私は激怒した
無理。
…その言葉にポカンとしていると、リヴェルはテーブルの上にあるリュックをひょい肩にかけて、
「じゃああたしミラグロ山の火口調査してくるわ。最近動きが活発になってるから記録しとかないと」
と外に出て行こうとする。
するとアレンがリヴェルの前にバッと移動して行く手を阻み、
「いやいやちょっと待ってくれよ!」
と引き留めた。
「俺よく分んねえけど、サムラの目ぇ見えるようになるんだろ?やってくれよお願いだから!」
すると、リヴェルの髪の毛が目が潰れそうなぐらいの眩しさで輝いた。それと同時に炎に巻かれるような熱気がリヴェルからゴッと広がって、溶岩みたいな色に輝く手をアレンにグッと近づける。
「ドアッツアァ!」
アレンは叫びながらひっくり返った。
その様子にリヴェルは笑って、
「あたしは火山の精霊だ。本気出せば人間なんて一瞬で骨まで溶かすことができるんだよ。だから進む邪魔しないでね」
とアレンをまたいで外に出て、バタンとドアが閉められた。
落ち葉を踏みしめる音が少しずつ遠のいて、家の中は次第に静寂で包まれる。
皆は呆然とリヴェルが去っていく足音を聞くだけで、誰も何もしゃべらない…。
「…ウ」
静寂が破られた。
声の方に顔を向けると、サムラが口を押さえ、その場に膝をついて泣いている。
声を押し殺して泣いているサムラを見て、胸が張り裂けそうなほどのショックに襲われた。
同時にショックを受けた以上の怒りが脳天まで駆け上がった。
ずんずん歩いてドア付近にいるアレンを手で押しのけてドアを開けて外に出る。周りをグルグルと見渡すと、山の斜面を頂上に向かって行くリヴェルの後ろ姿を見つけた。
「ちょっと!」
大声で怒鳴りつけると、リヴェルは振り向いて立ち止まる。
怒りに任せ落ち葉を足で蹴散らし杖をリヴェルに向け、また怒鳴る。
「何でサムラの目を治さないの!できるんでしょう!?なのに何でやらないのよ!」
リヴェルは私を見て、ゆっくりとした足取りで向き直ると口を開く。
「無理だから無理って言ってんだよ」
「でも治せるって言ったじゃないの!」
リヴェルの前までたどり着いた私は怒りに任せてタンクトップを掴んで揺らすと、されるがままのリヴェルは簡単に答えた。
「治せるよ」
「じゃあ治してよ!」
「だから無理って言ってんだろ」
淡々と返すリヴェルの言葉で、余計に頭の中が沸騰する。
「じゃあ何で治せるなんて言ったの?本当は治せないだけなんじゃないの!?できないくせにできるって嘘ついたわけ!?この嘘つき!」
わずかに冷静な自分が心の中で「そんなこと思ってないのに」と言う。でも怒りに任せるがまま怒鳴り続けていたら思ってもいない言葉が口をついて出た。
するとリヴェルも瞬間的に怒りの形相で腕を振り上げ私に殴りかかろうとする。
それでも口端を下げて歯ぎしりしながらも殴ろうとするのを必死で抑えている。
ブルブルと腕を震わせ眉も目も吊り上げながら私を睨み続け、私を片手で突き飛ばした。
片手でもリヴェルの力はすごくて、私はわずかに空中を飛んで落ち葉をまき散らしながら地面に倒れ込む。
「ざっけんな!」
私が怒鳴ったようにリヴェルも怒鳴った。
何よと言い返そうと起き上がるけれど、そのリヴェルの表情がどこか泣きそうな顔に見えて…。
私が黙ると、怒りを押し殺すような震えた声で、
「あたしが…あたしがどんな気持ちで断ってると思ってんの…!?」
リヴェルは私を上から睨みつけて指を突き付ける。
「とっとと帰れ!もしあたしが戻って来てまだここに居たら火口に突っ込んで殺してやる!脅しじゃねえぞ、てめえのその面二度とあたしに見せんな!」
そのままリヴェルは背を向けて、人の動きではない身軽さで山の斜面を登って行った。
一瞬の泣きそうな表情に見えたけど、最後の最後に言い渡された言葉に私の頭がまた沸騰する。
「何よこの…!」
立ち上がって罵倒しようとしたけれど、サード以外の人に対して罵倒の言葉がすぐ出なくて、
「ばーか!バーカバーカバーカ!バーーーーカア!」
とジタジタと地面を蹴とばしながらもう見えないリヴェルに向かって叫び続けた。
「やめろエリー、聞いてるこっちが恥ずかしい」
「罵倒し慣れてないエリー可愛いなぁ」
後ろからサードとアレンの声が聞こえて「はぁ!?」とドス声で振り返る。視線の先ではサードは呆れた顔をしていて、アレンは微笑ましそうにホッコリ微笑んでいる。
でもその二人の顔を見ていたら余計に腹が立ってきた。
「だって治せるって言ったじゃないの!治せるって!」
一番近いサードに八つ当たりするように噛みついて行くと、サードは、まあなって顔つきで肩をすくめる。
何でそんなすました顔で肩をすくませる程度なのと余計に怒りが湧いて、
「なのに治さないってどういうこと、精霊なんでしょ、町の人には優しくするけど他の国から来た人には優しくしないってこと!?」
「いやそこまでは言ってないだろ、落ち着けエリー」
アレンがなだめようとしてくるけど、アレンも何でそんなに落ち着いているの、だってサムラの目を直してくれるかもしれないってここにきて、治せるって言ったのに無理だって言われて…!
何で怒らないの…!
「何でアレンもそんなに落ち着いてるわけ!?マーシーだってリヴェルの所に行ってどうにかしてもらいなよって書いてたじゃないの、サムラの目がよく見えるようになるかもしれないのに!」
「エリーさん落ち着いて」
ガウリスも声をかけながら近づいてきて、
「リヴェルさんにも何か事情があるのかもしれません、人と精霊は考え方も違うのですから何かしら無理だと言わざるを得ないことがあるのかも…」
「知らない!あっちの言い分なんて知らない!そんな正論今聞きたくない!」
あまりにも腹が立ってガウリスにも噛みつく勢いで怒鳴ると、ガウリスは静かに黙り込む。そんなガウリスに申し訳ない気持ちも感じたけれど、この申し訳なく思う原因もリヴェルよ、リヴェルがサムラの目を治してくれないから…!
「エリーさん」
サムラが駆けつけてくる。
サムラはどこか落ち込んだ顔でジェノに肩を支えられながら、
「エリーさん…僕は大丈夫ですよ。精霊のリヴェルさんが無理だっていうなら、本当に無理なんです、きっぱり言ってもらった方が…諦めもつきますから…」
そう話している途中でもう泣いているじゃない。
そんなサムラにも怒りが湧いてくる。
「何で、何でそんなにあっさり諦められるの、すぐそこにサムラの目が治せる人が居るのよ、何のために私たちに依頼を出してここまで来たの、部族の皆を守るためなんじゃないの」
「でも…無理だって…」
私はサムラの両肩を掴んで揺らした。
「そんなすぐに諦めないでよ!何で無理だの駄目だの言われてすぐに受け入れるの!こんな時ぐらいもっと反抗してよ!抗ってよ!」
怒鳴られてサムラは委縮してしまった。何か言おうとしているけれど私の剣幕に言葉が出ないのか、諦めに似た顔でただ首を横にフルフルと振っている。
その顔を見て悲しいのか怒りたいのかよく分らない感情でグチャグチャになってきて、口を開きかけると肩を掴まれる。
振り向くとケッリルが首を軽く横に振り、
「今一番傷ついてるのはサムラくんだよ。これ以上責めるようなことは言わないでやってくれ」
ハッと口をつぐんだ。
そうよ。目を治してもらえると一番喜んだのはサムラ、無理と言われて一番傷ついたのもサムラ…。
私はただリヴェルに対する腹立ちを皆に…一番傷ついてるサムラにもぶつけていただけ。
ケッリルの言葉に私はサムラから手を離した。すると怒りがするすると抜けて悲しみだけが残る。
「だって…だってサムラの目治せるって言ったのに…」
言っているうちに目にじんわりと涙が浮かぶ。
隣でケッリルが優しく頷く。
「うん」
「けど無理ってどういうことなの、サムラがどんな事情を抱えてここまで来たかもろくに聞きもしないで…!」
「うん」
ケッリルは私の背中に手を回して、優しくポンポンと叩いている。
「君の言いたいことは分かるよ。皆もそう思ってる、でもガウリスくんの言う通り彼女にも事情があるはずなんだ、少し落ち着いて考えてみよう?」
「…」
冷静になった私はコックリと頷いて、皆に向かって頭を下げて謝った。
「当たり散らして…ごめんなさい」
あんなに一方的に当たり散らしたのに、皆は大丈夫、気にしてない声をかけてくれる。
一番落ち込んでいるサムラからも…。
いけないわ、こんなことで皆に迷惑かけちゃ。本当に申し訳ない…。
そんな中、サードは何も言わない。呆れているのかしらとチラと見ると、サードはケッリルを見下げるように見ていて、
「随分と女の転がし方がうまいもんだな…」
と嫌味なのか皮肉なのか褒めているのか分からない一言を呟いていた。
* * *
「…はあ…」
一人で夕暮れ時のイゾノドリコ町をトボトボと歩く。
あの後、私たちは山から降りてきた。
ジェノはサムラの悲しげな様子を見て同情した顔をしていたけれど、
「でもあんなにリヴェルが怒ってたらしばらく機嫌が悪いと思う。…だからごめんね、一旦下に降りてってもらえるかな?あの勢いだと本当に火口に放り込みかねないから」
と今すぐ下山するように言ってきたから。
私も一人になって頭を冷やそうと部屋にこもって、皆も気を使っているのか一人にしてくれたけれど、一人でいると鬱鬱としてきたから散歩がてら外に出た。この夕暮れ時は宿にお客を引き込もうとする女性たちがスタンバイしている時間帯だけど、私が歩いているここは表通りから離れた一般家庭の家が多い所なだから待ち構えている人もそうそう居ない。
「はぁ…」
またため息をつく。
一人になって色々と考えたけれど、怒りに任せて余計なことを言って話をこじらせてしまったっていう後悔がぐるぐると襲ってくる。
そのせいでリヴェルを怒らせて、話合いすらできない状況にしてしまった…。ガウリスの言う通りリヴェルにも何かしら事情があって無理と言って断っただけかもしれないなのに。
今まで会ってきた精霊…。
幸運のミツバチのアネモたち、草花の精霊のエローラ、ラーダリア湖のレンナ、マーシー、ライデル、ホルクート…皆私たちに優しかった。
…まあ道を分断されて怒っていた精霊とか妖精たちは別として、今まで会ってきた精霊たちは優しく人のためと力を貸してくれていたから、リヴェルもきっと力を貸してくれるはずと決めつけていた。
私がしたことは勝手に「やってくれるわよね?」と押しかけて、相手の事情のことなんて考えず「ここまでお願いしたのに何でやってくれないの!」って逆切れしただけ。
そう考えるととんでもない来訪者だったじゃない、リヴェルがあれだけ怒るのも当たり前だわ。
それでも治せると言った後に無理の一言で終わらせて何もやってくれないとか…それはそれで最悪じゃない?無理なら最初から治せるとか言わないで無理とか言ってくれたら私たちだってまだ少しは納得したのに…。
「…」
立ち止まって町のすぐそばにそびえたっているミラグロ山に目を移した。
その面二度と見せるな、ってリヴェルに怒鳴られたけど…それでも日を置いてリヴェルの怒りが少し和らいだ時を見計らって謝りに行った方がいいのかも。
あの時だって私を殴ろうとしても必死に殴ろうとするのを我慢して突き飛ばしたんだもの。カッとなった勢いだけで動くような人にも思えない。
それならとにかくリヴェルに謝って…せめてサムラの目をどうして治すのが無理なのか理由だけでも聞きにいこう。やっぱりその説明も無しに引き下がるなんてできない。納得のいく理由を聞くまでは諦めきれない。
そこまで考えて自分の気持ちに決着がついた。
それなら皆に今考えたことを伝えに宿に戻ろう。
グルンと振り向くと、後ろに人がいたみたいでドッとぶつかってしまう。
相手は私より身長の低いずんぐりむっくりした体型の男の人で、私の方が軽く弾き飛ばされてよろけた。
「ご、ごめんなさい。大丈夫だった?」
すぐ謝ったけれど、相手からのプン、と漂ってくるすえた臭いに思わずウッと顔をしかめた。
目に入るのはボサボサで脂ぎっているフケだらけの茶色い頭…しかも葉っぱが絡みついている…ううん、脂でくっついてる?何よりこの臭い…どう考えても一週間以上お風呂どころか水浴びもしてないんじゃないの…!?
たじろぐように、そして道を開けるように後ろに下がると、男の人はギロッと私を睨みあげる。
でもすぐに表情を崩してニヤァと笑った。
「いいよぉ、いいよぉ。別にいいよぉ」
嫌悪感が先に立ってしまうニヤつき具合といやらしい言い方…。それでも初対面の人相手に一瞬でも嫌な顔をしてしまった罪悪感でただその場に立ち止まって黙っていると、男の人は私をすり抜けて歩いて行く。
「…」
何となくだけど、あの男の人と同じ路地に居たくない。
戻ろうと背を向けると、私の耳に男の人のボソリとした呟きが聞こえてきた。
「どうせてめえもこの町の奴らも皆死ぬし」
エリーは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の勇者を除かなければならぬと決意した。エリーには政治がわからぬ。エリーは、国の下級貴族である。笛は吹かず、友人と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
サード
「除けるもんならやってみろよ…」(ゴゴゴゴ…)
アレン
「圧倒的ラスボス感…!」
恐らくですが、一部東北で一番人をキレさせる最大の罵倒方言は「んが」です。口喧嘩の最中に「んがよ」などと使うときっと最大限にキレます。
意味は侮辱レベルで相手を下に見ている感じの「てめえ」です。何ともない時にでも「んがよ~w」などとふざけて言おうものなら「あ?」って東北人は目の色変えて臨戦態勢になります。




