農村地帯の異変
「なんだか他の麦畑でも同じように作物がドロドロになってる所が多くてさ」
アレンがそうアサフに言うと困った事態だとばかりに真剣な顔をしたアサフがその場にいるブルーレンジャーと私たち一行の顔を見渡す。
「こちらの方でも収穫しようとすると作物が腐ったようにデロデロに溶けているのが多かったんだ。見るかい?」
別に見たくない。
そう言う前にアサフはさっさと目の前に何か取り出して見せつけてくる。
オレンジ色で細長い三角形みたいな形を見る限りニンジンだってわかるけど、表面のほとんどがぬめり気のある茶色でへこんで溶けていて、所々は緑と白のホワホワしたカビに覆われている。
こんな溶けるくらい悪くなってる野菜なんて初めて見たわ、それにこの臭い…!こんなの見て嗅いだら食欲も失せるわ。…むしろ見たくなかった…!
腐って溶けている野菜を見てしまって心にダメージを負っている間にもアサフは続ける。
「そりゃたまには土の中で一部が腐ることもあるだろうがね。最初からここまで腐るなんてことはまずあり得ない。これは暑い中しばらくジメジメした日当りの悪い小屋の中に数ヶ月放置したぐらいの腐り具合だ」
「それに作物も特定の物じゃなく色んな種類が悪くなっているようです」
ミレイダはそう言いながら収穫してきた無事な野菜を見て、うーん、と唸っている。
「場所も一ヶ所だけじゃなくて、あちこちの畑でだもん…それも麦畑もでしょ?」
ナタリカもそう言いながら私とアレンに聞いてきたから、うんうん、と頷いた。
最初にデロデロに溶けている麦を見つけたのを皮切りに、ウッと鼻をつまむような腐った臭いがすると近くで麦がドロドロに腐って溶けていて。
アレンは大丈夫かよこれ…と溶けている麦の穂を手で掴むとデロッと黄色いような茶色くなった麦の穂が全てアレンの手について、
「ぎゃー!ヌルっとするやだぁー!」
とアレンは叫んでいたわ。
っていうか何でそんなあからさまにヤバそうなものをすすんで触ったのよって呆れた。
私はブルーレンジャーの皆に顔を向けて、
「何か悪かったの?こういう腐る原因とか…」
エルボ国では麦畑が屋敷の前に広がる所で十四年過ごしていたけれど、畑に野菜は全然やったことがないから詳しくない。
でもブルーレンジャーは手伝い程度でも畑に関わってるんだから私たちよりは詳しいはず。
それでもジャークは首を横に振った。
「私たちもそこまで農作物に詳しくはありません。しかし昨日の今日でここまで腐っている作物が多くなるなんて明らかにおかしい。昨日まで収穫していたものはほとんどが立派なもので、こんなものはありませんでしたよ」
「そうだよ、あんなにデロデロに腐ってるとかあり得ねえ。長雨続きの時ならまだしもここ最近は晴れ続きだしな…」
ワブラックもそう言いながら腕を組んで首をかしげている。
「モンスターとか?」
何となく思いついたことをポロッと言うとブルーレンジャーはハッとした顔になって、
「農作物を枯らすモンスター?」
「そんなのいるかしら」
「だとしたら毒を使うモンスターか?」
まるでモンスターが犯人という前提で話し始めてしまった皆に「どうかは分からないわよ」と言ったけれど、同じタイミングでミレイダが、
「そう言えば…」
と口を開いたから私の言葉はかき消されてしまった。
「昔ツエイタ国を通っている途中でそういうモンスターが居るらしいって聞いたことありますね、草木を枯らすモンスター」
「どんなモンスターだ?名前は?」
アサフが聞くとミレイダは、はい坊ちゃん、と続ける。
「名前は分かりません、その国の南東部に大量発生して農作物に被害を与えていると聞いただけで、私は実物は見ていないです。
ただ見た目は巨大なカエルだったので大きいカエルのモンスターと噂話の中で呼ばれていました。体が毒の粘膜で覆われていて、そのカエルが触れた草木は腐ってしまうと」
サードがミレイダに質問する。
「ちなみにそのカエルのようなモンスターの大きさは聞いていませんか?」
ミレイダは黙り込んで首をかしげる。
「成人した人間の男より全長も丈も遥かに大きいとは聞きましたね」
「そのカエルのモンスターは夜行性なのでしょうか。昨日まで何もないというのなら夜のうちに動きだして…」
「そこはモンスター辞典を見た方が確実だと思いますけどねぇ」
あんまり聞かれても私分かりません、とミレイダは迷惑そうな顔をしてサードの言葉を遮った。
「けど草木に触れたら腐るって言ってたけど…それだったらそのカエルの通ったあと全部そういう風になってるってことだろ?」
アレンがそう言うとサードも、
「そうですね…。腐った作物の場所もバラバラで離れていますし、歩いて通ったわけでも跳ねて通ったわけでもなさそうですね」
「それならまず依頼主の所に戻ってからモンスター辞典をどっかで借りて調べましょうよ」
ナタリカの言葉に皆もその通りだな、と頷いて一旦戻っていく。
そうして無事な野菜を届けつつ、依頼主の白髪頭でガッシリした体格のお爺さんにモンスター辞典を借りて調べようとすると、
「いやけどあんな被害は初めて見たな…」
と首をかしげている。
「あなたもああいう被害は初めて見たの?」
長年この地の畑で過ごしてきたようなお爺さんの不思議がる様子に声をかけてみると、
「まあなあ。あんな風になる病気なんてないし、違う作物なのに似たように溶けて腐ってるなんておかしい。
そりゃ口をつけて食べられるとそこからデロデロと作物を腐らすネズミ型モンスターもいるがな、あの野郎共は地面の上にある野菜中心に食べんだよ、カボチャとかズッキーニとかだな。なのに地面の下にあるニンジンにじゃがいももだろ?あのネズミが麦を食べたなんて話も聞いたことないしな…」
お爺さんが言うには食べ物を腐らせるモンスターはそのネズミくらいしか分からない、と言うから、とにかく草木を腐らせるモンスターはいるかとアレンが辞典で調べてみると、それらしいのを見つけた。
見つけたけれどそのモンスターの特徴を横から見た私は眉間にしわを寄せた。
「…このモンスター?本当に?」
「当てはまるとしたらこれですが」
サードも横から覗いてそう返す。
何で私が眉間にしわを寄せたのか、それはこんな説明文だったから。
『イビルモデル
魔族のいるダンジョン周辺によく現れる。そのため魔族が主に使役しているモンスターだと推察されている。魔族がその地から居なくなると自然と消えるので地上には普段居ないとされる。
見た目的には小人のような小さい見た目で空中を飛ぶ。性質は非常に悪質ですばしっこい。これに触れられると人は病気になり、草木は腐り果てる。
攻撃…服越しにでも触れられると病気(風邪やそれに伴う虚脱症状など)を発症する
防御…物理攻撃、魔法攻撃共に有効
弱点…魔族の使役する者らしく聖魔法に弱い』
「この説明通りだとするとこの辺に魔族がいるみたいなんだけど…」
そう言いながらブルーレンジャーを見渡しながら聞く。
これまでずっとここに居た人に聞くのが一番と思ったけれど、その全員が「うそー、信じられなーい」とばかりの顔でお互いに顔を見合わせている。
「…昨日今日で魔族がこの地にやってきたのかもしれない、そういうことでしょうか…?」
ガウリスの呟きにサードは「そうかもしれませんね」と頷く。
魔族がいるかもしれないとすぐ隣で聞いていたお爺さんは顔を強ばらせるけれど、サードに私たちを見てすぐ安心した顔になって、
「だけど勇者様たちは魔族を何度も討ち果たしてるんだろ?」
それなら大丈夫だよな、とすでに解決したとばかりの明るさで声をかけてくる。
「ええ」
軽く頷くサードにアサフも心強そうな顔をしてぐるっと私たちを見回してきた。
「いやはや、何て運がいいんだ。魔族が現れるか否かの時に勇者御一行が丁度よくこの場にいるとは」
アサフがそう言いながらサードに向かって身を乗り出す。
「我らブルーレンジャーから勇者御一行に依頼したい。ぜひともその魔族を討伐討してほしい」
その申し出にアレンは目を丸くした。
「や、アサフたちも冒険者じゃん…」
何を言う、とアサフは腰に手を当てて自分に親指を向けて胸を張った。
「確かに僕らは冒険者だ。しかし僕は三年前まで城でのらくら過ごしていたただの王子。ミレイダはただの登山家。ワブラック、ナタリカ、ジャークは冒険者としての力はあろうとも魔族と戦ったことは無い!」
カッと目を見開いてアサフはハッハッハッと笑いながら続ける。
「それなら適材適所!勇者御一行が魔族の相手を、我々がイビルモデルなるモンスターや害獣型モンスターを相手にすればよいではないか!この非常時だから収穫手伝いは後回しだ!」
ビシッとポーズを決めながらアサフがそんなことを言ってくる。
そりゃその言い分は最もだし、魔族がいるなら私たちが動いた方がいいに決まってる。だけど…こんな一方的に決められてサードは何と言うかしら。
「…まあ…そうですね」
どうやらサードも特に反論することもなかったみたいで、一旦頷く。
するアレンが心配そうな顔で口を挟んだ。
「ブルーレンジャーが金を払うって…大丈夫?赤字になったりしない?」
ブルーレンジャーたちの仕事の一部を手伝ってみて分かったけれど、そのお金は日雇い労働くらいしかもらっていないみたいなのよね。
アレンは依頼内容の書かれた紙を見て結構ギリギリで生活してそうって言っていたわ。宿泊に食事代は一般宅の人たちの厚意でほとんどまかなってもらっているようだけれど、その他費用をこの人数で割って考えるとキツそうだって。
するとアサフはフハハ、と笑った。
「ここで王子という立場を使わずしてどうする!金は国から払ってもらおうじゃないか!」
国から支払う、の部分でサードが警戒の顔になって…、まあ表向きの表情のままだけれど、どう断ろうか算段しているような表情になる。
それに気づいたそぶりはないけれどアサフはサードが何か言う前に指を突き付けた。
「言っておくがこれは国の王子からの依頼ではないぞ、冒険者である我らブルーレンジャーからの依頼だ。僕らはちょっとしたコネを使い国からの支援金を受け取るだけの一般人。これなら国からの依頼を受けない勇者御一行でも大丈夫だと思うんだが?どうだお気に召さないか?ん?」
サードは一瞬ニヤと笑った。少し「野郎」と悪態をつきそうな、それでもどこか楽し気な顔つき。
「見た目の軽薄さによらず考えが回りますね」
勇者としての表向きの顔なのに裏の顔の時に言いそうな毒のある言葉をサードが言う。するとアサフは楽しそうに大笑いした。
「お!勇者様も随分とミレイダのようなことを言うな」
するとミレイダがずいっと身を乗り出して、
「そうなんです、馬鹿っぽく見えますが坊ちゃんはただの馬鹿ではないんですよ勇者様」
とどこか自慢げにアサフを指し示している。
「アッハッハッハッ、いいなぁ、勇者様もミレイダもたまらないなぁ」
…何でこんなに馬鹿にされてるのに嬉しそうなのかしら…変なの。
ともかくこの後すぐ私たちは近くのハロワに訪れて、ブルーレンジャーたちが私たちあてに魔族討伐依頼を出して、その場で私たちはその依頼を受けた。
「あんたらが討伐するんじゃないんかい」
ハロワのおじさんがアサフに声をかけてからかったけど、アサフは軽く返した。
「我々には分不相応!いくら背伸びをしても勇者御一行に実力では敵わんさ!」
ざっくり割り切るわねえ、と思いながらも私たちはすぐに魔族がどこにいるのか話し合った。
だけど昨日の今日で魔族が居ついたっぽいって分かったばかりだからハロワに魔族の情報も何もないし、野菜に麦が腐る被害がたくさん出ている所に戻ってイビルモデル…小人くらいの大きさのモンスターを見なかったかって畑にいる人に聞いてみたけれど、そんなもの見たことがないって言われるだけ。
もちろん魔族らしき者を見た、魔族が住んでいるらしき場所を見つけたなんて情報も全くない。
日も暮れて畑にいる人もほとんどいなくなったころ、私たちはブルーレンジャーに声をかけられてまた一般宅に一緒に泊ることになった。
こんな大人数で押し寄せていいのかしらと思いつつ、何だかんだでブルーレンジャーと私たち勇者一行を一度に泊めるなんて名誉くらいの勢いで、
「どうぞどうぞどうぞどうぞ!」
って家の中に促されたから大丈夫そうだったけれど。
「噂で魔族が現れたって聞いたんですけど」
「ええ、状況的に魔族がこの近くにいる可能性が高いとみています」
家の主人の言葉にサードが簡単に返すと、主人は魔族が近くにいるって言葉に顔を曇らせたけれど、それでもすぐに「勇者御一行がいるならきっと大丈夫」くらいの表情になって食事の場に案内される。
そんな私たちがいるから大丈夫って軽く思われても困るんだけどね…。実際どうなるかなんて私たちも分からないんだから。
私たちは食事を御馳走になった後、地元の家の人たちにこの辺りをあちこち歩いているブルーレンジャーを交えて魔族が居そうな所は無いか地図を見て探ってみることにした。
魔族は使われていないお城、屋敷、洞窟、人があまり寄り付かない場所に居ることが多い。…例外は村のすぐ近くの野原にダンジョンを建てたラグナスだけど。
とにかくそんな魔族が居座りそうな場所が無いか聞いてみると、
・この辺りに使われていないお城に屋敷はない
・この辺りの八割は畑、残り二割は小高い山と村
・洞窟は探せばあるかもしれないけど知らない
・人が寄り付かない所ならある、それは山
ということだった。
まさか畑とか村の中に魔族が居るとは思えないから探すとすれば山の方かとアレンたちはアタリをつけて、
「じゃあ明日から俺らは山歩きだな」
アレンの言葉に私はヒヤッとする。
「…その山って…」
私が何か言う前にアレンは返す。
「大丈夫、この辺のはニ十分程度で頂上に到着するぐらいの緩い山だから」
ホッと胸をなでおろした。良かった、カームァービ山とか、ガウリスと出会ったあの山とか、アダモ村長のいたあの村と同じくらいの山じゃなくて…。
「この辺の山はほとんどぶどうとか桃の栽培に適してるところで登山向きの山じゃないですからねぇ…あ、りんごもやってますか」
つまらないと言いたげにミレイダは呟いている。
「それでも山は体力を使いますし、魔族と戦うことになるかもしれませんから今日は早めに寝て英気を養いましょう」
サードの言葉に私たちは頷いて寝る準備に取りかかることにしてその場から各自解散する。家の人たちにブルーレンジャーもサードの言葉につられたのか席を立ってワラワラと部屋から立ち去って行って、私も…と椅子から立ち上がると、
「いやはや、さすが勇者御一行ですね。こんな数十分程度で魔族が居そうな場所を特定するとは…」
ジャークが眼鏡をクイと上げながら声をかけてきた。
「まぁ、魔族にかなり会っているから」
とは言っても私はそういう居場所の特定の時は黙っていたんだけどね。やっぱりサードとアレンとガウリスが居ればさっさとここら辺だろうって考えをつけるんだもの。
「今までどれくらいの数の魔族討伐してきたんですか?」
改めて質問されると困る。
ええとリンカを倒したのが三回?…んー、あのアンデッドの洞窟の時のは一回にカウントされるのかしら。その他の魔族は二人倒して、ラグナス…は倒したというよりギブアンドテイクで交渉で終わったし、ランディ…は倒したっていえるのかしら。
ロドディアスとは和解したし、ロッテとは戦ったことがないし、グランとは交戦したことはあるけれどちゃんと戦ったこともない。それ以外だと…ええと…うーんと…。
「十回以内ね、多分…」
色々と考えたけど結局ざっくりと答える。ジャークは「十回ですか…」と驚いた顔になって身を乗り出した。
「それならドラゴンには会ったことは?」
今のところ一番ドラゴンじゃないかって疑っているジャークがそんなことを言ってくるから思わず椅子に座りなおしてジャークに体を向ける。
見回すと皆あちこちで話していて私たちに注意を払っている人もいない。もしかしてブルーレンジャーたちの視線が逸れているうちに正体を明かそうとしているの?
「会ったことがあるって言ったら、どうする?」
「魔族と会ってるんですからドラゴンとも会ったことがあるんだろうと思うだけですが」
ジャークはそう言いながらまたクイと眼鏡を上げる。
「どうやら勇者御一行の探し人は我ら五人の中にいるとの話で、エリーさんは我々全員にドラゴンを見たことがあるか、精霊と会ったことは…と質問していましたからね。もしや我々の中に探しているドラゴンか精霊でも紛れ込んでいると疑っているのではと思ったのです」
全くもってその通り。
やっぱりジャークがドラゴンで、どうやって自分の正体を明かそうか、私たちに明かしても大丈夫かどうか探っているんだわ。
「大丈夫よ、私たちは少し聞きたいことがあるだけでそれ以上何をしようとも思ってないわ」
するとジャークは少し目を瞬かせて、
「もしや、私がそのドラゴンか精霊じゃないかと疑っているのですか?」
と言うなりおかしそうに笑った。
「私は人間ですよ。もちろんドラゴンや精霊が人と共に冒険者として行動するなどあり得ないでしょう。彼らは誇り高い。そんな彼らからみて下等な人間と対等にいるなどということもあり得ません」
「…もしそれで人と行動しているドラゴンがいたら?」
あなたじゃないの?という含みを持たせながらそっと言うけれど、ジャークは言葉を考えているかのように口をつぐんで、真面目な顔で私を見た。
「もしそれが本当だとしたら、よっぽどプライドの低いドラゴンなのでしょう」
それだけを言うとジャークは、
「失礼、最近の疲れがたまっているので私も早く寝ます」
と立ちあがって部屋から出て行った。
「これは暑い中しばらくジメジメした日当りの悪い小屋の中に数ヶ月放置したぐらいの腐り具合だ」
何でそんな細かに分かるのって?見たことあるからだよ。
小屋に置いてる白菜も腐ると酷いよ~。表面茶色くデロデロになって本当に酷い時は掴むとズルッと剥けるよ~。精神的ダメージ強いよ~。




