急激な依頼
行く先をウチサザイ国からクレンジ国に変更した途中の大きい町で、私は一人買い物に出た。
これから本格的に冬になるから、新しい冬服でも買おうと思って。
今まで行ったことがないくらい南の方に行くから冬服は要らないかもって思ったけれど、南とは言ってもサムラの住むタテハ山脈は標高が高いから冷えるらしいのよね。
話を聞いてみるとサムラの住むタテハ山脈の反対側の地域には雪が多く降るんだって。でもサムラの住む側には雪はあんまり降らない。
雪が降らないならいいわね、って言ったら、
「でも雪が降らない代わりに乾燥した冷たい風が山脈の向こう側から吹いてくるんです」
それだったらサムラの住む側の山脈の麓にあるウチサザイ国も山から冷たい風がずっと吹き下ろして寒いかもってアレンが予想していたから、やっぱり冬服を買おうと決めた。
それにマジックアイテムの大きいバッグを買ったんだもの、少し多めに服を買っても大丈夫。ああ本当にこれを買って良かった。とりあえず服の下に着る冬用の肌着とタイツに靴下は新しいの買おう。
本当は毛糸の服があれば温かいし見た目も可愛いけど…毛糸の服ってすぐに穴が開くし伸びるし適当に洗えないしで扱いに困るのよね。手先が器用な人だったら一回ほどいて編みなおせるんでしょうけど、私は服を編んだことないし。
それとも冒険者用のショップにいけば丈夫で可愛い毛糸の服があるかしら…。
あれこれ考えながら歩いていると、ガッと誰かに肩をつかまれた。
驚いて振り返った視線の先には私と同年代くらいの男の子が…。
「あ、あのあの!冒険者ですよね!?」
早口でまくしたてられてその勢いにあっけに取られたけど、
「そ、そうだけど…何?」
と聞き返す。男の子は変わらない早口で、
「あの、助けてください!俺ん家っつーか食糧庫にモンスターが入り込んで…!」
慌てたように男の子は私の腕を掴んで引っ張って行こうとする。同年代男子の力に少し引っ張られたけど私は、
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
と言いながら大きく腕を動かして腕を振り抜いた。自分の手から私の腕がすっぽぬけた男の子は立ち止まって振り向く。すると何かにピンときたのか、
「あ、お金ですか、お金だったら絶対払いますから、あ、でもできれば銅貨以下だと嬉しいなっていうかうちそんなお金なくて、あ、でも銅貨ギリギリの値段でも正直キツイかも…」
なおも男の子は慌てたように手を動かし足もパタパタさせながら早口で言ってくるから、私は落ち着いてよ、とばかりに首をゆっくり横に動かして、ゆっくりと言葉を続ける。
「違うくて、それってどんなモンスターなの?数は?人に襲いかかってくる気配はあったの?」
とりあえずそこを最初に言ってもらわないと困るのよ。
「分かった!」って駆けつけて私一人の手に負えないモンスターだったら困るし、ワチャッといっぱいいたとしても困るもの。
男の子も私の言葉に少し落ち着いたのか私に向き直る。
でも落ち着いたと思ったのは気のせいだったみたい。手はせわしなく動いているし早口もそのまま。
「そろそろ昼飯作るから食糧庫からジャガイモ持って来てって言われたんだよ母ちゃんに俺。そんで家の裏に食糧庫があるんだけど、俺その食糧庫に向かって降りていったわけ」
…やっぱりこの人まだ混乱しているわ。モンスターの情報を聞いたのに事の成り行きを説明しはじめてくるもの。
男の子の説明は続く。
「そんで食糧庫に入ろうとしたらドアに穴が開いててさ、何これって顔を近づけたらその穴からグルルルって低くうなる声が聞こえたんだよ、犬が唸ってるみたいな低い声。
そんで野良犬が入り込んだかなって思って開けたらでけえ犬が居たわけ、もう目ぇなんて真っ赤で…慌てて閉めてすぐそばにあった斧でつっかえ棒代わりにしてすぐ冒険者を探しに…」
…それ本当にモンスターかしら、ただの大きい野良犬じゃない?
モンスターは人が多くいる町中には滅多に姿を現わさないもの。
特に犬型の生き物は頭がいい。それは野良犬でも犬型モンスターでも同じ。人間は身近な一番の敵って感じで見かけたら警戒しながら遠巻きに逃げていく。だから人が多く居る場所にわざわざ近づいてくることはまずない。
それでも迷い込んで食糧庫に入ってしまったのだとしたらよっぽど空腹でたえられなかったのかしら。それに今聞いた話から考えると食料庫にいるのは一匹ね。
だったら私一人でも大丈夫そう。本当にモンスターかどうかも怪しいところだし、目の前の男の子はここまで混乱しているんだもの。安心させるために一緒に行って確認するぐらいはしてもいいかも。
「分かったわ、その食糧庫まで案内してくれる?」
その言葉に男の子はホッとした顔で「こっちです」って歩き出すから、私は後ろをついて行きながら声をかけた。
「とりあえずモンスターだったらお金貰うけど、野良犬だったとしたら追い払うだけにするから。その時はお金は要らないからね」
「ありがとうございますー、今母ちゃんモンスターが居るのも気づいてないまま昼飯の準備してると思うんでー」
まあ多分それ野良犬だと思うけど。
「ちょっと急いでいいすか」
「ええ」
男の子も最初は私に気を使っているのか早足程度だったけど、お母さんのことが気になるのか段々と駆け足になって、最終的に全力で走り出した。
ちょ、速…!
あの人すっごく足が速いわ。サードほどじゃないけどどんどん距離が開いていく…!
しかも次々に右に曲がって左に曲がって…今どこをどう走ってるのかさっぱり分からない。むしろこんなに家が遠いの…!?こんな複雑な道のり、もう一人でさっきの場所に戻れないわ。
脇腹が痛んできてヒィヒィ言いながらも必死について行くと、男の子がかすかにこちらを振り向いて指さした。
「あそこが家です!」
最後の猛ダッシュとばかりに男の子は走って行くけど、私はもう無理走れない。
今の状態じゃ疲れて魔法がろくに使えなくて野良犬にも負けるかも、せめて息を整えてたどり着かないと…。
ヘロヘロの状態で息を整えようとしながら指をさされた方に歩いて行く。
するとこっちこっちと手で招く男の子の姿を見つけたからそっちに近づく。
呼吸もわずかに整ってきて男の子が指差す家の裏側を見ると、ゆるゆるとスロープ状に斜めになっている坂があって、その奥まったほうに男の子が足音をひそめて無言で私を招いた。
私もなるべく足音を立てないようにそろそろついて行くと、食糧庫の扉を男の子が指さす。
男の子が説明した通り扉には大きい穴が一つ開いていて、斧でつっかえ棒にして開かないようになっているわ。
この穴から野良犬が入ったの?でも男の子が言うほど大きい生き物が入ったにしては小さすぎる、私の頭が入るかどうかぐらいの大きさじゃない。どう頑張っても小型犬程度しか入れそうにないけど…。
もしかして後ろの男の子、恐怖のあまり小型犬を大きい犬と見間違えたんじゃ?
穴から中を覗いてみる。でも家の裏で日当りも悪いし窓もない地下みたいだから真っ暗で何も見えない。
耳を澄ませてみる。それでも犬が唸る声も何も聞こえない。それに犬らしい獣臭も特にしない。
何かおかしい気がするけど、とりあえず野良犬だとしたら食料庫に閉じ込められて固まっている状態かもしれない。それなら扉を開けたら一目散に逃げるでしょ。
じゃあこのつっかえ棒代わりの斧を寄せて扉を開けて逃がそう。それで仮にモンスターで襲ってきそうだったら攻撃、と。
斧を持ち上げようとする。でも結構重くてすぐに持ち上げられない。
それを見て男の子は斧をヒョイと持ち上げて後ろに立てかける。
ありがとうと無言でお礼をして男の子に扉の影に隠れるようにジェスチャーで指示してから一気にバッと開けた。
…でも何も飛び出してこない。
あら?と思いながらそっと食糧庫を覗いてみる。やっぱり何も出てこない。
おかしいわねと真っ暗な地下に首を突っ込んでみる。
中からは湿った土とカビ臭いにおいがして…それでいて暗すぎて中がろくに確認できない。
…もしかして本当に中にいるのはモンスターでこっちの様子を伺ってる?様子を伺うなら知能がある証、だとしたら私一人で対応できる?
不安になったけど、自分を落ち着かせるために深呼吸をする。
うん、大丈夫よ、私は魔界を焦土にもできるくらい力があるんだから。
警戒しながら食糧庫に一歩中に入り杖をあちこちに向ける。
でも暗さに目が慣れておかしいことに気づいた。
ここは食糧庫のはずなのに、外からの明かりで見える限り食べ物がどこにも見当たらないでガランとしている。本当に何もない。空だわ。
おかしいと思って振り返ろうとした。でも体が動かない。
「え?」
体を動かそうとするけどどこも動かない。首も腰も手も足も。…あ、目とまぶたは動くわ。それに今声も出せたわね。
「ちょっと…」
後ろにいる男の子に声をかけるとふふふと笑い声が聞こえてきた。
「いやー、勇者御一行のエリーさんがこんな簡単に捕まっちゃうだなんて。正直拍子抜けだね」
その言葉と共に私の肩が掴まれてグルリと男の子に向けられた。
「な、何…?何なの…?何で私の体動かないの…」
いきなりの出来事に混乱していると男の子はニコニコ笑いながら帽子を取る。帽子を脱いだら髪の毛も一緒にズルリと取れて、その下からは派手な黄緑色の髪の毛が出てきた。
「エリーさん、この顔に見覚えは?」
男の子は両手のひとさし指を頬に当ててニコー、と笑いかけてくる。
その顔にほとんど覚えは無いけど、この派手な黄緑色の頭にこの笑顔、あっけらかんとした口調には覚えがあるわ。
この男の子…リギュラのいたキシュフ城で私の首を絞めて、私が聖水で消したはずのあの子じゃないの…?
「ミラ…?」
呟くとミラはかすかにホッとしたように胸をなでおろした。
「あー、覚えててもらってよかったー。これで知らないとか言われたらカッコつかないもんね」
「生きてたの…!?」
ミラはニコニコと微笑みかけてくる。
「言っとくけど俺はミラじゃねえよ。俺はカーミ、ミラは俺の双子の弟」
双子…。
驚いてカーミをマジマジと見ているとカーミも私をマジマジと見返してきて微笑む。
「けどなんだ、その口ぶりから察するに死んじゃったんだ?ミラは」
「…」
マズい。マズわ。私が弟を聖水で消した…殺しただなんて言ったらどんな酷い目にあわされるのか分かったものじゃない。ただでさえどうして体が動かないのか分からないのに…。
固まっているとカーミは無言の肯定だと受け取ったみたいでゲラゲラ笑いだした。
「やっぱりぃ。ゴーストになったら移動が楽で物理攻撃効かなくなるって言ってたけどその分聖なる呪文だの聖水だのに弱くなるって思ってたんだ俺ぇ。あー、ミラの口車に乗ってゴーストになんなくて良かったー」
カーミが大声で笑うのを見て私は目を見開く。だってミラってカーミの双子の弟なんでしょ?弟が死んだって知ったのにどうしてこんな馬鹿にして笑っているの?
「ミラは弟…なのよね?」
「ん?うん弟だよ。だって顔そっくりじゃん、どう考えたって双子だろ」
「死んだのよ?」
言ってて殺してしまった私が言うセリフじゃないって思ってしまったけれど、それでも弟が死んだのに笑っているカーミが信じられないくてつい言ってしまった。
するとカーミはキョトンとした顔で見返してくる。
「だってどうせ皆そのうち死ぬじゃん?それが早まるか遅まるかの違いなんじゃないの?」
それはそうかもしれないけど…でも信じられない。それでも弟を殺された復讐のために私がこうなってるわけじゃないみたい、ミラが死んだことも知らないみたいだったし…だったら何の目的でカーミは私にこんなことを…?
「どうしてこんなことするって思ってる?」
「…」
無言のまま頷…こうとするけど体が動かない。それを見たカーミはニコニコしながら続ける。
「俺ウチサザイ国で暗殺者兼スパイなんだ。エリーさんたちも調べて分かってるだろ?黒魔術。今エリーさん動けなくなってるのそれ」
その言葉にバッと思い出した。
そういえばシュッツランドでサードがラニアの家に行った時、サードは黒魔術で動けなくなったって…。
それにウチサザイ国の暗殺者兼スパイ?それじゃあ私こんな暗闇におびき寄せたのは…?
考えつくのは一つだけ。
ウチサザイ国のことをあれこれ調べている私たちに気づいて殺すため。
これから殺されると心臓と胃の底がギュッと締め付けられて冷えた感覚がしたけど、すぐさまカーミをギッと睨んだ。
こんな所で皆に知られないままひっそり死んでたまるものですか。
体は動かないけど魔法なんて体が動かなくても意識を集中すればいくらでも発動できる。
ろくに正体の分からない黒魔術でも結局私のほうが魔法の力は強いはずだわ。
それなら一発風の魔法でカーミをふっ飛ばしてしまえばこの体が動かなくなる魔法は解除されるはず。
そう思って魔法を発動する。
と、首から腰、腕までがビキッと引きつった。
「イダー!」
急激な痛みに絶叫する。
それも痛みは全然治まらない。どこまでもジクジクと体の内側から鈍い痛みが容赦なく一定間隔で襲ってくる。
「痛いー…」
涙ぐんでいるとカーミはアハハ、と笑っている。
「魔法使ったらその強さの分の衝撃が体を襲う魔法も一緒にかけたんだ。これも黒魔術。多分エリーさんが本気で魔法使ったら体中の筋肉と血管がブチブチに千切れて血だるまになって死ぬから、もう魔法は使わない方がいいぜ?」
え…やだ何それ怖い。…でももしかして、そう脅して私に魔法を使わせないようにしようとしてるだけなんじゃ?
そうよ、相手の言うことを本気にしたら駄目よ、きっと今のは嘘だわ。
もう一度魔法を発動しようとする。
と、今度は後頭部、お腹、背中、ももの裏側がビキビキと引きつった。
「ヒギャー!」
全身を襲ってくる痛みにボロボロ涙が流れる。
「痛い~…うええ~…」
そんな私をカーミは微笑みをわずかに押さえた呆れた顔でじっくり見てきた。
「エリーさんって結構馬鹿なの?普通そんな目に遭った人って一回で魔法使わなくなるんだけどな…」
そう言いながらカーミは「よっ」と私を持ち上げる。
「ギャー痛い痛い痛い痛い!動かさないで!動かさないで!」
喚くとカーミは楽しそうにアッハハハと笑う。
「にしても男より女のほうが痛みに強いなぁ。男は大体この魔法かけられて魔法使うと一発で気絶する人多いんだけど、女の人は気絶しないんだよね。二回魔法使って気絶しなかったのはエリーさんが初めてだぜ、なんせ二回使ったのエリーさんだけだし」
そう言いながら食糧庫…ううん、地下の奥に運ばれて、布みたいな感触のするものの上に「よいしょ」と横にされる。
そのままカーミは私を真上から見下ろして、ニコッと笑ってきた。
「…けど気絶した方が楽だったかもね?」
カーミ+ミラ=カーミラ
女吸血鬼カーミラから。




