川の暴君
茶色に緑色を混ぜた色合いの、百メートルぐらいはある黒い影のお腹が見える。長方形に近い前頭部、わずかに見える短い四つの足、長い胴体を左右にくねらせ長い尻尾を揺らしぐんぐん泳いで進んでいく…。
「あのシルエット…ワニじゃねぇの?ん?でもここの国ってああいうのいるの?どうみてもモンスターだけど…」
アレンはそう言いながらレンナをバッと見ると、レンナは顔を青ざめながら、
「いません…あんな生き物は…」
って返す。サムラはそれを聞いて「あっ」と声を漏らした。
「もしかして聖女像が最後に言っていたミラーニョって人の嫌がらせって…それなんじゃ…」
私もアレンもハッとなる。
「モンスター辞典にあれ載ってねぇ?でかいワニ」
そうよ、こういう時こそモンスター辞典じゃない。
大きいバッグに手を突っ込んでモンスター辞典を取り出した。でもモンスター辞典なんてろくに引いたことがないから、どう探せばいいのか…。アレンに探してもらおう。
するとアレンが静かに声を漏らした。
「おい、あのワニ建物が多い方向に泳いでるぞ…」
アレンの視線の先に顔を向ける。確かに高い建物めがけて一直線にあのワニは泳いで行っている。
アレンはすぐさまレンナに顔を向けた。
「レンナ、あれ危ないやつかもしれねえ。国の人たちに危ないって伝えねぇと」
「え、あの、何がなんだか…」
「事情は走りながら説明する!エリーはあのワニのこと軽く調べてからサムラと一緒に後から来て!とりあえずあっちにはサードもガウリスもいるからまだ大丈夫だと思うし!」
アレンはそう言いながらレンナの手を引っ張って走り出すと、非常事態らしいと察したレンナがスイッと軽く泳ぎだしてアレンを逆に引っ張っていく。
「うわー楽しいー!」
こんな状況なのにアレンはバタ足をしながら楽しそうにレンナに引っ張られてぐんぐん町中に向かって行った。
二人を見送り、モンスター辞典をペラペラとめくっていく。
でも今までこういうので調べるのはアレンかサードだったからどこをどう引けばいいのか…。
とりあえず今まで二人が調べていた方法だと…人型か違うか、山に出るモンスターか平地に出るモンスターか、そういうので調べていたはず…。
「湖…水に関するモンスター…」
めくっていくと川に多いモンスター、爬虫類型、哺乳類型、鳥型って分類が出て、それぞれにページ数が書いてある。
ワニって爬虫類よね?爬虫類、爬虫類…。
ページに進むとワニっぽい絵が現れた。
「あったこれだわ!」
…ん?でもこれ頭がワニだけど違うわ。体はむっちりした小型犬みたいでニャーと鳴くとか書いてあるわ。
「なにこれ哺乳類じゃなくて爬虫類なの…?…ええ!人が好物!?川岸で可愛い声で鳴いて愛らしい動物がいると近寄ってきた人を襲い食べる…?うわあ…。水の中でも泳ぎが速く陸地でも走るのが速いので逃げきるのは困難?うわあ…」
「エリーさん…」
サムラに名前を呼ばれて、脱線していることに気づく。
「ちょ、ちょっと待ってね、ちゃんと調べるから…」
ページをめくっていくと見た目はワニそのものの絵が目に入る。きっとこれね。
『コッコドリ
他の野生動物に似たモンスター同様、体は数倍頑丈で狂暴性も増している。川を通る船をかみ砕いて食べることもあり、川の暴君と呼ばれている。見つかってしまったら襲われる可能性が非常に高い。動いている物はとりあえず襲う習性があるようで、動いているものにはすべからく攻撃する。出会ってしまったらまず動かずに様子を見てコッコドリが立ち去るのを待つのが無難だろう。
攻撃…鉄製の船も一度で軽くかみ砕いてしまうほどあごの力が強い
防御…皮膚の表面はとても固く物理攻撃は通じにくいが物理攻撃・魔法攻撃共に有効
弱点…あごの下、喉の辺りは皮膚が柔らかい』
コッコドリ…?ワニより鶏みたいな名前…。
でもさっき私たちは立ち話をしていたから、あのコッコドリってモンスターは私たちをスルーして頭上をさっさと通過していったのね。
…動けば襲われる…。ん?あっちに行ったアレンとレンナは大丈夫?
バッと頭を上げると遠くに見えるコッコドリが一度上にクルリと旋回して、高い建物が連なる中に頭から突っ込んで粉塵が舞い上がるのが見えた。
「サムラ!私たちも行かなきゃ!」
サムラの手を掴んで走り出す。
でも走るよりならレンナみたいに泳いだ方がきっと速い!
軽くジャンプしてアレンみたいに泳ぐ姿勢で足をバタバタ動かす。でもその場でダバダバと足が動くだけで全然前に進まない。
そのまま私は足をバタバタしたままどんどんと砂地の方にゆっくり下がっていく。
あら?
もう一度ジャンプして泳ぐ姿勢になってダバダバ足を動かす。でも同じようにどんどんと下がっていく。
「え、何で?何で前に進まないで下に沈んでいくの?」
「エリーさん、もしかして泳ぐの苦手ですか?」
サムラの言葉に「そんなことない」って返す。
だって私は海でも普通に泳いでいたもの。浮輪に入って…。
…思えば浮き輪でプカプカ浮いてはいたけど、あの時私、今みたいに足を動かして泳いでいたっけ…?あれ?泳いでいるつもりだったけれどもしかして波にもまれて水面を行ったり来たりしていただけじゃ…?
よくよく思い出してみれば大きい波にもまれて沖の方にスーッと大きく移動するたびにアレンが泳いできて浮き輪を引っ張って浜辺側に引っ張ってなかった?
あの時は「アレンに引っ張られてる!楽しい!」ぐらいの感覚でアレンも遊んでいるって思っていたけど…。
…もしかして私って本当は泳げない…!?
ショックを受ける。
まさか十八年生きてきて、泳げないことを緊急性の高い今になって知るなんて。
でも首を横に振って少しずつでもジャンプするように前に進みながら、
「さっき上を通過していったのはコッコドリっていうワニのモンスターでとても狂暴なの、動いてるものはとりあえず襲うぐらい。もしかしたら皆が動いて逃げようとすればするほど追いかけ回して食べられ…」
そこまで説明して口をつぐむ。
ちょっと待ってよ。
この湖に暮らす精霊たちの肉を食べると長生きになるってライデルとホルクートが言っていたじゃない。じゃあ仮に精霊の誰かが食べられたら、あのコッコドリは長生きに…!
ライデルとホルクートの言葉を思い出したのか、私が何も説明しなくてもサムラもこれはかなり危険な状況だって理解できたみたい。
「こんなジャンプしながら進んでる場合じゃないわ、精霊の誰かが食べられたらコッコドリが長生きになって死ににくくなっちゃうかも…!」
「じゃあさっきレンナさんに分けてもらった力で…」
サムラがそう言った瞬間、私たちに衝撃が走って、ゴッと地面から足が離れて空中に舞い上げられた。私の首にグギッと鈍い痛みが走る。
「うわああああ!」
サムラは叫びながら私の両手を握って、私もサムラの両手を掴んでグルグルと回転しながらものすごく上に巻きあげられる。
そのまま水がグルグルと回転している所にハマってしまった葉っぱみたいな動きで私とサムラは同じところをグルグルと回転しながらゆっくりと動きが止まって、ゆっくりと下に落ちてスサァ…と砂地に着地する。
サムラを見ると怖い体験をしたみたいな青い顔で手がカタカタ震えていて、私はいきなりの衝撃で首がグギッといったから、そっとサムラから手を離して、大きいバッグから薬草入りの湿布を取り出してぎこちなく首に貼っておいた。
「す、すみません…すみません…レンナさんの力を使って進もうって思ったら勝手に…」
「分かってる、思った瞬間発動しちゃったのね…」
鈍い痛みが走る首をさする。でもこれくらいならこの湿布を貼っていれば明日までには治るはず…。でも痛ぁ…。
とにかくサムラの手を繋いで、地面に風をぶつけて真上にあがる感覚で後ろに魔法を発動する。比較的衝撃も少なく、真っすぐにも進める。
「すごいです、やっぱりエリーさんはすごいです」
「そりゃあ、サムラより長年魔法を使っているもの」
そんな会話をしながら町中にどんどん進んでいくけれど…町外れの所でも大パニックじゃない。
コッコドリはまだまだ遠いけれど、それでも叫んで逃げ回る精霊たちに興奮しているのか口を大きく開けて辺りの建物をかみ砕いて、身を大きく振るわせて太い尻尾も大きく動かして建物を次々と破壊していく。
石畳の敷かれた地面は混乱状態で進めそうにないから、魔法で上に浮かび上がってそのまま横に進んでいく。
アレンとレンナは?
…分からない。パニックで逃げる精霊たちだらけだわ。
「動かないで!あの生き物は動けば動くほど襲ってくるわ!逃げないで黙って建物の中に避難して!」
大声を張り上げて怒鳴るように言うけれど、こんなパニック状態の中で聞いている人は誰もいない。
「動かないでくださーい!」
サムラも今までで一番の大声で言うけれど、私より声が出ていない。
精霊たちを家の中に避難させるのが先。でもこんなパニック状態の人々を私たち二人で落ち着けるのは無理。それなら…。
「先にあのコッコドリを倒すわ、行きましょう」
サムラの手を引いて遠くにいるコッコドリへ近寄っていく。
こんな状況だけれど、幸いだったこともあるわ。
コッコドリが巨体なことと、建物は高層で密集していること。人が多く逃げ回っていてもコッコドリは高層の建物に阻まれてその大きい口と牙は地上まで一気に届かない。
それに周りが水中のような空間で精霊たち皆の泳ぎが達者なのも幸いしてる。
コッコドリが建物をかみ砕いて破壊している間に精霊たちはするりと建物から抜け出して素早く泳いで逃げていっているもの。これが地上だったら高層の建物から落下して亡くなっている所だわ。
だからって安心ばかりしていられない、とにかく誰かが犠牲になる前に早く倒さないと。コッコドリの弱点はあごの下の柔らかい皮膚、そこを切り裂いて…。
グッとコッコドリの視線が私たちの方を見た。
逃げていく精霊たち中、どんどん近寄る私たちに目をつけたのかもしれない。体を左右に細かく振るわせると、巨体に似つかわしくないすごいスピードで、口を開けて近づいてくる…!
遠慮なしに倒す勢いで、自分たちを後ろから押す時と同じようにコッコドリに向かって魔法を放った。
すると水の勢いに押されたコッコドリの口がもっと大きく開いて、後ろにのけ反っていく。喉の下の少したるんでいる柔らかい皮膚が自然と露わになった。
チャンスだわ!
空気中で突風を放つ感覚でドッと水を放つ。
あぶくを出しながら私の放った魔法はたるんでいるあごの下の皮膚に当たる。…けど、たるんでる所がモヨンモヨン動くだけで切れているような感じは全然無い。ただモヨンモヨン動いただけ…。
まさか、空気中で空気を放ったらスパンと切れるのに、水中で水を放っても切れないの…?
と、コッコドリはギュンと私たちに顔を向けた。その目が言っている。
「殺す」って…!
海で
エリー
「わぁー楽しいー」(波にもまれ遊泳禁止付近まで流されていく)
アレン
「あはは、待て待てー」(泳いで浜辺近くまで浮き輪を引っ張って連れ戻す)
エリー
「きゃー泳ぐの楽しいー」(波にもまれ遊泳禁止付近まで流されていく)
アレン
「わーい待て待てー」(泳いで浜辺近くまで浮き輪を引っ張って連れ戻す)
エリー
「きゃー」(大はしゃぎ)
浜辺で見守るガウリス
「(エリーさん、楽しそうに救助されていますね…)」




