多大なストレスに晒された大人の供述
吸血鬼の男の狙いは妻たちじゃなくて私だったことに驚いて…色んな意味で身の危険を感じて背を向けて走り出した。
そうやって体をねじりながら方向転換したら、意識もしないままに私は蝙蝠の姿になってそのまま空中を飛んでいた。
……まさか。私は一度も魔法なんて使ったことはない。それも身の変化など高度な魔法なのだろう?恐らく吸血鬼となったから勝手に色々な術が使えるようになったんだと思う。
…吸血鬼は追って来たのかって?
いや、奴はよたよたと飛ぶ私に向かって声をかけた程度だった。
「無理強いは好きじゃないから君が納得するまで好きにしたらいい。だがどう抗っても君は吸血鬼だ、耐えられないと思ったらキシュフ城に来なさい。僕は君をいつまでも待っているよダマンド!」
と。誰が行くかと返事もせず墓地を後にしたよ。
それでも家族やメイドに手を出すつもりがないのならまだよかったと安堵した。それと無理やり迫ってくるような奴じゃなくて助かったとも。
それと同時に家族はどうしているんだろうと家に向かった。
蝙蝠の姿のまま窓から家の中を覗いたら…きっと葬儀が終わった直後だったんだろう。まだ喪服を着たままで悲しむ妻と娘、それを慰め目頭を押さえるメイドの姿が見えて……。
…すまない、今思い出しても泣けてきてしまって…。
私はまだ存在しているのにそれでも死んだ扱いなんだ。それも吸血鬼なんて恐ろしいモンスターになったからには家族と関われないだろう?
そこに家族がいるのに二度と会えないんだと思ったら本当に悲しくて、何でこんなことになってしまったんだと屋根の上でひとしきり落ち込んだ。
そうして少し落ち着いてから色々と考えて決めた。
吸血鬼などという厄介なモンスターになったからには人に危害を与える可能性が高い。ならばこの家の屋根で吸血鬼の最大の弱点である朝日を浴びて塵になってさっさと消えようと。
そうして日が昇るのを黙って待っていたんだが、ふと思いだした。
奴は自分の好みの男を探そうかと思っている最中だ、と言っていたのを。
それに奴が言っていたキシュフ城はこの町を出た街道を外れた所にある、ここから目と鼻の先にある城。だとすれば奴はこの町を中心に自分の気に入る男を見つけ次々と人を殺していくつもりか、そうなれば私や私の家族のように悲しむ人々が増えるのでは。
そう気づいたら命を投げだしている場合じゃない、どうあっても倒さなければと心に決めた。
これでも私は市長としてこの町のために長く尽力してきたつもりだ、これが…あの吸血鬼を倒すのが私の市長としての最後の務めだと思った。
……。その通り、私一人で勝てるだなんて考えはなかったよ。誰でもいいから仲間が必要だと思った。だが味方をどうやって作ればいい?私は吸血鬼、もう人間の敵だ。私の話を聞いて理解して協力してくれる者をどう作る?
そうなれば屋根の下で嘆き悲しんでいる家族しか頭に浮かばなかった。
そう決めた私は屋根から降りて地面に着地して…ん?ああ、地面に足をついたら人間の姿に戻った。割とそこは融通が利く。それで私はこの姿で扉をノックした。
扉を開けたらメイドは死んだかと思う勢いでその場に倒れた。…まぁ、そりゃあそうだろう、死んだ私が立っていたのだから。その音を聞き駆けつけた妻と娘も私の姿を見て絶叫の嵐だ。
…いや、流石に笑顔で出迎えられるとは思っていなかったが、多少は傷つくさ…しょうがないとはいえ…。
ともかく「頼む話を聞いてくれ」と訴えながら家に入ろうとしたんだが不思議と家に入れなくて…どうして?……うーん、分からない。
まるで見えない圧力があるようだった。扉は開いているのに、入ろうとしてもその場で足踏みしている程度で足が進まないんだ。
そうやってまごまごしているうちに脅えた表情ながらも妻が「お入りになる?」と言ってくれて、その言葉のあとは家の中にスッと入れた。
…さあ、あれは何だったんだろう。どうしてさっさと家には入れなかったのかはよく分からない。
まず家の中に入れたはいいが妻も娘も脅えてテーブルの遥か向こうに立ったまま寄り添っているし、意識を取り戻したメイドも警戒して近くにあったホウキを手に持つ始末だ。
…まあ、そうだね、死んだはずなのに生きて戻ってくるなんてゾンビか吸血鬼程度のものだろうから。そう思えば妻も良く家に入れてくれたものだ、それほど家に入れなくて困っていたように見えたんだろうね私は。
私はその場にいる三人に今さっきあったことを全て伝えた。三人が気持ち悪がっていた男は吸血鬼で、私は奴の手にかかって死んで吸血鬼になったと。その話には余計に脅えられたが、それでも必死に伝えたよ。
私の身は変わってしまったが心は人間だ、この町の市民を守るのが私の市長として最後の仕事だと。それと私の遺産の一部から冒険者に依頼を出し、町の中で吸血鬼討伐のチームを作るよう頼んでいたら…。
「困るよダマンド」
と奴の声が聞こえた。驚いて振り返ると奴がニコニコと微笑みながら背後に立っている。
思わず叫ぶと奴は大笑いしながら言ったよ。
「そんなことをされたらゆっくり眠れないじゃないか。いいかい、もし冒険者に依頼することがあれば明日の夜にでもそこの三人の首を君の目の前で少しずつねじりあげて悲鳴を聞かせながら殺してやるよ。君は誰の苦しむ声が一番堪えるかな?」
…今思い出してもゾッとする。柔らかい微笑みをたたえながら冷たい声で肝が冷えることを平然と言い放つ奴のことが…。
……。いや、恐らく奴は本気で家族を殺しに来たわけではなく軽く脅しに来ただけのようだ。
それだけ言うと私に「じゃ、待ってるからね。愛してるよ」などと言いながらウィンクして、暗闇に溶けるように消えていった。
だが軽い脅し文句でも本気でやりかねん。そうなればもう冒険者にも町の者にも依頼は出せなくなった。
それ以上家族の元にいるのも危険だろうと、引き止められるのを振り払って逃げるように飛び出した。
そこで思いついたのがこの町周辺に住むモンスターたちだ。
そう、この町周辺は木々も山も崖もある場所だ。その中で様々な種族のモンスターたちが集落を作って住んでいるのも知っていたし、彼らは私たちに友好的で町に遊びに来ていたし、互いの祭りの時期や他の行事の時にもよく交流していた。
だから町の者ではなく町の外に住むモンスターたち…エルフ、ドワーフ、リザードマン、ハルピュイアその他の種族らに協力を仰ぎにすぐ動いた。
だが…奴に一歩先を越されていた。奴は集落の者全員に同じように釘をさしていたんだ。
「僕は魔族と手を組んでいる。すなわち僕に逆らうのは魔族に目をつけられるということだよ。でも大丈夫、僕はただ好きな人に囲まれて暮らしたいだけだから何もしないのなら僕だって何もしない。もしダマンドという男が来たら一足遅かったね、愛してるよと伝えておいてくれ」
と。
…ハア…。そうだ、魔族と繋がりのある吸血鬼に目をつけられたくないと、同情的な顔を向けられるだけで丁寧に断られた。そうなれば無理強いもできない。
むしろ魔族と繋がりのある吸血鬼に目をつけられるとは、私は運がないと不幸を嘆いた。
そうなると打つ手が無くなって私は途方にくれたよ。
そうしているうちに夜が明けるような感覚が伝わってきて、死ぬわけにはいかないから棺に戻ろうとした。
その直前でこの図書館を見つけた。
図書館を見て思いついた。
もっと吸血鬼の弱点を調べ、そしてもっと協力を仰げそうな存在を探すことができないだろうかと。
ともかくまだ開館前だから一旦棺に戻り、日が暮れた時間帯に図書館に向かって再度入ろうとした。ああ。今は秋で閉館間際だともう外は夜だからね。
それでも入れない。
入口でまごまごしていたら通りすがりの女の子が内側からドアを開けてくれたが、それでも入れない。するとイブラがやって来たから思わず顔を隠した。彼とは長らくの友人だから顔を見られてはいけないと思ってとっさに…。
そうしたら、
「どうしました、まだ時間も大丈夫ですよお入りなさい」
と声をかけられた。そうしたらスッと中に入れた。……うーん、何なんだろう、何故あの時入れなくてその後入れたのか…。
ともかく顔を見られたら色々と厄介だと顔を背けながらコソコソと移動して吸血鬼について調べようとした。閉館間際に来ていたのだから時間が足りない。
…そうしていけない思いつつ選んだのが、閉館後も忍び居ることだった。
本当にすまない、奴をさっさとたおさなければという一心だった。それに照明もない暗闇の中にいたら闇に紛れ職員の皆に見つからないまま移動もできたから…。
そうしてあれこれと古い新聞や文献などもさかのぼって調べているうちに、近隣の国にも吸血鬼がいるのではないか、もしかしたら協力してくれるかもしれないと希望を持って当たってみた。
…ああ、居るには居たが全ての吸血鬼に断られた。
どうやら吸血鬼は酷く自由な者が多いようだ。私の知ったことじゃない、君の後ろの貞操が守られるのを祈っている、新たな同族に乾杯と笑いながら言うだけで真面目に取り合ってくれないまま追い返された。
その一人から最後に忠告とばかりにニヤニヤしながら言われた。
「吸血鬼は年齢を重ねた分だけ強くなる、つい数週間前に吸血鬼になった程度のお前が勝てるわけがない。心は人間だと言ってないで吸血鬼になった自分を受け入れろ、さもなくば吸血鬼の呪いで苦しむぞ」
と。
呪い?呪いは…空腹だ。
だが人の血は吸いたくない、私は人間だ、人の血をすするなんてゾッとする。…だが空腹が過ぎて、ろくに思考も回らなくなってきて…。
…で、どうして絵本のキャラクターを使って人を襲ったのかだって?
違う、人を襲おうとしたわけじゃない。本当だ。
空腹で意識が朦朧としている時にこのまま死ぬのだろうかと絵本コーナーのカーペットの上に横たわっていた。
もはや誰にも協力を仰げず、このまま何もできないまま私は死ぬのかと思った。
諦めと絶望の中にいたよ。
そうしているうちに子供のころから読んでいた三匹のネズミシリーズが目に入った。
娘も好きでね、何度もせがまれ読み聞かせたと思いながら手に取って読んだ。それと妻が子供のころに読んで気に入ったから娘にもと買った絵本も見つけて、娘が気に入りすぎて図書館に返したくないと大泣きした絵本も…。
ここには私の人生の思い出が詰まっている。
そう思ったら本当に泣けてきて…この齢なのに嗚咽交じりに絵本を次々と読んでいった。このまま私は死ぬだろう、それなら幸せな記憶と共に逝きたいと思ったから。
そして『りっぱなおうさま』を読み始めた。
…好きじゃないよ、あんな救いようのない話。
だが思ったんだ、神に刃を向けるほど度胸があって一人で兵士を全員殺してしまうほどなのだからよっぽどこの王様は強いんだろう。この王様が私の味方になってくれたら魔族と繋がりのある吸血鬼とも恐れず戦うことだろう。
協力してほしい、仲間になってほしい、今はこのように何も恐れず目の前の敵を倒し続ける者がいれば…。
すると目の前にボッと馬の足が見えた。顔を上げると今まさに絵本の中で見ていた王様が現実的な姿で馬に乗って刃を私に向けて、
「貴様何者だ!」
と怒鳴るから思わず、
「市長だ…」
と返すと王様はニヤと笑って、
「市長…私より格下だな。ではこの市をまとめる国の城はどこにある」
この国の城はこの図書館よりもっと奥の…と思ったが、ハッとして、
「キシュフ城、この町の目と鼻の先にある城だ。そこには吸血鬼が王として君臨している。その王を倒したいと思わないか」
すると王様は笑いながら言ったんだ。
「当たり前だ。その王を殺し私がこの国を手に入れる」
嬉しくて空腹の苦しさが一時的に吹っ飛んで希望が湧いた。
どうしてか分からないが…まあ吸血鬼になって力を得た影響だと思うが、絵本のキャラクターが外に出て協力してくれるならこれを…絵本の中のキャラクターを使い奴を倒せばいいと!
それからは至る絵本を開き、闇の者相手でも恐れもしない者を選ぼうと調べ始めた。そうして一人一人外に出してみて、好戦的で敵にひるまないような戦闘向きの者を選別した。
それが立派な王様とその兵士たち、三人の魔女の一人、巨大な大男、虫歯の狼だった。
…空腹?そりゃ辛かくて動けないことも度々あったがそれ以上にやる気があった、これならいける、その後はどうなってもいいと思って。
そして閉館後は絵本の中から登場人物を外に出して自分の思った通りに動かす練習をしていた。
基本的に絵本のキャラクターは勝手に動く。だからどうにか私の指示通り動くようにと練習したんだ。
そして一人二人なら楽に動かせるようになって、立派な王様を含むすべての兵士を出してみようとしてみたら…今日のこの騒ぎだ。
どうやらあの大人数は扱いきれなかったらしい。
* * *
「…どうりで、ここしばらく本の並びが違うことがあると思っていました…」
話し終えたダマンドにカリータが納得の声をあげるとダマンドは本当に申し訳なさそうな顔になる。
「すまない、不法侵入のうえ居座った挙句、本も荒らしてこんな騒ぎも起こしてしまって…」
それでもカリータは痛ましそうな表情で横に首をゆっくり振っている。それと同時にサードが口を開いた。
「それなら私たちが来た時点でそのように伝えていただければこのような大騒動にならなかったのですが?」
ダマンドはチラとサードを見た。
「君は勇者で私は一般的に倒されるべき吸血鬼だ。どうあがいて説明してもきっとこのペルキサンドスス図書館で騒ぎを起こした首謀者として殺されると思った。
あんな状態でも一人二人は操れたから王様に念じて私と、ついでに怪しまれないよう隣にいるゾンビも同時に切り倒すよう動かし、他の絵本のキャラクターも大量に出して紛れながらやり過ごそうと思っていた。だがまさか三匹のネズミたちを使って私にたどり着くとは…三匹は出していないはずなのに」
「きっと君の力に影響されて出てしまったんだろうね」
「それでも君は吸血鬼でも危険は感じない」
「君は今でも立派な人間だよ」
私のフードからひょっこり顔を出してチーチー言うネズミたちの言葉にダマンドは和んだようにわずかに微笑んだ。
「あなたはあなたを吸血鬼にした男と戦う気力はまだありますか?」
急なサードの質問にダマンドは口端を引き締めて、少し悩んでからため息をつく。
「気力はある、だがもう体はろくに動かないし限界に近い。ほぼ無臭のニンニクの臭いだけでこの状態なんだ、万全な体調のあの男と戦うのは正直厳しい」
それを聞いたサードはニッコリ微笑んで聖剣を鞘に戻した。
「ならば私たち勇者一行があなたの意志を引き継ぎその吸血鬼の男を倒しましょう」
ダマンドがバッと顔を上げる。
「本当か?」
「ええ。そのうえであなたに協力願いたいことが…」
するとハッハッハッ!とお腹から笑っているような声が聞こえてきてよく通るサードの声がかき消される。
驚いてその笑い声のする方に顔を向けると、誰かが窓枠に足を組んで座っている。
ダマンドはその人を見て目を見開いた。
「お前は…!」




