眠れない
リロイは本当にすぐに戻ってきた。
「これで間違いないか」
色々と物が入っていそうなトートバッグを手渡すと女の子はポカンとした顔で…まだ涙も乾ききっていない顔でリロイを見上げている。
「どうやって…こんな短い時間で…」
「飛んだ」
その言葉に女の子はハッ、と軽く伸びあがってリロイを見上げる。
「魔導士なんですか?」
「いいや我はゲオル」
アレンが言わせねぇよ?とばかりにリロイの口をガッと手でふさぐ。
でも女の子はそんなアレンの行動よりもバッグが見つかって心底ホッとしたのか、ギュッとトートバッグを抱きしめて、まだ涙で目をウルウルさせながらリロイを見上げる。
「ありがとう…ございました…!これは本当に、レディア様の大事な書類とかハンコとか色々入ってるもので…失くしたら大変だったんです…!」
レディア、というのがあのド派手で嫌味ったらしい口調の怖い女性の名前ね…。
「そのような大事な物を忘れるとは…あなたもしっかりしなければなりませんよ」
書類とハンコという言葉を聞いたサードは、そりゃあれほど怒るのも道理だとばかりに注意をすると女の子はシュン…とまたしょげ返る。
やめなさいよとサードを肘で軽く小突いてから、女の子と目を合わせた。
「あなたは大丈夫なの?えーと…あなたのお名前は?」
「ボーチと言います」
「ボーチね。あのねボーチ、いくらあなたが奴隷の立場でもあのレディアからの扱いは酷すぎるわ。あなたは大丈夫なの?辛くない?」
だってねえ、レディアは高そうなドレスにモコモコの毛皮で全身を覆って、光が当たると碧色に輝く黒髪のサラサラロングヘアーに化粧もバリッとしていてハイヒールも値段の高そうな赤い艶やかなものと、頭から爪先までお高い物で覆われているって感じだった。
でも目の前のボーチの服装は…。
質素で汚れのめだつ茶色かかったワンピース、申し訳程度の薄さで寒さをしのげるのか分からない上着、髪はボサボサで櫛を通されていないのも一目でわかるし、靴だってほころびが酷いうえに土埃で汚れに汚れている。
特に今着ているワンピースと上着なんて酷いものだわ。ワンピースのお腹のには大きいつぎはぎがいくつもあてられていて、上着の背中にも大きいつぎはぎが一枚あてられている。
どう考えてもろくに面倒も見られていないのは明らかだし、さっきのレディアとのやり取りを見た限り優しい扱いをされているようにも思えない。
それにウチサザイ国で奴隷という立場を取っていたら「あなた言葉分かる?」とミセスに頭っから馬鹿にされたから、奴隷というだけで見下げられた対応をされることも度々あるに違いないわ。
そうやって人々に見下げられるわ主人であるレディアからもキツい対応で威圧され続けるとか…あまりにも可哀想すぎる。
だから色々と気にかかって大丈夫かどうか聞いてみたけれど、ボーチはモジモジとトートバッグを手で揉みながら少しはにかむように、
「でも、でも、レディア様は何度も奴隷商に戻された私を、買ってくれた人だから…」
ボーチはまだ潤んでいる目で遠慮がちに私を見上げ、
「だから、私はレディア様の役に立ちたいんです、きつくなんてないです。でも…」
ボーチはシュンと視線を床に向ける。
「私、気が利かなくて…そのせいでレディア様に迷惑かけて怒らせてばっかりで…レディア様だって、怒りたくないけど、怒らないといけないから、怒ってるんです…」
「…」
なんて…健気な子なの!?
思わずキューン、となって頭を撫でようと手を伸ばすと、ボーチはビクッと体を揺らしてバッと腕で頭を守るかのように覆った。
その頭を守る動きをした一瞬に目が合ったけど、それは今までの可憐な少女の目じゃなくて恐怖に脅える目…。
そのとっさの行動に私も驚いてしまって、頭を撫でようとした手をすぐ引っ込める
「ご、ごめんなさい、頭撫でられるの嫌だった?」
ボーチはハッと顔を強ばらせ腕をそろそろと下ろして、無理やり笑顔を作るかのように口端を上げる。
それでもその目は恐怖で凍り付いているし、口端はヒクヒクとひきつっていて、
「ごめ、ごめんなさ…えへへ、そう、私、撫で、撫でられるの慣れてなくて…」
ボーチはジリジリと私から距離を取ると、
「も、戻らないと…!」
と背を向け、突き当りを曲がって行ってしまった。
「…そんなに撫でられるの嫌だったかしら…」
何か悪いことをしたような気分で呟くと、サードは後ろからボソリと返した。
「…それだけじゃねえんじゃねえか、あれ…」
* * *
「…」
ベッドに入ってかなり時間が経ったけど、サードがの言葉を思い出すと全然眠れない。
「…それだけじゃねえんじゃねえか、あれ…」
そうサードが言ったあと「どういうこと?」と聞き返すとサードは無言で部屋に入っていくから私たちも全員部屋に戻ってソファに着いた。
そのタイミングでサードは続きを話し始めて、その内容がこれ。
「俺の居たフェニー教会孤児院には家の事情で預けられるガキも多くいてな。その中で親から暴力を振るわれ続けてた奴がいたが、近くにいる相手が急に怒鳴ったり手を振り上げたらとっさに頭を守ってたぜ、殴られると思ってんだ」
あの言葉には全員が目を見開いて、私はサードに詰め寄った。
「じゃあもしかしてボーチは…レディアから暴力受けているってこと?」
それでもサードは無言で肩をすくめて、さあな、とばかりの動作をすると、後は興味もなさそうにソファーに深くもたれかかった。
「かもしれねえが、証拠もねえ。それにもう関わらねえ奴らだ、気にすることもねえだろ」
「で、でも…!サードだっ…」
サードだってお母さんから暴力を振るわれそうになったじゃない。
そんな言葉が口から出そうになるけれど、慌てて口をつぐむ。皆が知っていることでも改めて本人に言うようなことじゃないもの。
でも二人の親子ほどの年齢差、体格差、主人と奴隷という立場…。どの立場であれボーチは虐げられる側にいるのは確実。
それに頭を撫でようとしたときの脅えて頭を守る反応を見る限り暴力を振るわれている可能性はものすごく高い。
もし…もしこのまま暴力を振るわれている証拠もないし、私たちはもうボーチと関わらないからと知らないふりをして、ボーチが亡骸になってその辺に打ち捨てられてしまう事態が起きてしまったら…?
他人事だとしてもゾッとなる。
皆もうっすら私が考えているような最悪なケースを思い浮かべたのか、ガウリスは悲痛な顔をしてサードに視線を向けて言ったわ。
「私たちは少なからずボーチさんに関わりました。それを思うならボーチさんに手を差し伸べるべきではないですか?」
するとアレンもガウリスの言葉に大きく頷いてサードに身を乗り出して、
「そうだよ、あのレディアって人怖いし、引き離したほうがいいって絶対」
サードは身を乗り出した。
「何の証拠もねえのにどうやって引き離すって?それに誰がなんと言おうと奴隷は買った奴の所有物であることには変わりねえ。それを俺らが横から解放してやれっつったって、結局あのレディアって女が所有権を持ってんだ。どうにもできねえよ」
「それならボーチの所有権を無しにすることとかできないの?」
私の言葉にサードは軽く口をつぐんで何か考え込む顔になってから口を開いた。
「レディアが死んだとき、レディアがボーチの所有権を手放したとき、レディアが行方をくらませたとき、ボーチが死亡したとき、ボーチが行方をくらませたとき、お互い交渉の末に決別するのを選んだときに…」
つらつらと言葉をあげ続けていくのを首を大きく動かしながら止めて、身を乗り出してまくしたてた。
「違うくて、公安局って暴力系の犯罪みたいなのを取り締まっているはずでしょ?公安局からボーチの所有権を手放しなさいってレディアに命令させて強制的に離れさせるような、そんな法律みたいなのはないの?
何だったらまた奴隷商に戻ったらもっといい主人が見つかるわ、だってボーチはあんなに健気ないい子なのよ」
するとサードじゃなくてガウリスが、
「しかし先ほどの会話から想像する限り、ボーチさんは後がないほど奴隷商に戻されているのでしょう?だとすれば…たとえレディアさんから離れて戻ったとしても…」
ガウリスは段々と言いにくそうに言葉を詰まらせると、アレンがパッと続けた。
「処分されるの?」
そんなハッキリ言うんじゃないわよと苦々しく思ったけれど、それでもそれがきっと真実なんだわ。
ガウリスも心を痛めているような顔で、
「…サンシラ国でも奴隷制度はありましたから、噂程度にそのようになると聞いております。あくまでもその後どうするのかを決めるのは取り仕切る者の考え一つでしょうが…。それでもその末路は悲惨なものだと」
そこで皆が無言になる。私も無言で思考回路も一旦止まって…ふと思ったことを呟いた。
「あんなに健気でひたむきないい子なのに、なんでそんなに戻されたのかしら…」
するとサードが鼻でせせら笑って、
「働き手にするにはクズ過ぎんだろ。書類とハンコの入ってる重要なものだと分かってるバッグをわざわざ忘れる馬鹿がいるかよ、他のもんは忘れてもそれだけは確実に肌身離さず持ってねえといけねえやつだろうが」
「うっかり忘れちゃったのはしょうがないわよ」
「うっかりねえ…。そういう要領の悪い所がイライラすんじゃねえの。いくらガキでもこれだけは持ってろって言いつけられたもんだけは守れるだろ」
その言い方に何かイラッとした。イラッとしたからサードから視線を逸らしてボソボソと呟く。
「そりゃあねぇ~、サードと比べたら大体の人は要領悪くみえるでしょうねぇ~、あーやだやだ、一人で何でもできるからって自分より要領が悪い人を批判する人~」
「んだこら」
サードが苛立ちの声で立ち上がりかけたけれど、アレンが「落ち着け」とサードの腕を引っ張ってソファーに座らせる。サードはひとまず座ってから私に向かって悪態をつくように、
「ボーチをレディアから引き離すことはできるだろうよ、レディアのボーチに対する悪口雑言を片っ端から書き留めてそれを公安局に突き出せば」
その言葉に私はパッとサードに視線を戻す。
「それだけでいいの?」
「その国々の法律で奴隷の立場も大きく変わるだろうが、この国は観光で金儲けようとしてる国だ。観光って明るいもので人を呼び寄せようとしている国が奴隷はいくら虐げても構わないなんて考えをしてるとは考えにくい。
だったらこの国は奴隷制度はあっても等しく法律に守られた存在だと考えるのが妥当だろ。そうなりゃ法に反している行動が見つかれば公安局が介入して引き離すこともできるはずだ」
それでもサードは無理に決まってるとばかりにソファーにもたれて手を大きく動かして、
「…ま、そんなことしたら裁判沙汰だ。そうなりゃあのボーチってガキに関わった俺らも裁判に付き合うことになるぜ。
よーく考えろよ、俺らは今ヲコの討伐依頼で注目されてて、そんな中で奴隷一人のために裁判起こしてヲコの件はお預けにしたらどうなるか。世間からどれだけの批判が集まってくるだろうなあ?」
サードの言葉にグッと言葉が詰まる。
確かに…奴隷一人を助けるよりも先に、町一つ、そしてたくさんの人々を傷つけたヲコをどうにかするのが先決。何よりそっちの依頼を先に受けているんだから。…それでも…。
「サードは…ボーチを助けたいとは思わないの?」
サードはお母さんに暴力を振るわれ殺されそうになった、でも痛めつけられる前に助け出された。
けどボーチは現在進行形で…サードが受けそうになったことをその身に受けているのかもしれない。それを考えたらどうにかしたいって思わないの?
そんな気持ちを込めて聞くと、サードは少し真顔になって、何か考え込むように口を真っすぐに引き結んで黙り込む。
それから少ししてサードはポツリと呟いた。
「…妙なんだよな」
「…妙?何が」
今まで我関せずとばかりにずっと黙ってボーっとしていたリロイが聞き返すと、サードはまだ何か考え込むような顔で、
「何かあの二人のやり取り見てると妙な違和感があんだよ。何かおかしいんだが…何がおかしいって聞かれても分からねえ、だが何かが妙なんだよな」
この話のあとはうやむやのまま今日は眠ろうって流れになって解散になったけど…。
結局サードの感じた違和感が何なのかは本人も分かっていないから私にだって分からない。
それでも確実に二人の間にある妙なものといえば、ボーチがレディアに虐げられているかもしれないってものだけ。
…もしかして私がこうやって広い高級ベッドに横になっているこの間にも、ボーチはレディアに虐げられているんじゃ…。
モゾモゾと横になるけれど、考えれば考えるほど眼が冴えて眠気が遠ざかっていく。
…眠れない…。
余談だが。
大昔のギリシャにて裕福な家の奥方に仕える女性の奴隷たちは大変綺麗に着飾って大事にされていたという。何故なら、
「私の家は奴隷ですら着飾り大事にするほど裕福であるのだ」
というアピールらしい。記憶違いでなければそのような理由である。




