ミラーニョとの会話
ミラーニョに促され、私は店の奥の休憩室に座っている。
こんな店の奥まで入って大丈夫かしらとも考えたけれど、サブリナ様の様子が聞きたいと目を潤ませ頭を下げるミラーニョを見て…つい情にほだされてしまった。
簡素な椅子に座りミラーニョと向き合うと、ミラーニョは身を乗り出す。
「どうやらあなたも私もお互い何者か知っている。けど今はそんなもの気にしないことにしましょう。ここで話し終えたら私とあなたはただの店長と客。それでいいですよね?」
いや、そんなこと言われても…私だってミラーニョを探しに来たようなものなんだから。
そう思って質問しようとするとミラーニョが先に質問してきた。
「それで、サブリナ様はどうしてますか?エルボ国とブロウ国で和平条約が結ばれた後は?」
ん?そういうエルボ国の話はカーミがミラーニョに逐一報告していたんじゃないの?カーミも一度ウチサザイ国に戻ってミラーニョに会ったはずだし…。
でもわざわざカーミの名前を出して聞くべきじゃないと声をぐっと小さくして、
「それより先に答えて。何であなたがこんな所で店長を?あなたミラーニョなのよね?魔族で黒魔術士たちの頂点に立っているのよね?」
「…」
ミラーニョはわずかに黙り込み、ハァとため息をついて薄い頭をかいた。
「この国には私の他にジルという魔族もいるんです、それは知っていますか?」
知ってる、と思ったけれど「そうなの」とだけ言っておいた。
「ジルと一緒に居ると息が詰まる…辛い…少しだけでも逃げていたいんです。私の自由時間は毎日のこの昼の一時間と一週間に一度の数時間の睡眠だけ。後はジルの使いっ走りとストレス発散のためのサンドバッグみたいなものです。ジルの要望にすぐ応えなければ足蹴にされて殴られて…」
ミラーニョは顔を両手で覆って、
「辛い…」
と心の底からの声で呟いた。
「毎日ここに店長代理として一時間だけ来ているんです。ミラーニョとしてではなく、ただの冴えない中年男として店員の子たちや客たちと話して笑い合っていると気が安らぐ…。人と会話をするのが楽しい、何の気兼ねもなく実の無い話で笑いあっているこの一時間が私の唯一の楽しみなんです」
ミラーニョはそう言うとまたため息をついて、
「まあ私の名も知っているのですから、私が国外に出て何をしてきたかもうっすら分かっているでしょう。そういうことです、そんな辛い状況から逃げるために私は国外に出て色々な国に行きました。…自由でしたよ、とても自由でした。あんな狂暴な兄から離れられて…」
「…え?あ、兄?」
あれ?ジェノはミラーニョのことジルたちのお父さんだとか言ったたわよね?
思わず聞き返すとミラーニョは「あ」と顔を上げ、それでもまあ別に言ってもいいかなぁという顔になる。
「私の父は魔族ですが、母は人間です。魔族の男と人間の女が交わると百の確率で人間の女は魔族の子を孕み、魔族の血が濃い子供が生まれるのだそうです。
しかし完全な魔族ではありません。力も強くなく、それも短命な人間の血で純粋な魔族より早く年も取る。見た目はもう完全にジルの親ですが、私はジルの弟なんですよ」
ミラーニョは指を組んでもてあそびながら昔を振り返る顔つきになり、
「そんな中でエルボ国に入った時、家族から冷遇されているサブリナ様に会いました。幼い子が大人のようなしかめっ面で塞ぎ込んでいる姿がまるで私を見ているようで、あまりにも辛くて、放っておけなくて…」
「…」
ミラーニョはロリコンだったんだろってカーミは言っていたけれど、やっぱりそうじゃなかったんだ。何かホッとした。
ってことは自分が立ち去ったあと一人残されるサブリナ様のことを気にして、ミラーニョはカーミにお城の中に入らせて情勢を自分に報告しろって言っていたのね。なるほど。
ミラーニョは顔を上げ、
「とりあえずは信用してくれましたか」
コクコク頷くと改めてミラーニョは聞いてくる。
「それで、サブリナ様は?」
…こうやって話をして、そして聞いてみてもやっぱりミラーニョは悪い人だとは思えない。それでもエルボ国での詳細な…私たちが勇者一行でサブリナ様に力を貸したってことは隠しておいた方がいいかもしれないわね。
「サブリナ様は今、国王の座に治まっているわ」
とりあえず結論だけを伝えるとミラーニョは「えっ」と目を見開いて、
「それに至るまでの詳しい話は知っていますか?」
とわずかに興奮気味に身を乗り出してくる。
ええ、そこも知らないの?カーミから何も聞いていないの?と疑問が止まらなくて、
「あなた本当に何も知らなかったの?」
と思わず聞くと、
「人を派遣していましたが…私に宛てられた内容が雇われたけどやることがなくて暇だってものがほとんど。あとは国内の荒れた様子、王家の無能さが目立つ会話中心でサブリナ様のことはろくに書かれていなかったんです。
唯一詳細に書かれたのがマーリンとかいうあの頭の腐った女に毒を盛られて寝込んだが命には別状はない、ただし毒による熱で頭がやられたようだというもので…」
人のいいおじさんの顔から一変、ミラーニョは憎々しい顔で自分の手をギリ、と握りしめる。
「『ただしマーリンが使用したものは頭に異常が出る程の毒でもない、王女は身を守るため頭がやられたふりをして王家の者たちから一歩引いているんだろう、その証拠に目にはまだ知性が宿っていて周りをよくよく観察している』
そう手紙には付け加えてありましたがね、後悔しましたよ。あんな性格の腐りきった女、殺してから国を去るべきだったと」
ミラーニョはそう言いながらまた私に質問する。
「で、そのマーリンどもはどうなったんです?あの自分が一番じゃないと満足しない奴らがそうそう簡単に王位を譲るとは思えませんが」
「えっとね…サブリナ様以外の王家の三人はそう毒っていう十年で死に至る病気になってしまったの。その病気を治すために城下町で暮らすことになってお城を去って、流れでサブリナ様が王位についたってわけ。今も大臣の力を借りて国の立て直しを頑張っていると思うわ」
その「流れでサブリナ様が王位についた」までが色々とあったんだけどね…。
とりあえずミラーニョはサブリナ様が今も頑張っているって話にマーリンに対する憎々しい表情を引っ込めて、まるで孫の近況を聞いて目じりを下げるお爺さんみたいな優しい顔になって頷く。
その表情にミラーニョは本当にサブリナ様のことを気にかけていて、それも娘…というより孫のような感覚で可愛がっているんだと感じた。
「サブリナ様は今でもあなたのことを本当に慕っているのよ。あなたが本当の父親で国王であればどんなに良かったかって何度も言っていたわ」
そう声をかけるとミラーニョは顔を上げる。
「あなたはサブリナ様と直接話したことがあるので?」
…あ、しまった。つい言ってしまった。でももう言っちゃったものはしょうがない。
「まあね、色々あって」
かなりざっくりと答えると、ミラーニョはかすかにフッと笑う。
「まだ私のことを信用していませんね?それも魔族に嘘は通じないってことが分かっている。全く、下級貴族出身のあなたがどこでそこまで魔族のことを調べてこの国に来たのやら」
「…まあ、色々とあって」
「言いたくないなら聞きませんよ。ただしこの国は治安が悪すぎますからさっさと立ち去るのをおすすめしますがね。あなたくらい顔が整っている女性など格好の餌食ですから」
そう言いながらミラーニョは店内の方を指さして、
「今店内にいるあの三人の客はこの国にそぐわないほど性根の整った男たちです、何ならこの国を出るまでボディガードになるよう私から頼みましょうか?」
…やっぱりミラーニョは悪い人じゃない。むしろ行きずりの私にでさえこんなに優しく気づかいしてくれる人…。
それならここで少し交渉すればミラーニョは私たちに協力してくれるんじゃない?
ジッとミラーニョを見ていると、ミラーニョも黙って私を見返して、私の返答を待っている。
「とりあえず仲間がいるからボディガードはいいわ。それと…あのね、一つ聞いてもいい?」
「何か?」
「あなたのお兄さん…ジルのこと、あなたはどう思ってる?」
その言葉にミラーニョは表情を変化させた。驚きと、何を言っている?という感情、それと見ただけで分かるぐらいの文句と不満しかないしかめっ面…。
その顔を見る限り、兄弟であれミラーニョはジルに対して愛情は持ち合わせていないみたい。
私は身を乗りだして、
「もしよ。もしジルを追いやれることができるとしたら、あなたどうする?」
その言葉にミラーニョは更に表情を変え、なんの思惑があってそんなことを自分に言うのかとばかりに私の顔を…ううん、脳内を覗きこもうとするように目を見開いて見てくる。
それでもこれ以上は何も言わない。ミラーニョの返答を待つ。
それでもミラーニョも私の目的がわからないからか、私が続きを話すのを待ち構えている。
妙な緊迫感の張りつめた部屋の中で刻々と時間が過ぎて…先に口を開いたのはミラーニョだった。それでもその口からは出たのはため息。そのまま数回首を横に振って立ち上がる。
「今の言葉、何も聞かなかったことにします」
ミラーニョは歩き出して私に背を向ける。
「どうやら私が思った以上にあなたは私のこともジルのことも…もしかしたらこの国内の現状もよく知っているらしい。あなたが何の目的でジルや私ののことを知ったのか分かりませんし、どんな考えでそんな…ジルを追いやることを言ったのかは不問とします。
ただジルに関わらないでください。今はジルも他のことに気を取られて私を昔ほどいびることもありません。今は安泰の時期なんです、私の安息を壊さないでください」
そう言いながらミラーニョは裏口の扉を開けて手を外に向けて、厳しい顔で振り向いた。
「どうぞ。今回はサブリナ様の話をお代替わりにさせていただきます」
話は終わり、出てってくれってこと?
それでもすぐに立ち上がらずジッと黙っていると、ミラーニョはどこか脅えた顔つきで目線を床に向けと逸らす。
「…ジルに逆らって今まで私がどんな目に遭ってきたと思ってるんです…?魔族の血が濃いからって殴られれば痛い、腹を蹴られると息が詰まる、骨も折れる、内臓だって破裂する、人間より治りが早いからって魔族ほど体は頑丈でもなく痛みに強いわけでもない、それでも人間の痛み止めなど効きやしない。
結果、人間より痛みに長くさらされることになる…ただの生き地獄です、想像できますか?全身に火傷を負った半死半生の状態でもなおサンドバッグにされ使い走りにされる辛さが…!」
心からの脅え切ったその声、その言葉…。
ミラーニョを協力者にする…どうやらそれは無理そう。私は立ち上がってノロノロと裏口から外に出る。
「それでも…私はあなたと敵対したくないわ。サブリナ様の心の支えになったあなたと」
心からの言葉を伝える。ミラーニョは渋い顔で何かしら口を開きかけたけれど、何も言わずゆっくりと口をつぐんで、
「…何も聞かなかったことにします」
そのままドアは閉められた。




