夜のひと時
それから数日経った。
あれ以来本が増えることはなくて、毎日せっせとアレンと私が本の整理をして(サードは相変わらずサボってる)その合間にアレンは身体能力向上魔法の本を読みながら私と共に制御魔法を習って、サードは様々な文字をロッテから教わっている。
悔しいことに一番覚えが早いのがサードだった。
私ですら読めない古代文字、私の分野の魔法で使う特殊文字、果てはロッテが順次解読した天界文字すらサードはスラスラと覚えて、天界文字以外はロッテの教え無しで普通に読めるようになってしまった。
次点は私…と言いたいけれど、アレンとどっこいどっこいのレベルで苦戦している。
今まで自然を「よいしょ」と軽く動かすことしかしてこなかったから、自分で自分の魔法を制御する感覚が全く分からないのよね。アレンはそもそも魔法なんてどう使うのかすらも分かっていないし。
魔導士として力のあるディーナ家出身なんだからそんなのすぐにできるわと軽く考えていたからこれにはガックリきた。
今まで何も考えなくても魔法が使えてたのに、いざ頭で考えて魔法を使おうとするとこんなにも難しいなんて…。
寝る間際に制御魔法の使い方が書かれた本を探してきて、ソファーに寝そべりながらページを開く。
「制御魔法は体内から湧きいずる強力な魔力を抑えるためのものである。制御というがこれは力を暴走させないという意味合いであり、効果が半減するわけではない。やり方は自分の全身から魔力を放出しないよう、針の穴に糸を通すがごとく細く小さく一ヶ所に集中し…」
ボソボソと口に出して本を読んでみたけど、本を閉じて深いため息をついた。
「何言ってるか意味わかんない…」
「無駄に力を放出しねぇで一ヶ所に集中しろってことだろ?それくらい分かんねえのかよ、馬鹿か」
慌てて起き上がると、入口にサードが立っている。
「髪」
サードは私の返事も待たずにズカズカと部屋に入ってきた。
「もう少し遠慮しながら入ってよ、一応この部屋私の寝る部屋なんだから」
この屋敷に来て何度めかの文句を言うけけどサードは無視。
こいつ…と思うけどここであーだこーだ言っても髪をとかすまでサードは帰るはずもない。ムカつきながらも素直に髪の毛をソファーの背もたれの後ろに流した。
サードは後ろに立って私の髪を束ねている紐を取ると抜けた髪の毛を丁寧に袋に入れて、そしてまた髪の毛を丁寧にとかし始める。
当初は男の人から髪の毛をとかされるのにちょっとした気恥ずかしさもあったけど、もう今じゃ毎日のルーティンワークよね。
「サードはよくあんなわけの分からない文字の羅列をこんな短時間で覚えられるものよね」
頭の切れる男だとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかった。
「お前らとは頭の出来が違うんだよ」
さも当然みたいな小馬鹿にしてくる言葉にムッとなったけど、ここまで実力の差を見せつけられては何も言えない。
私はため息をついて肩を落とした。
「ロッテがあんなに分かりやすく丁寧に教えてくれるのに、こんなに覚えられないなんて…」
サードは何も言わないで髪をとかし続けていたけど、いきなり喉の奥で笑うような声を出した。
「何よ」
「素直に教えてもらってありがとうって思ってんだな、お前」
サードの言葉の意味を考えたけど、それより言葉が先に出た。
「どういうこと?」
「ロッテが何の裏も無くあれこれ教えてると思ってんだなってことだよ」
その言葉には憤りを覚えて言い返す。
「何それ、ロッテが何か企んで私たちに魔法とか文字を教えてると思ってるわけ?」
サードはついに笑い声を立てた。
「お前がここまで正直な女だと思わなかったぜ、ロッテはな、世界中を旅する俺らを使って情報収集してえんだ、分かんねえか?」
思わず振り向いてサードの顔を見上げる。
「そんなこと言ってないじゃない」
「アレンとエリーに魔法教える時点じゃあ俺だって何にも思わなかったがな、天界文字のところでピンと来たぜ。ロッテは魔族で人間界じゃあ自由に動けねえだろうし、どう頑張ろうが天界の本にも触れねえ。
その分俺にあれやこれやと昔の文字に魔法での特殊文字を教え込んで自分で情報収集できない地域の文献だの、天界の情報収集もあわよくばさせようとしてやがるってな。
ロッテは言ってたろ?『俺の故郷のことはまた今度』ってよ。また今度ってことは俺らがここを去った後にまた会う気があって、情報交換でもするつもりだろ」
「…」
なるほど、天界の文字を教えるって言われた時サードがロッテを睨んだのはそれだったの、ロッテが自分を利用するつもりだと察したから。
「けどそう分かった上で受け入れたのね」
人は利用するけど利用されるのは嫌がるくせに、というニュアンスで言うと、サードは楽し気に鼻で笑った。
「まあな。文字は覚えて損はねえし、会う度にロッテから情報を聞くほうが価値があるに決まってる。向こうも俺がそう考えて断らないと分かったうえで利用しようとしてんだろ、頭の回る女だ」
まるでロッテの手の平で転がされているようなものだけど、悪い気分じゃないみたい。
利用されるのが嫌いなサードでも美人な女の人に転がされるなら構わないのかしら。
「サードは美人な人になら利用されてもいいの?」
「頭の回転の早い女は好きだ」
ふーん、そうなんだ興味ない。
前に視線を戻して、今サードが言ったことを頭の中でまとめながら呟いた。
「じゃあ私たちに魔法を教えたのもそんな考えがあるってこと?」
「全員の死ぬ確率を低くするためだろ?なんだかんだでてめえらは冒険するうえで俺の役に立つからな」
別にサードのために力を奮ってるわけじゃないんだけどねー。
…でもそれなら利用するためっていうより私たちのための善意じゃないの?実際、覚えたら役に立つのを教わっているんだし。
すると髪の毛をとかし終わったのか、サードが後ろで片付けている音がする。
「ところでサード。あなたの故郷の話だけど…」
「出稼ぎと病人と…」
「違うくて」
身をよじって後ろにいるサードを見た。
「サードはどうしてそうやってかたくなに故郷の話をしたがらないの?何か理由があるの?」
話したくなったら自分から言ってくるでしょ、とロッテに言われたけど、それでもハッキリしておきたい。話したくないほどの…サードが言えないぐらいの過去があるから話したくないのか、を。
「まあな、理由はある」
袋に櫛などをしまい終えたサードは簡単に返すから、私は考えを巡らせた。
きっとサードの故郷は悪事がひしめいたような所で、サードはそんな悪事ひしめく故郷を出ざるを得ないほどの罪を犯したんだわ。
だからここまで自分のことを話したがらないのよ。
それでも一応仲間なんだからどんな内容が飛び出してきても受け止めたほうがいいような気もしてくる。
「サード、私話を聞くわ。だから教えてくれる?あなたの故郷のこと」
サードは眉をひそめ首を横に振った。
「やだよ」
「でもサード、話すと楽になるかも…」
サードは少し黙り込んでから私を真っすぐに見た。
「…何で俺が今まで故郷の話をしてこなかったか分かるか?」
言うのね、言うつもりなのねと黙ってサードを見返す。
サードは真面目な顔で私を見ながらゆっくり口を開いた。
「話すと長くなって面倒だからだ」
思わず前につんのめった。
「え、そんな理由?そんな理由で何も言わなかったの!?本当は何か犯罪を犯して故郷から逃げたんでしょ!?」
そこまで言ってからこれは言ってはいけないやつとハッと口をふさぐ。サードはイラッとした表情で、
「ざけんなブス」
と言うとさっさと出て行った。
「…」
分かりもしないのに最初から犯罪者扱いしてしまったのはさすがに申し訳ないと思ったけど、最後にブスと言われたら申し訳なさは吹き飛んで怒りが湧いた。
しょうがないじゃない、いっつもサードは犯罪者紛いのことばっかりしてるんだから。疑われるのだって自業自得よ。
ぷりぷりしながら本に目を戻すと、コンコン、とノック音がするので顔を上げると部屋の前にいるのはアレン。
サードと入れ替わりにアレンがやって来たのね。それにこうやって入る前にノックするのが普通よね、サードはマナーがなってないわ。
「どうしたの?」
何の用事かしらと声をかけると、助けを乞うようにアレンが情けない表情になって一冊の本を見せてくる。
「子供向けの魔法の本読んでるんだけどさっぱり意味分かんないんだよ~。エリーに聞こうと思って」
「私で分かるものなら教えるわよ」
手で部屋に招き入れると、アレンは小走りで隣に座った。
「そもそも魔法なんて使えないもんだと思ってたし、今更使えるって言われても何が何だかさっぱりで…」
「私だって生まれつき魔法は使えるけど頭で考えないでパッと使ってきたから、いざ頭で考えて使おうとするとよく分からないのよね」
二人同時にため息をついてから、私はふと思った。
「でも私よりロッテに聞いたほうが良いと思うけど」
人に教えられる程度の魔法の知識は私もあるけれど、実践の魔法ならロッテに聞いたほうが断然いい。
何より説明が分かりやすいし、その説明を聞いてるだけですぐ使えるような気分になるもの。まあ気分だけは。
「さっきロッテに会ったから頼んでみたんだけど、ガウリスのことでやりたいことがあって、それが今日の夜しかないって断られちゃってさ」
「ガウリスのことでねえ」
アレンの言葉に今日のお昼の出来事を思い出す。
お昼、私は魔法の威力を格段に減少させて魔法練習ができるという魔法陣が描かれた布をロッテに渡され、ロッテに見守られながら絞首刑台のあるケルキ山にその布を広げ魔法陣の中に入って制御魔法の練習をしたのよね。
それよりロッテと一緒だったらロッテの屋敷からは普通に出られた。
それでも布が破れるぐらいの魔法が出続けて何枚もの布がダメになって、段々心が折れかけた私を見かねたロッテは「少し休憩しよう」と絞首刑台に腰かけ二人ぼんやり空を眺めていると、雲と同じくらいの高さを自由に飛び回るガウリスが見えた。
やっぱり屋内は窮屈なのか、外で魔法練習するとなるとガウリスも一緒に出てきてあっという間に空に昇っていった。多分あまりに低空を飛んでいたらドラゴンだと大騒ぎになってしまうからかなり空高くに。
ドラゴンとは大きいものだけど、屋敷の中だと身動き取れず外に出るとあまりに目立つで不便そうと思った私は、
「もう少し小さくなれたらいいのに」
と呟くと、頷く程度でしばらく無言だったロッテがいきなり「あ!」と短く叫んだと思ったら私の練習の付き添いを放棄して屋敷の中に戻ってしまった。
その後は本をひっくり返し調べものに没頭している姿は見たけど…。
お昼の出来事を一通り思い出してから明かり取りの窓から空を見上げると、満月が煌々と輝いているのが見える。
満月の夜は魔力が高まるから何か魔術を使うなら絶好の夜。
もしかして小さくなれたら、という私の言葉でガウリスを小さくする魔術でも思いついたのかしら。まぁそっちはロッテがどうにかするでしょうからアレンのほうに集中しよ。
「それでアレンは何が知りたいの?」
アレンは子ども向けの本の最初のページを開いて指さし、
「体の中の魔力を感じるって最初のこれ。どこに魔力が集中してるかで向いてる魔法が分かるとか書いてるけど、もうそっからつまづいててさ。説明みたって本で読むのと実際に自分が体験するのって違うじゃん?」
「ああ、これなら私にも分かるわ。手を上向きにして出してみて」
アレンは言われた通りに手を上向きにして差し出してきて、私はその上に手をかざして魔法を使う時の感覚を手の平に集中させた。
「何か感じない?」
「…なんか熱い…し、ジリジリする…?」
「これは魔法が使えなくても誰でもできるものよ。生きている人のエネルギーみたいなものだから」
「マジか」
「これがもっと強くなると魔法になるの。とりあえず魔法ってこういう感覚よ」
感心するアレンの声を聞きながら目をつぶって、意識を集中した。
アレンの魔法の核はどこにあるのか探る。
頭、首、胸、手、お腹、脚からつま先。強くエネルギーを感じるのは…手と脚。
私は目を開けた。
「アレンの魔力の核は手と脚にあるわ。やっぱり体の機能を向上させる魔法が向いてるみたいね」
アレンはへー、と言いながら、
「エリーもそういうの分かるんだ」
と尊敬の念を込めるように言ってくるから、すねたように返す。
「私だって魔導士の端くれなのよ。モンスターを倒すだけじゃないわ。アレンも私には魔法の知識なんてないって思ってたわけ?」
「いやそんなこと無い無い、ただスゲーなぁって思っただけ」
アレンは慌てたように言ってから身を乗り出す。
「そんで俺ってどうすればいいの?」
「まず手と脚にある魔法の核を感じることから始めるのが良いと思う」
アレンはそっか、と頷いて私の言葉の続きを待ってる。
「魔法を発動するには魔法の核に意識をおいて、その力を感じながら発動するの。慣れたらそんな手順を踏まなくてもサッと使えるけどね」
…ってアレンに偉そうに教えているけど、私もそこでつまづいているのよねぇ…。
魔法の核は分かる。魔法の発動の仕方も分かる。
でも核を感じながら制御魔法を使って発動、とやろうとすると全く上手くいかない。
頭では完全に分かってるのに、実践になると何でこんなに手間取るのか分からない…。
『頭がいい奴ってのは頭に入れた知識を活用して応用できる奴のことを言うんだぜ?知識だけじゃ馬鹿と同じだ』
サードの言葉が不意に脳裏によぎって私は頭をブンブン横に振る。
「…そういえば」
アレンがふと思い出したように口を開くから、私はアレンに視線を動かした。
「魔王がいるって本当?」
「…え?」
アレンと視線がぶつかる。
「この間ロッテと話してたじゃん?魔王は地上には居ないけど魔界にいて、そんで立て直しが優先だから地上には俺たちが死ぬまでは来ないだろうみたいな。ラグナスっていう…あの生態調査員だっていう人も魔族だって言ってたけど本当?」
「…」
私は黙っている。アレンも黙っている。そんなお互い目が合っている中、二人して何も言わない。
何か言おうとしてもいきなりそんな話を切り出されたからどう伝えようと頭が真っ白になっていると、今度はアレンが拗ねたように口を尖らせ肩を落とした。
「もしかしてエリーとサードは知ってるけど俺だけ知らなかったのかなって思ってさ。だったらショックだなぁって…」
その言葉に慌ててアレンの肩を掴んだ。
「べつに隠してたわけじゃ…あ、いや、隠してたことは変わりないんだけど、その、込み入った事情でそのことを知ったから言うに言えない状態で…。でもサードも知らないのよ、そのことは」
だってサードはラグナスが魔族だと勘づいたけど、今は忘却魔法でその記憶が抜けて改ざんされているもの。
「え、嘘、サードも知らないのか?」
驚くアレンに私は頷いた。
アレンはしばらく目を泳がせながら何かを考えた後、私の目を見る。
「ラグナスが魔族で、魔王が復活してるのを知ってるのって、エリーと俺と…?」
「私たちと魔族ぐらいだと思う」
指を私とアレンに動かしながら言う。
「何でサードも知らねぇの?何か理由でもあんの?」
「それは…」
ラグナスやロドディアスから内緒にしてほしいと言われて、約束は守ると誓ったから。…って素直に言ってもいいかしら。内緒にすると約束したものを…。
少し悩んだけれど、相手はアレンだからと視線を合わせる。
「…あまり魔界や魔族に関することは言わないでってラグナスとロドディアスに言われて、言わないって約束したから今まで誰にも言わなかったのよ。…黙っててごめんなさい」
内緒にしていたことに関しては素直に謝ってから続ける。
「それにサードにそんなこと言ったらすぐに考えが回って私が隠してたこと全部分かっちゃいそうでしょ?特にラグナスが魔族でこの前の大金とレアアイテムを渡してきた相手だと知られたら今度は強請りだすかもしれないし…」
ラグナスもサードと関わりたくなさそうだったし、できるならラグナスが魔族で魔王の側近だということも、魔王が復活したこともサードには隠しておきたい。
前に魔王がいるならぶっ潰してその代わりに俺が世界を治めるとかサードが言っていて本当にやりかねないし。
私の言葉を聞き終わるころにはアレンは申し訳無さそうな顔になっていて、私の顔をのぞきこんでくる。
「…約束してたのに言わせちゃってごめんな、本当にごめん。じゃあ俺はラグナスのことも魔王が復活したことも何も聞かなかったことにする。約束する。でも何か相談したくなったら俺はいつでも聞くからさ、一人で抱えこむなよ?」
「アレン…」
その優しい言葉に思わずキュンとなる。
これがサードだったら怒り狂いながら腕を締め上げて無理やりにでも吐かせているはずなのに、アレンは怒りもせずむしろ約束したことを破らせてしまったと後悔して、その上でこうやって心配してくれる。
私は微笑みアレンを見上げる。
「アレンのそういう優しいところすごく好きよ」
アレンも嬉しそうに笑い少し私に身を寄せる。
「俺もエリーのそういう真っすぐなところ好き」
お互いに一瞬の間を置いておかしくなってきて、ふふふふふ、と笑い合う。
すると「んんっ」と咳払いする声が聞こえて、私たちは入口に目を向けた。
そこにはロッテが気まずそうな顔をして腰に手を当てて部屋の入口に立っている。
「良い雰囲気の時に悪いけど、お邪魔してもいいかしら」
良い雰囲気って、何が?
それよりロッテがわざわざ夜に部屋に訪ねてくるとか珍しいわね。
「何かあったの?」
ロッテは頷いて大広間のほうを向いた。
「エリーの力が必要なの。大広間に来て」
エリー
「(どうであれサードは生まれ故郷で重要指名手配犯になるくらいの悪人だったんでしょうね…)」
サード
「(俺が重要指名手配犯並のことして故郷から逃げたとでもエリーは思ってんだろうが、俺がそんなヘマするかよ、ざけんな)」




