だ、誰…?
ウチサザイ国を横断して国を出国してから二週間。今はケッリルの故郷、西北の方向に向かっている。
それにしてもウチサザイ国から出国するのは少し大変だったわ。だってウチサザイ国は大きい川とタテハ山脈に囲まれた自然の要塞で、それも西に抜けるためにはその大きい川を越えないといけなかったんだもの。
でもウチサザイ国と近づきたくない西側の国もウチサザイ国も大きい川に橋を一つもかけていないし川の渡し守もいないしで、少し足止めを喰らったのよね。
その川の川幅は広くて底も深そうで、水の量も多いし、流れも速いし、その上モンスターらしき細長い魚がウネウネと動きながら私たちが入るのを待ち構えていて…。
「極悪人の渡るサンズの川かよ…。さすがウチサザイ国だ、よく整ってやがる…」
そうサードが小さく呟いていたけれど、皮肉を言っている意外はよく分からなかった。
まあいくら探しても橋も見つからないんだし、私が自然を操る魔法改めサブマジェネシスを使って川を真っ二つに割ってそこを歩いて川は通り抜けた。
でも西側の隣国はよっぽどウチサザイ国と距離を取りたいのか、こんなに渡りづらい川を挟んでいるというのにそこからまだしばらく歩いた場所の何重もの壁の向こうに審査する場所があったのよね。
そして私たちが川を突っ切って歩いてきたのはウチサザイ国を監視する兵士たちからよく見えたみたいで、
「あの川を越えてよくウチサザイ国の脱国者が泳いで来るのは見えるんですが…あんなごり押しで楽に渡って来た人は初めてです。さすが勇者御一行ですね」
って兵士に言われたわ。
それにしても今回は越冬でも来たことがないぐらいの南に来たけれど(とはいっても寒かった)、とりあえずゆるやかに北に向かうみたい。
「ケッリルの故郷ってどう?冬は暖かい?」
アレンが聞くとケッリルは首を横に振って、
「ここから北だから寒いよ。雪も降るし積もるし…」
それならジルに渡された暖かい服の出番もあるかも。
…本当は見ているだけで辛いから捨てようかなって少し考えたけど、それでもジルとの思い出も全て捨てていくような気分になって、それも後ろめたくて…。
結局大きいバッグの中に全部入れて持ってきた。
とりあえずウチサザイ国でのあれこれが終わって何となく気が抜けている感じ。
歩いていてもスリに会わないし、死角から襲おうとする人もいないし、死体があちこちに転がってもいないし…。
すごく平和。
でもウチサザイ国で気を張り続けていたせいか、他の国がぬるいとも感じる。
だってウチサザイ国から外に出ただけで他の国ってこんなに気を抜いて歩けるんだわって軽く驚いたもの。
あの人たちはあんなにのん気に歩いてて大丈夫なの?あんなに金袋を周りに見せびらかす状態で取り出したら簡単に盗られるわ、あんなに素足を出したら襲われるかもしれないのに、あんないい身なりで歩いていたら後ろから首を絞められて殺されて身ぐるみはがされるかも…。
そんな風にあれこれ勝手に心配して、ハッと感覚がずれている自分に気づいて…。
ウチサザイ国を抜けたら、過剰に防犯意識が強くなった気がする。前はこんなことなかったはず。
ふう、と息をついてから「あれ?」と辺りを見渡す。そして見回してから「あ」と自分に呆れて前に視線を戻す。
こんなに時間がたっているのに、未だにサムラが居ないって辺りを探してしまうわ。…サムラ、元気かしら。
サムラを懐かしく思っているとサードがアレンに声をかける。
「ケッリルの故郷まであとどれくらいだ?」
「三ヶ月くらい」
驚いて二人に視線を向けた。
え、三ヶ月?ケッリルが十年も歩いてきた距離が、ここからたったの三ヶ月?
そっか…それくらいの距離をケッリルは息子のビルファのために歩き続けてきたんだわ。頑張ったのね、ケッリル…。
そんな感情のこもった目で見ていると私の視線に気づいたのか、ケッリルはふと私を見てわずかに微笑んで「どうかしたのかい?」とばかりに小首をかしげる。
ウッ。
やめてその微笑み心臓に悪いから…!ああダメ…目を逸らせない、でも逸らさないとヤバい…!
クッ、と気合を込めてケッリルから視線を外す。
ケッリルは魂の時から女性を次々落としていくような人だったけど…身体が元に戻ると色気が異常に増した。
前髪がハラリとほつれただけで、物を手に取る仕草だけで、ただぼんやり座って頬杖をついているだけで近くを行き交う女性が立ち止まって顔を赤くして見惚れていく。
それも合流してからサードに散々、
「お前未だに他の女からも好かれたいのか、何をそんなに女の目を気にしてんだこの色ボケ」
みたいな悪態を言われて、その度に「そんなことない」と否定続けていたら言葉の通り少しずつ女の人からの態度や視線が気にならなくなってきたのか、女性に対するオドオドした態度がほんの少し和らいで余裕が出てきた。
そうやって余裕が出てきたら肩の力が抜けて微笑むこともずっと増えて、そうなると一層魅力的になってしまって…。
…正直、前よりケッリルの魅力に抗うのが厳しくなっている。
この前なんてケッリルの隣に座って会話をしていたら、
「エリーくん…?」
って困惑しているケッリルの声が聞こえて、そこで気づいた。
私は知らぬ間に瞳を閉じて唇をケッリルに向けていることに。
あの時は自分は何をやっているのと恐怖を感じて恥ずかしさで赤くなるよりも青ざめたものだわ…。
私でさえそんな感じだから半ばストーカーになりかけた女性も現れ始めて、これは危険だとサードはケッリルに最低限の剣や防具などの装備品と一緒に顔が深く隠れるフード付きのコートを買って与えて、ケッリルも言われた通り顔は隠している。
…まあ、そんなこんなで今日の宿泊予定の町にたどりついた。
まあまだ午後の二時くらいだけど今は冬で日が暮れるのも早いし、ケッリルの足も治ったばっかりで長く歩かせるとまた痛みがぶり返すかもしれないってことで午後の二時を過ぎそうだったらもうそれ以上は進まないで町に泊まろうってことにしている。
宿泊先もアレンが少し前の町であれこれ聞いてよさげなホテルを見つけていたからそのホテルに手早くチェックインして、荷物を置いて…。
私はそのままガウリスと一緒に町に繰り出した。それというのもこのホテルに来る途中でホットケーキなるものを売りにしている喫茶店を見つけて、
「荷物置いたら行ってみない?」
って誘ったら二つ返事で頷いてくれたから。
空気は冷たいけれど今日は天気が良いから、防寒をしっかりして太陽の光にじりじり当たっていると少し汗ばむくらいの陽気。こんな天気だから外で軽食をつまむ人もちらほらいるわね。
喫茶店に訪れてホットケーキを注文してから、私は外を指さした。
「私たちもせっかくだから外で食べない?今日は日の光あったかいわよ」
「構いませんよ」
外に出てテラスの椅子に座る。
本当にいい天気だわ、このまま眠ってしまいそうなくらいの暖かさ…。でも冬だから日中でも外で寝たら凍死するかしら。どうなのかしら。
「ねえ、冬にこの暖かさの中で外で寝たらどうなると思う?」
「とても気持ちいいでしょうね。でも三時以降は危険だと思いますよ」
そんな何の実にもならない話をしているうちにホットケーキが届けられて、早速ナイフとフォークを使って一口に切り分けて口に運ぶ。
「んん~!ふわっふわ!」
「見た目はパンケーキに似ていますが…」
ガウリスはそう言うと急に顔付きを変えてテーブルに立てかけていた槍を手に持つと、何か警戒するようにババッと辺りを見渡す。
「どうかした!?」
急な動きに敵でも出たのかと慌てて立ち上がって周りを見たけれど、別に敵意を向けているような人は見当たらない。不思議に思って視線をガウリスに向けると、ガウリスは警戒を解いて申し訳なさそうに椅子に座り直す。
「すみません…以前パンケーキを食べた際にエリーさんがさらわれたのを思い出してしまって…」
…まあ、シュッツランドでラニアの手ごまにされていた子供たちにさらわれたけど…。
「そんなことが頻繁に起きるわけないじゃない、ウチサザイ国じゃあるまいし」
「そうですが…どうにもこのようなパンケーキを見るとあの時のことが思い出されてしまって…」
…ガウリス、まさか今までずっとパンケーキを見る度に私がさらわれた出来事がフラッシュバックしているの…?さらわれた本人の私は今の今まで忘れていたのに?
でもこんな美味しそうな食べ物を見る度にそんな嫌な記憶が戻ってくるなんて可哀想すぎるわ。
「大丈夫よガウリス、これはパンケーキじゃなくてホットケーキよ」
そうフォローして…ホットケーキをじっと見つめる。
でもこれパンケーキっぽいわよね。…パンケーキとホットケーキって何が違うのかしら…分からない。
ともかく顔を上げてどこか落ち込むガウリスに声をかける。
「いいから食べましょ?今日は暖かいけど風は冷たいから早く食べないと冷めちゃうわ、ほら」
最初はホットケーキの暖かさで溶けていたバターが外の寒さでまた固まりつつあるもの。こうなると冷めるのが先か、温かいうちに食べきるかのスピード勝負だわ。
私が食べ始めるとガウリスも「そうですね…」と気を取り直して食べ始めた。
すると、私の目の前がフッと真っ暗になった。
え?
思わず身を強ばらせると、目を押さえつけられている感覚がする。
え?なになに?何これ怖い。
身を強ばらせ続けていると、耳元で、
「だーれだ?」
という裏声のような女の人の声がする。
あ、これ後ろから誰かに目隠しされている状態?
「あ…」
ガウリスが私の目を隠している人を見たのか、親しい人へ向けるような声を出す。それでも後ろからは「シー、シー」と名前を言うなと止める声が聞こえる。
それでも今の声で思いつく人がパッと思いつかないし、むしろ旅をしていて顔見知りに合うなんてこと自体滅多にないし、この国も町も初めて訪れたところだし…。
だとすると遠くからでも会いに来れるような誰か。つまり…?
「ロッテ?」
「…」
どうやらロッテじゃないみたい。むしろロッテの声はもっとしっかりして落ち着いた声だわ。それじゃあ…。
「ラグナス?」
「…」
ラグナスでもない。むしろラグナスの声はもっと間延びしていてやる気がないものね。それじゃあ…。
「ファジズ?」
「…」
ファジズでもないの?…そうね、ファジズの声はもっと人に甘えるような色っぽい声だもの。
…だとすると…誰…?誰…?
焦せ焦せと様々な人を思い浮かべていくがそうするとどんどんと焦ってしまって頭の中が真っ白になってしまう。
「ひっでぇ、私の名前がでてこねぇ」
さっきより声が低くなって手を外された。そして後ろを見て私は目を見開く。
「ミレル…!」
後ろに居たのは周りをパッと明るくするような…読者モデルで、ケッリルの娘のミレル…!
「ミレルー!」
立ちあがってミレルの手を取ってピョンピョン飛び跳ねると、ミレルは私の手を振り払って両手を広げると、ガバッとしがみついてグリグリと頬ずりしてくる。
「エリリーン!」
「ミレルー!」
お互いに再会を喜んではしゃいでいると、ふと視線を感じて辺りを見渡す。
外のテラスで食事をしていた人たちが、急に歓声を上げて抱き合っている女二人を呆気にとられた顔で見ている。
急に恥ずかしくなって、ミレルから離れて椅子に座るよう促す。
それでもミレルはギュウギュウと私にしがみついて全然離してくれない。
「やだー、久しぶりに会ったんだしもうちょっとこうしていようよー」
「…あのね…」
全く、と思うけれど、ミレルのこういう所って憎めないのよね。…でもそろそろマネージャーのハロッソが止めに入るころだと思うんだけど…あれ?
ミレルの後ろをキョロキョロと見て気づいた。ミレルの後ろにハロッソも、絵描きのマディソンも、編集長のマロイドも誰もいない。
「ザ・パーティの皆は?ミレル一人なの?」
「ああうん。私今お休み貰ったから一人」
「そうなの」
そこでようやくミレルは私を離して、ガウリスに向かって手を向ける。
「ガウチョも久しぶりー。はい」
手の平を近づけるミレルにガウリスはキョトンとした顔をしている。ミレルはすぐさま、
「ハイタッチ」
と言うとガウリスは、ああ、と手を上げてパンッとハイタッチした。ガウリス的には軽いハイタッチだったぽいけれど、ミレルの腕は跳ね飛ばされるように後ろにのけ反って肩からゴキッと鈍い音がする。
「大丈夫ですか」
その音を聞いてガウリスが慌てて立ち上がったけれど、ミレルは肩をグルグル動かして、
「いってぇ、でも今ので肩凝り消えたわ。今まで荷物ずっと持ってて肩凝ってたから」
「…本当?今骨が折れたぐらいの音したけど…!?」
「大丈夫大丈夫、むしろ肩すげえ軽くなった、マジ感謝」
ミレルは満足げに肩を回しながら座ると、ゴソゴソとバッグから手紙を取り出した。
それは私がミレル宛に送った手紙と、ケッリルが送った手紙…。
ミレルは私とガウリスに視線を向けて、
「でさ、お父さんは?無事?」
と早口で聞いてくる。私とガウリスは同時に大きく頷いた。
「ええ無事よ」
…まあ魂を抜かれてレイスにされたり、吸血鬼に連れ回されたり、ミセスに口をベロベロ舐められたりしたから無事だったの一言で済ませて良いのかちょっと微妙だけど…それでも消息不明の状態から生きてるって分かったんだし、無事だった、で大丈夫よね。
「今はケッリルさんを故郷に送り届ける途中で、今日はこの町のホテルに宿泊するつもりなのです。ケッリルさんはホテルにいるはずですから、共に行きましょう」
ガウリスの言葉に、それなら早めにホットケーキを食べなきゃとホットケーキを食べようとすると、ミレルが口をカパッと開けて私を見る。
「一口ちょうだい」
「ちょっと待って…はい、あーん」
「あーん」
一口きり分けてミレルの口に入れると、ミレルは美味しそうに「ん~!」と足をバタバタさせる。
「マジうめえ。エリリンにあーんしてもらうと余計うめえ。エリリン今まで人にあーんしたことある?」
フッとハミルトンが脳裏をよぎったけれど、すぐ頭の隅に追いやって首を横に振る。あいつにはやってない。
首を振る私を見たミレルは、勝利した人みたいな顔になるとガッツポーズをとった。
「っしゃ、私がエリリンの初めての人だ」
…どうやらミレルは相変わらずみたいね。
ついでに他の人にも聞いてみた
エリー
「ねえ、冬にこの暖かさの中で外で寝たらどうなると思う?」
サード
「今ここで三時間寝てみろ、そうしたら結果が分かるぜ」
ケッリル
「…やめよう?」
アレン
「え、じゃあ寝る?」
ミレル
「え、じゃあ寝よ?二人で体を温め合って朝を迎えようよ」




