ふゆやまのぼれ
サタラナゴートが居ないかもとのガウリスの言葉を受けながらも、私たちはとりあえずサタラナゴートが出たハルチネ山のある国に入国し、山のふもとの町にたどり着いてすぐ宿を確保してハルチネ山を下見しに行った。
山の遊歩道の前には春まで立ち入り禁止の看板が立っていて、その看板のすぐ後ろには両開きの木の扉が簡易なバリケードになって行く手を阻んでいる。見た感じでも人が行き来している気配はなさそう。
けど見た感じハルチネ山ってリヴェルの居たミラグロ山より低い山ね。雪さえなかったら数十分くらいで見晴らしのいい頂上に辿り着けそうなくらいの…子供でも年配の人でも安心して登れそうななだらかな小山じゃない。だったら登るとしたらまだ安心だわ。
まあ…肝心のサタラナゴートがいるかどうかは分からないから登るかどうかも分からないんだけど。
「それで…山は登るの?」
「…」
声をかけたけどサードは何も言わず渋い顔で腕を組み黙っている。
どうやらサードの国に出てくるバケモノ…いわゆるモンスターは、出てくる場所とか出てくる条件が大体決まっているとかで、別の場所に移動する可能性があるだなんて思ってもいなかったみたい。
「…サタラナゴートを見かけた者がいないかどうか聞き込みを…と言いたいところですが、ヤツザリたちの話だとサタラナゴートは人間そのものの姿になることもできるようですからね…。人に紛れ遠くに行ってしまったのだとしたらもう探しようがありません」
いつもだったらサードはこんな時とんでもない方法で敵を追い詰めていくんだけれど…今の所お手上げ状態みたい。それ以上何を言うことなく私たちを振り向いて、
「一旦宿に戻りましょう」
と歩いていく。
…何となくだけれど、皆これからどうしようって考えているんじゃないかしら。だってサードが次どうすればいいのか何も思いつかないなんて今までなかったし…。
ハルチネ山の遊歩道に背を向けてこれからどうすればいいのかしらと思いながら歩いていると、急にサードがピタリと止まった。
先を歩くサードが止まったから皆も立ち止まって、サードが見ている先に視線を移す。
そこにはキャンバスを置いてせっせと絵を描いているおじさんが椅子に座っていた。
サードはそのおじさんをジッとみると、とても爽やかな微笑みを浮かべ声をかけに行く。
「こんにちは、何を描いているんですか?」
おじさんは一旦筆を止めて、サードと、後ろにいる私たちに視線を移す。
「ああ、ハルチネ山の絵を描いているんだ。君たちは冒険者かな?」
「ええ。ハルチネ山に登りたかったのですが入れないようで…」
するとおじさんはサードをわざと怖がらせるように眉根を大げさに寄せると、
「ダメダメ!今は雪で埋まってて登れないよ、ただでさえ花が咲いた年だから危ない危ない、あの山に花が咲き乱れた年に足を踏み入れてごらん、二度と戻って来れないんだ!」
そこでサードの顔付きが変わった。このサードの表情は何度も見てきてる、これは自分にとって有益な情報を流す相手と判断した表情だわ。
サードは余計ニコニコと微笑みながら、
「ということは、あなたはこの地元の方でらっしゃるのですね?」
「そうそう、ハルチネ山の絵を描いてそれを売ってるんだ。おじさんの描くハルチネ山のシーズンごとの絵手紙は結構人気があるんだよ」
「ということは、よくここにきて絵を描いてらっしゃるのですね?」
「まあね、雪の積もった山も綺麗だからね」
「つかぬ事をお聞きしますが、山の絵を描いている時に妙な違和感を感じたことは?」
「違和感?…って何?どんな?」
「変な生き物がいたとか、人が山から下りて来たとか」
おじさんは考え込むけれどすぐに首を横に振る。
「いやそんなことはないなぁ」
「雪の上に山にいる動物以外の足跡があったなどは?」
「あ」
サードの誘導するような言葉におじさんは即座に反応して、
「そういえば少し前、雪が降った朝に初めて見る動物の足跡があったなぁ」
「それはどのような?」
おじさんは使ってない筆で雪の上にサリサリと二本の均等の縦線を描いて、線の前後に丸みをつける。
「こんな足跡。山から下りてまた山に戻ってったみたいな足跡があっちの辺りにずーっと続いてて」
全員がそれを覗き込んで、ケッリルが呟いた。
「これは…山羊の足跡だ、子供のころ世話をしていたから分かる」
山羊…。サタラナゴートって確か下半身は山羊なのよね?しかも地元のおじさんが初めて見たってことはこの辺に野生の山羊はいない。それならそれって…。
サードはおじさんに更に質問する。
「その雪の上の足跡を見たのはいつごろでしょうか?」
「え?えーと…まあ…ニ、三週間前くらいかなぁ」
私たちは顔を見合わせた。
それはつまり、人がろくに来ない冬でもサタラナゴートはあの山の中にいるってことだわ。
…じゃあやっぱり山を登らないといけないってわけね…。そんなに酷い高さの山じゃないけど憂鬱…。
* * *
「ねむ…」
アレンが大口を開けてあくびをしている。そんなアレンのあくびがうつってしまって、手で口を隠しながら私もあくびをした。
とても冷える、朝日もまだ昇らない時間帯の今…私たちは宿を出発してハルチネ山の看板の前に立っている。まだ暗い時間帯だけど周りが全部真っ白だから割と明るい…でも寒い…眠い…。
けど一番眠そうなのはミレルだわ。ケッリルと手を繋ぎながらここまで歩いてきたけれどずっとうつらうつらしていて、漏れ出る息はまるでスヤスヤと眠っているかのよう…。
「…ミレル、やっぱり無理じゃないか?宿で待たないか?」
ケッリルが声をかけるとミレルはスヤスヤとした呼吸音を出しながらもプルプルと首を横に振っている。でもどう見てもやる気に体が追いついていない。
「ミレル可愛いな」
アレンの言葉にミレルはこっくりと頷いている。
「行きますよ」
サードは時間が惜しいとばかりに歩き始め、皆もぞろぞろと歩き始めて看板と半分雪に埋まっているバリケードを乗り越えて山に入った。
朝日も登らない時間帯だから雪はざりざりと固くて、沈みにくい。確かにこれは歩きやすいわ。
そう思いながら顔を上げると、サードはあっという間にはるか遠くの斜面を歩いていて、後ろを振り向いて私たちが離れているのを確認するとその場に立ち止まる。
…思えば子供のサードに一番前を歩かせるのってどうなの?ついいつも通りサードを一番前にしているけど、サードは私の後ろに居させた方がよくない?
…でもだからって私が一番前を歩いたら後ろがつっかえそう。ただでさえ私山登り苦手だし、歩きにくい雪の上だし、…。まぁ…いっか。
少し追いつくとサードはまた身軽に斜面を歩き出して、私は雪にわずかに残るサードの足跡を目で追いながら歩いていく。
最初は寒かったけれどこれくらい歩いてくると少しずつ体が温まってきた。でも何を話すことなく黙々とサードの足跡を追いかけて、後ろから皆の雪を踏みしめるザクザクした音を聞きながら登って行く。
そうやって進んでいくと、自分たちの足音に妙な音が混じり始めた。
でもその音は近くない。遠い。後ろからじゃない、ずっと右のほう。
パッと頭を向けると、木々の隙間を縫いながら大きいシルエットが唸り声を上げてザシュザシュと雪をまき散らしこっちに向かって来るのが目に入る。
それも巨大なのが二体、しかもあれって…!
「シビルハンスキーだぁあ!」
今までの静けさをかき消すような大声でミレルが嬉しそうに叫ぶ。
どうやら眠気はふっとんだみたいだけどそれどころじゃない、あれは人に飼い慣らされていたものじゃない危険な野生モンスター…!
「サード!」
声をかけるけどサードはとっくに気づいていたみたいでもう聖剣を引き抜いている。
じゃあ私も攻撃しないと、シビルハンスキーはものすごく厄介な相手だから近寄らせる前に一撃で…!
杖を向けて攻撃…でもどうしよう、舌を垂らして唸りながら駆け寄ってくるあの姿…この前まで人懐っこく遊んで遊んでと駆け寄ってくるシビルハンスキーの姿とかぶってしまう…どうしよう、攻撃しないといけないって分かってるのに、攻撃したくない…!
「触りてぇー!」
躊躇しているとミレルがケッリルの手を振り切ってシビルハンスキーにむかって駆けだした。その瞬間、シビルハンスキーに噛みつかれているミレルの姿が脳裏に浮かぶ。
そうよ、今は罪悪感よりミレルを守るのが先決…!
改めて攻撃しようと杖を振り上げると、サードがふっと何かに気づいた顔をして私に怒鳴るように叫んできた。
「エリー!よしなさい!」
サードが目付きを変えて急に叫んできたからビックリして攻撃の手を止めたのと同時にサードは続けた。
「首輪をしています!」
そう言われてシビルハンスキーを見ると確かに目立つピンクと黄色の大きい首輪がチラチラと見え隠れしている。
確か人に飼われているシビルハンスキーは専用の首輪をする義務があるのよね。首輪をしていなければただのモンスターだと思われて殺されても文句言えないからって…。
それにさっきより近くなったあの二匹のシビルハンスキーの目はキラキラと純粋に輝いているのが分かるし、しっぽも回転するぐらいブンブン激しく振っている。
やっぱり人に飼われている子たちで人懐っこく近寄ってきてるだけ…って信じたいけど、それでもあの巨体と顔の怖さで唸りながら猛スピードでザシュザシュ駆寄ってくるのを見ると恐怖でしかない。大丈夫?本当に大丈夫よね…?
「父さん離してぇ」
さっき駆けだしたミレルはあっさりケッリルにホールドされてジタバタしている。
そうしているうちに二匹のシビルハンスキーたちは私たちの傍まで来ると後ろ足で跳び跳ねるようにしながら吠え続けて、今度は頭を低くして伏せて上目遣いでピスピス鼻を鳴らしながら激しくしっぽを振り続けている…。
…襲ってこない所を見ると、やっぱり人を見つけて喜んでいる…?
「逃げてきたのかな?だったら襲ってこないよな?」
アレンが気を緩めながら皆を見渡てそんなことを言う。見た感じそうとも思えるけれど、まだ大丈夫かどうか判断できないわ。気を許して近づいた瞬間に一噛みされたら終わりだもの。
「おいで、おいで~」
ミレルはホールドされながらピューイピューイと口笛を吹いて二匹の注意を引く。シビルハンスキーたちはそれにすぐ気づいてしっぽを振りながら嬉しそうにミレルに近づいてピスピス鼻を鳴らしながらミレルを嗅ぐと、嬉しくて仕方ないとばかりにミレルの周りをジャンプし続けている。
「…何となくだけど、大丈夫そうね」
私が呟いている間にサードも一旦こっちまで戻ってきて、シビルハンスキーの首回りについている首輪を引っ張った。大体そこに飼い主の名前や住んでいる地域が書いてあるから。
その首輪に書かれている文字を読んだサードは、
「どうやら前の国に飼い主がいるようです、やはり逃げてきてしまったのでしょう」
「じゃあこの子たち飼い犬なんだ、おーよしよし可哀想に、心細かったんだなぁ」
アレンも危険がないと分かればさっさと可愛がるけど…飼い犬…?ではないと思う…モンスターだし。
「でもこの子たちはどうするんだい?このまま連れて行くのか?」
ケッリルが私たちに聞いてくる。するとアレンはハッとして、
「シビルハンスキーいなくなったら飼い主が運搬で金稼げないぜ。乗り合いソリと物の運搬は冬の大事な収入源って言ってたもん、二匹も居なくなったんじゃ飼い主めっちゃ困ってるはずだ」
「…じゃあ前の国まで戻るの?ここまで来たのに?」
「…」
思わず全員がサードを見る。子供になっていようがそれでもサードを皆が見る。サードは皆から見られて何かしら自分の発言を待っていると察したのか、あっさり答えた。
「このまま連れて行きましょう。一旦我々で保護し、目的が終わった後に引き渡しに行く。これでいいのでは?」
一緒にシビルハンスキーと行動できると知ったミレルは、それは嬉しそうに二匹をビシッビシッと指さしながら、
「じゃあこっちがパフェでこっちがプリンね!ピンクの首輪がパフェで、黄色い首輪がプリン!」
「セイドレとハジオという名前ですよ」
サードが訂正するように言うけれどミレルは嫌そうな顔になって口を尖らせた。
「やだそんな可愛くねー名前。パフェとプリンがいい」
「まあどちらでも構いません。ともかく行きましょうか」
サードはそんな名前ごときどうだっていいという顔でミレルの言葉を無視して再び上を目指し歩きだした。シビルハンスキーたちもしっぽをリズミカルに振りながらごく当たり前のように私たちと歩調を合わせてついてくる。…可愛い…。
「上に乗りたい、走ってないから乗れるっしょ」
ミレルはそう言いながらプリンに登ろうとする。
「やめなさい」
「やだ、乗る」
ケッリルがすぐ止めるけれどミレルは首を横に振って上に乗ろうとしていて、すると話を聞いていたサードが軽く立ち止まって振り向いた。
「やめてもらえますか、ミレル?」
「何でさ」
サードはどう説明したものかと言葉を一旦止めてから、分からせるように話しかけていく。
「今なぜ我々がこうしてここにいるのかお忘れですか?」
「サタラナゴートとかいうモンスター倒すんでしょ、知ってるし」
「そう。相手は魔族と同等に強い可能性もあるモンスターです、もうここはそのモンスターのテリトリー内、その中で勝手な行動をするのはやめてもらいたいのです、あなたのその自由な行動で何か不手際があったらここにいる全員の命に関わります」
ミレルは分かったような分かってないような顔をしてから、
「でも上に乗るぐらいいいじゃん、私が歩くよりシビルハンスキーに乗ったほうが速いし、シビルハンスキー強いし。大丈夫っしょ」
サードは少しカチンときたような雰囲気だけれど、それでも笑顔を崩さず伝える。
「そのような一人の勝手なふるまいで他の者が命を落としてもいいとでも?」
「そんなこと言ってねーし」
「だったら何故上に乗ろうとするのです?意味でもあるのですか?もし振り落とされたら滑落…」
「だから私足遅いから移動が速くなるつってんじゃん、何なわけ、さっきから喧嘩腰でさ」
ミレルもイライラしてきたのか怒ったような口調でサードの話をせきとめるとサードもイライラしてきたのか、
「あなたがどうしてもと言うので同行するのも黙ってきましたが、少なくとも今は危険と隣り合わせなのだと理解して周囲と足並みをそろえてもらわないと困ります。それが理解できないのであればどうぞ今すぐケッリルさんと宿に戻ってください、さあ!」
選ぶ猶予は与えているけれど、サードの手は「もういい、お前は帰れ」とばかりに追い払う仕草をしている。
「…はぁ!?」
ミレルはカッとなったけど、即座にアレンがミレルの前にバッと割り入って、
「はいはい、そこまでそこまで。なぁミレル、シビルハンスキーの上に乗るのは山から下りてからにしよう?
別に俺ら急いでるわけじゃないからミレルの歩くスピードでも十分だし、それにほら、こういう斜面だとプリンたちの上から落ちちゃったら下まで転がっちゃうかもしれないからさ、それが危ないからやめてほしいってサードは言いたいんだよ」
「…下まで転がる?何それウケる」
自分がコロコロ転がっていく姿を想像したのか、ムフ、とミレルは笑ってすぐさま機嫌が直った。それと今のアレンの説明でサードの言いたいことも理解できたみたいでプリンの上に乗るのを諦める。
「滑落の危険性が全然分かっていない…」
まだ腹の虫が収まらないのかサードが小さくブツブツ言っているけれどアレンがすぐさま、
「ミレルも分かってくれたんだからそれ以上はやめよう」
と話を遮るとサードは文句ありげな顔のまま背を向けて進んでいく。
「…」
何か今の小競り合いにデジャヴを感じる…。まるで私とサードの喧嘩をアレンが止めるみたいな感じ…。
うーん、客観的に眺めたらサードと私の喧嘩ってこんな感じなのかしら。
だとするとものすごくどうでもいい小さいことで喧嘩してるのね、私とサードは…。
妖怪は大体出てくる場所と出てくる条件が決まっていてる場合が多く、特に九州地方だと、
「昔ここに○○というものがおってなあ…」
って言いだすと、
「今でもおるぞー」(油すましが出てくる)
「今でもー」(生首が転がってくる)
「今でもおっぞい、おっぞい」(何だったか忘れた)
「今でもおりますトンゴシトンゴシ」(トンゴシ婆が出てきて追いかけてくる)
とアピール強めで出てきます。九州妖怪の自己アピールの強さなんなの。




