの」
「…」
ボーチは知っていたのかとかすかに絶句するようにレディアを睨みつけている。そんなボーチにレディアは呆れた顔で、
「なぁに?その顔。まさか私が本当に何も気づいていないとでも思っていましたの?見くびられたものですわね、全部知っていますわ。
隙があれば私の財布からお金をくすねていたことも、通り過ぎざまに食べ物を万引きして口に入れたりポケットに入れていたことも全部。だからそういう余計なことをさせないために馬車以外の移動中は両手にキャリーケースを持たせていましたのよ」
そんなレディアの言葉に呆然としてしまう。だって…あり得ないぐらいボーチの口が悪くなったと思ったら、そんなレディアの財布からお金をくすねるとか、万引きするとか…まさかボーチがそんなことを…?
あまりのショックと混乱で立ちすくんでいると「なるほど」とサードが納得の声を出す。
「お二人の関係性は見ていて不可解な所があると思っていましたがやはりそうでしたか。最初は見た通り奴隷のボーチさんが主人であるレディアさんに虐げられているのではと私たちは思っていました。
しかしレディアさんは私たちの前で堂々とボーチさんを怒鳴りつけていました。虐待かそれに近い陰湿なことをする者が公衆の面前でそのように子供を怒鳴りつけるでしょうか?少なくともそのようなことをする者は人の目がある中では子供に優しくしようと努めるはず」
サードは続ける。
「それにボーチさんの服はつぎはぎだらけでボロボロに見えますが、衣服自体は汚れてるだけで穴があくほど布は摩耗していませんし丈も合っています。それに大抵つぎはぎは破れやすい膝や肘などに当てるものですがついているのは服の中心にだけ。
だとするとわざと衣服を汚し目立つところにつぎはぎを当てているとしか思えなかったのです、そうなると…」
サードはボーチをチラと見て、
「むしろレディアさんのほうが苦労しているのではと思いましたね。ビジネスシーンの中、隣や後ろで私はこんなに虐げられているとばかりの身なりと態度でいられたら社長の立場としては面目が立たないのではと」
その言葉にレディアは軽くフッと笑う。
「そこまで考えが巡ってくださってありがたいことですわ。それ以外にもこの子は私の社長の立場に傷をつけるようなことばかり率先してやってくれました。出入りしたホテルの高級品を盗んで売り払おうとして、お客様の貴金属も盗んで売り払おうとして、それを先回りして阻止すると嫌がらせで私の荷物をわざとらしく馬車の中に置いて…」
「…ボーチ…」
もはや何が何やら分からないままボーチに声をかけると、レディアの言葉にブチッとキレた顔でボーチはレディアに指を差す。
「うるせえババア!しょうがねぇだろ、そうでもしねぇとあたしだってこの年齢まで生きてこれなかったんだ!人から盗まねぇと、食えるもんが目の前にあったら口に入れねぇと他の奴らに横取りされて食いっぱぐれて死ぬかもしれなかったんだよ!
つーかあたしが悪いってのかよ?あいつらだって盗ってくださいって言ってるようなもんだったじゃねえか!のん気に店先に食いもん置いとく奴らが悪ぃんだ!その辺に適当に高級品を置いとく奴らが悪ぃんだ!盗りやすい所に物置いとく奴らが悪ぃんだ!盗られたことにすぐ気づかねぇ奴らが悪ぃんだ!」
ボーチはそう言うと少女とは思えない野太い唸り声を出して頭を抱えた。
「ウチサザイ国じゃそうでもしねえと生きていけなかったんだよ!とにかく見つけたもんは自分のもんにして手に入れておかねえとすぐに死ぬような国だったんだ、あたしが元々居た国は!」
ウチサザイ国の名前が出て来て、全員が反応してボーチを見る。
「え…ボーチってウチサザイ国出身なの…?」
アレンが聞くとボーチはアレンを睨む。
「そうだよ!そうやってわずかな飯につられてここまで売られて…!」
ボーチの手にギリ、と力が入ったけど、それでもどこか精神のタガが外れたように笑いだす。
「…でも国外ってこんなにゆるいんだって知った、簡単に物も盗めるし人を攻撃してくるような奴らも、体を狙ってくる奴らも全然いねえ。
なんて、なんて過ごしやすいんだって思って、あの国から奴隷で外に売られたあたしは幸せ者だって…。それからは盗んで…盗んで…誤魔化して、嘘ついて…」
ボーチはウック、と声を詰まらせて服をギュッと握る。
「しょうがねえだろ、そうやって今まで生きてきたんだ、他にどうやって生きろっていうんだよ。物があったらすぐ盗らねえと明日死ぬかもしれねえ、飯を見つけたらさっさと口の中に入れねえと今日死ぬかもしれねえ、嘘ついて自分を誤魔化して取り入られねえと殺されるかもしれねえ。
そうやって毎日を生きてきたのに、今更どうやって物も盗まないで嘘もつかないで生きろって言うんだよ…!」
ボーチはしばらく嗚咽をあげて泣いていたけれど、急にガッと頭を上げてしゃがんでいるリロイの上着に掴みかかって睨みつける。
「だから…だからてめえの嫁になってドラゴンになったらあたしはこの体に傷をつけたあの親に、いたぶってきたウチサザイの奴らに、ムチで叩きまくった前のクソ主人らをぶっ殺すことができんだ!
レディアじゃねえ、あたしを嫁にしろよ、ドラゴンはいくら人を殺しても犯罪にならねえんだろ!?なあ、あいつらをぶっ殺す力をあたしにくれよ!よこせよ!」
リロイはボーチの手を上着から引きはがしてゆっくりと頬に手を当てる。ボーチは手を近づけられて体をすくめたけど、黙ってリロイを見返した。
「我の嫁になりたい理由がそれなのだとしたら、絶対に断る。ボーチだって本気で我の嫁の立場を望んでいるわけではないだろう?ただ憎い者を殺したいから我の力が欲しいだけだ、違うか?」
ボーチはリロイを睨んだ。
「そうだよ、何か悪いかよ」
リロイは睨んでくるボーチの顔をマジマジとみて、フッと優しく笑う。いつも見ていたような愛しいと思っていそうな顔で。
「可愛いな、睨まれても全く怖くない」
リロイはそう言いながら、
「嫁にはしない。ボーチはそのような目で見られない。だが、良かったら我の子供にならないか?」
「…は?」
レディアと似たようなポカンとした反応でボーチはリロイを見上げる。
「ボーチは最初から何かを押し殺しているような気がした。ボロボロでも強がっているような気がした。それでも虚勢を張って生き抜こうとしているその姿が愛しかった」
リロイはそう言いながらしゃがんだ状態でレディアをふと見上げる。
「レディアとボーチとは似ている。弱いくせに自分一人でどうにかしてみせるという強い所が…二人が好きだ、お互いに抱く好意の種類は違うが、我は二人とも好きだ」
リロイはそう言っておいて、さっきレディアにプロポーズしたのは忘れてくれと言ったのを思い出したのか、顔つきを改めて視線を下にずらした。
「いや、今のは聞き流してもいい、レディア」
「…」
レディアは何か言いたそうな、それでもプライドが邪魔をしているのか無言でツンとそっぽ向いて腕を組んだまま。
リロイはボーチに視線を戻す。
「ボーチはどうだ?それともレディアと共に居たいか?」
「…」
ボーチは睨むように、それでもどこか打算的な目でリロイを見ている。
「…あんたの子供になれば、あたしもドラゴンになれんのかよ?」
「ボーチが望むのなら。だが我の子になるのなら人に害を与えるような行動は禁止するし、害を与えたならば我はお前に罰を与える。言っておくが我は他のゲオルギオスドラゴンより強い、人間からドラゴンになるボーチは我に敵わないと思え」
ボーチはリロイが喋る度に怒りが蓄積されているような表情で体がブルブルと震えて、話し終えるかどうかの時に目を剥いて爪を立ててリロイの顔を引っかいた。
それでもそのリロイの頬はすぐさまドラゴンの鱗に変化しギィィと金属を引っかいたような音が響いて、逆にボーチのほうが痛そうな顔で指を引っ込めて手で爪を押さえている。
ボーチは憎しみの目でリロイを睨んだ。
「何が子供にするだ、何が好きだ!結局てめえだって力であたしを脅して押さえつけようとするんじゃねえか!ウチサザイ国の奴らと同じだ!誰がてめえの子供になんてなるかよバーカ!」
ボーチはリロイの膝を蹴とばすとレディアの横をすり抜けて部屋のドアに向かって走り出す。
「ボーチ!どこに行くの!」
レディアはボーチを捕まえようとするけれど、子供のボーチの方が動きは素早くてレディアの手をすり抜けていく。ドアを力任せに開けたボーチはギッとレディアを睨みつけた。
「どうせ、どうせあんたの気持ちは決まってんだろ、そのドラゴンの嫁になる気あるんだろ、そうなったらもうあたしなんて…あたしなんて…!」
ボーチは体を震わせ、身を翻す。
「どうせリロイの嫁になって家族ができるんだったらあたしなんて必要ねえだろうが!あたしみてえな手のかかるクソガキなんてよ!」
「何を…!今は夜なのよ、こんな時間に子供が一人で外に出るなんて危な…!」
「うるせえババア!ウチサザイ国の昼間よりこの国の夜のほうが安全なんだよ!あたしは大人の手助けなんてなくても十分に一人で生きていけんだよバーカ!クソババア!」
癇癪を起したように泣き叫びながらボーチは廊下へと飛び出していった。




