新たな精霊が
「エリー大丈夫だった?」
温泉から出るとアレンから牛乳を渡されたから、それを受け取りながら、
「…すっごく…太ももつままれた…屈辱的だった…」
「大変…でしたね?」
ガウリスは何て言えばいいのか分からなかったのか、疑問形で慰める。
二人の周りを見てふと気づいた。サムラとサードが居ない。
「サムラとサードは?」
聞くとアレンとガウリスは、ああ…と温泉の方へと視線を向ける。
「サムラさんは温泉が気に入ったようでもう少し入っているとおっしゃっていて、サードさんは…えーと」
「…出かけて行ったのね」
ガウリスの歯切れの悪い言葉にすぐ察した。きっと今頃はあの曲がり角の奥の女の人の元にたどり着いる頃でしょうね。
「許してやれエリー、もうあの状態になったサードは止められない」
「許すも許さないも、サードなんてそんな奴じゃない。それでも最近は前より女遊びも落ち着いてきたなぁって思ってたんだけど…」
そう言いながら牛乳を飲んで、プハッと息をつく。
お風呂上がりの火照った体にこの冷えた牛乳…すごく美味しい。最高。
アレンは私の言葉にそう言われれば、って感じで、
「だなぁ、前より通りすがりの女の人に目ぇ付けなくなったよな」
「昔は本当に酷かった…とっかえひっかえの日替わりで」
「そうそう、エリーが仲間になってガウリスが仲間になるまでが一番酷かった」
アレンは飲み終わった空はこっち、と指さすから言われた通りそこに空の容器を置いた。
「私が仲間になってからも女性に声をかけている姿はよく見てきましたけど…」
ガウリスの言葉にアレンは手を横に動かして、
「いやいや、ガウリスが仲間になったころはちょっと落ち着いてたぜ。やっぱエリーが仲間になった頃だよ一番酷かったの」
アレンの言葉にハッとした。
「もしかしてサードがいた孤児院って教会だからおおっぴらに女の人に声をかけられなくて、旅に出て自由になった反動でああなったのかしら」
「そう言えばサードがサドって所に居た時も宗教施設に居たんだろ?そこもそういう傾向が強かったのかもな。冥界でハチサブローと話してる時にこっちに来るまで女の人にハグもキスもされたこともなかったみたいな話してたじゃん?」
「むしろ女性が男に抱きつくなんてはしたないとも言ってましたね。サードさんらしくない言葉だったのでよく覚えています」
それじゃあガウリスのいた神殿もそんな感じなのかしら。ガウリス全然女の人に声かけないしそういう話は嫌がるし。
「ガウリスの神殿も女の人に声をかけるのはダメなの?」
聞くとガウリスは首を横に振って、
「いえ。うちの国は聖職者であれ子供が出来るのは大歓迎と恋愛も結婚も推奨されていました。信仰する神によっては禁止されていますが、基本的に大らかでしたよ」
「…じゃあ何でガウリスそんなに頭固いの」
「あまり得意な話ではないので」
アレンはニヤッと笑って話しかけようとしたけど、その顔に嫌な気配を察したガウリスは、
「では私も外に調べものに出かけますので、先に行きますね」
と素早く背を向けて行ってしまった。
「…ガウリスつれない…」
「アレンがガウリスの嫌がる話をするからでしょ」
しょんぼりするアレンに呆れて言うと、アレンはバッと私を見て、
「だって下ネタ振るとガウリスすっげー迷惑そうな嫌な顔するから楽しいんだもん」
「…」
それは…何となく分かるかも…。常に立派な人のくだけた顔が見えた嬉しさっていうか楽しさっていうか。
それでも私だってガウリスと同じく下ネタは好きじゃないから、
「ほどほどにするのよ」
とだけ言っておいて部屋に戻りましょうと促す。
アレンとはアレンの部屋の前で別れてもう少し奥の負かり角にある自分の部屋に向かっていくと、この宿屋のおかみさんと男の人が私の部屋近くで親しげに話しているのが見えた。
どうやらあのおかみさん自らに案内されるのは結構なVIP待遇らしいのよね。アレンが大浴場に入っている時に聞いたみたいなんだけど。あの男の人もVIP待遇を受けるような人なのねと通り過ぎようとした。
するとおかみさんが通りかかる私に気づいて、
「ああジェノさん。この方、勇者御一行のエリー・マイさんなんですのよ」
と手を向けてきた。
声をかけられたから私は立ち止まって、ジェノと言う男の人に目を向ける。
「…」
猫みたいな顔…。垂れた細目で笑っているように口端が上がっていて…まるで春の日差しの野原のど真ん中、風に吹かれながらまどろんでいる猫そのもの…。その顔を見ているだけでこっちまで眠くなりそう…。
「勇者御一行の…女魔導士のエリーさん…?」
ジェノが声をかけてくる。
その声も男の人にしては高めで、それも優しい。
「初めまして。エリー・マイよ。勇者一行の魔導士として冒険をしているわ」
軽く挨拶をしながら手を差し出すと、ジェノは少し戸惑った気配を見せたけど、おずおず手を差し出してお互いに握手をする。
「初めまして、僕はジェノ・ネードです、この辺りに住んでます」
私より簡単な挨拶をするジェノにおかみさんが横から口を挟む。
「ジェノさんはこの町の発展に大いにご尽力してくださっているんですのよ。この町のすぐ隣にミラグロ山という活火山があって、その地質の調査をして、温泉がこの町に流れる仕組みを考えて作ってくださったり、温泉が詰まらないような設計を考えてくださったり。
ジェノさんのおかげでどれだけこの町が潤っているかわかりませんわ、国のお城の中にも顔パスで入れるほど王様から信頼されていて…」
続く褒める言葉にジェノは恥ずかしそうに手を動かして、
「やめてくださいよぉ、僕はただの使い走りなんですからぁ」
その手の動き…何かにのたのたとじゃれついている猫にしか見えないわ。今にも眠りについてしまいそうな幸せそうな顔のせいかしら、失礼だけどそこまで凄い人って感じがしない。年齢も私より少し上くらいの若い人だし…。
「それじゃあ僕はこれで…」
ジェノはいそいそと部屋の中に入って行った。部屋に入るジェノを見送ってからおかみさんは私を見て、
「お部屋に戻っている途中で声をかけてごめんなさいね、この町の自慢の方だからどうしてもエリーさんに紹介したくて」
と謝りをいれてくるから「大丈夫よ」と首を横に振る。むしろジェノ自身は凄い人に見えないけど町の人がつい自慢したくなるほどこの町に貢献しているのね。…ダマンドみたいなものかしら。生きている時も、死んでからも市のために尽力したような…。
「この町自慢の人なのね」
ダマンドのことを思い出してポロッとそう言うと、おかみさんはふふ、といたずらっぽい微笑みを浮かべて私に一歩詰め寄る。
「いえ、違いますの。実はジェノさん…」
と言いながらもったいぶりながら耳元で、
「人じゃなくて精霊ですのよ」
その言葉に目を見開いてバッとおかみさんを見る。
「えっ本当?ジェノは精霊なの?」
おかみさんは私の驚いた反応を見るとコロコロ上品に笑って、
「ジェノさんは温泉の湧く場所を誰より先に見つけてくださってますの。それも私たちには考えつかない設計をあれこれと考えて形にしてくださってますし…ああ、この宿の混浴もジェノさんの発案で設計もしてもらいましたわ。
何より私がここに奉公に来た八歳のころからここのおかみになるまでのこの数十年、ジェノさんはちっとも年を取っていないんですもの。きっとミラグロ山に住んでいる精霊だろうって町の皆で言っておりますの」
ミラグロ山の精霊…。それってマーシーがサムラに行ってみるといいって手紙に書いてた精霊のことよね?その精霊ってジェノって名前だったかしら、どうだったかしら…。随分前に一回聞いただけだから覚えてないわ。
…うん、ミラグロ山の精霊の名前はジェノだったはず、多分。
でも何で精霊が温泉宿に泊まりに来ているの?
疑問に思っているうちにおかみさんは「ではごゆっくり」と軽く頭を下げて去って行った。
まあ、とりあえず目的の精霊が私のはす向かいの部屋にいるってのは分かった。それならサムラが温泉から上がったらアレンにも声をかけてジェノの部屋を訪ねよう。
そう思って自分の部屋のドアノブに手をかけたけど、ふと思い直す。
ううん、やっぱり先にアレンに声をかけてジェノに話をつけておいて、サムラが温泉から上がったらすぐいつでも話せるようにした方がいいかも。あまり遅い時間に部屋を訪ねるのは失礼でしょうし。
部屋に入ろうとするのをやめてグルリと振り向く。
するとジェノの部屋のドアがわずかに開いていて、その隙間からジェノがこっちを見ていてビクと体が揺れる。ジェノも私が急に振り向いて目が合ったのに驚いたのか、すぐさまバンとドアを閉めた。
「…?」
黙ってジェノの部屋を見るけど、もうドアは開かない。
何だったの?まるで私を覗き見していたような…。
『お前隙が多いんだよ』
『性的にも殺意的にも襲われてもしょうがないなぁ~って思うよ?だって隙が多いんだもん』
サードとカーミの言葉が脳裏に流れてくる。
けど頭をブンブン振った。
だって相手はこの町に貢献して町の人たちから好かれている精霊よ?精霊がそんな隙をみて襲おうとするわけ…。
…でもサンシラ国の最高神として崇められているゼルスは私を襲おうとしたわよね…。そうよ、最高神でもそうなんだから人から好かれる精霊でもそんなことをする人だってるかもしれない。
『ちょっと自意識過剰なんじゃないの』
カーミの笑う声も流れてきて「そうよ考えすぎよ襲われるわけないわよ」って私自身からも違うんじゃないのって否定の考えが出てくるけれど、首を横に振る。
念には念を、よ。
とりあえず今日はもう部屋に入ろう。ジェノの部屋の前を通ってアレンの部屋に行くのもやめよう。
明日サードが一番に髪の毛を梳かしにこの部屋にやってくるはずだからジェノのことはその時に伝えればいいわ。
部屋の中に入ってしっかりと鍵を閉める。窓もちゃんと鍵がかかっているか確認して…一応使っていない椅子もバリケード代わりにドアにくっつけておこう。窓近くにも…。
…でもあの幸せそうにまどろむ猫そっくりの顔を思い浮かべると、やっぱりそんなことはないとは思うけどね…。でもそれだとしたらあの覗き見されてるような感じは何だったのかしら。
* * *
心配したようなことは何も起きないまま朝を迎えた。
想像通り朝いちばんに髪の毛を梳かしに来たサードに、私は早速ジェノのことを伝える。
その話を聞いたサードは即座に私の言う部屋に向かって…しばらくしてから戻ってきた。
「ジェノは朝飯も食わずにとっくに出て行ったってよ」
「え!?」
ジェノは昨日夜も更けた時間帯に部屋に入ったのに、朝食も食べないでこんな朝早くに出発した?何のために宿泊したのかろくに分からないじゃない。宿に眠りに来ただけ?
「普段は朝飯を食って風呂に入ってから出て行くのに、こんなこと珍しいって宿の連中が言ってたぜ。エリー、お前何かやったか?」
失礼な。私を何だと思っているの。
イラッとして、
「やってないわよ」
と返したけど…昨日私の方を覗き見していたジェノをふっと思い出した。
何かあったとすればそれしか思い浮かばないけど、でもあれは何となくお互い気まずい気持ちが残っただけで、それが朝早くに出ていってしまった原因…ではないと思う…。
ともかく朝食を終えてから皆で私の部屋に集まって、ジェノの話を皆に聞かせた。
「精霊…まさか、同じ宿にいたなんて…」
ケッリルは驚いた顔で呟いて、アレンは私に聞き返してくる。
「それって例のミラグロ山にいる精霊のことだよな?マーシーが会いに行ったらって手紙に書いてた」
「この手紙ですね」
サムラがゴソゴソとマーシーからの手紙を取り出してアレンに渡す。
でもアレンは手紙を広げて「ん?」と首を傾げた。
「ここに書いてる名前、ジェノじゃなくてリヴェルって書いてるぜ」
「もしかしたらラーダリア湖のように別の世界に行ける場所があって、そこにたくさんの精霊が住んでいるのかもしれませんよ」
ガウリスの言葉にそれは考えられるわ、と私は頷いて、
「それなら火山の入口ってどこかしら、火口?」
「それ一歩間違えたらただの自殺だぜ。マーシーの手紙の中に手描きの山の絵が描いてるのあったはずだ、あの時はろくに見なかったがそれに詳しい場所でも描いてるんじゃねえの」
サードが軽く私にツッコんでからアレンにそう言って、アレンはどれどれと紙をめくって…。少し時間が止まったように動きを止めてからそっとテーブルの上に一枚の紙を差し出した。
「もしかしてサードが言ってたのってこれかな…?」
皆で覗き込む。サードはそれを見ると軽く眉間にしわを寄せて、
「次にマーシーに会ったらぶん殴る」
と平坦な声で一言いった。
けど確かにこれは…この案内の絵は酷すぎる…。
だって一筆描きで山の形でしょ?その天辺付近の右部分に矢印が引かれて「ここ」としか書いていないんだもの。どこよ、どこなのよ「ここ」って…。
最後の頼みとばかりに私はアレンに声をかける。
「アレン、これでどこか分かる?」
アレンはすごく困った顔をする。
「…ここ、だけじゃちょっと…。どの位置から見ての山の右側なのか分かんないからさ…。この町から見ての右と反対側の町から見ての右だと正反対だろ?…せめて方角書いてくれてたらなぁ…」
サードはため息をついて、
「とりあえず今日は全員で情報集めでもするか。ミラグロ山、ジェノ、リヴェル、これから先山に雪が降るかどうか、この絵を信用する限り精霊は山の頂上付近にいるみてえだから天辺まで登るルートも」
「…それって僕も…?」
恐る恐るサムラが聞くと、サードはチラと見る。
「不服か?」
「…この町の女の人…怖いから…行きたくないです…」
脅えたような泣きそうな顔でサムラが首を横に振っている。するとケッリルも、
「…私は…人と話すのが苦手で情報を集められるかどうか…十年かけても黒魔術の村の情報をろくに集められなかったから…情報集めには向いてない…」
と控えめに声をかける。サードはため息をついて、
「だったらサムラとケッリル、てめえらは留守番。そうだな…精霊関係ならエリーとガウリスを分けた方がいい」
するとアレンは自分の隣にいるガウリス、対面している私とサードを見て、
「だったら今の横並びで分ければいいんじゃね?俺はガウリスと、サードはエリーと」
と指を動かした。
「それなら行くぞ」
さっさとサードが立ち上がるから、残るサムラとケッリルに「いってくるわね」と声をかけてから出発した。
でも昨日みたいにまた人に揉まれて疲れるんだわ…覚悟を決めて行かなきゃ。
気合を入れて外に出たけど…肩透かしを受けた。
昨日の人を片っ端から宿屋に引き入れようとする人がいない。むしろ明らかに旅行客のような人たちがワイワイと賑やかに行き交っていて、あちこちでは食べ物やお土産品などの呼び込みをしていて…昨日とは違う活気のある賑わい。
「何これ…昨日の夜と全然違う…」
「昨日私たちが来たのはちょうど宿泊客が多く流れ込んで来る時間帯だったんでしょう」
サードは往来の多い人ごみの中だから表向きの顔で歩いていくから、その後ろをついて行く。
歩いて少しすると、美味しそうな匂いが漂ってきて思わず足を止めた。
何?このおいしそうな匂い…。
匂いの出所を探すと、少し向こうの店先で何か作っているのが見える。あのお店からの匂いなのね。
「…ねえ、サード。あそこであれを買いながら聞き込みをしましょう」
歩き続けるサードに声をかけて美味しそうな匂いのするお店を指さす。
サードは振り返って私の指さす方向の店に視線を動かして、また私に視線を戻してきた。
「先ほど朝食を食べたばかりですが?」
「けど…美味しそうじゃない」
「太りますよ」
ムッとなるとサードはニヤニヤ笑いながら、
「秋は肥える時期ですからね。いくらローブで体の線が隠れるからと油断していたらどうなるやら…」
「太ってないもん!体型だって変わってないもん!むしろケッリルから武術習って筋肉がついて引き締まったもん!」
「あなたのどこに筋肉がついていると?もう棒切れ…」
昨日のタダ入浴をした筋肉美の女の人が言っていた言葉を呟きながらかすかにサードは笑ってる。
そこまで交わした会話もハッキリ覚えているくせに昨日は全然助けようともしなかったのよねこいつ。サムラはあんなに心配してくれていたのに。
イラァとしてサードを置いて美味しい匂い漂うお店に向かってズンズン歩き出す。
「いいわよ、自分の分だけ買って色々聞いてくるから!」
するとサードは隣を並んで歩いてくる。
「別に食べないとは言ってません」
「…」
それなら太るだのなんだのって余計なこと言わないで「それなら食べましょう」とだけ言えばよかったじゃない…何なのこいつ、めんどくさ。
サードとエリーと宿の入口から別れ、振り向いたアレン
アレン
「…俺がエリーと行った方が良かったかな…歩いて十歩くらいでもう二人が揉めてる…」
ガウリス
「あれくらいならただの小競り合いですよ」
アレン
「(ガウリスも慣れたもんだなぁ)」




