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裏表のある勇者と旅してます  作者: 玉川露二


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395/507

~閑話休題~一方その頃エルボ国城下町では

長いよ。前半イクスタ目線、後半ファディアント目線。

「…で、この家に元国王と王妃と王子の三人が住んでるって?」


俺の言葉にミラーニョはそうです、と頷く。


病気を治すため城下町で王族が国民同様の暮らしをしている、ねえ…。

見る限り二階建ての一般家庭用の家だな。だが庭も狭ければ隣の家との間隔も狭い。こんなに近けりゃ隣の家の窓からすぐ侵入できるじゃねえか、窓に格子もねえし…。ああ、ウチサザイ国とは違うか。どうにもウチサザイ国基準のであちこち見ちまう…。


それでもこんな窓に格子も無い家の近さで特に問題が起きてねえってんなら、ファディアントって無能な国王が前任していた時代もこの国は平和だったんだろうな、ウチサザイ国と違って。


「…で?元雇い主を道化師として馬鹿にしにいくのか?」


「まさか、少し会話をしにいくだけですよ」


ミラーニョはそう言うと敷き積もった雪に苦労しながら戸口まで歩いて、ドアをノックする。しばらくしても誰も出てこねえから留守かと思ったころ、キィと軽く扉が開いた。


扉にはチェーンがつけられ、隙間から人の疲れ切った顔が覗く。


「…お前」


疲れ切ったその顔に驚きの顔が浮かんだ。見る限り元王子ではなく元国王だなと見ていると、ミラーニョはニカニカ笑いながら体の前に手を添えて深々頭を下げた。


「ファディアント様、ご機嫌麗しゅう。いつぞやは黙っていなくなり申し訳ありませんでした、なんせ私は人気の道化師で至る国からオファーが参りますもので…」


「そんなことはどうだっていい、お前、この四年間どこにいたんだ?」


知っている顔が訪ねて嬉しそうな表情になっているのを見て、思わずおかしくなる。プライドの高い元国王でもこんな状況になれば誰が訪ねてきても嬉しいもんなんだな。


「それにしてもファディアント様、随分とお疲れになっている表情で…」


労わるようなミラーニョの言葉にファディアントはその通りだと大きく頷き、同情して欲しそうに身を乗り出し…チェーンを外して扉を大きく開けた。


「本当だ、私はもう疲れた…クタクタだ、もう何から手をつければいいのか分からん」


「それはマーリン様が原因ですか?」


ファディアントはイライラと眉間のしわを深くし、家の中に指を何度も突きつける。


「マーリンもだが、ディアンもだ!あの二人は未だに外に出ないし家の中の事も一切やらない、私一人だけだ家でも外でも動き回っているのは…!そのくせマーリンは朝から晩まで私に喚き散らして愚痴を言い続けて…!誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ…!」


ミラーニョは「おやおやそれはお可哀想に…」と言いながら、声のトーンを低くした。


「殺して差し上げましょうか」


ファディアントが顔を上げる。急に口調が平坦になったミラーニョに俺も視線を移す。


「私はもう少ししたらこの国を出ます。私ならあの女に自然な死を与えられますよ。あなたも働きもしないで文句ばかり言う女房を養わないといけないなど、さぞや心も息も詰まるものでしょう。殺して差し上げましょうか、一人減れば一人を養うお金が減りますよ」


ファディアントはわずかに目を見開いてミラーニョを見ていたが、道化ているとでも思ったのか鼻で笑った。


「あら~、誰か来てるのぉ?」


急に甘ったるい声が聞こえ、家の奥から大きい胸をユッサユサと揺らしながら品のない女が現れる。へー、あの品のない女が元王妃マーリンか…。


マーリンはミラーニョの姿を見て、その後ろにいる俺をバッと見るとミラーニョに近づいた。


「ねえ、あなた道化師でしょ?道化師って国に居るのよね!?もしかして後ろの人って貴族なんじゃないの?それか王族!」


…品の無い女だが、身分の有無に関しては勘が鋭いようだ。


するとマーリンは俺を向いてぶりぶりと腕と胸を揺らしながらバチバチとウインクを連発する。


「ね~え~、お願いよぉ。私をここから連れ出してあなたのお屋敷に連れて行って~」


うげ、勘弁してくれ気持ち悪い。


眉間にしわを寄せて、何も見てない聞いてないとばかりに斜め上の空を見上げる。

ウチサザイ国でエグイものを見過ぎたせいであからさまな色気をまき散らす行為には吐き気が出る。ヤベえマジで吐きそうだ、気持ち悪…。


口元を押さえ吐くのを我慢し空を見上げ続ける。


…むしろ自分の女がこんな他人に色気使って、旦那のファディアントはどんな(つら)してんだ?


視線を動かすと、ファディアントはあからさまに嫌悪と憎悪の込められた見下げた目でマーリンを一瞥(いちべつ)してから視線を逸らしていた。


…何であんな顔すんのに殺さねえんだ?…ああ、ウチサザイ国とは違うのか。


そんな思いを巡らせている間もマーリンは「ね~え~、お願いよぉ、私は王妃よ、身分もしっかりした女なのよぉ」と胸をボロンボロン揺さぶりスカートの裾をめくる…。


あ、もうダメだ、これ以上見たら完璧に吐く…!

口を押さえ後ろを向くと、ファディアントの声が聞こえてきた。


「それ以上はやめろマーリン、この国の王族性が疑われてサブリナが苦労する」


…ん?今のは幻聴か?無能な王からまともな言葉が出てきた気がするが。


「何よ、私があの人のところに行くのがそんなに気に入らないわけ!?」


「サブリナはこの国を良くしようとしているんだぞ、こんなはしたない行為をするお前がサブリナの母だなんて道化師を通じて世界に吹聴(ふいちょう)されてみろ、恥さらしもいい所だ!」


…。やっぱ、無能な王からまともな言葉が出てきてる…。ミラーニョから聞いてたのと性格が違うぞ、あいつ。


気持ち悪さを抱えつつ振り向くと、マーリンが怒鳴り散らした。


「なんですってぇ!自分を棚に上げて何言ってんのよ!道化師、世界に伝えてちょうだい!このエルボ国の元国王ファディアントはインポですぅー、インポ野郎ですぅーって!」


オウ…。…こんな青空の元で近所に聞こえるような大声でそんな下品なこと言うか?色々と最悪だこの女。


無論プライドの高い元国王であるファディアントもカッと逆上した顔になって拳をギリッと握った。そのまま殴るかと思いきやそのままマーリンを睨みつけるだけ。


わりと理性的だなと見ているとマーリンはミラーニョに抱きつき、


「なんならあなたについて行くわ、あなたについていけば…」


と何か言っているが、ミラーニョはマーリンをドンと突き飛ばし、汚いものに触られたとばかりにパッパッと体を払った。


「ハァ!?王妃を突き飛ばすとかあんた何様!?私は本当だったらあなた触れることも敵わない女なのよ!その私が…」


「あなたは今、王妃ではないでしょう?」


ミラーニョは冷たく言ってからファディアントに視線をずらし、優しい声で語りかける。


「あなたは人間として随分と成長したようにお見受けできます。きっともうすぐ病気も治ることでしょう」


道化師に褒められて元国王は何とも言えない顔をしたが、隣でギーギー喚き続けているマーリンを睨み、


「うるさい!家に帰れこのあばずれ!お前の声を聞いていたら頭がおかしくなる!お前の声を聞くくらいなら死んだ方がマシだ!」


そう言いながら家の中にマーリンを戻そうとするが、マーリンはファディアントの手を押しのけてグチャグチャと何か喚いている。言葉は分かる、しかしあまりに自分に都合のい目茶苦茶なことを言っているから、結果何を言っているのか一つも理解できない。

そんな自分を持ち上げる自慢とファディアントへの悪態と文句の混じった理解できないものをマーリンはグチャグチャグチャグチャと喚き続けている。


…見ててファディアントが可哀想になってきた。


ウチサザイ国だったらあんな女さっさと殺して次の女に乗り換える。だが他の国ではそうもいかないらしい。それなのに女房だって理由で外に追い出さず、こんな頭がおかしくなりそうな文句を言われながらも暴力も振るわず一人働き続けてんだろ?


ファディアント、あんた随分と健気な男じゃねえかよ。


だったらほんの少し、夫婦仲の見直しに手貸してやる。その下品な女がどう出るか分からねえが、これから俺がやる行動であんたもその女との関係をよーく考え直せよ。


腰に差している剣をスラッと引き抜いて歩きにくい雪をつき進んで行くと、ファディアントが顔を上げ、ミラーニョも振り向いてとりあえず俺に道を譲った。


俺はファディアントの首を片手で掴むと家の中に押し入り、そのまま壁に押し付けて剣をファディアントの心臓にスッとつける。


「えっ、えーーー!何やってるのよあなたぁあ!」


突然の行動にマーリンも驚いたようでようやく俺にも理解できる内容で絶叫を上げた。ミラーニョは無言で目を見開き、ファディアントもいきなりのことに声も出ないのか目を見開くだけ。


見たくもないが視線をマーリンに向けた。


「あんたはこの男が気に入らねえんだろ?俺の国だと気に入らねえ奴はすぐさま殺すもんなんだ。だが他の国ではそうもいかねえようだから、あんたの代わりに俺がこの男を殺してやる」


マーリンはパッと口をつぐみ、パッと口を開く。


「それってその人を殺したら私が人妻じゃなくなるから、あなたはそのまま私を連れて逃げるってこと?」


「気色悪いこと言うなよてめえ、殺すぞ」


思わず心の声が出る。ともかく俺は続けた。


「ま、俺がこいつを殺したらこの家の稼ぎ手がいなくなる。そうなりゃてめえは飢え死にするな」


マーリンの顔色が変わる。これはまずい状況か、と考えたようだがすぐにフワッと軽い顔つきになって俺に微笑みかけてきた。


「いいわよ、私あなたの妻になるから」


「しねえよ、本当にぶっ殺すぞてめえ」


腹が立ち剣先をマーリンに向け脅すと、ファディアントが俺の腕を掴む。


「やめろ!マーリンに手を出すな!」


「へえ、(かば)うのか。目の前で他の男に乗り換えようって尻軽を?」


ファディアントは口をつぐんだが、表情を(ゆが)める。


「…私だって、妻が居ながら娼館に何度も足を運んでいた。私がとやかく言える立場じゃない」


何だ、素直に自分のしたことを反省できる奴じゃねえか。


剣先をファディアントに向け直し、


「生きてるより死んだ方がマシなんじゃねえのか?さっきもあいつの声聞くより死んだ方がマシだって言ってたじゃねえか」


そう言いながらわざとらしく剣を上に振り上げると「やめてー!」とマーリンが絶叫して俺の腕に取りすがった。


お、こうなりゃやっぱ旦那を殺すなって言うか?


そう思ったのも束の間、


「そいつが死んだら誰が金を稼いで私を養うってのよ一!」


マーリンは狂ったように俺をビシビシと叩き、出てけ出てけと喚きたて俺を追い出した。外に出た瞬間には鍵とチェーンを慌ててつける音が中から響いてくる。


「…」


しばらく無言だったミラーニョと俺だったが、ミラーニョがかすかに笑いだす。


「あなた、もしかして殺す素振りを見せたらあの女がファディアント様をかばうとでも思っていました?それで夫婦仲を良くして大団円と?」


俺は肩をすくめる。


「いいや、ファディアントが可哀想になったからあの女を見捨てるきっかけを作ってやったのさ」


まぁ大団円になったらなったで別に構わなかったが、結果はあの通り。あの女はファディアントのことは同居の金づるとしか思っていねえ。


「城に戻りましょうか」


ミラーニョが歩き出したから俺もその後ろをついて行きながら聞いた。


「お前本当にあの女を殺すつもりか?」


「そのつもりですが。生きていてもこの国の害にしかなりませんし、男としてファディアント様が可哀想に思えましたしね。

まぁファディアント様もサブリナ様の邪魔になりそうだったらついでに殺そうと現状確認しに来ましたが、随分とお変わりになられましたよ、ファディアント様は。だったら殺すのはマーリンだけで十分、息子は小物だから放っておいても構わないでしょう。これでサブリナ様の政権は安泰、万々歳です」


「…」


つまりただ元雇い主に会いに来たと見せかけて、会話次第ではファディアントも殺すつもりだったと。おー怖い、こいつだけは敵に回したくねえ。


俺は鼻で笑って肩をすくめた。


* * *


「んもう何あの男、私が飢え死にするところだったわ、あんな男馬鹿よ馬鹿、私はあんな男とは釣り合わないほど高貴な生まれなのよ」


道化師と見ず知らずの男が立ち去るのを窓から見ながらマーリンはブチブチと悪態をつき続けている。


ああ…殺されなくて良かった。

それにしても殺されそうになった私をマーリンがかばってくれたと一瞬喜ばしい気持ちになったが、どうやらマーリンは私ではなく私が稼いでくる金が必要で助けたようだ。


そうと分かると心の底から私は何のために外に出て稼いでいるのかとやりきれない感情でいっぱいになる。マーリンはいざという時でも私よりも金をとる、それは今の行動で痛いほどよく分かった。


…ため息をつく。


まさかマーリンがこんな女だったとは。城に居る時はお互い気が向いた時に会う程度で一日中顔を突き合わせ続けることなどなかったから、私はマーリンの表面上の顔しかろくに知っていなかったのだ…。


たまに会うマーリンはいつもニコニコと笑顔で、どれだけ年齢を重ねても子供のような弾ける笑顔にはずむ声がたまらなく可愛いと思っていた。…ただそれはたまに会うからこそ見えていた部分、ずっと傍に居ると嫌な所も強制的に見えてくる。

もしかしたらマーリンも私の前ではこのとんでもない性格を密かに押さえていたのかもしれない、だがこうやって顔を突き合わせ続け、本当の性格を隠しきれなくなったのだろう。


「あらぁ、ディアン。久しぶりに部屋から出てきたの?ひっどい顔、何日顔洗ってないのあんた」


マーリンの言葉に顔を上げると、しゃがみこんで階段の落下防止の柵にすがりつきながらディアンが様子を伺うようにこちらを見ていた。

部屋に引きこもってろくに身だしなみも整えていないその姿をみると本当に王族だった男かと嘆かわしくなる。


「…誰か、来たのですか」


久しぶりにディアンの声を聞いた。ここしばらく誰とも喋っていなかったせいか声が小さい。するとマーリンが、


「あの道化師がきたわよ。けど連れの男がとんでもない男でね、お金を稼ぐファディアントを殺そうとしたのよぉ。奥さんになってあげようとしたけどあんなすぐに剣を振り回す男なんて駄目よ、駄目。ただのバカよ」


「道化師…戦争が起きる前に逃げた?」


「ああ」


頷きながら答えると、ディアンは期待を込めた顔で柵にすがりつく。


「もしかしてその道化師を通じてサブマシンガンが城に戻ってこいと言っていたのでは!?」


「お前の妹の名前はサブマシンガンじゃない、サブリナだ」


…だがそう言われてみればあの道化師は何のためにここに来たんだ?マーリンを殺してやろうかと道化ている時にマーリンがやってきて剣を突きつけられたから、何の目的で訪れたのか全く分からないが。


「だがそんな話は一切していなかったからきっと違う。それに城に戻るという話は体を動かし働き、病気を治してからだ。それは何度も言っているだろう?」


期待から絶望の色に染まったディアンは崩れ落ちうずくまると、ウックッと嗚咽(おえつ)をあげ膝を抱えて泣き始めた。


ああもううんざりだ。


ディアンは暇さえあれば悲劇の主人公とばかりに泣いている。そしてマーリンはこうなったのは全て旦那のせい、その妻の高貴な王妃である私は旦那の悪事に巻き込まれて何て可哀想とアピールしながら私に向かって悪態ついてたまに暴力もふるってくる。


今になっても二人は嘆き文句をいうだけで外で働きもしなければ家の中のことも何もせず、金を稼ぐのも家の中の家事も全て私がやっている。

正直二人を見捨ててしまえば楽になるのではと思う。それでもそう思う度にサブリナからの『父として、お母様とお兄様のことをよろしくお願いします』との言葉と…どこでどう過ごしていたのか、数ヶ月前に偶然であったフロウディアの、


『あなたはマーリンからもディアンからも夫として父親として信頼されてないし、言うことを聞くほど尊敬されていないのよ』


という言葉を思い出し、耐えて心を奮い立たせてきた。

あのフロウディアの言葉で私は二人に信頼され尊敬される良き夫、良き父になろうと決め、国民たちからの嘲笑や罵倒、時には暴力にも耐えてずっと努めてきた。もはや国王としてのプライドなんてもうない、ただ三人で死なぬためだけにこの身を費やした。


…だがさっきのマーリンの私より金をとった言動で、私の努力など無駄ものなのではという虚無感に襲われ続けている。


だってそうじゃないか、努力しようが何の見返りもない、感謝されるどころか返ってくるのは文句と愚痴と泣き言に暴力。慣れない料理も私しかしないのに二人は不味いとけなすばかりで一度も作ろうともしない。


…マーリンを殺してやろうかという道化師の言葉に冗談でも乗っかって「じゃあ頼む、ハハハ」とでも笑い合っていれば少しは気が紛れてスッキリできただろうか、思えばあんなまともな会話を人と交わしたのはいつぶりだろう…。


やりきれず、ヘッ、と投げやりな声を出すと、ディアンが顔を上げた。


「何笑ってんだ!お父様が、お父様がそんなのだから俺たちはこうなったんじゃないか!」


「そうよそうよ!ぜーんぶあなたの責任よ!」


「…はぁ!?」


突然ディアンが怒り出し、これぞ好機とばかりに同調して文句を言い始めるマーリンに私もイラッとした声を返すとディアンもイラッとしたらしい。

ディアンはドドドと階段を駆け下りて台所にある包丁をガッと掴んだ。


「お父様が!お父様がまともな政治を行ってたらこんなことにはならなかったんだああああああ!」


ディアンが包丁を振りかぶったのをみて、マーリンは目を見開き絶叫しながら逃げる。

しかしディアンが狙っているのは私だ、思わず私も逃げ、テーブルの上に放置されていた食事用のナイフを思わず引っつかみディアンに向き直る。


だが包丁相手にこんなか細いナイフでは太刀打ちなど…!死ぬ…!殺される…!


『相手をよく見なさい!さあもう一度です!』


刃物を振りかぶるディアンを前にして頭の中に懐かしい声が蘇った。


お母様の声だ。嫌がり泣く私に剣を持たせ、兵士相手に稽古をしろと何度も立ち向かわせたお母様の声…。


お母様の声を思い出したら途端に冷静になり、兵士相手に稽古した昔の思い出と共に体が勝手に動く。


ナイフを前に突き出し自分の身はナイフの影になるように半身に立つ。ディアンが包丁を私に向かって振り下ろすが、振り下ろした場所がわずかに遠い。剣と同じリーチの感覚で振り下ろしでもしたか。

一歩踏むこむ、包丁の刃の側面にナイフを当ててグリンと下に押し込む、包丁を持つディアンの手を私の左手と体で抑え込み、右肘を後ろに引く動きのままディアンの首にナイフをピタリとつきつけ止める。


「…え」


あっさり私に包丁受け流され、首にナイフを突きつけられたディアンはポカンとした声を漏らす。しかしすぐさま私から距離をとり呪文を呟きはじめた。


「生命の我が命、我が祈りに応えよ!」


ディアンの体が鈍く光りだす。その出だしから察するに炎の柱か、それなら水の魔法の詠唱を!


対抗するように私も詠唱しようとしたが…。続くディアンの詠唱を聞いて私は口を閉じた。


「えっと…我が主…?し、しもべ?しもべだっけ…しもべの?あれ、主の?よりどころの…えっと、おんみの力の…えっと…えっと…」


…その魔法の正しい詠唱は『生命の我が命、我が祈りに応えよ。御身のしもべなる我に炎のよりどころとして力あふれんことを』だ。


まさかディアン、お前…。


「そんな短い詠唱すら覚えていないのか…?この魔導士の多い国の跡取りだったお前が…!?」


私だって魔法詠唱のほとんどはそらんじて言える。いや、正確にはお母様に頭を押さえつけられながら覚えさせられた。


するとプライドを傷つけられたとばかりにディアンは顔を真っ赤にし目を吊り上げ、うわあああと叫びながらまた包丁を振り上げ向かってきた。


「お父様が、お父様が死ねばいいんだぁああ!誰が俺をこんなことにしたああああ!」


ブチッと私の中で何かがキレた。


隙だらけのディアンの腕を外側から殴り包丁を落とさせ、ディアンの腹を間近から容赦なく蹴り飛ばす。ディアンは「オゲエ」と吹っ飛んでテーブルと椅子にぶつかり腹を押さえうずくまった。


「黙れ!」


窓が震えるほどの私の怒声にディアンは腹を押さえながらビクッと体を起こす。


「貴様なんぞ私が居なかったらほんの数週間で飢え死にしてるんだぞ!誰が飯代を稼いで飯を作ってると思ってるんだ!私だ!私はお前の小間使いか!?ああ!?」


ディアンは言葉を無くしているようで青い顔でブルブルと震えている。私はドア開け、一応家族分買いそろえたコートを外に向かって放り投げ、ディアンも引っつかんで外に放り投げる。


「金を稼いでパンの一つでも買って来い!それまで家に入れん!」


「そうよそうよ!パンなんてもう一つもないんだからパンを買ってきなさいよ!」


後ろで私に同調し喚くマーリンをギロッと睨んで、ディアンと同じように外に放りだした。


「お前もだマーリン!ディアンと一緒に金を稼いでパンを買って来い!」


マーリン用のコートも外に放り投げ、すぐさまバンッと扉と共に鍵を閉める。


「ちょっと何の冗談よ、入れてよー!」


「パンを一つでも買って来たら入れてやる!無いなら入れん!絶対にだ!」


「ちょ、何、嘘、冗談でしょ、私が!?王妃になるべくして育った私にお金を稼いで買い物するだなんてみっともないことしろっていうわけ!?嘘よ、嘘よね、ちょっとファディアント、ねえー!ね~え~入れて~ん」


ああマーリンの猫なで声が煩わしい…!


耳を押さえ二階にあがり自分の部屋に入り、ベッドに座って深々とため息をついた。…いくら逃げようがマーリンの金切り声はここにも聞こえてくるがな…!ああ本当に頭がどうにかしそうだ…!


すると視線を感じて顔を上げた。


この家は隣の家との距離がやたらと近く、この部屋の窓のすぐ向こうに隣の家の窓がある。私の部屋から見える隣の家の部屋ではいつも老けた女が針仕事をしていた。


その老けた女が針を動かしながらこちらを見ている。いつもはお互い部屋に居ると分かっていても知らないふりをしているのだが、目が合ったら女は立ち上がって窓を開け、私に鍵を開けてとばかりの動作をする。


…こんな時だから気乗りはしない。だが人とのコミュニケーションがあまりに少ないからノロノロと立ち上がって窓を開けた。


「いつもよりすごい喧嘩でしたね」


「…」


初めて交わす言葉がそれか。


ムッとして睨みつけたが、女は自分の手元を見て針を動かしていて私を見ていない。


声をかけておいてなんだその失礼な態度はと思ったが「まあな」と簡単に返してうつむく姿勢で手を動かし続ける女の顔を見下ろす。

…随分と白髪の多い頭だから老けた女と思ったが、近くで見ると思ったより肌艶がいい。見た目より若い女なのかもしれない。目の下のクマがすごいが。


すると女はかすかにこちらを見て窓の脇に手を伸ばすと、赤い何かを手に取って私に押し付けるように渡してきた。流れのままそれを受け取る。…赤くて丸い…りんご?


「それあげます、食べてください」


「…なぜ」


礼を言うべきだが、今までお互い見て見ぬふりしてきたのに何でいきなりりんごを…と思っていると女は私と目を合わせた。


「いつも頑張ってるからです」


その言葉に目を見開く。


「この家の皆さんもあなたには直接言いませんけど褒めてますよ。引きこもりの息子と文句ばかりで家のことすら何にもやらない女房抱えて文句も言わず、国民に馬鹿にされても一人耐えて仕事してるんだから偉いもんじゃないかって」


「…そうか?私はよくやっているのか?」


身を乗り出し聞くと、女は手を動かしながら「そうですね」と平坦な声で返し、手元に視線を戻す。


「私の旦那もあなたほど働きはしなかったですよ、特に家の中は妻の仕事って何にもやりませんでしたし。だから国王だったのに料理に掃除してるだけですごいと思います」


旦那がいたのか。…だがこの女の旦那の姿は一度も見たことがないな。


「旦那は別の部屋にいるのか?仲が悪いのか?」


「四年前の戦争で死にましたよ」


「…」


「子供も二歳だったんですけどね。戦争後に栄養不足で死にました。私はこの家の一室を借りて住んでるんです。ようは借り暮らしですよ。唯一得意なのが縫い物なので針仕事してますけどこれ稼ぎが少ないんですよ。だから延々と針仕事です」


これは…お前のせいでこうなったと責められているのか?


すると女は顔をふと上げて、


「…あ、いえ別に責めてませんよ。もう気持ちに整理はついてるんで」


それを聞いてほんの少しホッとしたが、それでも女が心の中で思っているであろうことを自分から先に言う。


「だが私がもっとまともな政治を行っていたらと思っているだろう」


「ええまあ、それはそうですよね」


あっさりと肯定されてグッと言葉に詰まると、女は歯で糸をブツッと切ってから顔を上げた。


「でも家族のために一生懸命なあなたの姿をみたら段々と気持ちに整理がついてきたんです。最初は国王が部屋から見えるからウワァ…って気持ちでしたけど。

でも苦労したこともない人が手探りで一生懸命やってる姿を見たらそんな気持ちも無くなりましたね、この人本当に何にもできないんだなとか、それでも王妃は何にもやらないんだなとか…何だ普通に人間だって思えて」


そんな会話をしている最中でもマーリンの金切り声、お父様お父様と泣き叫ぶディアンの声、そして扉を激しく叩く音が通り中に響き渡っている。


イライラして玄関の方向を睨みつけていると女がジッと見ているのに気づき、居心地が悪くなって視線を逸らし渋い顔でぼやいた。


「マーリンやディアンが可哀想とでも言いたいんだろう、どうせ私は悪い夫で父親だ」


女は新しい服を持ってきて作業に取りかかった。


「いいんじゃないですか」


「…えっ」


「鞭を惜しんだら子供がダメになるって昔からの言葉があるじゃないですか。本当に鞭を使っての教育なんて今時ないですけど、よっぽどあなたも王妃様も王子様も鞭を惜しまれて育ったんでしょうね。

それにあなたはパンを一個買って来たら家に入れると条件も出してたじゃないですか。パン一個だったら二人で瓦礫を川に持っていけば昼前に戻ってこれますよ。…今すぐ出発すればの話ですけど」


女の止まらない手を眺め、ふぅとため息をついて手の内のりんごを見る。


「…話をありがとう、それとりんごも」


女も軽くこちらに目を向けて会釈をしてから窓を閉めて元の位置へと戻っていった。

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