いざリギュラの討伐へ
次の日の朝日が昇り始めるくらいの早朝。
私たちは聖水を一人一個手に持って、何かあればすぐに聖水を手に取れる位置のポケットに忍ばせてからホテルを出発した。
けどまあこんな朝日も昇るころから昼間までは特に何も起きないと思うけどね。リギュラの仲間ならリギュラと同じアンデッドでしょうし、アンデッドなら太陽が出ている時間帯は動き回らないと思うし。
ホテルから離れてしばらく。ふっとサムラを見て今更気づいた。
サムラ、普通の旅行用の服のまま吸血鬼の潜む場所に行って大丈夫?って。
「ねえ、サムラの装備…」
話かけると私の言葉を遮りながらサードは振り向いた。
「そう思って昨日装備買いに行ったら中級の冒険者の鎧より良い物着てるってよ。魔力の強い所の物で作られたから質もいいらしいぜ」
あ、そう。ならいいんだけど。
それにしても眠い。こんな朝早くに起きるのは久しぶりだわ、フェニー教会孤児院から立ち去る以来かしら。
朝日が照り始めるくらいの時間だから人通りも少ないわね、それに朝だからか皆も口数が少ないし、黙々と歩いていくわ…。
あ、路地の裏に猫が沢山寄り合ってる。朝日の中の猫だまり…いい光景ね、多分近寄ったら皆逃げてしまうんでしょうけど。
…それにしてもこんな朝早くからジョギングする人も案外いるのね、あっちは犬の散歩…。猫も可愛いけど犬も可愛い。飼い主の顔を見上げてしっぽをふりふりしながら嬉しそうに歩いてる。
すごく平和だわ、今から吸血鬼相手に戦いに行くのが嘘みたい。
「ふああ…あ」
アレンが大口を開けてあくびをした。
それを見るとつられてあくびが出てしまう。
「眠そうですね」
ガウリスがあくびをした私たちに声をかけてきて、アレンは「そうなんだよ」と頷いている。
「昨日の夕飯何かしょっぱかったからのど乾いてさぁ、夜中に何回か起きちゃったんだよ。ろくに寝た気がしねぇや」
思えばおしゃべりなアレンもろくに話してないものね、よっぽど眠いんだわ。
見上げるとアレンは目をショボショボさせている。本当に眠そう。これから戦いに行くのにそんな状態で大丈夫?
ほんのり不安になりながらも皆口数も少ないまま町から出て、林に近い街道を歩いてキシュフ城に向かっていく。
それくらいになるとアレンも私も少しずつ目も冴えてきて、会話もポツポツと増えてきた。
「…けどリギュラ、何かやりそうなこと言ってたわりに全然何にもやってこなかったな。やっぱり聖水が効いたのかな」
アレンがそう言いながら歩いていると、街道脇の茂みからガサッと音が聞こえた。
敵!?
全員が目を見開いてグッと首を向けて武器を向けて臨戦態勢になる。
「ひあっ」
音のした方向から叫び声が聞こえて何か…ううん、声からして女の子が茂みの向こうへにひっくり返った。
見るとピンク色のスカートとそこから女の子らしい足がのぞいている。
いけない、これからリギュラと戦いに行くからってこんな道端で女の子に思わず武器を向けてしまったわ。
助けないと、と近寄ろうとするとサードが私を後ろに押しやって声をかける。
「大丈夫ですか?」
…女の子のチラッと見えた足を見て自分が助けようとしてるわね…?
こいつ、とかすかにサードを睨むけど、いつもとちょっと様子が違う。いつもなら駆け寄って手を差しのべながら助け起こして、そのまま肩を抱いて慰めるはず。
なのに今は私の前に立っているだけで近寄ろうとしない。
…まさかリギュラの仲間かもって警戒してる?こんな朝早くから動いている女の子を?
そうしているうちに女の子はガサガサと上半身だけ起き上がって、
「あ、ご、ごめんなさい驚いちゃって…」
と森の中を歩くにちょうどいいフード付きのローブを着た姿で小脇にかごを抱えている。
金髪のボブカットの…普通の女の子だわ。年齢はサムラの見た目と同じくらいの、成人間際の少女。
服装も今まで私たちがいた町で良く着ているような服だし、小脇に抱えられたかごの中にはキノコ、木の実、果実が大量に入っている。
どうやら朝早くから秋の味覚を採って帰る所を私たちと行き会っただけみたい。
いきなり冒険者の集団に武器を向けられて怖かったわよね、申し訳ないことをしたわ。
「驚かせてごめんなさい、大丈夫だった?」
改めて助け起こそうと思って近寄ろうとするけれど、それでもサードが近寄るなとばかりに私の前に立ちはだかって進めなくする。
そりゃあ今までリギュラが何もしてこなかった分、これから何かあるかもって警戒する気持ちはわかるけど…どう見たって普通の女の子じゃない。リギュラの肌は青白いけど目の前の子は白い肌にふっくらした赤いほっぺをしていてどう見ても健康的だしアンデッドっぽくないもの。
と、女の子は立ち上がって私たちをジロジロと見てきた。そのままソソッと目を大きくしながら近づいてくる。
「あの、もしかして、勇者御一行…?」
「一般的にはそう呼ばれています」
サードが簡単に肯定すると女の子はキャー!と女の子らしい甲高い声を上げてその場でジャンプを繰り替えす。
「きゃー!勇者御一行が町に居るって知ってたんだけど本当にいたんだー!きゃー!握手してくださーい!」
女の子はきゃーきゃー言いながら手を差し伸べてくる。でもまだまだサードは警戒していて手を差し出さない。
するとアレンが後ろから「おいサード…」って握手するようにと背中を軽く小突いて促す。
「か、可愛い女の子相手だからってそんなに照れなくていいじゃない、ねえ」
女の子相手へのあまりに失礼な態度に私もとりなすように言っていると、手を伸ばしたまんまの状態で女の子は口をすぼめた。
と、女の子は握手を求めるように差し出した手をそのままサードにつきつけるように人さし指を伸ばす。女の子の顔からはミーハーな色が消え失せていて、平坦な表情になっていた。
「あっそ、引っかからないんだ」
サードの目つきが変わって女の子から距離を取ると聖剣を引き抜く。それと同時に女の子が叫んだ。
「光よ暗闇になれ!迷宮に迷い込ませろ行く手を阻め!」
その言葉のあとに女の子は早口で聞き取れない言葉を言うと、指先からブワッと黒いものが吹き出して周りが真っ暗闇になって誰の姿も見えなくなった。それでも暗闇になったのは一瞬だけ、気づいたら元の朝の清々しい空気の漂う道になる。
一体何が起きたのと慌てて周りを見て、驚いて「え、えええ!?」と叫んでしまった。周りにいた全員が誰もいなくなっている。
どうして、と思いながら女の子に視線を向けると、女の子は私以上に驚いた顔をして警戒するようににじり下がりながら私に向き直る。
「何であんた消えてないの!」
何でって言われたって…私だって分からない。それよりこの女の子はサードが妙に警戒していた通り普通の女の子じゃない、敵だわ。
「皆はどこに消えたの!何をしたの!」
杖を突きつけながら負けじと聞くと、女の子はニタッと口を開けた。人ではありえないほど口が裂けて笑っていて、人の手も簡単に食いちぎれそうなほどの牙が並んでのぞいている。
それもその表情は何をされたのかさっぱり分かってないんだってどこか馬鹿にしているような、それなら対応できると少し落ち着いたようなそんな笑み。
結局皆をどこにやったのか、何をしたのかは全然言わない。
とりあえずさっきのを見る限り魔法だと思うけど…。
「あなたリギュラの仲間なのね?」
次にどんなことをしてくるのか分からないから杖を突きつけたまま言うと女の子は自慢するようにふふん、とあごを上げる。
「そうよ、私はリギュラ様の一番のお気に入りなの」
…え?お気に入り?
リギュラって女の子にはかなり対応悪いのに?ダマンドの娘のマーリーにも、ダマンドの奥さん、メイド、それに私だって何もしてないのにものすごく睨まれてたのに…。それでもリギュラの一番のお気に入り…?
妙なものを感じたけれど、それでも消えた皆が心配だわ、どこに行ったのか無事なのかだけでも情報が欲しい。
「皆は無事なの」
「知らなぁい。死んじゃったんじゃなーい?」
真面目に答える気がないみたいで女の子は口に手を当てながらクスクス笑っている。
イラッとして風をドッと放つ。
「キャアア!」
女の子は私の風の魔法をもろに受けてそのまま吹っ飛んで後ろの木に思いっきりぶつかった。
…あら?もしかして案外と弱い?
むしろ人の姿をしているけれど人間なの?モンスターなの?それとも変種で昼間にも動ける吸血鬼とか?
「あなた人間なの?それともアンデッド?」
「誰が教えるかよ、ッバーカ!」
反抗期みたいな声色と口調で女の子がドスを効かせて怒鳴って、その後も怒っているのかブツブツと何か言ってる。
何よ、何を文句言っているの…。……。ん、ちょっと待って、それもしかして呪文…!?
呪文と気づいてすぐに攻撃しようとしたけど、その前に地面からゾワッと黒い指がせり出してきた。そのまま逃げる間もなくガッチリと抑え込まれる。
逃げようともがくけど黒い指の力が強く逃げられもしない。
「なぁんだ、思ったより勇者一行の魔導士って弱いんだ?」
さっき私が女の子に対して思ったことと同じことを言いながら余裕の笑みを浮かべて女の子は私に近寄ってきて、牙の先を舌なめずりしながら近寄ってきた。
「ま、死ぬ前に教えてあげる。私はジョナ。モーラっていうアンデッドモンスターよ、よーく覚えてから死になさい」
アンデッドモンスター?こんな朝早くから動けるアンデッドモンスターがいるなんて?…それよりモーラって聞いたことないけど、どんなモンスターなのかしら…。
どんなモンスターなのか分からなくてキョトンとした顔をしているのを見て、ジョナはどこかプライドが傷つけられたような怒った顔付きで真っ赤になる。
でも気を取り直したように腕を組んで、私を鼻で笑いながら見てきた。
「そんな余裕でいられるのもこれまでよ、あなたは今から苦しんで死ぬことになるの」
そう言いながらジョナは私の胸の中心を人差し指でドスドスとつつく。
「心臓ここ?ここでしょ?ね?」
「やめて触らないで!」
いくら相手が女の子だからって胸のあたりを遠慮なしに触れるのは嫌。
「そんなことで嫌って言ってるのも今のうちよ、今からあんたどうなると思う?」
女の子は私のローブをグリグリと脇に寄せる。
「心臓の血を私に全部吸われるのよ、胸がぺしゃんこに潰れる程にね」
心臓の血を、吸う?
それって吸血鬼ってこと?…あれ、でもジョナは自分はモーラだって…。どういうこと、この子は吸血鬼なの?違うの?どうなの?
それよりもしかして…今ジョナは私の服全部はだけさせて胸をさらけ出そうとしてる…!?
あれこれ考えて混乱しているうちにジョナは私のローブ下の服を引っ張る…けど「あれ?」と表情を変えて服を上下左右あちこちに引っ張り続ける。
「あれ…この服どうなってるの?ボタンは…?」
「…」
私の服にボタンはない。ローブの下はスカートの丈の長いワンピースを着ている。
更にその下には汗を吸い取るためのランニングシャツも着ている。そうやすやすと胸が見える構造の服なんか私は着ない。
「なにこれムカつくー!」
文句を言いながらグギギ、と服を引きちぎろうと力を込めているけれど、どうやらジョナは非力みたいで服が伸びる気配もない。力が弱いってことはやっぱり吸血鬼ではなさそうね。
それよりそろそろこの状況をどうにかしないと。消えた皆のこともあるし、このままでいたら私の命も危険だもの。
この前図書館で読んで学んだ精霊魔法の攻撃方法をしようと、胸をはだけさせようと頑張るジョナの真後ろに頭と同じ大きさの水を静かにシュルシュルと作った。
そのまま水の玉を前にスッと動かしてジョナの頭にスポンッとはめる。
急に頭を水で覆われて驚いたのかジョナはボコッと口から息を吐いて、あぶくは上にあがっていく。ジョナは私から離れて頭を覆う水の玉を外そうとするけれど、手は水中にバシャバシャ入るだけで取れもしない。だってそれ水だもの。
水が頭から取れないのに慌てたのか、魔法を操る集中力が切れたみたいで黒い指は私から離れてシュルシュルと離れて地面に戻っていく。
魔法が切れたなら消えた皆も現れるかしらと周囲を見てみるけれど、皆は現れない。もしかして遠くに飛ばされた?ってことは、転移の魔法?
そう思っているうちにジョナは激しく身をよじってボコボコと激しく息を吐きだし、私に向かって悪態をついては叫んで暴れ回っている。
でもそれ、暴れれば暴れるほど息が続かなくなって倒れるの早くなるのよね、本によると。
私はジョナに話しかけた。
「ねえ、皆は無事なのどうなの、それを教えてくれるなら魔法を解いてあげるわよ」
ジョナは私を睨んで水の玉の中でボコボコと叫ぶ。
「うるっせえええ!」
でも絶叫して息が切れたのか、ジョナはそのまま大きく息を吸い込む仕草をしたけど…空気を吸う感覚で水をそのまま吸い込んだんだと思う。ジョナの動きは段々苦しそうに鈍くなって、指先が細かく痙攣したと思ったらそのままうつ伏せに崩れ落ちた。
…倒した?
水の玉を解除するとジョナの周りにバシャッと水たまりができる。
恐る恐る近寄って真上からのぞき込んでみた。
ジョナの皮膚には青い血管が浮き上がっていて、鼻と口から水がダラダラと垂れ流れて白目を剥いたままピクリとも動かない。
どうやら倒したみたいだけど…でもアンデッドモンスターだからって、こんな人間のような見た目の女の子を手にかけたとなると気分は良くない。
このままさっさと立ち去るのも妙に後ろめたくて、目をつぶって両手を合わせて冥福を祈った。
どうかゆっくり眠ってね、ジョナ…。
じっくりと祈ってから目を開けると、ジョナの白目にギラギラ輝く目が戻ってきていて、真下から私を横目で見据えている。
「ギャッ」
驚いて叫びながら後ろに飛びのいた。
ジョナはググ…とわずかに体を起こすと、口からゴボゴボと水を吐き出していく。そのまま苦し気に四つん這いになって頭を地面にこすりつけるように下げて咳き込むと、更に水が吐き出された。
まだ意識も朦朧としている顔つきでゼエハア言いながらジョナは私を睨み、口の周りを拭いながらヨロッと立ち上がる。
「あんた見てろよ…絶対、血ぃ吸って殺す…!」
そう言っているうちにジョナの体は白いモヤのようになって、そのまま風に乗るようにサァッと消えていった。




