初温泉!
「ねえ君、一人?」
「え?」
大浴場に向かっている途中で声をかけられて振り向くと、男の人二人がニコニコしながら立っている。この宿備え付けの寝間着を着ているから宿泊客よね?
「もしかして混浴に行く?」
「ううん。私、大浴場に行くの」
混浴に行くかと聞かれたから首を横に振ると、
「もしかして水着持ってないとか?」
「水着無いならレンタル分払うから一緒に行かない?」
私は首を横に振る。
「ううん、私大浴場に行くから。それじゃあ」
「ええ~もったいないよ」
「せっかくここに泊まったのにさぁ」
断りを入れて歩き出すと二人も後ろをついてくる。しかも後ろからごちゃごちゃ言いながら混浴に誘ってくる。
何か面倒くさい人たちに捕まってしまったわと思いながらいちいち断りつつ歩いていくけど、二人は全然離れていかない。
改めて二人に向き直って、迷惑だとハッキリ伝える。
「だから私混浴に入る気はないって言っているじゃない、いい加減にしてくれないかしら」
「いやだって一人なんでしょ?人数多い方が楽しいって」
「同じ宿なんだし、こうやって知り合いになったんだしさぁ」
どこか意地になってきたのか、私がうんと言うまで引かないつもりなのか…。
…まさかこれが前にアレンが言っていた「物にするまで諦めないしつこい男もいるんだからな!そんな人に会ったらエリー逃げられるの!」って状況?
それでもハミルトンみたいな悪い相手でもなさそうだし、話せば納得してくれるはずと延々と断り続けたけれど、二人は本当に引かない。こんなに断ってるのに何で分からないのとイライラしてきた。
…魔法で吹っ飛ばして追い払おうかしら…。
「エリー?」
サードの声。
いつもだったら何とも思わないけれど、こんな時には救世主のように思えるものね。
「サード!ちょうど良かったわ、しつこくて離れてくれないのよこの二人」
パッと振り向いてサードの傍まで駆け寄って、その後ろに隠れる。
サードは背中に逃げ込む私を目で追ってから、目の前のしつこい二人の男に視線を向けて爽やかに微笑んだ。
「うちのエリーに何か?」
二人はたじろいで、ヒソヒソと「エリーとサードって…」「え?もしかして勇者御一行…!?」と話し合っている。
「え、ま、まさか勇者御一行だったんですかぁ!?」
「あ、ああ、アハハ、いやちょっとお話できればと思ってえ…」
わざとらしく誤魔化す二人をサードが微笑んだまま無言でジッと見る。
「…」
「…」
無言の威圧に段々と気まずくなってきたのか、二人はそろそろと逃げて行った。そのタイミングで向こうの曲がり角からアレンにガウリス、サムラがやってくる。
「あれ、サード先に行ったのにまだここいたの?」
「エリーを混浴にしつこく誘う奇特な連中がいましてね」
「え!何て奴だ!俺が先約してるのに!」
別にアレンが一方的に誘ってきてるだけで先約なんて入れてないのよ。
でも皆の後ろにケッリルが居ないわね。
「ケッリルは?」
「魂の状態だと服が脱げないし温泉にも入れないからって断られちゃった」
そうなの、と思っているうちにサードはズンズン進んでいく。
混浴に行くのかしらと思ったけれど、向かっている先は私と同じ大浴場みたい。
「アレンは混浴?」
「うーん…とりあえず大浴場」
そう言いながらアレンは私をチラチラと見てくる。
「混浴一緒に入ろうぜ」って言いたそうだけど、さっき私が本気めで怒ったから少し遠慮してるわね。
どうやらガウリスとサムラも大浴場に向かっているみたいで、皆でぞろぞろと移動してから男湯、女湯と別れて進んだ。
とりあえずお湯に髪の毛がひたったらマナー違反みたいだから、リボンで髪の毛を頭の上でまとめる、と…。
うーん…でも自分で髪の毛まとめるって大変なのね、いつもサードが髪の毛をまとめてくれてるから…。サードってどうしてあんなに簡単にきっちり髪の毛まとめられるのかしら…。
悪戦苦闘して出来上がった私の頭は大量のリボンだらけで、それもボサボサになってしまった。サードに見られたら「そんなつなぎ方したら髪がこんがらがって痛むだろゴルァア!」ってキレられそう。でも女湯にサードはいないから問題ないわ。お風呂からあがったらよく梳かしておけばいいわ。
それから最初に身体を洗って…人が数十人入っても余裕な広さの湯舟にそろそろと入って体を伸ばす。
いつもバスタブ付きの良い部屋に泊まっているけれど、ここまでゆっくり足を伸ばして手を広げて肩まで浸かれるところは滅多にない。この解放感と熱めの温度…最高。
「観光できたの?」
先に入っていたお婆さんに声をかけられた。
「ううん、冒険の途中で」
返すとお婆さんは「ほー」と珍しそうな顔をする。
「珍しいね、他所から来たのに混浴じゃなくてこっちの大浴場に入るなんて」
「仲間に誘われてはいたんだけどね…」
カカカと快活にお婆さんは笑う。
「でもあっちは家族連れだのカップルだの観光客だのでせわしないから、ゆっくり入りたいならこっちだよ。こっちは地元のもんがサッと入ってサッと出るぐらいのもんだからさ。なのに見ない顔があるってつい声かけちゃった」
そう言いながらお婆さんは私の顔と体をジロジロと見て、
「もしあっちの混浴に行く時にゃ水着は絶対に忘れちゃいかんよ、そんないい体タダで見せたら勿体ないからね!金もらわにゃいかんわ!」
お婆さんはお金を現わすジェスチャーをしてウヒャヒャヒャと笑う。すると同じ湯舟に使っている色んな年齢の女の人たちから、
「これババア、やめなさい素人の女の子相手に」
「これだから女を売る職業に長年携わったババアは視線も言葉も遠慮を知らん」
とたしなめる言葉があちこちから飛んでくる。
すると外に続いている扉がカラカラと開いて、冷たい空気が流れこんでくる。たちこめていた湯気も外からの空気で薄くなった。中に入ってきた女の人は、
「今日は満月よぉ、今なら外空いてるわよぉ」
と朗らかに声をかけてきて、お婆さんをたしなめていた女の人たちは私に、
「冒険者ならそんなにゆっくりできんでしょ、せっかくなんだから露天風呂に行ってきたら?」
「そうそう。こんなババアに関わってたら今に下ネタトークが始まるわ、逃げなさい」
するとお婆さんは面白く無さそうな顔で、
「失礼な女どもめ…あんたらなんて私の話聞いていっつも笑い転げてるくせに…」
「地元のうちらはいいけど、こんな大人しそうな旅をしている子相手にやめなさいって言ってるの!ほらお逃げ!」
そのやり取りにその場の人たちが笑い合ってる。
会話の内容的にそういう職業に携わってる人が多いのね。…何となくそういう職業の人って薄暗いイメージで嫌々働いてるって思っていたけど…明るい人たちだわ。
外に出ると一気に冷たい風が襲ってきて、思わず身震いしながら慌てて露天風呂に入って首まで浸かる。
「ああ…」
中の温泉と比べるとぬるいけど、それでも外の空気の冷たさを感じた後だとこのぬるさがとても良い最高。
「あ、もしかしてエリー?」
高い壁の向こうから声が聞こえて、顔を動かす。
「アレン?」
「うんそう。さっき皆で露天風呂に来てさ。いやー、こんな風呂滅多に入れねえから新鮮でいいよなぁ」
「そうですね、温泉がまさかここまで広いとは思いませんでした」
ゆっくりくつろいでいるガウリスの声。
「温泉気持ちいいです…」
和んでいるサムラの声。
「俺はもう上がる」
サードの声とザパッとお湯から立ち上がる音…。
「え?早いな、もうのぼせた?」
「あ?」
アレンの声にサードがムッとした声で返す。
「誰がのぼせたって?」
「サード」
「ざけんなよてめえ」
ザパッと湯船に沈む音…。
「サードさん無茶はいけませんよ」
「のぼせてねえつってんだろ、ざけんな!」
バシャバシャと暴れる音が聞こえ、
「いけません、お湯の中で暴れたら余計のぼせてしまいます」
「のぼせてねえつってんだろ、殺すぞ!」
余計お湯の音が大きく響き渡る。お互い攻撃したり防いだりともみ合っている感じ。
するとサードとガウリスの攻防戦で起きたお湯の水しぶきに巻き込まれたのか、
「うわぁー」
とアレンの間の抜けた声が。それと共に、
「ブハッ」
とサムラの短い叫び。サムラも巻き込まれたみたい。その一瞬の間の後、アレンとサムラがけらけら笑って、
「おいサードやめろよー」
「頭びしょびしょですー」
とアレンとサムラが笑っている。
…なんか…あっちが凄く楽しそう。
同じパーティなのに…壁一枚向こうで皆が盛り上がってるのに…私はこの広い露天風呂にポツンと一人で楽しそうな様子を聞いているだけ。こうなると結構寂しい。疲れたとか何とか言ってないで混浴に入るって言った方が良かったかしら。
ほんの少し後悔していると、後ろからペタペタ人の歩いてくる音が聞こえてくる。軽く首を動かして視線を向けると筋肉で引き締まった体の褐色の肌の女の人がいて、
「お邪魔しまーっす」
と湯船にザブザブ入ってきた。男湯の方は女湯に知らない人が来たからか一気に静かになる。
褐色の肌の女性はフンフンと鼻歌を歌いながらボリュームのありすぎる赤とオレンジの入り混じった髪の毛をワサッと持ち上げて繋ごうとしている。
お風呂に入る前に繋いでくればいいのにと思いながら黙っていると、髪を束ねる紐がそのボリュームのありすぎる髪の量に耐え切れなかったのかブツンと千切れた。
「うあーー!髪紐切れた!最悪!」
大げさなほどの声で女の人が騒ぐ。
けど髪の毛を湯舟につけるのはマナー違反だし、これだけの髪の量を湯舟につけないまま入るのは不可能。
それなら…。
私は自分の髪の毛を束ねていた一本のリボンをシュルッと取って、
「私のリボン貸すわ。来て、繋いであげる」
女の人は素直に背を向けて自分の髪の毛を上に持ち上げるから、頑張って髪の根元にリボンを巻き付けてギュッと縛り付ける。よしよし、良い感じに繋げたわ。
「はいできた」
声をかけると女の人はニカッと白い歯を見せて私を見上げる。
「ありがとー、助かったよ。けどあんた不器用だねえー!あんたもあたしも髪の毛ボッサボサじゃん!あんたなんてリボン何個つけてんの、すっごいグチャグチャの頭!アッハハハ!」
上手くできたと思ったのに不器用だのなんだのと言われてグサッときた。しかも今私の頭がリボンだらけのすごい頭になってるってサードにバレた。後で怒られるかもしれない、お願いだからそれ以上私の頭について何も言わないで。
「あんた旅行できたの?」
私が内心傷ついたり慌てているのに気づいていないのか女の人は普通に声をかけてくる。
「冒険者よ。ちょっとこっちに用事があって…」
「へー、ちょっと用事があってこんなにいい宿屋に泊まるってことは…金持ってるな?」
ニヤ、と笑いながら指を突き付けられて、
「…まあ、不都合はないくらい」
と返す。女の人は「そっかー」と言いながら首までどっぷりと浸かって上に腕を伸ばした。
「もう少し早めに来てたら山の紅葉も綺麗だったんだけどねー、タイミング悪いわー、ほとんど落ちちゃったもん、葉っぱ」
その伸びている細身の引き締まった二の腕…。
ケッリルは男の人と女の人じゃ筋肉のつき方が違うって言っていたけれど、これが女の人の筋肉のつき方?全然男の人とは違う。
二の腕は力こぶが盛り上がっているけれど胸は大きい。お腹は縦に割れているけど腰は細くくびれている。そこからは引き締まった長い足…。
背中の方は見ていないけれど、きっとお尻も引き締まってキュッと上がっているはずだわ。
こういう女性的な柔らかい所を残しながらの筋肉のつき方は少し憧れるかも。むしろカッコいい…素敵…。
思わず女の人の筋肉美に見惚れてしまったけれど、あんまりジロジロ見るのは失礼よねと視線を逸らす。それでもこの町にたどり着くまでのこの数日間はケッリルから護身術の武術を色々教わってきたんだから、少しくらい隣の女の人みたいな筋肉がついたんじゃないかしら。
試しに二の腕を折り曲げて力を込めてみるけど、全く女の人みたいな筋肉は盛り上がらない。
「何やってんの」
女の人に声をかけられた私は思わず驚いて腕をまっすぐにする。
「いえ、最近体少し鍛えてるから筋肉ついたかしらって思って…」
「はあ?あんたの体のどこに筋肉がついてるって?全然だよ、もう棒切れ!」
ぶっははは、と女の人が大爆笑している。
…この人、全く悪気はないんでしょうけど、どことなく人をムッとさせるわね…。
ムゥ、と頬をかすかに膨らませていると女の人は私が不愉快になっているのにようやく気づいたのか、
「ああ、ごめんごめん。けどあんたそこまで筋肉がつくような骨格でもないし」
「骨?私骨からダメなの?」
話に食いつくと女の人は遠慮も無く私の腕をギュッギュッと握って、
「ダメじゃないけど骨が太いと体つきもしっかりするからさ。どっちかと言うとあんたは筋肉つけるよりモデル目指した方がいい体型だよね、細身で。ああ冒険者だっけ」
腕を握るその手の力も強い。
「あなたはこの辺で力仕事でもしているの?」
「そうそう。あたしはこの辺の山を歩いて仕事してんの」
山を毎日歩く仕事…。山の管理?木の伐採?他に山の仕事って何があるかしら…。
思いを巡らせていると、
「けどここはやっぱ冒険者だね、太もも」
いきなり女の人に太ももを無遠慮にギニッと掴まれた。
「ギャー!」
「やっぱ冒険者は色んなところ歩くからね。体のわりに足に筋肉ついてるわ」
「ギャー!イヤー!ちょ、やめ、イヤアーーー!」
微妙に嫌な所をギニギニつままれて叫びながら逃げようとするけれど、しっかり肩を掴まれてて逃げられない。
「エリーさん!?どうしたんですか!」
向こうからサムラが慌てたような声で呼びかけてくる。
その声を聞いた女の人は顔を上げて、
「おやぁ?仲間が向こうに居るのかなぁ?」
女の人はニヤァと笑うと、
「あんたのお仲間の足を今触っている!どうだ、羨ましいか!スベスベだぞ、細いが引き締まっ
ていても柔らかくていい触り心地だぞー!どうだ、羨ましいかー!」
「イヤアアアア!ちょ、ギャー!助けて、助けてー!ヒギャアーー!誰かー!」
暴れて逃げようとしても手はお湯を掴むばかり。それに女の人の筋肉は機能的で、その力強い腕で肩にがっちりと手を回されて逃げられもしない…!
「皆さんエリーさんが危ないです、行かないと…!あ、何で、何でダメなんですか、何で止めるんですか…!だってエリーさんが助けてって…」
サムラが向こうからこっちに来ようとする音が聞こえるけれど、多分他の三人がサムラを引き留めている。
…むしろ何でサムラ以外の男たちは気配を殺して一言もしゃべらないの…!
「エリーさん!ケッリルさんから習ったものを今やるべきですよ!」
サムラが向こうからそう言ってくる。
…そうよ、こういう目に遭わないようにサードが隙を減らせって言ってケッリルが身を守る武術を教えてくれていたんじゃない。今こそ特訓の成果を使う時よ。
息を整えて体の力を抜く、女の人の手首を掴む、ぐるりと女の人の腕の下を潜り抜けるように体を動かす、女の人の手首を掴んだまま後ろから腕の関節を押さえる…。
私は女の人の腕の中から逃げて、女の人の腕はねじられる。
「おっとと…」
無茶な体勢になっている女の人の腕をすぐ離すと、肩をグルグルと回しながら女の人はニカッと歯を見せて笑ってきた。
「へー、やるじゃん、弱そうだけどあんたやっぱ冒険者なんだ」
弱そうの言葉がまあまあ引っかかるけど…それでも特訓以外で初めてケッリルに習った武術が上手く出来たことと筋肉美の力強い女の人に褒められた嬉しさのほうが勝って「えへ」と照れる。
すると女の人は「そろそろ上がるかぁ」と言いながら風呂からザッパリと立ち上がった。
結構短いお風呂だなと思って見ていると、女の人は外からの目隠しの壁に向かって歩いて行って「イヨッ」と言いながら壁の上へと身軽にヒョイと登った。全裸で。
「…え?」
女の人は壁の上から私を見て、
「あ、このこと内緒ね」
と言いながらヒョーイと壁の向こうに飛び降りていく。
「ちょ、待って…!全裸ぁーー!」
驚きのあまり語彙力のない叫びをあげながら立ち上がるけれど、女の人からは地面に着地する音とガサガサと落ち葉を蹴散らし走り去っていく音しか聞こえない。
呆然と立ち尽くしていると風が吹いてきて一瞬で体が冷えてくる。私はそのまましゃがんで温泉に浸かった。
思えばここの露天風呂に出る扉は引くとカラカラと音が出るのに、あの女の人がやってきた時その音がしなかったわ。
ということは…。
「…タダ入浴…!?」
エリー
「ちょ、待って…!全裸ぁーー!」
アレン
「(何事…?何事…?全裸…!?)」(そわそわ)
サード
「…」←気配を完全に殺して静かに聞いている
ガウリス
「…」←聞いて聞かぬふり
サムラ
「何で…?何で皆さんそんなに知らないふりなんですか…?酷いです仲間じゃないんですか…!?」←よく分ってない




