鑑識の邪魔
私たちはすぐさまミレルお勧めのクワイズホテルを後にして、殺人事件の起こった百メートル先のホテルに移動した。
どうやら事件の起こったホテルは安く宿泊できるのが売りのホテルみたい、普段だったら勇者なのにこんな場所に泊まれるかとサードが目も向けないぐらいの。…とはいっても、私たちがいつも泊まる宿にホテルはランクが高すぎるだけで、こういうのが一般的なのよね、きっと。
それでも部屋に入ってみると廊下を歩く人の足音、どこかの部屋の笑い声もよく聞こえてくるから壁は薄いのかしら。だとしたら部屋の中の話し声も周囲によく響き渡るのかもしれないわ。
いつも泊まるホテルだと周囲の音なんて聞こえないからこっちの音も聞こえないでしょと夜でも安心して普通に話していたけれど、このホテルでいつも通りに話していたらうるさいって文句がくるかもしれない。話し合いをするとしたら少し声のトーンを落としたほうが良さそうね。
ともかく私の部屋でモンスターの特定をしようとしたからモンスター辞典を出したけど、それでも人を食べるモンスターなんて数多くいるんだからやっぱり今の段階では特定できなそう。
「大体にして種類の少ないドラゴンだって全部人食うじゃん」
アレンが言うとリロイは辞典を引き寄せてページをめくる。
「食わないのもいるぞ。例えば…このドラゴンは生粋の草食で肉のついてる生き物は一切食べない。それとこの種も人を食うと言われてるみたいだが、基本的に臆病だから人に襲われてもかじって逃げる程度で食べることもない」
へえそうなんだ。…でもそんなにドラゴンについて説明しても良いのかしら、一応私たちはドラゴンの討伐を頼まれる側の冒険者なんだけれど…。
「あんまり弱点をベラベラ言うと俺らが次々とドラゴン種を殺しにいくかもしれないぜ」
ニヤニヤ笑いのサードが呟くとリロイは視線を上げた。
「やってみろ、少なくともこいつらは人を食わないだけで弱いわけではない。この臆病なドラゴンは岩を噛み千切るほど顎が頑丈だから人の体など牙がかすっただけで簡単に切り裂く。
それにこの草食のドラゴンこそが勇者インラスを殺したドラゴンだ。毒のある植物を好んで食うからこいつの吐く息を少しでも人間が吸うと一時間で苦しみながら死ぬぞ」
何それ怖い。
そう思いながらもリロイの死ぬの言葉でさっき見てきた事件現場を思い出す。
ドアを開けると思った以上に部屋は狭かった。
一人通るのがやっとの狭い通路、一歩進むと脇にバスルームのドア。バスルームのドアから更に一歩進むと左側にベッド、右側には鏡台兼机、その鏡台下には申し訳程度の小さい椅子。それもその小さい椅子を引いたら窓までの通路はふさがってしまうし、その窓までも三歩くらいでたどり着いてしまいそう。
それにまだ部屋の中であれこれ状況確認している兵士らしき二人はどやどやと私たちが入ったら、「ええ、ここに今そんな大人数で入るんですか!?本気ですか!?」という顔で見てくるし、そもそも兵士二人でも十分に狭かったのに私たちが全員で入ったらものすごい圧迫感だった。
ひとまずサードが兵士たちに事情説明している中、チラと現場を見渡した。
パッと見た感じは普通のホテルの一室。
それでもベッドは…とりあえず女性の足も血もついたシーツも回収された後みたいだけれど、残っているマットレスには少し変色している血がじんわり広がって染み込んでいるのが見えた。
うう、と思いながら軽く目を逸らして黙っている間にサードは私たちが来た理由を話し終えたみたいで質問している。
「モンスターの仕業ではという推測が出ていますが、このような状況に詳しいあなた方から見てもそう思えるのですか?」
兵士の一人は「うーん…」と言いながら、
「それがまだハッキリ分からないんです。足を切断されたわりに出血量は少なくて、未だに足以外の部分も見つかっていません。しかし体を持ち去ったにしてはベッド以外の床に血痕の跡はありませんし、この程度の出血で何者かに食べられたというのも妙で…」
もう一人の兵士も、
「仮にモンスターだとしたら身長百七十センチのほとんどを一口で食べるぐらい巨大な頭の持ち主ということになるんですが、この部屋じゃそんな大きさの生き物が入口からも窓からも侵入できそうにないですしね…建物はどこも破壊されていませんし」
私たちにそう言ってから兵士二人は顔を見合わせて、
「でも魔法ではなさそうなんだよなぁ、あの足の断面は鋭利な物で一気に切断したような跡だったもんな。刃物みたいな」
「刃物を出す魔法なんてあるのかなぁ」
…ロドディアスはギュルギュルと剣を回転させて攻撃してきたから、そんな魔法はあるといえばあるのかしら。それともあれってロドティアスの元々持っている力なのかしら。
そんなことを思っていると、兵士は私をチラとみて、あ、魔導士の人がいるじゃん、っていう目をして私に話しかけようとしてきた。
その表情は何度も見てきているから分かる。勇者一行の魔導士に聞けば色々分かるはずだって期待している。
だから何か言われる前に、
「私は!自然を操れるけど知識は普通の魔導士と同じくらいしかないのよ!色々聞かれても分からないから!」
って言っておいた。…しょうがないことだけれど、我ながら分からないしか言えないのが情けないわ…しょうがないんだけど…。
「…というわけでこのドラゴンはまずい、こっちはまあまあだが望んで食べたいとは思わない、これは食ったことが無い」
リロイの声に事件現場の記憶から我に返る。
リロイはモンスター辞典のドラゴンの章をめくっては「これは美味い、これは不味い」と呟いていて、アレンはその隣で「へー」って聞いている。
随分とリロイは色んなドラゴンを食べてきたことがあるみたいだけど…女性がモンスターに食べられたかもしれない現場を見た後だから気分的に何かイヤ。
「ごめんなさい、その話はもうやめてもらえるかしら」
なんで、と言いたげにリロイは顔を上げたけれど、よっぽど私が嫌な顔をしていたのか素直に口をつぐむ。そこでモンスター辞典を閉じたリロイは、
「ところで」
と改まった口調で皆を見渡した。
「先ほどの女が殺された場所からヲコの臭いがしたんだが、恐らく女を食ったのはヲコだと思うぞ」
皆がその言葉にザワッとなって思わず私は立ちあがる。
「ちょっと、それもっと早く言ってよ!」
するとリロイは早口で、
「先ほどの女が殺された場所からヲコの臭いがしたんだが、恐らく女を食ったのはヲコだと思うぞ」
思わず脱力する。違うのよ、早く言ってって、早口で言ってという意味で言ったんじゃないのよ。
サードは目を吊り上げ立ち上がって怒鳴りつけた。
「その話をもっと前に言えって意味だ!分かってたんならその時に言いやがれ!」
するとリロイは不服そうな顔になってブツブツと文句を言いだした。
「我が人前でドラゴンの話をすると全員で遮るから今まで黙っていたのに、今度は人前でもドラゴンの話をしろだと…?言うことがいちいち違う…」
そんな文句を言う姿にイラッとしたのかサードはリロイの頭をスパンと叩いた。それをガウリスが間に入って止めて、改めて聞く。
「ヲコの臭いがしたというのは本当なのですね?」
頭を叩かれたリロイは不愉快そうに眉間にしわを寄せ頭を撫でつつ、
「本当だ。同種で一度会ったことがある奴の臭いなら大体わかる。このホテルに入った時から臭いがかすかにすると思っていた」
そんなに早くから分かってたならこっそり伝えてよ。…でもリロイなりに気を使ったのだろうし、今はそんなことにこだわっている場合じゃない。
「じゃあヲコは今もこのホテルにいるの?」
質問すると首を横に振りながらリロイは、
「臭いの薄さからしてもう居ないだろうな、臭いはまっすぐあの殺された女の部屋まで続いていた」
アレンは顔を引きつらせ、
「じゃあヲコは人型のまま女の人の後をついて部屋まで入ってって、それで…ってこと?」
「我々赤銅色の鱗を持つ者は体の一部をドラゴンの姿に変えたままでいられるからな。口だけドラゴンの姿に戻し大きく広げて人を食うなど容易い。特にヲコは小腹が空いたらなんでも食べそうだ」
頷くリロイにアレンは「うわぁ…」とドン引きの顔で黙り込む。
するとサードがピクッと裏の顔を表向きの顔に変え聖剣を手に持ち、小声で呟いた。
「黙れ、今誰か来た。ドアの外に立って聞き耳立てていやがる」
…そう言えばここって声が外に聞こえやすいんだっけ。ついいつも通りに話しちゃってたから外に私たちの声も聞こえていたかしら。
するとリロイはドアを見て、
「ここまでの歩く音からしてボーチだと思うぞ」
随分と耳がいいのねと思っていると、リロイの言葉を聞いたサードはドア前まで移動して、ガッとドアを開けた。
「ひあああ!」
聞き耳を立てていたようなポーズをしていたボーチは驚いたようにひっくり返って尻もちをついて、サードは…どんな表情をしているのやら。
ただかすかにこのまま帰さねえぞとばかりに、それでも勇者らしい優雅な手つきでボーチを助け起こし、優しく中に引き入れるとドアを閉めた。
「立ち聞きとは感心しませんね、一体何を聞き出そうとしていたのです?」
「ち、ちが、違います…!用があって…でも話し合ってるみたいだから話が終わるまで待とうかなって…!で、ですから話を聞こうとしてたわけじゃ…!」
ボーチはあわあわと紙を差し出してきて、身の潔白を訴えるように一生懸命話し出す。
「レディア様が公安局の人にこれを渡されたみたいで、勇者御一行様にも見せて来なさいって言うから持ってきたんです、勇者様たちならこれを見ただけで分かるでしょうって…」
「…ですか」
サードは信用ならなそうな表情でボーチを見下ろしてから紙を受け取り、内容を目でなぞっていく。するとサードの表情が次第にしかめっ面になっていくのを見てアレンも近寄って紙を覗き込んだ。
すると文字を目でなぞるアレンの表情も段々変わっていく。
「どうしたの?何が書いてるの?」
近寄るとアレンはサードから紙を受け取って、私たち全員に見せるようにテーブルの上に置いた。
「これ…最近このデキャージャ国で事件に巻き込まれて死亡した人のリストがまとめてあるんだけど…」
そう言われてとりあえずリストを見てみる。
内容は…通行手形から描き写された被害者の顔、死亡した日時、死因、出身国、年齢、身長、血液型に家族構成などがまとめられた簡潔な情報。男の人もちらほら混じっているけれど、そのほとんどが女性だわ。
「ほとんどが女の人…それも結構最近で亡くなっている人が多い?」
そう言うとアレンは頷きながら描かれた被害者たちの顔と身長の項目を軽くなぞっていく。
「それとさ、ここの部分見て何か思わねぇ?」
「…?」
私はキョトンとして女性たちの顔を上から順に見ていくと、横からのぞき込んでいたガウリスが「あ」と何か分かったような声を出して、表情を強ばらせながらゆっくり口を開いた。
「女性の大半以上が身長百七十センチを超える黒いロングヘア―の方です、このホテルで被害に遭った女性も含めて…」
それを聞いて私は息を飲んだ。
それってつまり…女装したサードを本物の女性と思い込んでいるヲコはサードを探し回っているってことじゃない?
それも女装したサードと似た背格好の女性を見つけては後を追いかけて、顔を見て人違いに気づき、怒って口を大きく開けて…。
ゾワッと鳥肌が立つ。
だってそうじゃない、私たちがヲコを探しあぐねている間、ヲコは人に紛れて女装したサードを探して次々と女性を殺し続けているんだもの…!
「見つけないと、ヲコを」
「ヲコ?」
私の呟きにボーチが軽く聞き返してくる。
…でもこんな殺伐とした話題は幼いボーチに聞かせられないわ。どうしよう…。
悩んでいると、リロイがボーチに目を向ける。
「ヲコとは先日向こうの国の一部を焼失させ、女を寄こせとハロワに脅迫状を送ったドラゴンの名前だ。勇者がつけた」
「え」
「我は奴とゲオルギオスドラゴンの長の立場を巡り争っていンガクク」
アレンがリロイの口をふさぐ。
それでもしっかりとボーチは聞き取ってしまったみたい。即座にリロイに聞き返した。
「え…どういうことですか?そのヲコっていう人…じゃなくてドラゴンと、長の立場を巡って争ってるって…。え?じゃあリロイさんは…もしかして、本当にドラゴン…?じゃあこの前あんなに早くバッグを取りに行ったのって、羽を生やして飛んで…?」
混乱の顔ながらボーチが質問し続けると、リロイはアレンの手を口から外して、
「そうだ。この勇者たちに協力してもらい次の長になるべく動いている」
サードは何でそんなことをご丁寧に言うんだとブチ切れそうな雰囲気ではあるけれど、それでもボーチの手前だからかすかに顔を引きつらせる程度に収めて、ため息をつきながら補足程度に付け足した。
「確かにこのリロイは我々と共に行動しているゲオルギオスドラゴンです。しかし人を脅し襲うヲコとは違いリロイは周りの意見に耳を傾けられる人格者。ですから我々は次期長に彼をと協力しているのです。そのことはご理解ください」
勇者サードもリロイがドラゴンだと認めるようなことを言うとボーチは大きく息を吸って、混乱のまま口からゆっくり息を吐いて…リロイをチラと見上げる。
「本当に…ドラゴンなんですか?」
「そうだ」
バンッと背中からドラゴンの羽が飛び出るのを見て、ボーチは「ひゃっ」と驚いてのけぞる。
けど好奇心もあるのかリロイの背中から生えている羽をマジマジと見て、恐る恐る近づいた。
「ほ、本物のドラゴンの羽…?触っても…いいですか…?」
「構わん」
ボーチはリロイの羽の鱗の部分をさわさわする。
「ツルツルしてて硬い…」
「ドラゴンの鱗だからな」
はぁぁ…とボーチは感心したような、おののいたような声を出してリロイを下からマジマジと見上げた。
「本当に、ドラゴンなんですね…」
「そうだ、ゲオルギオスドラゴンだ」
ボーチはパチパチと瞬きしながらしばらくリロイを見上げていたけれど、次第に目はキラキラして口の前で両手を合わせ、吐息のように呟いた。
「…カッコイイですぅ…」
その言葉に私は思わず「…え!?」と驚いてしまう。だって普通はドラゴン…それもつい最近人に大きい害を出したのと同種のゲオルギオスドラゴンが目の前にいるのに、そんなこと言うだなんて思わないじゃない。
ボーチは興奮したようにつま先でぴょこぴょこしながら、
「私、子供のころからドラゴン好きなんです…!かっこよくて、強い所が好きなんです…!こんなに近くで会えるなんて…」
はわわわと憧れの目でボーチはリロイを見つめ、リロイはそんなボーチをゆるんだ優しい目と口元で「ん、そうか」ってかすかに頷いている。
…好きって言われて満更でもなさそうな雰囲気…やっぱリロイって…?
「そんなにドラゴン好きなんだ?」
アレンの言葉にボーチは頷いて、
「そうなんです、初めて見た絵本に強いドラゴンが出てきて、それからずっと…。あの、あの、もっと鱗さわってもいいですか?」
聞いているけれど返事を待たずにボーチはリロイの鱗をツルツル触って「すごーい…」と言っていて、リロイも嫌がることなく黙っている。
…ドラゴンの鱗ってそんなに触り心地がいいのかしら。だとしたら私も触ってみたい…。けど相手がボーチだから触るのを許しているのかしら、けど私も触りたい…。
ってそうじゃないわよ。リロイがドラゴンだってことがボーチ経由でレディアに伝わったら大変なんじゃない?
この国の影の支配者のレディアに変に騒がれたら…最悪の場合、私たちが人間を裏切ってドラゴンの味方になってしまったって喚き立てられそう。ただでさえレディアは口が減らないんだし、この国の人たち…きっとデキャージャ国国王を含む全員が私たちに指を突きつけ非難してくるに違いないわ。
心配になって鱗を触り続けているボーチに腰をかがめながら声をかける。
「あのね、リロイがドラゴンなのはレディアにも誰にも言わないでもらえかしら。ボーチは気にしないみたいだけど、ドラゴンが近くに居るだけで大騒ぎしちゃう人もいるかもしれないから」
ボーチはキラキラした目で、大きく首を縦に動かした。
「もちろんです!絶対に誰にも言いません!」
ああよかったとホッと胸をなでおろして背筋を正し、皆を見渡そうと首を動かす。
「…絶対」
首を動かすと同時に聞こえた言葉、それと目の端で捉えた表情に違和感を覚えてボーチにパッと視線を戻した。
ボーチは変わらずキラキラした顔でリロイにまとわりついている。
…だとしたら気のせい?今の一瞬、ボーチから感情が消えたように見えたの…。
アレン
「…俺も鱗触っていい?」
リロイ
「構わんぞ」
アレン
「わぁ…ツルツル…」
エリー
「…」←アレンの後ろで順番待ち




