それから
「…すげえスッキリした…」
目覚めたアレンが開口一番でそう言うから私は頷く。
「そうなの、お母様のあの子守歌を聞いた後はすごくスッキリ目覚められるの」
私もスッキリとした気持ちで目覚めて周りを見ると、サードもよく眠れたみたいで軽やかな顔つきで肩をゴキッと鳴らしてから立ち上がる。そのまま表向きの顔になると、少し離れた所で横になっているガウリスに近づいて体を揺する。
「ガウリス、ガウリス大丈夫ですか」
ガウリスの悪役みたいな変装用の服は全て破れているけれど、エローラたちに作ってもらった服は全く破れていない。ちゃんと服の効果は発揮できたみたい。
ガウリスは、うーん、と言いながらモゾモゾと起き上がり、周りをキョロキョロとみて、
「何で…外に居るのですか?」
しかもお城や庭園のあちこちが酷く破壊されているのと、兵士たちが外で寝ていて、少しずつ起き始めているのを見て余計に不思議そうな顔をしている。
「うう…」
近くからうめき声が聞こえたから地面を見ると、ファディアントも目が覚めたみたいでもぞもぞと起き上がっている。
ファディアントを見たガウリスは少し記憶が戻ってきたのか、ハッと顔を強ばらせて、
「…そういえば、何か喉に…」
破壊されているお城や庭の原因が分かって青ざめるガウリスを、ファディアントが見上げて指さした。
「化け物!化け物!」
ファディアントは立ち上がって他の兵士たちに向かって、
「こいつ化け物だぞ!逃げないと食われるぞ!やーい!」
と言いながらガウリスから逃げ出す。
「お父様!」
走るファディアントの前にサブリナ様が立ちはだかった。
サブリナ様を見たファディアントは立ち止まって、パッと嬉しそうに笑うとその場に膝をついて両手を広げる。
「お母様!」
ファディアントはそのままゴロニャンとサブリナ様に抱きついて頬ずりして甘えている。
プライドだけは人一倍高いファディアントが年端もいかない娘にしがみついて甘えている図に、周りの兵士たちも、私たちも固まってしまった。
でも一番驚いて固まっているのはサブリナ様。
ファディアントに抱きつかれた瞬間に「ひぃ」と嫌悪も露わな悲鳴をあげて、そのまま凍りついてしまっている…。
すると頭を押さえながらマーリンも目覚めて、ふっとサブリナ様にゴロゴロと甘えているファディアントを見ると、ギョッと目を見開いてズンズンとファディアントに近づいた。
「ちょっと、あんた娘にまで手出すつもり!?」
襟元を掴んでサブリナ様から引っぺがされたファディアントは、マーリンの怒鳴り声にビクッと体をすぼませて、脅えた顔でマーリンを見上げる。
「ふええええ…お母様、このおばちゃん怖いぃぃ…」
「お、おばちゃん!?私が!?馬鹿じゃないの!私がおばちゃんならあんたなんてオッサンなんだからね!」
マーリンが喚きながら扇でバシバシと頭を叩くと、ファディアントは余計に泣きじゃくりながらサブリナ様の背後に隠れて、その背中に頭を押しつけて子供みたいに泣いている。
「…幼児返り…」
「何?その幼児返りって」
ガウリスがぼそりと呟くから質問すると、ガウリスは教えてくれる。
「何かしらショックなことがあって精神的に年齢が退行することです。私が神殿に居る時にどうにかしてくれと旦那を連れてきた奥さんが居ましたが…。あれはただ甘えたいというだけで、ここまでは酷くはなかったです」
「ショック…ね」
アレンがガウリスをチラッと見て、サードもガウリスをチラッと見る。
「ガウリスで生命の危機を感じ、サブリナ様の言葉で王としての自分を全否定されたせいでしょうか…」
それを聞いたガウリスはわずかに顔を曇らせた。
「…やはり私はまた龍になったのですか…」
ええ、とサードが一言返しながらファディアントのそばに近寄っていく。
「ファディアントさん」
ファディアントはビクッとサードを見上げる。
「あなたは現在国王ですか?」
ファディアントはキョトンとした顔でサードを見上げて、ふるふると首を横に振る。
「ならあなたのお母上であるサブリナ様が政を行うのをどう思いますか?良いことだと思いませんか?」
目をぱちくりさせながら目を泳がせて何か考え込んでいるけれど、それでも今の状況があまり分かっていなさそうな表情のファディアントはサードに視線を戻して、
「思います」
と返した。
サードはわずかにニヤ、と笑うと、困ったとばかりの仕草をしながら言葉を続ける。
「しかし国王の証であるハンコがどうしても見つからないのです。これではサブリナ様が王として君臨することができません。はてさて、ハンコはどこにあるのやら…」
するとパッとファディアントは立ち上がって、
「お父様が持っています、ハンコは大切なものだから、王になったら肌身離さず持つんだといつも言って…あれ?」
ファディアントは自分の胸の辺りを触ると首に手をかけて、金の鎖でつながれた輪を首から外す。すると服の中から金色のハンコが出てきた。
ファディアントは何で自分がハンコを持っているんだろうと不思議そうな顔をしているけれど、サブリナ様が見ているのに気づいたのか、
「はい」
と渡そうとする。その瞬間、マーリンがガッと横からハンコをかすめ取った。
「馬鹿やらないで!それなら私が王になるわ!この子が王になったら…この子が王位なんかについたら…!」
「自身が娘にしたように毒を盛られて死ぬかもしれないと?」
サードの一言にマーリンが固まって、チラ、とサードを見る。
マーリンはピクピクと口端を動かして、
「さ、さっきも言ったけど、そんなこと私はしてないわよ。そ、そうよ、十一歳の成人もしてない子なんか王位につけるわけない、それだったら私が…私が王になる!」
と声を震わせながらハンコを首にかけようとすると、ファディアントがマーリンからガッとハンコを力任せに奪い返した。
男の力で引っ張られて、マーリンは地面にズシャッと転ぶ。
「貴様が触るな!これは王家の者のみが触れる大事な物なんだぞ!」
「なっ…!わ、私だって王妃…!」
「はいお母様」
ファディアントは喚くマーリンを無視してサブリナ様の前に跪くと、王の証であるハンコを手渡して嬉しそうな顔で見上げている。
サブリナ様は目の前で跪いて嬉しそうな顔でハンコを手渡すファディアントに何とも微妙な顔を浮かべていたけれど、ハンコをギュッと握る。
「…ありがとう、ございます」
ファディアントは、パッと顔を輝かせると、
「お母様大好き!王様のお仕事頑張ってください!」
とサブリナ様にしがみついた。
* * *
大臣たちは即座に動き出してガウリスが暴れた被害跡を確認しながら、ファディアントの現状も確認した。
サブリナ様に対してお母様お母様と甘えている姿を見た大臣たちはわずかに見てはいけないものを見てしまったかのような引いている表情をしていたけれど、全員一致で同じ決断をだした。
「これは…王としての責務は果たせない状態ですな…」
それに手ずから王の証であるハンコを渡したこと、マーリンがハンコを奪っても更に奪い返してなおもサブリナ様に手渡したこと、王様のお仕事を頑張ってと発言したのを私たちや他の兵士から聞いて、
「現国王が大衆の面前で宣言したのならば、それは有効であろう」
と判断して、次期王位継承者はサブリナ様だって話でまとまった。
でもディアンは納得できない表情で、
「そんなの認められるか!こんな変になっている父の発言を真に受けるつもりか!」
と大臣たちに向かって喚いたけれど、サードがガウリスをグイグイとディアンのそばに押し寄せると、あとはオドオドと目を逸らして何も言わなくなった。
けどそれ以上に激しく喚き続けていたのがマーリン。
「ふざけないで、この子がどれだけ頭がやられていたか、皆知ってるはずよ!そんな子に国を任せるだなんて!あーあ!この国は終わりよ!終わるわよ!
こんなバカな子に国を任せるだなんて本気で言ってるあなた達なんて馬鹿よ、馬鹿ばっかりよ!私が王になった方が絶対にいいわよ!私を選ばないあなた達なんて本当に馬鹿の集まりよ、馬鹿よ、馬鹿!」
そんなことをノンストップで延々とわめき続けていたけれど、そんなマーリンに対して周りにいる兵士や大臣たちは、
「そんなことを大声で言い続けるあんたが馬鹿っぽい」
とばかりの呆れとかすかな同情の目を向けられるだけで、王妃側に立つ人は誰も居なかった。
ともかく変になっているファディアントは一回休ませたら元に戻るかもという考えで、大臣たちがなだめすかしてサブリナ様から引き離して連れていく。
ファディアントは、
「お母様ぁあ…」
と不安そうな顔でサブリナ様を振り向き振り向き手を伸ばしていたけれど、サブリナ様はファディアントが離れて行ってホッとしていた。
それと同時に大臣たちも各自動き始めて、あちこちに散らばって行く。
「サブリナ様はお怪我はございませんか」
大臣の中で一番年上のクローキがサブリナ様に声をかける。頷くサブリナ様は、
「はい、何とか。…しかし、なぜお父様は私にお母様などと言って…あんなに抱きついてきたのでしょう…」
その言葉にクローキはわずかに顔つきを変えて口を引き結んだけれど、かすかに思い直す顔になって、サブリナ様を手招いた。
「…このことはファディアント様もご存知ありませんが…伝えておきましょう、あなたのお婆様、ファルナ様のことを」
サブリナ様はその言葉に何か引っかかるようなものを感じたみたいで…私たちにフッと視線を向ける。そして駆け足で寄ってくると、
「あなた達も来てくれませんか」
と言ってきた。
「…でも」
ご家族の何かしらの話を他人の私たちが聞いてもいいものかしらと戸惑っていると、サブリナ様は私の服を掴む。
「何の話がされるのか分かりません。…だから一人で聞くのが怖いんです、お願いします」
チラとクローキに目を向けると、構いませんとばかりに頷かれた。お父様たちも来るかしらと思って振り向いたけれど、お父様たちは行っておいで、と目で送り出す。
だから、私たちとついでにファジズがついていくことになった。クローキは崩れているお城の中を迷いなく歩いて、鍵の束を取り出してある部屋に入った。
「ここ…鍵がかかってて開かなかったところだ」
アレンが呟く。
ずっと閉め切っていたせいか部屋の中はどこかジットリした雰囲気で少しかび臭い。
クローキは壁にかかっている絵を外して、私たちに向けてきた。
「え…サブリナ様?」
思わずそう言ってしまったけれど、サブリナ様にしてはあまりに大人っぽい雰囲気だし、とても厳しそう。キッチリと背を正して口を引き結んでいて…それより何て怒りの込められた冷ややかな目なの…。
「サブリナ様のご祖母でありファディアント様の母、ファルナ様の肖像画でございます」
「私と…似ていますね…」
クローキはわずかに笑いながら近くのテーブルの上に肖像画を乗せて語り始めた。
「ファルナ様は大層聡明で、理路整然としていて、非常に他人にも自分にも厳しいお方でした。私より年下の王妃であるのに私がタジタジとしてしまうほど行政について厳しく監視し、国のことを案じているお方でした。…その辺りもファルナ様とサブリナ様はよく似ておられる」
昔を懐かしむような口調でクローキは続ける。
「前国王であるファディアント様のお父上、ディアント様は……まあ、ファディアント様と同じような政治体制しか執れませんでした。ですからファルナ様がディアント様と共に執政に携わって下さったらどんなにいいことかと思いました。
しかしその考えがディアント様の耳に入るとファルナ様が暴力を振るわれるようようになり…これ以上政治に口出ししないで欲しいと切に懇願しました。ファルナ様が政治に口をだした次の日、必ずファルナ様の顔や肩、腕などにあざができているのです。
しかしディアント様だけに国王としての責任を任せていては国がダメになるとファルナ様は口を止めませんでした。そのたびにディアント様はファルナ様に憎しみを持ち暴力を振るい…。この肖像画は夫婦仲が大変悪い時に描かれたものです、この時も顔にあざがあったのですが、画家も気を使いあえて描かなかったようで」
「…」
本当に、この国の代々の国王って最低の無能揃いなのね…。
嫌な気持ちになっているとクローキは続ける。
「ディアント様はファルナ様のことは嫌っておいででしたが、息子のファディアント様のことは溺愛していました。傍目から見ていて子がダメになってしまうと思えるほどに。ファルナ様はそれとは真逆に、ファディアント様の教育のためと厳しく接し、しつけをしました。
性格も考えもまるでかみ合わないお二人だったのです、ファルナ様のしつけにディアント様が激怒した日がありました。そして我々が知らない間に城の地下蔵にファルナ様を押しやり、ご実家に遊びに行ってしばらく戻らないと言っていたとうそぶかれました。
…暴力を毎日のように受けていたのです、しばらく城を離れたくなるのも無理はないと私たちもそれ以上深く詮索せず…そして何かおかしいと動き出した時にはもう…ファルナ様は…」
クローキは沈鬱な表情になって言葉を止める。私たちも…何も言わないで黙っていた。
まさか…そんなことがこのお城の中であったなんて…。
重苦しい気分になっていると、それを振り払うようにクローキはまた話し続ける。
「…国王が王妃を殺したなどあまりに外聞が悪いので、ファルナ様は病気で亡くなったことにしました。ファディアント様にもその通り伝えています。結局ファディアント様はファルナ様に甘やかされたことはありません。なんせディアント様に厳しくすることこそが愛だと思っていましたから」
そう言いながらクローキはサブリナ様を見た。
「それが今、精神的に子供に退行したことで母に甘えたいという気持ちが爆発したのではないでしょうか、だからあのようにまとわりついていたんだと私は思います」
「…」
サブリナ様は何も言わないけれど、納得したような表情で…それでも目の前のファルナの肖像画に怒りの込められた目で冷ややかに見られて胸が締め付けられているような顔になっている。
「お婆様は…この国のためを思ってあれこれと進言して、そして疎まれて、追いやられてしまったのですね…」
クローキはその言葉にうつむきながら、
「はい」
とひそやかに返した。サブリナ様はわずかに涙を浮かべて肖像画を抱きしめる。
「私もお婆様のようになっていたかもしれないのですね。…でも私は生きています、皆さんのおかげで国王の立場になることもできました。だったら…やらねば、ファルナお婆様の想いの分まで…この国のために国王としてこの身を尽くさなければ…!」
ファルナの肖像画の額に自身の額を合わせてしばらくジッとしていたサブリナ様だったけれど、バッと振り向いた。
「ファディアント、マーリン、ディアン。以上の三名は城から追放し城下で暮らすことを命じます」
サブリナ様は私たちに視線を向けて、スカートをちょいとつまみ上げた。
「これから様々な政務に携わらねばなりませんので、ここで失礼。付き合ってくださってありがとう。行きますよクローキ大臣」
サブリナ様はそう言うと部屋からさっさと去って行って、クローキ大臣は私たちを呼びよせて部屋から外に出ると鍵をかけて去っていく。
「…追放だって」
アレンが言うとサードは他の人の目が無くなったから裏の顔で頷く。
「最初からそのつもりだったんだよ。そう毒を治すためって嘘ついて、城下町で肉体労働させるためにな」
「…何のために肉体労働?」
私が聞くとサードはケロッと答える。
「あいつらが見下してる国民と同じように働かせて、一般的な生活を送れるぐらいの金を手に入れるのがどんなに大変か分からせてやるための嫌がらせだ」
するとガウリスが聞いた。
「それでもそのように働いてもそう毒は治らないのでしょう?このまま見殺しにするのですか?」
サードは少し口をつぐんで、遠くを歩いているサブリナ様を振り返って見る。
「そう毒にかかった奴は十年かそこらで死ぬ。どうせ生きててもサブリナの足を引っ張ることしか能がねえ奴らだから、城から追放して見殺しにするつもりだった。…だがサブリナはお優しいこったな、その話をしたら家族は好きじゃねえが死ぬって分かったなら見殺しにできねえだってよ」
するとまだお婆さんの姿をしているファジズがクックッと笑った。
「こいつ、あの三人が生き続けていたら城の金を根こそぎ奪うだの、命を狙ってくるだの、あることないことを言いふらし足を引っ張ってくるだの脅し続けたのよ。
でもあの子はサードみたいに家族に二度と会わなくてもいいって割り切れない、お願いだから簡単に家族を見捨てさせないでって泣いちゃって」
ファジズはなおも笑い続ける。
「普通人間ってのは泣いてる子には優しくするものじゃない?なのに泣いてるあの子に対して『今はそうだろうが後で殺しておけばよかったって後悔する』って追い打ちかけて泣かせるようなこと言うんだもの。魔族っぽいことするから笑えてしょうがなかったわぁ」
…こいつ…。
呆れた目をしているとサードはイラッとした目で私を見る。
「結局、城下町で国民と同じように労働させて、少しでも考え方が改まったとサブリナが思ったら魔界の薬草の粉末を飲ませて病気を完治させるって考えで合意しただろ」
しただろ、って言うけど、あんたの考えなんて誰も聞いてないから「しただろ」って言われても何も分かんないのよ、馬鹿。
イラッとしたついでに私は文句を言う。
「ファジズを使ってファディアントとディアンの所に行かせたことも怒ってるんだからね私。キスさせるぐらいで良かったじゃないの…!」
「サブリナ以外の王位継承者を増やさせねえためと、子を作れない体にしてディアンへの継承権を白紙にするため、あとは無駄にそう毒を広げさせねえためだよ」
「…でもマーリンだってそう毒にかかってるんでしょ?」
「あの女、近衛の兵士にすら色目使ってなかったんだぜ?顔でも性格でも年齢でもなく爵位持ってる奴にしか興奮しねえんだろ」
…そう。
でもそうなると心配になってきた。
「ファジズは…その、病気…大丈夫なの?」
すごく聞きにくいけど心配だから聞いてみたら、ファジズはケロッとした顔でいる。
「人間のかかる病気に魔族がかかるって思ってるの?いっとくけど魔界に病気なんて概念ないから」
あ、そうなの。
ホッとした顔をすると、ファジズはバラバラと蝙蝠になって、いつもの男姿に戻って私にすりよってくる。
「心配なら魔界の薬草飲むけど?ねぇ、そのあと相手してくれるぅ?」
首を振って押しのけながらその話題を終わらせた。
Q,魔界に病気はないのに『魔界の薬草』なんて回復系統のものはあるんですね?
A,病気にはかからないけど、怪我はするんで




