ケッリルがキレた
どんどんと薄くなっていくサタラナゴート。どうしよう、今逃げられたらもう二度と捕まらないかもしれない…。
それでも何だか…あれ?今にも透明になって消えそうだった姿がクッキリとしてきたような。
サタラナゴートは未だに「バーカバーカ」とはやし立てているけれど、黙って見つめている私を見て段々と我に返ったように声が小さくなって口をつぐんで、キョトキョトと目を横に動かしている。
そして焦ったように転移の呪文らしきものを唱えているみたいだけれど、それでもさっきみたいに姿が薄くもなったりしない。
「え?あ?あえ?え?」
慌てるサタラナゴートにサードはうっすらと裏の顔を交えた表情で一歩近づいた。
「うちには聖魔術を使える者がいましてねえ。その者はあなたのような魔の者の使う魔法を止める呪文を覚えているんですよ。まあその呪文はかける敵が聖魔術士より格下であることが前提ですが」
聖魔術…それって、ガウリス?そういえばガウリスってイクスタが経営するホテルにいた聖魔術士から聖魔術をあれこれ教わっていたとか言っていたわよね。
私の知らない所でひっそり聖魔術士の資格(?)を手に入れていたから、そんな力があるってことすっかり忘れてた。…むしろ子供になったサードはガウリスは聖魔術士の力があるっていつ聞いたの…?
振り返ると確かにガウリスがブツブツと何かしらの呪文を唱えている。
それもガウリスの呪文が効いているってことはサタラナゴートはガウリスよりも格下。それに私の魔法でもサタラナゴートの魔法は抑えられる。
…つまり、サタラナゴートはもう詰んでる。
サタラナゴートも私と同じ考えに至ったみたいで一気に表情を強ばらせて、見る見るうちに青ざめてブルブルと震え出すとそのままその場に膝をつき、ふええ…と泣き出した。
「ご、ごごごごごめんなさい…!きっと僕が悪いことしたからこんなことされてるんでしょ?そうなんでしょ?
ごめんなさい、ごめんなさい、でもね僕だって人間を襲うのは悪いことだって知ってるよ?でも人間と暮らしたくても僕は魔族寄りのモンスターだし皆に怖がられちゃうからどうしても一緒に暮らせなくて…!
仲良くしたいのに仲良くできないからイライラして、それでつい悪いことしちゃったんだよ、ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい…!」
メソメソ泣いてその場に突っ伏して頭を下げ続けながら、サタラナゴートは嗚咽交じりにごめんなさいと繰り返して謝り続けている。
それな姿を見たミレルは眉を下げて、クイクイとケッリルの服を引っ張った。
「そいつ可哀想だよ、もう許してあげよう?ね?ね?」
ケッリルだけじゃなくてアレンと私の傍にもやってきたミレルはクイクイと服を引っ張って同意を得ようとするけれど…。でもこれはどう考えても同情を引いて許してもらおうとしているだけよ、私たちが立ち去ったら今までと同じことを繰り返すわ。
まず魔術を素直に解除するのなら見逃してもいい。それでもサタラナゴートのポンポン平気で嘘をつく様子を見る限り、魔法を解除したって嘘をついてそのまま逃げられる可能性も十分にある。
しかも顔も覚えられて命を狙われてると分かったんだから、今逃げられたら今回みたいに簡単に見つかるかどうかなんて分からない。
だとするとどうしても魔術を解除するまで脅して追い詰める、という方法になってしまう。それがサードみたいな言葉によるものか、力ずくになるかは分からないけど…。
チラとミレルを見下ろすと、助けてあげてお願い、と訴える目で私を見上げている。
…こんなに純粋に助けてあげてと願っている子供の目の前で寄ってたかって武器を持って責め立てる姿なんて見せられない。
「ケッリル…」
ケッリルにミレルを遠くに連れて行ってもらおうと後ろに顔を向ける。でも視線の先にはケッリルが居なかった。
…あら?
「ぎゃあああ!」
サタラナゴートの悲鳴が聞こえて驚いて振り返ると、ケッリルはいつの間に移動していたのか、サタラナゴートの腕をひねり上げて背中に足を乗せて動けない状態にしている。
「お父さんやめて!可哀想だよ!」
ミレルがそう言いながら駆け寄るのをケッリルが目で来るんじゃない、と止める。サタラナゴートは腕をひねり上げられて雪に頬を押しつけられ泣きべそをかきながら、
「お嬢ちゃん助けて、僕何かした?君たちに何かした?何もしてないでしょ?僕何もしてないのにこんなに切られたり踏みつけられたりしてるんだよ?ねえ助けて、お願いだよ助けて、助けてよ…!」
ってミレルに声をかける。
「お父さん…!」
「こいつの言葉を聞くんじゃない!」
ケッリルの軽い叱責にミレルはビクと体を揺らしたけど、それでもすぐに許せないという顔でケッリルを睨みつける。
「何で!?謝ってるし反省してんじゃん!」
すると見かねたアレンがミレルの肩を抱えながら言い含めるように声をかけ始めた。
「あのなミレル、あのモンスターはそうやって逃げようとしてるんだって。逃げられたらミレルも大人に戻れないんだぜ、な、だからちょっとあっち行こう?なるべく話し合いでどうにかするから」
そのままアレンはミレルを遠くに連れて行こうとするけれど、ミレルは皆どうして許してあげないの?酷いよ、と悲しそうな目で見てくる…。
あああ、心が痛い…。
ミレルの目が直視できなくて思わず目を逸らす。その視線の先に居たサタラナゴートは、扱いやすそうなミレルが連れて行かれるのを見て悪態をつきそうな顔で睨みつけるように歯ぎしりしている。
でもすぐさまウッウッと嗚咽しながら哀れさにじむ表情になって、
「お嬢ちゃん助けて、僕を助けられるのは君しかいないよ、ここにいる皆の顔をみて!話し合いなんかする顔じゃない、殺すつもりだよ、僕は君がいなくなったら殺されてしまうんだよ!お願い行かないで、死にたくない、死にたくないよお!オブオッ」
サードが悲痛な声をあげるサタラナゴートの顔を蹴り飛ばして黙らせた。でも死にたくないと声をかけられて振り返ったミレルはその瞬間をバッチリ見てしまった。
ミレルの顔つきが変わる。自分が動かなければ哀れなモンスターが殺されてしまうっていう表情に…。
サタラナゴートはかすかにニヤッと目尻だけ笑うと、
「ほら見て、こんなに僕虐待されてるんだよ、僕殺されるよお!助けたかったらそこの聖魔術士の呪文を止めてえ!」
まるで洗脳されたかのようにミレルはバッとアレンの手を振り切って全力でガウリスに向かってタックルしながら、
「お願いガウチョ、あいつ助けてあげて!」
って涙目で訴える。
泣くミレルの姿にガウリスの呪文が一瞬淀んだ。
と、サタラナゴートの口元がしめたとばかりにニヤッと大きく裂け、瞳孔がギュルッと横に伸び、グオッと起き上がった。
起き上がった時には頭にツノが生えて顔は山羊そのものになり、体は盛り上がった筋肉に包まれ巨大化する。一気に巨大化したサタラナゴートを見上げた私は尻もちをつきそうになるほど大きくのけぞった。
攻撃を、と思う間もなくサタラナゴートの手と腕が私たちの頭上をグオッと通過して、ミレルをガッと掴みあげるとその場に立ち上がった。
「ミレル!」
ケッリルの絶叫が響き渡る。
でも巨大な手で掴み上げられたミレルからは叫び声が聞こえないし、わずかに見える手足からは力が抜けていてもがきもしない。まさか、力任せに掴まれて、…死…?
嫌な考えで体中の血の気がサッと引いて、雪の上に膝をつく。
それでも、それでもミレルをサタラナゴートの手の内から助けなきゃ…!
腕を伸ばすと即座に、
「動くな!」
とサタラナゴートはグフ、グフ、と鼻息を荒くしながら私たちを見渡した。
「動いたらお前らを殺すよ、いや、この子を食べるよ、ミレルちゃんだって?このミレルちゃんを奥歯でゴリゴリとすり潰して食べるよ、少しでも動いたら食べちゃうよ」
よだれを垂らし白い息を吐きながらサタラナゴートはミレルの体を前歯で軽くくわえる程度に噛み噛みしてから手に持ち直すと、一人一人の顔を上から見下ろして、
「その場からちょっとでも動いたら食べるからね?本当に食べるからね?頭からゴリゴリ食べるからね?」
ってしつこく念を押しながら下がっていく…。…でも私、微動だにしなくても魔法は使えるのよね。
だったら致命傷レベルの攻撃を一気に与えたら…。そう考えているとサードはその場で叫んだ。
「ノタイ、テラナータ!」
サードが叫んだ瞬間、巨体のサタラナゴートの後ろからフッと黒い影が二つ現れ、サタラナゴートに覆いかぶさるようにぶつかった。そしてその太い首筋にガッと鋭い歯を食い込ませる…。
「ギャアアアア!」
サタラナゴートは絶叫して手の力を緩めてミレルを落っことし、ケッリルが素早く走り寄ってミレルをキャッチした。
その二つの大きい影は…さっきサードが追い払ったパフェとプリン?どうしてサタラナゴートの後ろに?
驚いている間にもパフェとプリンは唸り声をあげ、鼻にしわを寄せ、あらん限りの力で噛みついている。
サタラナゴートは泣き叫びながら大きく腕や上半身を振りまわして二匹を引き離そうとしているけれど、一匹は首元に噛みつき、もう一匹は脇腹に噛みついていて全く離さなくて、メキメキと肉が潰れて骨がきしむ音がここまで聞こえてくる。
「あ"あ"あ"あ"あ"~…!いだいよー…!やめてぇ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、僕が悪かったよぉお…!」
サタラナゴートはヒンヒン泣きながらシュルシュルと体が縮んでいく。
「ヴォーイ、ノス」
サードが声をかけると二匹はまだ唸りながらもサタラナゴートを離して、何かあればまた襲うぞとばかりに牙をむき出し背後から睨み降ろして座っている。
「ミレルは…!」
ケッリルに声をかけると、泣きそうな顔のケッリルがミレルを抱え振り返る。ミレルはケッリルの影になっていて足しか見えないけど…まさか、本当に…!?
気が遠くなりそうになると、ガウリスは即座に二人に駆け寄ってしゃがむと、ミレルの体をあちこち確認する。
「…大丈夫です、脈もありますし骨が折れているような場所も出血もありません。気絶しているようです」
その言葉に心からホッとして涙がちょっとあふれ出た。
そしてその安堵はサタラナゴートへの怒りに即座に変わる。
ギッとサタラナゴートを睨むけれど、その前にケッリルがザッと立ち上がってサタラナゴートの元に静かに歩み寄った。
「な、何…」
と言っている途中でサタラナゴートの顔がのけ反って、鼻から血が噴き出す。
何が起きたのと目を見張ると、ケッリルの足がわずかに後ろに動いている。…もしかして今、ケッリルの蹴りがサタラナゴートの鼻に入ったの?全然見えなかったけど…。
「うん"んん"ん…!」
サタラナゴートは血の出続けている鼻を両手で押さえてその場を転がりのたうち回るけど、ケッリルはその体の上にそっと足を乗せる。
「動いたら殺す」
ケッリルの冷たく重い一言でサタラナゴートの動きが止まった。
「君もさっきそう言ったね?指先一つでも動かしてごらん、このまま体を踏みつぶして体の骨という骨を砕くよ」
他に何も言わせないとばかりの威圧的な重い声に、サタラナゴートは痛みで呻きながらもピクリとも動かなくなった。
「あ、あのね…」
でもかすかに何か言おうとサタラナゴートが口を開くけれど、それを見たケッリルの目が見開き足にグッと力が入って、わずかに浮き上がった。
「ひぃい!」
「待て、殺すのはまだ早いぜ」
踏みつけようとするケッリルの背中をサードがポンポン叩いて押しとどめると、ケッリルは無言ながらも怒りに満ちた顔で足を止めて…それでも腹立ち紛れとばかりにサタラナゴートを蹴り飛ばす。
その一蹴りで明らかにサタラナゴートの腕があり得ない方向に折れ曲がって数メートル跳ね飛ばされた。
「ギャアアアアア!」
あうあう喚きながらサタラナゴートは雪の上を赤く染めながら身もだえ続けている。
…っていうか、ケッリル…キレたの…?だってどう見てもいつものケッリルじゃないもの…。
すると聖剣を拾ってきたサードは呻くサタラナゴートの脇に剣を深く突き刺しガラも悪くしゃがみこむ。
「さーて、ここでお前には二通りの選択肢がある。素直に術を解くか、拒否してこのまま死ぬかの二通りだ。まあ拒否してもいいぜ、お前が術を解くまで死なない程度の拷問を続けてやる。
…ちなみに人間界の拷問ってのも中々惨たらしいもんが揃ってんだぜ、魔界のモンスターのお前は何時間耐えられるだろうなあ…?」
「あ、あうぅ…」
サタラナゴートは震えながらサードを見ている。
「さあどっちを選ぶ?」
震えて歯の根も合わずガチガチいっているサタラナゴートだったけど、口をパクパクさせて、
「そ、それならう、動いても、いい?じゃないと解除できないよ。聖魔術もダメだよ、僕の魔法が使えなくなっちゃうし…そこの魔導士もだよ、攻撃されたら呪文が止まっちゃうから…お願いだよ」
「下手なことしたら殺すぞ」
ヒィ、と息を飲み、痛い痛いと小さく言いながらもサタラナゴートは呪文を唱え始めた。
これでようやく皆が元に戻れるんだわ。
ホッとしながら呪文を呟くサタラナゴートを黙って見ている。
すると冷たい風がそろそろと吹いてきた。同時に雪も風に乗ってチラチラと横を通り過ぎて…っていうか、今まで雪は全然降ってなかったのに、急にモリモリ降ってきたわね…!?
「うわー、何かでかい雪すげえ降ってきたー」
急にどかどか降ってきた雪にアレンが空を見上げ驚いていると、サードはサタラナゴートに聖剣を向けて振り上げ睨みつける。
「おいゴラてめえ、変な魔法使ってんじゃねえだろうな!」
聖剣を振り上げられたサタラナゴートはギョッとして、
「ち、違うよ僕じゃないよ、だって僕が使おうとしてるのは転移…。あ」
サタラナゴートは口を抑えたけれど、私たちはしっかり聞いた。聞いたと同時に全員が目の色を変えてサタラナゴート向かって各自攻撃の体勢に入る。
「イヤアアアアアアア!お助けーーーー!」
サタラナゴートが涙を吹き出す勢いで絶叫すると急に目の前がガッとまばゆい光がさく裂する。
まさか目を潰す魔法!?でも私、目が効かなくても魔法は使えるんだから!
サタラナゴートが居る場所に向かって手を伸ばし魔法を使おうとすると、チョン、と唇に何か当たった。
「…?」
まばゆい光はおさまって…目は普通に見える。すると目の前には見知らぬ女性が立って、人さし指で私の唇を押さえている。
腰よりも長い銀髪ロン毛の巻き毛の人…。すごく美人な顔立ち。
涼やかな目元に深い青の目、スッキリ通った鼻に厚みのある赤い唇とうっすらピンクの血色のいい頬に透明感のあるなめらかな肌…。
それでも銀髪に青い目という容姿のせいか、とてもクールで冷たそうな雰囲気。
でも目が合った瞬間、ニコ、と銀髪の人は微笑んだ。微笑むとクールで冷たそうな雰囲気は一瞬で消えて柔らかく暖かい雰囲気になる。
そのままクックッと笑いをにじませて、私の唇から指を離した。
「アーッハッハッハ!いやはや、本当は君たちを助けに来たのに、もはやモンスターのほうが哀れになって助けてしまったよ!」
「えっ」
女の人…だと思ったけど…声が…声がものすごく男の低くていい声…。え?男の人なの?こんな美人な見た目なのに、男なの…!?
混乱していると銀髪の人は自分の肩にかかった豊かな銀色の巻き毛をブワッサァ…と両手で後ろにかきあげる。
「…あなたは?」
表向きの顔になったサードが聞くと銀髪の人はもう一度髪の毛をブワッサァ…とかきあげてからクルリと手を裏返しながら人差し指をサードに向け、かすかに首を傾げバチコン☆とウィンクをした。
「それより僕の後ろのサタラナゴートくんだろう?逃げようとしてるんだぞ!」
サードは何かイラッとした顔になっている。何か今の行動がイラッときたんだと思う。
でも確かに、急に現れた銀髪の人に視線が注目している今がチャンスと思ったのか、サタラナゴートはコソコソと逃げていっている。
「…!」
ケッリルが怒りの形相になって追いかけようとすると、銀髪の人はケッリルの前にスッと移動した。
「どいてくれ、あいつはミレルを…!」
「ケッリル久しぶりじゃないか!可愛い、大好き~❤」
銀髪の人は甘い声を出してガバッとケッリルに抱きついた。
「…!?」
ケッリルは銀髪の人を引き離すと、そのまま武術でグルンと腕を一回転させて雪の上にドシャァッと叩きつけてすぐさま距離を取る。
「…知り合い?」
アレンが銀髪の人を指さしケッリルに聞くけど、ケッリルは首を横に大きくブンブン動かす。
銀髪の人はむくりと起き上がると座りながら乱れた髪の毛をブワッサァ…と整え、
「はは☆分からないのは無理もないさ、なんてったって見た目が違うからね!」
と、バチコン☆とケッリルに向かってウィンクをしてから手を振った。
「ケッリル~❤じぃじだぞ~❤」
サタラナゴートの名前の由来…悪魔のサタン+山羊+外郎売のセリフ、「サタラナ舌に」のミックス
「サタラナ舌に」は「サタラナ」と言うと舌が口内の上につく舌音って感じの発音の意味らしいです(今ネットで調べた)




