最後の最後に何か来た
私たちはサムラと別れ、休み休みタテハ山脈を下山してからウチサザイ国に入った。
本当はウチサザイ国なんて二度と立ち入りたくはなかったんだけど、どうやらケッリルの故郷に行くためにはウチサザイ国を西に突っ切った方が早いみたいだから。
「でもサムラがなぁ…エリーのこと好きだとは思わなかったなぁ」
アレンがそう言いながら歩いているから私は妙な恥ずかしさでうつむいて、うう…と軽く唸る。
「あ、エリー照れてる」
アレンが横から顔を覗きこんでからかってくるから、やめてよとばかりにアレンを叩いてプイと顔を背ける。
「今エリー、モテ期なのかもな。ジルにも告白されたっぽいし」
ジルのことを思い出したら胸が痛んだ。
「…ジルの話はもうやめてくれる…?」
未だにジルの話をされると心が痛く重くなって、後悔が湧いてくる。もっと優しくしてもよかったなとか、普通に友人としてなら仲良くなれただろうになとか…。今更どうにもならないことだけど、どうにもならないからこそ胸が痛い…。
アレンはそんな私を見て口をつぐむと、
「で、でもエリーもサムラのこと結構好きだったんだな!すっげぇ顔真っ赤になって照れてたもんな!」
話題を変えようとしたのか、わたわたと急にそんな話をしてくる。アレンなりに気を使ってくれているみたいだから私も無理やりジルのことを頭から追いやって、
「だってサムラって純粋だから…その分言葉が正直で真っ直ぐなんだもの」
本当にサムラの言葉はどこまでも真っすぐだった。だから心に真っすぐ言葉がささる。
…正直、すごくドキドキした。まさかサムラからそんな好意を抱かれていただなんて露にも思っていなかったし、「え、まさか」って不意打ちを喰らったって感じ…。
今でも「女性として好きでした」って真っ直ぐ見上げられながら言われたあの時のことを思い返すだけで恥ずかしくなるし、顔が赤くなるし、身の置き所に困ってしまう…。
『好きだ、サリア』
同じタイミングでジルに告白されたシーンも蘇った。…でもジルは敵の悪い魔族だからと特に反応もしなかったし、好意をむけられても私はずっとスルーして…。ああ、ジルにもう少し優しくしておけば…。
何だかんだでジルを思い出して気持ちが重くなっていると、
「若くてモテてるうちに男は捕まえてた方がいいぜ」
とサードがボソッとそんなことをのたまってくる。イラッとしながらサードを睨んでいるとアレンがポツリと、
「でもエリーがお嫁にいっちゃったら悲しいなぁ俺」
とそんな予定もないのに何だか悲しそうにしている…。
「なに馬鹿言ってるのよ」
アレンの背中をスペンと叩いていると、後ろからケッリルが不思議そうに声をかけてきた。
「え?君たちは付き合っているんじゃないのか?」
「え?」
アレンと私は同時に驚いた声を出す。そんな私たちの反応を見たケッリルは二、三度瞬きして、
「…違うのか?随分と密着し合っているしエリーくんも拒否しないからそういう仲なのかと思っていたんだが…」
「ええーそう見えたぁ?」
アレンはニヤニヤと笑いながら私を見て、
「俺とエリー、相思相愛に見えるってさ!」
とまた脈絡のない訳の分からないことを嬉しそうに言ってきた。私は呆れた顔をしてからアレンを指さして、
「あのねケッリル。アレンってこういう色々と紛らわしい言動をするだけで本気じゃないから。そのせいでアレンの幼馴染の女の子だって泣く羽目になったんだからね。アレンは女の心を持ち上げた挙句相手にしないって一番残酷なことを平気でする奴なのよ」
私の初恋だってそうだったし、と心の中で毒つくとアレンの表情がショックを受けた顔になって肩を落としてションボリしている。
…何落ち込んでいるのよ。私とミョエルが味わった傷はその程度のものじゃないんだからね。ふーんだ。
そう思いながらアレンから視線を逸らして、ふとエーハの方角を見て思った。
「そういえばエーハってどうなったのかしら」
リッツはエーハ丸ごとをダンジョンにするつもりだから住んでいる人全員殺すって言っていたけど…。
首都一つ潰れるぐらいのことをすればタテハ山脈からもか何か起きているくらいのことは見えるとサードは言っていた。
でもタテハ山脈からは首都に異変が起きている様子は見えなかったし、今もウチサザイ国を歩いているけれどエーハで何かが起きたとか、そんな話も噂ほどにも聞こえてこないのよね。まだリッツは何もしていないのかしら。
「もうどうだっていいだろ、こんな国もう来ることもねえ」
エーハを気にする私の言葉にサードは素っ気なく返して、サードの言葉にアレンは頷いて、
「確かになぁ。この国の中でも一番治安の悪いエーハがどうなっても、この国自体が悪い国なのは変わんねぇし」
まぁね…と私も頷いて歩いていくと、スッと上に気配を感じて、
「ん…あれ、あなた方は…!?」
と急に空中から声が聞こえてきた。
「ん?」
顔を上げる。それでも見えるのは冬のずーんと曇った灰色の空だけ。空中には誰もいない。
「…!?」
目を見開いて思わず隣にいるアレンを見る。するとアレンも強ばった顔で私を見ていて、キョロキョロしている。
今聞いた声は幻聴じゃない、アレンにも聞こえたんだわ。何、何なの怖い。
キョロキョロしているとガウリスがフッと視線を前に動かして、
「あ、あなたは…」
と親し気な声を出している。でもその視線の先には…誰もいない。
「何、ガウリス何が見えてるの」
アレンはゾッとした顔で私の服をキュッと掴んでくる。でもガウリスは手を上に伸ばし、何かを手の平に乗せるような動きをして私たちに手を向けてきた。
その手の平には何か黄色と茶色っぽい小さい物体が…。
「皆さんお久しぶりです、覚えてますか?」
物体が喋った。
ヒッ、と思わず引いたけれど、よくよく見て「あっ」と声が漏れる。
「あなたアネモ!?アネモじゃない!」
「え、アネモ?アネモってあのシノベア高原にいた幸運のミツバチのアネモ?」
アレンはそう言いながらガウリスの手の平の上でニコニコ笑うアネモに顔を寄せて、
「あ…本当だアネモだ。良かった、お化けじゃなくて…久しぶり」
と言いながら指先でアネモのほっぺをつついて可愛がっている。ガウリスの手の平にいるアネモは自分たちを順々に見て挨拶をしてから、ふっと顔を真顔にして身を乗り出て聞いてきた。
「ところで…皆さんどうしてこんな酷い所にいるんですか?」
幸運のミツバチにこんな酷い所呼ばわりされるウチサザイ国って…。
呆れながらも簡単に説明する。
「色々と酷いことがあったから来たの、今はもう立ち去るところよ」
アネモは納得の顔で大きく頷いて、
「分かります、入ってみてここまで酷い状態だとは思いませんでした。今この国は絶望と悲しみが蔓延してます。…実はずっと以前からここの地域に僕たちは入れなかったんですよ、だから小さい幸運すらこの国の人たちは感じることも出来なかったんじゃないかって心配だったんですけど…」
「入れなかった?どうして」
アレンが質問すると同時にピンと来たらしいサードが口を挟む。
「お前らより格上の…神が関係してるんじゃねえの」
その言葉にアネモは頷く。
「多分そうです。ここの地域からはさっぱり幸せを感じることは無かったんですけど、それでも入れないしで…。
あなた方に助けてもらった後、女王様と国王様はすぐに幸運の蜜を作られて少しでも早くこれを世界に配って来るようにと命令されました。そうなるとこれが一番必要なのはやっぱりこの国しかないと思ってダメ元でやって来たら…不思議と今回はあっさりと入れたんです」
「…それは神が手を引いたということですか?」
ガウリスの質問にアネモは「多分…?」と首を傾ける。
でも今の話を聞いた私はウチサザイ国でのことを思い出した。冬なのに何か虫が飛んでいるなぁって何度か思ったことがあるって。
一回目はロリータファッションのショップで私がウチサザイ国のことをどうにかすると言った時、二回目はサムラに信じてくださいと言われたイクスタが涙していた時…。
思えば虫がいると思った辺りから皆の暗く沈んでいた顔に希望が差し込んだ顔になっていたけれど、それってアネモたちがどんなに絶望の中に居る人でも希望を持つような…そんな幸運の蜜を配っていたから?
それでもアネモは不可解そうな顔をして首を傾げ続ける。
「でも人が苦しんでるのに幸運を授けないようにシャットアウトする神なんているんでしょうか…そんなことあるわけないですよねぇ…」
「…」
私たちは知っている。
ここの地域には感情を代表する神々がいること、それも自分が楽しいからという理由で破滅してしまうかもしれない負の力を授けることがあることも…。
するとクスクスと笑い声が聞こえる。その声に振り向くと、バファ村にいたあのしっとり大人びた女の子二人がクスクス笑いながら立っていた。
「あなたたち…!」
良かった、無事だったんだわ。
ホッとして近づいたけれど、それでも周りには家族らしき大人がいない。もしかして両親はミズリナに捕まったとか?だとしたらどうしよう、こんな危険なことが多い国に幼い女の子二人を放置していくなんてできない…。
悩んでいると女の子たちはブハッと吹き出してケラケラ笑いだした。
「思った以上に純粋な子ね、こんな国に来る前も後も何度も騙されて襲われかかってるのに」
「本当は結構馬鹿なんじゃない?純粋と馬鹿は紙一重よ」
急に女の子たちからそんなことを言われて思わずその場で固まっていると、女の子たちはお互いクスクス笑いながら手を繋いで、頭をくっつけ合いながら私を見上げる。
「どうやら分かってないみたいだから教えてあげる」
片方の女の子がそう言うと、二人の体から剥がれ落ちるように腕が増え、それが自分を指差し空や地面を指差しとあちこちを指差している。
すると女の子の一人がクスクス笑いながら、
「私は悲観の神」
と言うともう一人の女の子が、
「私は絶望の神」
と恍惚の表情で言ってくる。
「…え?」
思わず聞き返すと、二人はハグをし合いながらおかしそうに伝えてくる。
「私たちは悲観と絶望を与える神。この国から幸運を遠ざけたのも私達。希望すら湧かないよう悲観的にさせ、無気力に、後ろ向きにして絶望しか感じないようにさせていたのも私たち」
「…それは、何のために…一体どうして?」
信じられないという顔で聞くガウリスに二人はクスクス笑いながら、
「人々の幸福しか願ってないようなあなたにいくら説明したって分からないわよ」
「ただどうなるか気になったから、ってくらいは教えてあげる」
どうなるか気になった?それが…その程度の気持ちでやったことがこの国の今の状態だというわけ?
頭が真っ白になっていると、ガウリスも信じられないとばかりに表情を固めた。
「それだけのために…この国はこのような…」
ガウリスのショックを受けた様を見て、女の子たちはおかしそうにケラケラ笑う。
「神に裏切られたって顔をしているわ」
するとサードが一歩前に出て、女の子たち…悲観と絶望の神様に声をかける。
「だがお前らは幸運を遠ざけるのをやめた、だからアネモはここに入って来れた、そうなんだな?」
二人はサードに顔を向け、クスクスと二人で目を合わせてからまたサードを見る。
「だって、人々の希望を背負ってる勇者たちが来ちゃったし」
「それに…」
二人は私に顔を向けてホウ、と甘い吐息をつく。
「そこのエリーにギュッってされたら人間も悪くないって思って、もうどうでもよくなっちゃった。人間にギュッてされるのがあんなに心地いいとは思わなかった。まあ人間でもないけど」
「神と知らなかったからって悲観と絶望の化身である私たちを抱きしめる人間がいるなんてね。…暖かった。それに柔らかくていい匂いで包まれてるっていう安心感があって…。まあ人間でもないけど」
二人はおかしそうに額を寄せ合って笑うと、クスクス笑いながらこちらに目を向けてきた。
「だから手を引いてあげる」
「希望だろうが幸運だろうがいくらでも入るようにしてあげる。あとはなるようになればいいわ」
クスクスと笑いながら後ろを向きかける小さい女神たちに、
「え、あのちょっと…!」
とアネモが声をかける。二人はグルリと一斉に振り向いてアネモを見た。
二人の神に一斉に見られたアネモはわずかに身を引いたけれど、それでも分からないという顔で腕を動かして、
「何で…何で神であるあなた方がこんな…こうなるまで…」
二人の小さい女神はわずかに表情をムッとさせる。
「さっき言ったじゃない、どうなるか気になったからよ」
「けどもうどうでもよくなっちゃったの」
「私たちがちょっとやる気を出したらここまで酷い国になるって分かったもの」
「まあまあ楽しめたわね」
アネモは信じられないという顔で二人を見て、悲し気に訴える。
「この地域に住む人々が可愛くないんですか!?人々を助けたいとちっとも思わなかったんですか!?」
女の子たちはアネモの言葉にケラケラと笑いながら頭と頭をくっつけ合ってアネモを見る。
「私たちは悲観と絶望を司ってるのよ?」
「人間が可愛いからその感情を与えていたの。ああ魔族とかモンスターも随分いたけどね」
二人はそう言うと頭をくっつけたまま手を繋ぎ、
「悲観と絶望は一心同体よ、でも元々地上に暮らす者には最初からその感情があったじゃないの」
「その目にも見えない感情にスポットを当てて名前を与えて作ったのは人間じゃないの」
「人間は目に見えないものは怖がるからすぐに名前をつけて姿を与えたがるの」
「他の地域の神々がどうかは知らないけど、私たちは人間が作ったようなものよ」
「人間が考えたから存在するのよ」
「だから人間に還元するのよ」
二人は言葉を止めてクスクスと笑ってお互いに目を合わせた。
「喋りすぎちゃったかな?」
「大丈夫、これくらい誰にでもわかることよ」
小さい女神二人はまた後ろを向いたけれど、「あ」と言いながら一人が振り向いた。
「そう言えばエリーが気にしてたエーハだけど。あのリッツって子がエーハに残ってる人全員殺したわよ」
「えっ、どうやって」
アレンが反射的に聞き返すと、もう一人も振り返って、
「一瞬でエーハに居る人たち全員の体を消滅させちゃった。気になるならエーハに行ってごらんなさい、そこら中に人の着ていた服が散らばってるシュールな光景がみられるわよ」
二人はクスクスと笑うとお互いに目を合わせ、
「魔族が首都をダンジョンにしたらこの辺りはどうなるかしら」
「さあ?でも新しい楽しみが増えたわ」
「そうね、ゆっくり見守りましょ」
「そうよ、私たちは真面目に頑張りすぎたわ。ゆっくり観察しましょ」
と歩きながら消えていった。




