砂漠地帯
「…」
私たちは無言でドラゴンを見た。
ううん、サードはいかにもブチ切れている表情でドラゴンを睨んでいる。
「てめえ、遠慮って言葉知らねえのか!」
サードはドラゴンに蹴りを入れて、ドラゴンは申し訳なさそうな唸り声をだしながら頭を向こうにむけた。
「サードやめろよ可哀想だろ」
ドラゴンを蹴り続けるサードをアレンが羽交い絞めにして引き離す。
「そうよ、体格だって私たちとは違うんだし…」
サードは羽交い絞めにされ暴れながら私を睨みつけ、
「一週間以上持つはずだった食料全部食われてよくそんな事言えるなてめえら!」
と怒鳴り散らす。
サードがブチ切れるに至るまでの出来事は…少し時間をさかのぼる。
国境では兵士たちにドラゴンのことを色々と聞かれて思ったより時間を取られたけど、サードとアレンの話術でどうにか突破し、離れた場所で待っていたドラゴンと合流してから再び背に乗って空中を飛んで移動をしていたら、段々とドラゴンの飛行が危なっかしくなってきたのよね。
急に下にガクンと落ちかける、右に左にと大きく蛇行する…。
危ないと判断したサードが人が居なそうな広い砂漠地帯に一旦着地するよう促すと、まるで落ちるように危なっかしく着地した。どうしたのかとドラゴンの顔が見える位置に移動して様子を見てみると、かなりバテているというか、元気がないっていうか…。
アレンは「まさか…」と言いながら続けて、
「俺ら乗せて飛ぶのが辛かったのか?」
と言って、私も、
「長時間飛び過ぎたのかしら。元々人間で空は飛べないはずだから疲れが出たのかも」
と言うとサードはボソッと呟いた。
「腹減ってんじゃねえの」
するとドラゴンは唸り声をあげ大きく頷いた。
そう言われてみれば二つの村に用意してもらったお酒も喜ぶように次から次へと飲んでいたから、お腹も空いたし喉もずいぶんと乾いていたのかも?
そこでふと気づいた私はドラゴンに問いかけた。
「もしかして…その姿になってからろくにご飯も食べてない?」
ドラゴンはその通りとばかりに大きく頷くのを見て、アレンは同情するような顔をすると自分の荷物入れから食料を出した。
「そりゃバテるはずだ。ほら食えよ」
アレンは自分の食料をドラゴンの口の中に入れたけど、ドラゴンはペロリと飲み込んでしまう。どう考えても足りるはずがない。
それなら私のも、と食料を出して食べさせるけど、やっぱりペロリと飲み込んで終わり。
人間だったら二人前のご飯を平らげたことになるけど、体格を考えて人に置き換えてみると指についた砂糖を舐めた程度の満足感しかないんじゃないかしら。
それにこのドラゴンはこの姿になってから一度も人に危害を加えていないのは知ってる。こんなにも空腹なのにそれに耐えて、ずっと人の食料を漁ることもしなかったんだわ。
それなら少しでも私たちの食料でお腹を膨らませなければとせっせと食べさせ続けていたら、あっという間に私たちの食料がすっからかんになってしまった。
ちなみにサードは私たちに背を向けて太陽を見ながら現在地を確認していて後ろで私たちがせっせとドラゴンにご飯を食べさせているのに気づいていなかった。それで嫌な気配を感じたように振り返ったら食料が全て無くなっていたからブチ切れた。
「ふっざけんなよ!この食料全部でいくらかかってると思ってんだ、ええ!?」
サードが空になった食料袋を叩きながらドラゴンの前で責め立てると、ドラゴンは「ヒィィ」と悲し気な声を出してうつむき身を強ばらせている。
まるで人が怒られて申し訳なさそうにうなだれているように見えて、私はドラゴンの前に立ってサードをなだめる。
「やめなさいよ、この前ラグナスからもらったお金だってまだあるんだから食料くらい十分に買えるでしょ」
「その金のほとんどが装備代で消えただろうが。ドラゴンの牙一揃い全員の装備につけたことでな!」
サードの言葉を聞いたドラゴンが、え?と目を見開いて私たちに顔を向ける。
「ち、違う違う、ドラゴンの牙は報酬でもらったものだから!倒したものじゃないから!」
ドラゴンに言い訳をしていると、サードはまだ苛立ちが抑えきれないのか私の肩を押しやってドラゴンの鼻面元に指を突き付ける。
「てめえなんざ殺そうと思えばいつでも殺せるんだぞ!その後解体してめえの内臓まで余すところ無く売り払ってやってもいいんだぜ、さぞやいい金になるだろうなぁ、ああ!?」
「サード!」
カッとなって私は手を振り上げサードの顔に平手をパァンッと喰らわせた。
いくら怒っているからってドラゴンになって困っている人に対しての言葉じゃないと思わず手が出てしまったけど、相手はサードなのだからヒョイと軽く避けられると思っていた。
なのに私の平手は予想外にサードの頬に綺麗に当たった。
逆に叩いてしまった私のほうが驚いてそのままの姿勢で固まっていると、ガッとサードの目が見開いて私を睨みつける。
あ、ヤバいと思った瞬間、サードは私の右の頬を殴り飛ばした。
ゴッという鈍い音と痛みが乾いた空気に吸い込まれ、目の前に一瞬白い光が飛び散って私は頬を抑えてそのまま熱い砂に倒れる。
「サード!」
今度はアレンが飛んできて腕を広げて私の前に立ちはだかって怒鳴るのが聞こえる。
「お前それ以上やったら怒るぞ!」
「てめえが怒ったって俺に勝てるわけねえだろ!」
サードが怒鳴り返すとアレンも更に大声で怒鳴り返した。
「勝てなくても怒る!」
アレンの地声は大きいから意識して大きい声を出すと体に響くくらいの音声になる。二人はしばらく睨みつけ合っていたけど、サードはケッと言いながら後ろを向いた。
アレンはしゃがんで私の顔を見て、まるで自分が殴られたかのように落ち込みながら私の頬を両手で優しく包む。
「あー…、これ腫れそうだなぁ…湿布はっておこうな」
アレンは荷物入れから湿布を取り出して私の顔にピタリと貼りつける。冷たい湿布がはられ、私は痛む頬を片手で押さえた。
打ち身や打撲に効果のある回復アイテムで、貼ったと同時に痛みを和らげる冒険者の必需品。貼った瞬間から痛みは和らぐけど…。
「まだ痛い?」
心配そうにアレンが聞いてきて、私は首を横に振る。痛みは湿布で引いた、でもサードに殴られたことにものすごくショックを受けた。
今まで小突かれたり頬をつねられたり腕をひねり上げられたり散々な目にあってきたけど、こんな暴力を受けたのはこれが初めて。
今までの行為もそれなりに手加減していたと分かるほどの一発を喰らって…とにかくなんとも言えないぐちゃぐちゃの気持ちに陥ってしまってうつむく。
そこでふと視線を感じて顔を上げると、ドラゴンがどこか絶望に満ちた顔をして固まっているように見えた。
もしかしたら自分のせいでパーティ内でいさかいが起きてしまったと思っているのかもしれない。
「大丈夫よ、あなたは悪くないから」
気を持ち直して、私は立ち上がってドラゴンの顔の鼻面を撫でる。
「さっきサードが言ったのも腹立ちまぎれだから、本気にしないでね」
ドラゴンは小さく唸り声を立てながら、しょんぼりとうなだれた。
人間とは分かっていてもその落ち込む様子を見るとよしよししたくなって、鼻先に抱き着いてよしよしと撫でる。
「ひげ面のおっさんかもしれねぇんだから大概にしとけよ」
殴ったことなんて無かったかのようにサードが声をかけてくるからムッとして返した。
「とにかくドラゴンに酷いこと言ったの謝りなさいよ!」
と言うとアレンも続けた。
「エリーにも殴ったこと謝れよ!」
するとサードは人を殺しそうなほどの視線でガッと睨んでくる。
私もアレンもその眼光に怯んだけど、サードは同じ目つきでしばらく睨みつけたあとは、後ろを向いて歩き出した。
「むこうにオアシスがある。行くぞ」
結局ドラゴンにも私にも謝罪はない。
もはや私には怒りを通り越して呆れが湧き上がって、渋い顔でアレンを見る。アレンも同じような顔でお互いに目を合わせてから同時にため息をつき、口を開いた。
「…まあ」
「謝れっつったって素直に謝る奴じゃないよな…」
サードに腹を立てることほど無駄な行為はないのはここ数年一緒に冒険をしていてよく分かっていること。いくら怒ろうが喚こうがなじろうがサードは自分が悪いだなんて少しも思うはずがない。
するとアレンがふと周りを見渡して地図を広げた。
「あれ、もしかしてここの砂漠地帯って前にも来たことあるな?」
「周りに何もない砂漠でよく分かるわね」
「ほら、水を吸い取るモンスターがいて村に招かれたついでにサードが盗賊団つぶしただろ?」
「ああ…」
サードが老女にやたら感謝されていたあの村のことね。そこで私はふと疑問に思ってアレンに聞く。
「もしかしてケルキ山はこの国にあるの?」
アレンは首を横に振りながら地図の上で指を動かし、
「いや、ケルキ山はもう一つ隣の国だ。今がここ、そんで隣の国のここにケルキ山、ケルキ山の斜め下のここが王都…」
今いるのはは砂漠のど真ん中、隣の国の王都は国境を越えてもっと北、ケルキ山は王都の外れにある小さい山…。
それよりアレンの指さすケルキ山を見て驚く。
「ずいぶん王都とケルキ山は近いのね」
「だろ?魔族が近くの山にいるって城の人たち知ってんのかな」
「…知らないかもしれないわね」
ラグナスから聞いた話によるとケルキ山にいる魔族は自分の知識欲のために地上に来たみたいだから、ラグナスみたいに魔族だということを隠して馴染んでいる可能性もあるかもしれない。
それに魔族はいつでもおどろおどろしい姿をしているかと思っていたけど、普段は人間と変わらない姿をしているもの。だったら本人が素性を話さない限り魔族だって気づく人もいないはず。
…そう考えると案外と人間の中にも魔族は紛れ込んでいるのかも。一番魔族っぽいのはサードだけど。
そんなことを考えながら歩いて、先にオアシスにたどり着いていたサードにも追いついた。
目の前の光景を見て私の記憶も蘇えってくる。
「ああ、このオアシスは覚えてるわ」
ここは例の水を吸い取るモンスター退治に行く途中で行き寄った場所だわ。暑い地帯に生える木々の真ん中に薄い水色の泉がこんこんと湧いて出ている。
あの時は慣れない砂漠の熱さにバテていたから、このオアシスにたどり着いた時にはホッとして生き返る気持ちだったのよね。
「水はあるか?」
ずっと黙って前を歩いていたサードが振り返って聞いてきた。
「俺の分はドラゴンに飲ませたけど」
アレンは水を汲みながら答えるけど、さっき殴ってきたことが本当に何もなかったかのように普通に話しかけてきたから心からイラッとして私は無視する。
とりあえず私もさっきドラゴンに私の飲み水も全部飲ませたから水筒に水を入れなきゃ。
「てめえら馬鹿だな」
サードは言葉通り人を馬鹿にする顔でこちらに体を向けた。
「砂漠の湧水より山の水のほうが美味えのにそれを他人にやっちまうなんて」
「人の飲み水なんだから放っておいてよ、うるさいったら…」
顔を背けて小声でぼやくようにサードへ文句を言ってから、私は水をすくって飲んだ。
さっき殴られたことまだ許していない。それに殴ってきたくせに普通に小馬鹿にしながら話してくるのすごく腹立つ。
見るとドラゴンもまだまだ喉が渇いているみたいで、そろそろとサードの顔を伺いながら泉に顔を近づけている。
それから数秒後…。
「…てめえ…」
サードが再びブチ切れそうな顔になっている。
「いい加減にしろよこの野郎!」
「ひぃぃ」
サードが再びドラゴンに蹴りを入れそうになったからアレンがサードを羽交い絞めにして止めた。
ドラゴンの水を飲む勢いはすごくて、まるでコップの中の水をストローで一気にすするようにオアシスの水がズゴゴッと数秒で消えて行った。
「サード落ち着け、きっとそれくらい喉が渇いてたんだ、それなのに俺たちを背中に乗せててくれてたんだ、な?落ち着け」
「そうよ、体格も違うんだし水も汲んだ後なんだからいいじゃないの」
ここはサードと口を利きたくないと黙ってる場合じゃないから私もアレンに口を合わせて言うと、サードは舌打ちしてから嫌味ったらしく返してきた。
「おーおー、ずいぶんとお優しい人たちだなあ、他の奴らも使うオアシスだってえのにこんなにすっからかんにした奴をかばってなあ?」
まぁ確かに…。泉の水はこんこんと湧いているけど、今は底にほんのちょっとの水たまりがある程度。
私たちはもういいとして、後から来る人たちにしてみればこれは確かにあんまりかもしれない。
私だって前にここへにたどり着いた時、水がなみなみとあるオアシスにホッとした。だったら暑さにへばりながらここにたどり着いた旅人がこの状態のオアシスを見たらガックリと膝をついて絶望してしまうかも。
「じゃあ私の魔法で水を増やすわ。それで大丈夫でしょ」
やるしかないと杖を振り上げると、アレンがギョッとした顔で私の肩を掴む。
「ダメだエリー!ここで洪水を起こしたらダメだ!ここは主要なルートだから洪水が起きたらある程度ある道筋が変わって人が迷う!」
…そんなに警戒しなくたっていいじゃない。
洪水を起こす前提で止められたのにはムッとしたけれど、実際に水なんて無い荒地で洪水を起こした前科があるからとりあえず口をつぐんで黙っておく。
すると、こちらのやり取りを見ていたドラゴンが意を決したように咆哮を上げながら空に立ちのぼっていった。
ドラゴンはぐんぐん上昇し、咆哮を続ける。
「え、おいどこ行くんだよ!帰って来いよー!」
アレンが遠ざかるドラゴンを見上げ大声で呼びかけてから、心配そうに私を見た。
「どうしよ、自分の責任だと思って立ち去ろうとしてるんじゃ…」
アレンの言葉に私はそんな、と空を見上げて、
「ちょっとー!大丈夫よ、怒ってないから戻って来てー!」
と大声で叫ぶけど、ドラゴンはもう私たちの声は聞こえないような空の上にいて、かすかに咆哮が聞こえてるだけだ。
どうしようとアレンと顔を見合せてから空を見上げていると、それまで風で消えそうな小さい雲しか無かった空にはグルグルと白い雲が増えて、次第にその雲が黒い雲に変わっていく。
そのままに黒雲からはゴロゴロ雷の音が響いたかと思うと、ポツリ、ポツリと雨が落ちて来た。
「…こんな砂漠で、雨…?」
さっきまで日差しが痛いぐらいで雨のあの字すらないほどの晴れ間だったのに。
次第にポツポツからザーザーと、そしてどうどうと雨が降り出した。黒い雲の間からドラゴンがうねりながら顔や体を出しているのが見える。
「…もしかしてこれってあのドラゴンの力?」
全身で雨を受け止めながら雲間に見え隠れするドラゴンを見続けながら呟くと、サードは、
「そうだろ。あれはそういう生き物だからな」
と、自分は何もかも分かっている風に返してきた。
っていうことは、あのドラゴンはすっからかんになった泉に水を増やそうとして、そして雨を降らせるために空に昇っていったのね。
…でも普通ドラゴンってすごく攻撃性が高いのに、雨を降らせて水を潤すだなんて…なんていうか穏やかな力の使い方ね。それよりも、やっぱりサードはあの新種のドラゴンについて絶対色々と知っている。
私はサードを見た。
「知ってるなら教えてよ、あのドラゴンって結局なんなの?新種なの?それでもサードは色々詳しく知ってるわよね?何で?」
「…」
サードがチラと私を見てから手をすっと伸ばしてきたからまた殴られるのかと思わず身構えたけど、その手は私の顔の下に伸びてそのまま頬にベタッと何かをくっつけられた。
え、何?
頬を触ると濡れた湿布が指先に触れる。
…もしかして雨ではがれかかっていた湿布を張り直した?サードが?他人がいくら痛がろうが無関心なサードが?
「水がかかるとはがれやすいんだ、気ぃつけろ」
そう言いながらサードは私から少し離れ、雲間からこちらに降りてくるドラゴンに視線を戻す。
「…」
普段ならあり得ない対応に戸惑ったけど、…もしかして少なからず私を殴ったことを悪いと思っていたのかしら。
それでサードも微妙に気まずくて、だからまぁちょっと私に気を使う感じで、ものすごーく遠回しに怪我の心配してますアピールでもしたつもり?今のは。だったとしたら面倒くさい奴ぅ。
殴られたことに関してはまだまだ許す気になれない。あんな暴力ふるう男なんて最低だもの。
でもわずかながらに反省して寄り添ってきた人をあからさまに突き放すのもどうかな、という良心もほんの少し残ってる。
「…どうも」
正直まだムカついているけど、それでも湿布を貼り直したことに対してだけはお礼を言っておいた。
湿布ではないけど、頬を蚊に刺されたからと顔にウナを塗ると、スースーするものが上にのぼってきて目がやられます。気をつけて(経験済)
あと湿布ではないけど、使い終えた冷えピタを一晩水につけておくと次の日楽しいことになります。




