フラグクラッシャー
どんどんと近づいてくるハミルトンの顔。
風で吹き飛ばそうと魔法を発動しようとすると、目の前に手の甲がヌッと横から出てきてハミルトンの顔をわし掴みにすると、そのままグンッとのけ反らせてベッドの足元の木製の枠にガンッと後頭部を打ち付けた。
「ぐあっ」
ハミルトンは叫んで後頭部を押さえて広めのベッドの上をゴロンゴロンと転がって身もだえている。
慌てて起き上がってその手の主を見ると、灰色と黒のストライプの服にオンミツ独特のストールの巻き方をした…サード!
「サー…」
名前を呼ぼうとするとサードに口をガッと抑えられて、口の前に人差し指を立てる。
名前は呼ぶなってことね?
後頭部の痛みでまだ身もだえているハミルトンのベルト掴みながらサードはズルリとベッドからハミルトンを落とすと、片手で首を掴んで、そのまま力任せに立ち上がらせて壁にダンッと押し付ける。
ハミルトンは目の前のサードの姿を見て、軽い驚きの声を上げた。
「…なんだぁ…?」
腕を後ろに引き、サードはハミルトンのみぞおちに一発ドッと拳を入れた。
「うっ」
ハミルトンは体を折り曲げて膝から倒れそうになるけれど、サードは首を掴んで無理やり立たせてもう一発拳をみぞおちにねじりこむ。
「…!」
ハミルトンは気絶したのかズルズルと倒れ込みそうになるけど、サードはハミルトンの頬を何度か引っぱたいて起こさせる。
ハッと目を瞬かせるハミルトンにサードは、
「激しいのが好きなんだって?もう一発激しいの欲しいか?え?」
声を変えていつもより低くなっているサードの言葉にハミルトンはお腹を押さえて軽く首を横に振って目を見開いている。何か話そうとしているが痛みで声が出ないみたい。
サードはわざとらしく、
「そうか欲しいか」
って膝をみぞおちにめり込ませた。
「ぅ…」
これ以上ないぐらいのかすかな絶叫。ずるずるとハミルトンは壁伝いに倒れて、お腹を押さえて丸くなりながら横たわった。
「てめえ今何しようとしてた?」
顔を蹴り飛ばしながらサードが聞いているけれど、ハミルトンはわずかに首を動かす程度で何も言わない。
「襲おうとしてたなぁ?明らかに」
ハミルトンは首を横に振っている。
サードは袖口からギュンと先のとがったナイフ…に似たような武器を出して、しゃがんだ。
「勇者御一行に仇成すものは俺が殺す」
…えっ。
そういえば心の中がちょっぴり覗ける眼鏡でサードを見た時、ハミルトンを殺す様子がモヤモヤと見えていたけれど…もしかして心の動きが止まったのって、ハミルトンを殺す算段が付いたから考えるのをやめたとかだったの!?
ガウリスに内緒でこっそり殺そうって…!?
そりゃこんな風に夜に侵入して嫌なことをしてくるような男、私も許せない。でも殺すのは…しかも私の部屋で殺すとか、ちょっとヤバいんじゃないのぉ…!?
止めなきゃ!
声をかけようとするけどハミルトンが先に喚きだした。
「ぅゎ待って」
蚊の鳴くような声がハミルトンから絞り出される。ハミルトンはあうあう言いながらもお腹を押さえて、芋虫みたいにモゾモゾ体を動かして話し始めた。
「お、俺は…」
ハミルトンは苦し気に声を絞り出していく。
「有力な情報持ってんだ、魔族…そうウチサザイ国の魔族の情報。俺しか持ってねえ情報だ。勇者様だってこの情報欲しさに俺に御馳走もして一緒のホテルに泊まる金も出してくれたんだぜ?俺を殺したら情報が手に入んねえんだぞ」
ハミルトンは苦し気に、でも早口でまくし立てている。どうやら自分に暴力を振るった人物が勇者本人とは気づいていないみたいね。
サードは淡々とハミルトンの首の横にナイフのような武器を首の横にソッとつける。
「勇者御一行に仇成す者は俺が殺す」
感情のないサードの言葉にハミルトンは首をのけぞらせて、唾をゴクリと飲み込んで続ける。
「お、お、お前が何者か分からねえがな、俺を殺したらその勇者御一行が黙っちゃいねえぜ…?」
サードはゆっくりと口を開き始めた。
「俺は以前勇者御一行に助けられ、それ以来勝手に勇者御一行のために情報を集めそれを伝えている」
あ、始まった。サードによる嘘つき節。
まさか本気で殺すつもりか心配したけれど、サードの嘘つき節が始まる時は大体言葉でどうにかしようって思ってる時。だったら本気で殺そうとはしてないわ。
かすかにホッとしているとサードの嘘つき節は続く。
「今まで俺はウチサザイ国で勇者御一行の欲しい情報を集めていた。俺が戻ってきたならお前はもう利用価値のねえ用無しだ」
ハミルトンは目を見開いてサードを睨みつける。でも怒っているより恐怖に引きつっている度合いが強い。
「じゃ、じゃあ何だ…?勇者様に俺を殺せって命令でも受けたってのかよ…?」
「いいや」
サードは否定してから続ける。
「言っただろ、俺は勝手に行動してるだけだ。勇者御一行の誰かに何を言われてるわけでもねえ。全部俺の判断で行動してるんだ。だから…」
刃物を持つサードの手の力がグッと強まる。
「勇者御一行に仇成す者を殺すかどうかも俺の判断一つ。勇者御一行の一人を襲おうとしたてめえは殺す」
え!?まさか本当に殺す気だった!?いっつもこんな大嘘ついている時には言葉でどうにかしようとしていたじゃない!
「…!サ…!」
思わずサードと名前を呼びそうになった口を手で閉じ、
「ダメ!殺しちゃ!」
って名前を言わず止める。するとサードはぐるりと私を振り向いて、
「襲われかけたんだろ、エリーさん」
って聞いてきた。
…サードに「さん」付けされると妙な気分。ううん、そんなこと考えてる場合じゃない。
「でも殺しちゃダメ…!」
「こいつのこなれたやり方を見る限り、エリーさんが今味わった通りのことを他の女にも繰り返してきたはずだぜ。生かしておいたらまた被害者が増える。一行だっていつまでもたかられて金が食われ続ける。要るか?要らねえだろ」
「…」
そんな風に言われると…要らない度合いが強まった。
するとまだ横たわっているハミルトンが私を見ている。
その目は明らかに私に助けを求めてウルウルしてて…。……さっきまで襲おうとしてたくせに何を私に助けを求めているの?ふざけてる、やっぱ要らないそんな男…!
思わずもっと殴ってと言いそうになったけど、ふと脳内にガウリスがよぎった。
ガウリスはどんな悪人でも、それでもその人のことを信用したいって思っている。
エルボ国で別れ際まで性格の改善が見られなかったマーリンに対しても、
「あれだけ天真爛漫なら一度良い方向に向かえばあとはすぐに良い考えに染まれるでしょう。あとはそのことに早めに気づくことが出来るよう、神に祈るだけです」
って言っていた。実の娘のサブリナ様でさえ、
「お母様のあの性格は死ぬまで直らないでしょうね、そんな気がします」
ってかすかに諦めて見放していたにも関わらず。
…そんなガウリスのことを思うと、もっと殴ってと言いそうになった自分が嫌になった。
私はハミルトンを視界に入れないよう、サードだけを真っすぐに見る。
「…ガウリスは生まれながらの悪人なんて居ないって言っていたわ。ただ環境でねじれてるだけできっかけさえあれば真っすぐになるって。…だから殺さないで」
サードは軽く肩をすくめて、ハミルトンから離れて立ち上がる。そのままクイと顎を入り口に動かした。
「エリーさんが許せっていうならしょうがねえ、見逃してやる」
ハミルトンは心底、助かった…、という顔をして力の抜けた顔をしてノロノロとお腹を押さえながら立ち上がろうとしたけれど、サードはガッとハミルトンのロン毛を掴んでナイフのような武器の先端を目に突き付ける。
「言っとくが俺はいつでもてめえを殺す機会を狙ってるからな。顔と名前は覚えたぞハミルトン・メッデー。これ以上勇者御一行に悪影響を及ぼすなら俺はてめえを即殺す。てめえがどこに居ようが殺す、いつでも殺せる、分かったな」
ハミルトンはヒッと引きつりながら息を吸い込み、
「わ、分かった!分かった!分かった!」
と逃げ出そうとする。サードは私のベッドの上に散乱しているハミルトンのスーツとシャツを掴むと、
「こんなもん忘れていくな!」
ってハミルトンに向かってぶん投げて、ハミルトンは慌てて自分の服をひっ掴むと上半身裸のままで外に出て行った。
バタバタと走って行く音が消えてからサードは私に視線を移して近づいてきて、口の部分の布を下にずらしてベッドの脇に立つ。
「…未遂だな?」
「当たり前でしょ」
サードは、ふん、と鼻から軽く息をついて私を見ている。
「随分と落ち着いてるもんだな、襲われかけたってえのに」
サードの言葉が突き刺さった。何とも言えない怒りと悔しさがジワジワと込み上げて思わず涙ぐんでしまう。
「何言ってるの…怖かった…怖かったわよ…!」
ボロッと涙が流れて涙をぬぐう。自分でも訳の分からない怒りと一緒に涙も込み上げてきて止まらない。
「だって、だってこれで三回目なのよ?私だって…!こんなの…!嫌に決まってるじゃない、気持ち悪いし…怖かった…!」
気持ちがぐちゃぐちゃになってきて、顔を両手で押さえて声を上げて泣く。
襲われそうになったのに他人事みたいなサードの言葉。それに訳の分からない怒りが湧いてもう止まらない。
「何が落ち着いてるな、よ!どうにかしてあの状況抜け出さないといけないから、色々と考えてたんじゃない、サードだって私が攻撃したら大体の人死ぬから言葉で話しかけて隙をみて逃げろって言ってたじゃない!その通りにやってたんじゃないの!」
湧き上がる衝動を抑えられず枕を掴んでサードに向かってぶん投げて、そのままベッドに突っ伏してわんわん泣いた。
ベッドをボンボン殴り続けていると、肩にそっと手を当てられて、バッと頭を起こす。
するとサードが強ばった顔つきながら私の肩に手を乗せていて、その手の力がギュッと強まる。
「…悪かった…」
え?…今のは聞き間違い?
サードから、あの今まで人に何をしようが謝罪の言葉一つ言わないサードから謝罪の言葉が聞こえた気がするけれど…?
驚きのあまり涙が止まってサードを見ていると、苦々しい顔で私から下に目を逸らしたサードは、
「そりゃ…未遂だろうが襲われるなんてクソ気持ち悪いよな、今の言い方は…悪かった…悪い、本当に」
「…」
そういえばサードも子供の頃養父に襲われそうになったんだ。
そのことを思い出して、うつむいて黙り込む。少し気まずい空気が流れて、私は涙をぬぐいながら体を起こした。
「けど…どうしてサードは…」
助けに来てくれたの?って続けようとするとサードは気まずそうな顔をしながら、
「あの野郎の部屋にこの格好で行って今みてえに脅そうとしたら部屋にいなかった。あの野郎、ずっとエリーを変な目で見てたからもしやと思って引き返してみたら…」
思った通りだった、ってサードは小さく呟く。
まだ気持ちはぐちゃぐちゃだけど、気まずいだんまりの雰囲気が流れないうちに私はすぐ質問した。
「本気で殺すつもりだったの?私の言葉で殺さないことにしたの?」
そう聞くとサードは少しいつも通りの表情に戻って、
「んなわけねえだろ。何回か殺そうかと思ったがな。どんなに考えようが結局俺らに足がつくと思ったからやめた。あんな小悪党一人殺して勇者の立場を追い込むのは得策じゃねえ」
足がつかないって思ったら実行していたの…?
そう思って黙りこんでしまったらまた気まずい雰囲気が流れてお互い無言になる。
「…派手に部屋の鍵壊されてたが、気づかなかったのか?」
いつもよりかなり優しく気づかうような言葉づかいでサードが聞いてくる。
でもそんなの気づかなかった。ぐっすり眠っていたから…。
首を横に振るとサードは少し呆れた顔をしてため息をつく。
いつもだったら「のんきに寝てんじゃねえよこの平和ボケが」「普通気づくだろ馬鹿が」って悪態の一つは飛んでくるはずだけれど、今のサードは何も言わない。
あのサードが珍しく気を使っている。
…いつもこうだったらいいのに。
でも今私が本当に怖かった思いをしたって理解して、気を使ってくれるのはすごく嬉しい。辛い気持ちの時に追い込むように悪態をつかれたら…本当に、辛いから。
私は立ち上がってサードに近づいて、背中に腕を回す。サードはギョッとした顔で体を強ばらせて少し体をのけ反らせた。
「助けてくれてありがと」
感謝の気持ちを込めて強くハグをした。
母親代わりのシスターにハグされるだけで落ち着かない表情になるぐらいサードがハグが苦手なのは知っている。
でも本当に危ない時に助けに来てくれたのが、辛い気持ちを察していつも通り悪態をついてこないように気を使ってくれているのが…今はそんなささいなことだけで嬉しい。
どうせだからお礼のキスもほっぺにしようかしら。それくらい今は嬉しいから。
…でもサードは体をのけ反らせて顔も最大限にあっちに背けてる。背伸びをしても届かなそう…。やめた。
けど何で女遊びは激しいくせにこういう親しい人への挨拶とか感謝を表すハグは苦手なの?変なの。
でもサードにハグするの初めてかも。いつもは誰がサードなんかにって感じだし、サードもハグが苦手だし…。
…。ま、たまにはいいわよね、こうやって
感謝を現す時ぐらい。何か新鮮だし。
ふふ、と笑いながらもっと強くハグするとサードは少し私から身を離して、お互いの間に隙間が空く。
「…お」
「お?」
サードから裏返った謎の声が出て、私は顔を上げてオウム返しで聞き返す。
「お前今さっき襲われかけたの忘れたか…?」
いつの間にやらサードは顔をストールで隠していて、私と目が合うと視線を逸らした。
「忘れてないわよ」
「だったら何やってんだよこれ」
これ…ってハグのこと?
「感謝のハグよ」
サードが私の肩を押して離れようとしているのを感じる。
…もしかして迷惑だからやめろとでも言いたいわけ?
私のお礼のハグが受け取れないとでもいうの、この男。
逃がさないとばかりにギチィ、とサードにしがみつく。
するサードはまた体を強ばらせて、
「お前なあ…。夜だぞ、個室だぞ、お前女で俺は男だぞ。…分かってんのかよ…」
…?
キョトンとした顔でサードを見る。サードの言っていることは分かるけど…。
「だってサードは私をそういう目で見たことなんて一度もないもの」
サードは女に対して汚いけれど、ハミルトンみたいにセクハラかそれ以上の言葉を言ってくることもすることもないもの。
夜に部屋に侵入してきても髪の毛をとかす程度だし。…まあ夜中に部屋に侵入されるのはかなり嫌で迷惑だからやめてほしいんだけどね…。
でもまあ、
「サードは私に何もしないって信用してるから」
サードだって散々私の手をひねりあげたり悪態ついてくるんだから確実に口説く対象に私は入っていないでしょうし、それだからそんなこともしないって確実に分かってる。
真っすぐサードの顔を見ながら言うと、何か言葉に詰まった感じでサード口ごもった。
そのまま睨むように私を見てくる。
何となくその目は…怒ってるような、失望したような、どこかやりきれないような…。
何、その表情。
サードは力任せに私を腕で押しのけて、
「フロントにお前の部屋の鍵壊されたってこと言って来らあ」
って部屋からズカズカと出て行った。
ナイフのようでナイフでない武器=苦無
エリー
「私のハグが受け取れないとでも言うの?キィ!」
サード
「その言い方、俺の酒が飲めねえのかって言うオッサンと同じだからな」




