死ぬの?
全力で走ってゼーハー言いながら私はこの前皆で登ったルートまでたどり着いた。
ここまでの道のりでキシャの姿は見当たらず、そして山の斜面を見上げてふと気づく。山いっぱいに広がっている乾いた落ち葉が、所々ひっくり返って湿った裏側がむき出していることに。
どんどんと視線を上げていくと、湿った葉っぱが斜面の上まで延々と続いている。
やっぱり、ここを登って行ったのね。
どこでこの安全なルートを知ったの?誰かから聞いた?だとしたら誰が教えたの…まずそんなことはどうでもいい、キシャが何を考えて何をやろうとしているのかは分からないけれど拘束させてもらうわ。
キシャが登っていった場所を同じように私は登っていく。
確かこの前登った時はここら辺でサムラは大丈夫か振り返って…ここで大丈夫と思って自分のことに専念して登ったのよね。
それからはケッリルが降りてくるまで落ち葉を踏みしめて登っていって…相変わらず落ち葉で滑りやすい斜面だわ。とりあえずキシャが自分の足跡を残していっているからその通りに進んでいるけれど…。
「…!」
人の声が聞こえて、私は立ち止まって一旦しゃがんだ。
こんな所に居るのはリヴェルかジェノかキシャ。でも多分キシャだわ。
もっと身を低くして声の出所を探ると、枝の隙間で動くものを見つけた。
あのずんぐりむっくりした背の低いフォルム…確かにあれはキシャね。
もう少し近づこうとするけれど、動くと落ち葉がガサッと音を立てる。あんまり近づいたら気づかれるかも。むしろ思ったよりキシャとの距離が近い、今の音で気づかれた?
もうほとんど地面の上にうつ伏せになっている状態で警戒しながら黙っていると…キシャは一人大声ではしゃぐように喋りながら登っている…?私には気づいていないわね。
キシャの姿を見逃さないよう、それと確実に一瞬で拘束できるように距離を近づけようとできるだけ静かに後をつけていく。
それでもキシャは山登りが苦手なのか体力がないのか…何度も足を滑らせて、ちょっと登っては立ち止まってゼエハア息を整えつつ登っているわ。
キシャって私より体力ないのね。
私はなるべく音を出さないように、キシャに見つからないようにと普段より無茶な低い姿勢で登っているからいつもより疲れるし息も切れてはいるけれど、キシャほどじゃないもの。
やっぱり冒険者としてあちこち歩いているから普段ブラブラしている男の人より体力もついているんだわ。
そう思うと少なからず自分の成長を噛みしめる。
そうよ、周りの皆…特にサードとガウリスの体力が化け物級に凄いだけで、私だって体力がついているのよ。
自信もついた私は少しずつキシャとの距離を詰めて、そろそろ木の枝で拘束しようかしらと杖をキシャに向けた瞬間、急にグルリとキシャが振り向いた。
ザシャッと地面に倒れるように伏せて低木の細い木々で隠れる。
見つかった!?
心臓をバクバクさせてジッとしていると、キシャからはゼエハアという体力を使い果たしたような息使いが聞こえてきて、息が落ち着いたと思ったら急に笑いだした。
「一年…一年かけてやっとだ…」
…私に話しかけてる?
「やっとこの町を目茶苦茶にできるぞ俺は…!」
…ううん、どうやら独り言だわ。それにしてもさっきから独り言が多かったけど、モロに喋り出したわね。
キシャの独り言は続く。
「見てろよ、この浮かれた町の奴らに…観光だの温泉だの混浴だので楽しんでる奴ら全員、全員だ、全員殺してやる、何幸せそうなのほほんとした面しやがって、てめえらが楽しんでる中、俺が直々に全員の命に手を下してやろうと魔術かけてるなんて気づきもしねえで、楽しそうにはしゃぎやがってよお!」
ヒャハハ、と笑いながらキシャは上空を見上げ、
「ぶっ潰してやる、幸せそうに笑ってる奴らなんて死ね!死ねばいい!ジル様!ジル様に頂いたこの力で…この一年の間、町の中から外を歩いて仕掛けた黒魔術で、俺はこの町の奴らを全員ぶっ殺してみせます!」
顔を上げて低木の枝の隙間からキシャを見る。
ジル?黒魔術…!?
じゃあキシャってジルを崇拝しているウチサザイ国の黒魔術士…!?
だとしたら私と、あのお婆さんが危険人物だと感じたのは当たっていた。キシャはこの一年ただ町中をブラブラしてたわけじゃない。歩きながらこの町を滅ぼす魔術をしかけていた…!
キシャが聞き取れない言葉でブツブツ呟く。すると地面がゴゴ、と縦に揺れて、その振動で落ち葉と一緒に私は斜面をわずかに滑り落ちた。でもすぐに低木の枝を掴んでその場にとどまる。
ドンッと空気を震わす爆発音が響いて顔を上げると、ミラグロ山の天辺から煙が激しく噴き出していて、黒い点々としたものが空中を飛んでいく…。
待って、もしかしてあの黒い点々って、山の火口から吹きとんだ土とか岩?それじゃあもしかしてキシャがやろうとしてるのって、ミラグロ山の噴火とか…?
火山の爆発の規模なんて分からない。でもすごく危険だっていうのは分かってる。
それにこの町を滅ぼすって言っていたんだもの、このまま放っておいたらイゾノドリコ町にいる全員が死んでしまう!
これ以上キシャのやることを眺めてる場合じゃないわ。両腕を広げて自分がいまこの町の命運を支配しているとばかりに笑っているキシャをとっとと拘束…ううん、気絶させてでもいい、とにかくどうにかしないと!
魔法を発動してキシャの背後の低木を操る。それぞれがゾロロッと動いて枝が伸び、キシャを拘束…。
と、山の天辺から矢のように何かが斜面の上から飛んできて、キシャにぶち当たった。
「ぶへへえっ」
キシャからすごい叫び声がしてゴロゴロと斜面を転がって私の横を通過して、もっと下の低木の枝が張り巡らされている所に引っかかって止まる。
そのキシャと目が合った。
「てめ…この前の女…」
キシャが起き上がろうとすると矢のように飛んできた何かは飛び上がってキシャに向かって拳を振り上げ、そのまま地面にめり込ませるほどに落下してきた。
「ぶへっ」
そのあまりの威力に張り巡らされた枝も全て折れ、キシャは気絶したのか無言のままズルズルと頭から斜面を滑り落ちていく。
その拳を振り上げた人物は…リヴェル。あの筋肉美を盛り上がらせて、キシャを睨みつけている。
リヴェルも私が居るのに気づいた。チラと私を見て、気まずそうに視線を逸らす。
それでも今の状況が知りたいのか改めた調子で私に向き直ってキシャに親指を向けた。
「あの男、何」
「…多分ウチサザイ国の魔族を信仰してる黒魔術士で、キシャっていう男よ」
魔族を信仰している黒魔術士、と言う言葉にわずかに眉間にしわを寄せて、
「…何の術を使おうとしてたか分かる?」
と聞いてくる。それでもそんなもの分からない。分からないけれど…。
「キシャは一年前から町中と町の外を歩いていて、さっき呪文を唱えた後にミラグロ山が噴火したの。もしかしたらミラグロ山を噴火させようとしてるのかもしれないわ」
その言葉にリヴェルの顔が引きつった。
するとまたゴゴゴ、と地面が揺れる。
バッとキシャを見ると、意識を取り戻したのか口がモゴモゴと動いていて、それに連動するようにまたミラグロ山の方からブシュウと煙が噴き出して揺れが酷くなっていく。
リヴェルは足を上げて地面にダンッと全力で足の裏を叩きつけると、途端に揺れは収まって噴煙も収まっていく。
「…この山が、ミラグロ山が噴火したらやばいの」
リヴェルの言葉に視線を向けると、リヴェルは引きつった顔のまま私を見ている。
「この辺りにある山は全部火山なんだ。それでミラグロ山は周辺の火山を抑える栓みたいなもん、もしミラグロ山が噴火したら他の火山も全部爆発して…町どころかこの国が全部溶岩で埋まる。
それにその噴煙が風に乗って空を、世界を覆う。その後数百年の間はあちこちで日の光が遮られて夏も冷える。そうなると農作物もいつも通り取れなくなる、そうなったらあちこちの国で餓死者が増える…」
そこでリヴェルは口を止めたけれど、今の話で私の表情も引きつった。
キシャはそこまで知ってて噴火させようとしているの?それとも知らないままにこの町だけを潰そうと…?ううん、そんなこと考えてる場合じゃない、キシャは思った以上に危険人物だった!
キシャに向かって魔法を使おうとする前にリヴェルは、
「ぶっ殺す!」
と手の平に拳をパァンッと良い音で当てて、まだ横になっているキシャに向かってグンッと飛び出した。
するとキシャはわずかに顔を上げて、リヴェルを見据えて口を開けた。するとキシャの口の中から細い糸みたいなものがシャッと飛び出してリヴェルの体に突き刺さる。
リヴェルは「いってぇ!」と小さく叫んだけれどすぐに体に突き刺さった細い糸をビッと引き抜いてキシャをぶん殴ろうと腕を振り上げるけれど…急にガクンと地面に膝をついた。
キシャもオエエ、と言いながら糸みたいなものと一緒に胃液を吐き出し、口を拭いながら、
「みたか、これが黒魔術だ、人間だろうが精霊だろうが体の動きを止める効果のある…」
そんなことを言いながらキシャはウブッと頬を膨らませて、オエエ、と吐き出している。
どうやら精霊にも効果があっても、自分にもすごく負担のかかる魔法みたいね、それ。
するとミラグロ山がさっきまでとは比べ物にならないぐらいに揺れて、キシャどころか体に力の入らないリヴェル、私も足をすくわれて転び、斜面を滑り落ちて行く。
頂上を見上げると火口からリヴェルの髪の毛と同じ色合いの…赤やオレンジの色合いのものがチラチラと噴き出している…。
「ダメ!噴火しちゃダメエエエエエ!!」
大声で叫びながら杖を地面に突き立てて、自然を操る魔法を一気に発動する。
大丈夫よ、私は人に操れない雷だって楽に操れるんだから火山の噴火を抑えるくらい…!
そう高をくくった瞬間、ズンッと体に圧力がのしかかって、地面に足がめり込んだ。
同時にまるで足の指の間から頭まで丁寧に引き裂かれて行く感覚、それに体中の血管が皮膚の上から雑に引きはがされているような感覚に襲われる。
「イギャアアアアアアアアア!」
あまりの痛みに絶叫した。
意識が遠のきかけたけれど、意識が戻る、でも即死しそうな痛みで意識が遠のく、意識が戻る…。
一瞬で何回気絶して何回意識が戻ったの?
そう考えている間にも気絶と意識が戻るのを繰り返され続けて…頭がおかしくなりそう、誰か助けて、解放して…!
「ああああああああああ!誰かああああああ!アアアアアアア!」
泣き叫ぶ自分の奥底で、私は自分を観察しているような感じになる。
そうか、私、自分の叫び声で意識が戻っているんだわ。じゃあ叫ぶのを止めたら…死ぬの?
キシャは倒れているリヴェルと、泣き叫ぶだけの私を見て口を拭いながら起き上がり、そしてニタニタと笑っている。
「てめえも…ムカつくんだ、俺の顔を見て、顔を引きつらせて…自分の顔がいいからって俺みてえな男を見下してんだろ、分かるんだぞ俺は」
キシャはそのまま山に向かって両腕を広げ、
「みてろぉ!まずはてめえら含めて町の奴らの息を止めて遠くに逃げられないようにする、そうして恐怖に陥ってるクライマックスにジワジワと溶岩で覆いつくしてやらあー!」
また黒魔術らしい呪文をキシャが唱え始めるけど…ダメ、やめて、今息ができなくなったら私、死…。
ふっと私の呼吸が止まった。
叫ぶことができなくなって、気絶した意識がもう戻らない。
目の前がブラックアウトして、脳天がしびれて周囲の音もゆっくり遮断されて何も聞こえなくなった。
エルボ国で下級貴族として過ごした日、金の髪を狙われ戦争が起きたこと、サードたちと旅をして現在に至るまでの記憶が一瞬でよぎっていく。
あ…私死ぬんだ?
そんな思考する能力も、そこで途切れた。




