ねえ幸せ?
隣のおばさんからいただいたお茶とお菓子を大体胃の中に入れ終わるころ、ケッリルはやって来た。
ケッリルは隣のおばさんに深々と頭を下げて心からの感謝の言葉を伝えると、おばさんはいいのいいのと笑いながら、
「でもケッリル、あんた前よりいい男になって戻って来たね!やだよもう!」
と頬を染めつつバッシ、と体を叩いていた。ケッリルも軽く笑いながら…キョロキョロと家の中を見渡している。
きっとビルファを探しているんだわ。
でも今ビルファはシビルハンスキーにまたがって村のあちこち走り回っているのよね。
私はケッリルの隣をすり抜け外に出て、ザシュザシュとシビルハンスキーが雪の上を走り回る音が聞こえる方向に向かって叫ぶ。
「ビルファー!ケッリルよ!」
するとシビルハンスキーが向こうの家の影からザンッと飛び出してきて、そのひとっ飛びで私の近くに着地する。
「お父さん!?どこどこ!?」
ビルファは高い所から辺りを見渡し、入口に出てきたケッリをパッと見る。
「ビルファ…」
父と息子の十年越しの対面…。その様子を見守っていると、シビルハンスキーの上からケッリルの姿を捉えたビルファはるパッと顔を輝かせて、
「お父さん!」
と言いながらピョーンとケッリルに向かって飛び降る。ケッリルはギョッとした顔をして慌てて受け止め、そのまま視線を合わせる。
「ビルファ…ビルファだね?」
ビルファは感動でいっぱいの顔でケッリルを見て、
「そうだよお父さん」
とギュウギュウとしがみついて離れない。そうなるとケッリルも愛しさが湧くようで微笑みながらビルファを抱きしめ、嬉しそうに抱き上げられたままビルファは聞いた。
「ところでお母さんに会ってきたんでしょ?お母さんはどうだった?」
すると喜ばしい顔をしていたケッリルは難しい顔つきになる。
「医者とも話してきたがまだ退院はできそうにないみたいだ。それでも私たちが訪れたらあまり喋らなかったヤリャナが流暢に話したから、…良くなる兆候だと思おうと…」
言葉自体は希望が持てそうなものだけれど、ケッリルの口調と表情は難しい顔つきのままで…ビルファをジッと見つめて少し悲しげにその前髪を撫でる。
「ビルファはヤリャナ…お母さんが戻ってきて一緒に過ごすとしたら、嬉しいかな…?」
伺うようにケッリルが聞く。自分が去ってから暴力を振るわれたビルファを気づかうように、それでも今の質問で顔をしかめられたら心が折れてしまいそうな、どこか脅えた表情で。
「大丈夫だよ」
ビルファはケッリルの頬を両手でパシッと挟んでニコ、と笑って見返す。
「お父さんが帰ってきたんだからお母さんの寂しかった心の隙間も埋まる。そうすればお母さんの愛も僕が生まれる前と同じくらいに戻って落ち着くはずさ。そうなったら僕との関係もまた最初から始めればいい。だからお父さん、そんなに心配そうな顔をしないで」
「…」
ケッリルは予想以上に明るく前向きなことを言うビルファを呆気にとられた顔で見ていたけれど、それでも微笑みながらビルファをまた抱きしめて頭を撫でる。
「もっと撫でて。僕は今までお父さんに甘えたくても甘えられなかったんだよ」
「…うん、そうだね」
ケッリルはビルファを抱きかかえたまま大いに可愛がっている。その様子を見て隣の家のおばさんも目を細めながら眺めていて、「さて!」と自分の体を叩いてミレルたちの家に目を向ける。
「自分たちの家に行くかい?たまにうちの人たちとビルファと一緒にあんたたちの家を掃除してたからすぐに家に入っても大丈夫だよ。食べ物が無いなら後で作って分けてあげるからさ」
隣の家のおばさんの言葉にケッリルは、
「本当に…あなた方には礼をいくら言っても足りない。うちの皆がどれだけ助けられてきたか…」
と感動に満ちた目をジッと向けるとおばさんは照れた顔をしながらもシュッと視線を外し、
「いいのいいの、そのいい顔が見れるだけで眼福なんだから」
と手を振っていた。
そうして全員でファーレーナ家にお邪魔する。家の外はどこか寂しそうな外観だったけど、中に入ると確かに掃除は行き届いていてこのまま普通に暮らせそうなぐらい整っている。
「…よかった、前に幻覚で見た時みたいな感じじゃなくて」
家の中を見渡したミレルはホッとしたように呟いた。
前に妖精と精霊にかけられた幻覚で、ミレルは生活感もない暖炉の脇で土埃まみれの家をたった一人で立って眺めていたって言っていたものね。
ミレルが何より怖かったのは家族が誰もいなくなること。でもそんなことに脅えることももうない。
「お母さん、早く退院できるといいわね」
声をかけるとミレルも嬉しそうに笑いながら、うん、と頷いて、
「いままでずっとお金稼いで仕送りしなきゃって働きっぱなしで全然顔も見せてなかったからさ、ここにいる間は毎日顔を見せに行くつもり」
その言葉でビルファを抱っこしたままのケッリルが申し訳なさそうに隣に並んでミレルの頭を撫でる。
「…ミレルにも苦労をかけたね。これからは私も以前のように働くから、そんなに根を詰めなくてもいいよ」
「そういえばケッリルさんはここを発つまでどのような仕事をなさっていたのですか?」
ガウリスの質問にケッリルは、
「公安局の裏方で書類の整理などをしていたよ。とりあえず休職届は出したが…十年も音沙汰なしじゃさすがに無効になってるだろうね…」
「公安局員だったのですか」
「へー、結構なエリートじゃん」
ガウリスとアレンが意外だという声を出すけど、それでもケッリルは首を横に振る。
「数十人居る書類管理者のうちの一人だよ」
それを聞いてミレルが横からヌッと会話に乱入した。
「本当はお父さん、足が治ってから元冒険者だって理由で公安局の犯罪者を取り締まる部署で兵士と同じくらいの立場で働いてたんだけどね、『私を捕まえて取り調べして』ってわざと罪を犯す女の人がすげー増えたから裏方に回されたんだって近所の人が言ってた」
「ミレル、噂話を真に受けるんじゃない」
噂話…?違うわよね、絶対それが真相でしょ。
するとアレンは口をとがらせ心からの声でぼやくように言う。
「でももったいねー、ケッリルぐらい強い人が現場じゃなくてデスクワークやってるなんてさぁ」
「それでも恐らくクビになってるはずだ、だとすればまずは仕事探しか…」
ケッリルは思いつめたようにため息をついて、…その表情とため息の色っぽさに視線が逸らせないままポーと見とれる…。
「どしたのエリリン」
ミレルに声をかけられて思わず飛び上がって「な、何でもない!」と返して首をブンブン振る。私はミレルの前でケッリルにドキッとしてない!何か色っぽいとも思ってない!思ってないんだから…!
私がケッリルの魅力に抗う中、ビルファは面白くなさそうにケッリルを揺らす。
「なんだったらしばらく仕事なんてしないで僕と一緒に居て欲しいなぁ」
そう言われるとケッリルもデレ、と嬉しそうに微笑んだけれど首を横に振る。
「ミレルにばかり負担をかけるわけにはいかないんだよ」
「モデル業楽しいから別に負担でもなんでもねぇけど」
ケッリルは微笑みながらミレルを見る。
「それなら私はもっとミレルが楽しみながら仕事ができるように安心させたいんだよ」
ミレルはそれを聞くと嬉しそうな顔になってビルファごとケッリルにしがみついた。
「…少々私はその辺を歩いてきますね」
サードがそんな様子を一瞥するようにして外に出ていく。そんな急に外に出て行くサードが少し気になって、私も外に出た。
「サード」
家から出たのはほんのわずかな差のはずなのに、もうサードはミレルの家から遠くにいる。私は振り向いて立ち止まるサードの元に歩きつつ、何て声をかけようかと少し悩んで、
「大丈夫?」
と声をかける。
「大丈夫かって、何が」
周りに人が居ないからサードは裏の顔。
「なんかこう…色々と」
何となくだけど、ミレルたち家族が仲良さそうにしているのが見ていられないって感じで出て行ったような気がしたから…。それに今までもミレルにビルファがヤリャナのことを好きって言うのを見て毒ついたり呆れたような顔をしていたし、何か心がザワザワして落ち着かないのかなって…。
でもそんなことを言うとあからさまに機嫌が悪くなるだろうから言わない。それでもサードが少し心配で…。
言葉にできないから無言でサードを見つめる。サードも黙って私を見返す。
何となくだけど、私の表情を伺って今私が何を考えているか探ろうとしているわね?でも今は探られたくない。
視線を背けると、サードは鼻で笑った。
「幸せそうな仲良し家族を見て俺が憎らしい気分になってるとでも考えたか?」
「…」
「羨ましいさ」
その言葉に背けた視線をサードに合わせる。するとニヤニヤと人を馬鹿にする笑いを浮かべるサードが視界に入った。
「俺がそう言えばお前は満足か?幸せな家庭が羨ましい、俺だって幸せでいっぱいな家族の元に生まれたかった、ああ悔しい妬ましいって歯ぎしりすれば満足かよ?」
「そんなこと言ってないでしょ」
慌ててそう言うとサードは軽い笑いを収めて視線を逸らして遠くを見る。
「どうやりゃあ、自分に暴力振るって殺そうとした母親をあそこまで好きになれるもんなんだろうな」
それには次の言葉が継げずに黙り込んだ。サードは私の言葉は待たず、
「愛の神の血が混じってるせいなのか、元々の性格なのか…。普通じゃまず考えられねえだろ」
「…私はお父様やお母様たちから暴力は振るわれてないから、何とも言えないけど…」
正直ミレルとビルファが受けてきた辛さ、そしてその過去を含めたうえでヤリャナが好きという感情は私にだって完全に理解できない。だって家族に暴力を振るわれる経験なんてしたことないから。
フェニー教会孤児院で長年子供たちと接してきたシスターも言っていたわ。自分はここに来る子供たちの半分も苦労はしていないのだから完璧に理解することはできないって。
だからサードの気持ちだって完全に理解できない。辛かっただろうと心から思っているけれど、完璧には理解し合えない。
…もしかしてだけど…サードは本当に羨ましいの?
辛い過去があっても家族が好きとあっさり言えるミレルやビルファが、そんな家族を愛情の目で優しく見守るケッリルという一家を支える父親の存在が…。
「上には上がいる」
サードの言葉にうつむいていた顔を上げる。
「下を見れば下がいる。どこまでも幸せになりてえって上を見ればキリがねえ、かといって下を見続けて自分の方が幸せだって満足してりゃそれまでだ」
サードは鼻で笑いながら背を向きかける。
「だからいちいちそんな変な気ぃ回すな面倒くせえ。何だかんだで俺は今の状態が十分に満足で幸せなんだよ」
今が十分に満足で…幸せ?
その言葉を頭の中で繰り返して理解すると、心がホワッと暖かくなってギュッと締め付けられるようで…思わずボロッと涙がこぼれる。
すると立ち去りかけてたサードがギョッとして足を止めた。
「な、何だよどうした…」
「だって、だって…!」
ボロボロと零れる涙を拭いながらしゃくりあげる。
「いっつも世の中に面白いものが無いみたいなつまんなそうな顔してるサードが、十分に満足してて幸せって言ったのが嬉しくて…良かったって思って…!」
泣き続ける私をサードは心から呆れたような顔をして見ている。
「お前、そんな下らねえことでよく泣けるな…」
「下らなくない!」
強く言い返し、涙を拭ってサードを見る。
「だってサードだって子供のころに怖い思いや嫌な思いをしてきたじゃない、きっと傷ついてるはずよ、それでもサードってそういうの普段見せないから…だから今が幸せって言葉が聞けて嬉しいの、そういうものじゃないの」
「…」
サードはどこか気まずそうな顔で私を見ていたけど、フイ、と視線を逸らして、
「それを言うならお前だって本当に冒険者やってて幸せなのか?元々は苦労知らずのいいとこのお嬢様なのにハミルトンの野郎にも襲われそうになって…。素直にエルボ国に残ったほうが良かったんじゃねえの」
そりゃあディーナ家に居たらそんな目には遭わなかった。
それでもサムラやイクスタとの出会いもあった、レンナやリヴェルなどの精霊、ジェノやミラーニョ、…ジルという魔族、ヤーラーナやオーディウムなどの神様…そんな存在にもたくさん出会えた。
確かにウチサザイ国関係では辛いことは多かった。それでも…。
「辛いことがあっても、皆との楽しい思い出で塗り替えられていくもの。…私だって今が幸せよ、サードたちと一緒に冒険ができてとっても楽しいし幸せなの。サードもそれと同じような感覚なんじゃないの?」
そんな私をサードは真顔で見返してくる。何か毒つきそうな気配を感じて警戒したけど、サードの顔からふっと力の抜けて、裏とも表とも取れない、どこか優しさを感じる微笑みを私に向けた。
「そうかよ」
普段見ないような素の表情の微笑みと言葉に思わず胸が詰まって口ごもると、サードは真面目な顔になって私に向き直った。
「…ハミルトンに襲われそうになって泣きわめいてるお前見て、やっぱエルボ国に置いてくるべきだったかって心のどっかでずっと思ってた。でもまあ…お前がそう思ってんなら別にいい、安心した」
「…」
何それ。今までサードは私にそんな後ろめたい気持ちを持って頭を悩ませていたの?そんなの気にしなくていいのに。
少し驚いたけれど、そんな風に心配してくれていたんだと思ったら心がホワッと暖まった。
「そうやってサードに心配されるの嬉しい。大事に思われてる気がする」
ホワホワしながら思ったことをそのまま伝えると、サードは声を詰まらせて私を睨んだ。
「あ?誰もてめえの心配なんかしてねえよ」
サードはそう言うと背を向けてズカズカと歩き出した。
「え?安心したって今言ってたじゃないの、心配してたんでしょ?」
「るっせー、ブス!」
サードはそう怒鳴ると足音も荒く雪を蹴散らし去って行った。
「…」
ホワッとした人の気持ちをすぐに落としていくそのやり方、やめてもらえないかしら…。まあ、性格的に人の事を心配してたって思われたくないんでしょうけど…。
「…面倒臭い奴ぅ」
嬉しいって言われたらアレンみたいに「だろ?」と少し照れながらも誇らしげに笑うとか、ガウリスみたいに「私も嬉しいですよ」って微笑めばそれで済む話なのに。
…でもサードはそんなガラじゃないか。
今更ですが、公安局は警察署と裁判所と市役所と郵便局のミックスみたいなもんです。今更。




