一文でまとめられない歴史の裏側
『エルボ国歴百二十六年九月十六日。城内にドラゴン現れ建物に大いに被害を出す結果となるが、その場に居合わせた魔導士数名の手により難を逃れる』
後々国の歴史書にこの一文でまとめられた出来事。でも実際にはそんな淡々としたものじゃなかった。
ファディアントがガウリスの逆鱗をペンで突いた瞬間、激しい光と咆哮と共にターコイズブルーの龍に変化したガウリスは、なんて狭い場所だとばかりにのたうち回ってその部屋と周辺の部屋を破壊した。それでも邪魔だとばかりに頭をもたげて真上の…お城の最上階までを一気に破壊して空中に浮かび上がっていく。
「ぎゃあああああああああああ!」
龍に変化したガウリスの叫び声じゃない。ファディアントとマーリンとディアンの三重奏の叫び声。こんな時だけれど三人の声は見事にぴったり重なって綺麗にハモっていて、少し感動した。
ガウリスはファディアントたちに顔を向け、なおも叫んでいる三人の声がうるさいとばかりに、
「ッガアアアアアアアアアア!」
と咆哮を上げた。
間近で見るその大きい口に鋭い牙、何もかもねじ伏せる声にマーリンはフッと白目をむいて卒倒して、ディアンはその場を逃げ出そうとしたが足がもつれて倒れて、ファディアントはその場で腰が抜けてガクガクと震えている。
もちろん、サードだっていきなりの展開に驚いた顔をしていて、私とアレンだって、
「うわあああああ!」
って叫んだ。
だって海でのあの暴れようのことを思い出すと…エルボ国が壊滅しちゃう…!
無効化の魔法を…ううん、ガウリスの周りに自然を操る魔法と無効化の魔法をかける!
魔法を発動させてガウリスの周辺に放った。
自然を操る魔法と、自然の無効化の魔法。この魔法を同時に発動したら、自然物の魔法とかは発動しなくなる。
船の上でも自然の無効化は効いていたから、この魔法で覆っておけばいくらガウリスが暴れようとあの雷の束や暴風雨を起せない…。
でもガウリスは鬱陶しいとばかりに一声あげると、ガウリスを覆っていた魔法がバンッと消え失せる。
ならもう一度…!
魔法を発動しようとするとガウリスはクッと私に目を向けて、口を大きく開けてどんどんと私に近づいてくる…、え?まさか、食べようとしているの?私を?ガウリスが?…ウソ…。
混乱して動けないでいると、
「エリー!」
と横からアレンが叫んで私を突き飛ばした。そのままガウリスはアレンを周りの壁や調度品ごとバクンと一口で飲み込む…!
「ア、ア、アアアアアア!」
アレンが…!アレンが、ガウリスに食べられた…!攻撃…ううんガウリスを攻撃できない、でもアレンが、アレンが…!
アレンが食べられたのを見てサブリナもついに叫び声をあげ腰を抜かしてその場に倒れ込んで、サードは背中に隠していた聖剣を引き抜いてガウリスに向ける。
「それ!攻撃するつもり!?ガウリスを!?」
私が叫ぶとサードは裏の顔で私を横目で睨んだ。
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ!」
「ッドゥアアアアアア!」
サードが飛びかかるのを止めようとすると、ガウリスの口からアレンの踏ん張っている声がきこえて、わずかにガウリスの口が開いた。
渾身の力を持って身体能力向上魔法を使っているの?鋭い牙を持ち上げて、足を踏ん張って、その高い身長で口をこじ開けている…!
「アレン!」
ホッとして大声で声をかけると、アレンは、
「うわあああマジビックリしたぁあああ!死んだと思ったぁああ!味わうように噛まれなくて良かったぁあああ!」
と気が抜けることを大声で叫んでいる。ガウリスは首を大きく横に振って、アレンを調度品や瓦礫と一緒にブッとお城の中に吐き出した。
…美味しくなかったのかしら、それとも口の中で騒がれてうるさかったのかしら。違う違う!こんなこと考えている場合じゃないわ、とにかくガウリスを人間に戻さないと!
けどどうやって?船の上でやったように名前を呼んであなたを祝福しますって言えば正気に戻ってくれる?
するとガウリスは空を見上げる。晴れていた空がにわかに曇ってきて、ヒョオオ、と風が鳴り始めて…ポッポッと雨が落ちてきたと思ったら一気にドッと強い雨が降ってきた。
破壊された部屋の中に豪雨がなだれこんでくる。
マーリンはその雨で目覚めてガバッと起き上がった。でも目の前の龍を見るとまた白目になって卒倒した。コメディの舞台だったら笑いが取れるくらいの動きだったけれど、こんな状況笑えもしない。
「無効化!今すぐ!」
サードが私に向かって声を張り上げる。
私は頷いて立ち上がるとサブリナ様の前に立ちはだかって、ガウリスの周りに自然を操る魔法と無効化の魔法を同時にかける。
でも魔法がかかる直前に雷が二つ三つ城の周辺を見渡す一番高い塔に落ちて、煙を上げてガラガラと崩れていくのが見えた。
「ガウリス!神の名のもとに…」
前にガウリスを正気に戻した時と同じことをしようとした。すると話している途中で何かが私に突進してきて体当たりしてくる。
「助けてくれぇえ!死にたくない、死にたくないぃい!」
突進してきた何か…ファディアントが私にしがみついてきて、そのままの勢いで二人してひっくり返った。
「ちょっと、邪魔!」
ファディアントの頭を掴んで突き離そうとするけれど、それでも男のファディアントの方が力は強くて引き離せない。
「ちょっとぉ!私の目の前でエリー押し倒すなんて五百億年早いわよ、このゲス男!」
老人の姿のファジズもファディアントの髪の毛を掴んでググ…と後ろに引っ張るけれど、それでもファジズの力も弱くてファディアントは離れない。
そうやってもみ合ってるうちに集中力が切れて魔法が霧散していく…!
「嫌だぁあ、いやだぁあ!」
「お父様!落ち着いてくださいませ!」
サブリナ様が泣きわめくファディアントの頬を一発引っぱたいた。
引っぱたかれたファディアントは泣きじゃくりながらサブリナを見て、怒るどころか、
「なんで私がぁ、私がこんな目に遭わないといけないのだぁあああ…」
と私から離れておいおいと天を見上げて、サブリナ様にしがみついた。
ついでにファジズがサササッと私を引き寄せてファディアントから遠ざける。
えっえっと泣き続けながらファディアントは、
「下のほうはたたなくなる、死ぬ病気にもなる、マーリンは他の男と寝ている、金はほとんどない、ディアンも子が作れない、それでこんな化け物がでる…私が、私が何をした、私が何をしたぁあ。お母様、助けてお母様ぁああ…!」
娘にしがみついた挙句に母親に助けを求める言葉を吐いたファディアントを見て、サブリナ様はスゥと混乱と恐怖の表情が薄れて心底呆れるような大人びた顔になると、一つため息をついてしがみつかれるまま言葉を続ける。
「お分かりになりましたかお父様。この国の命でありこの国の上に君臨する国王であれ、このような理解を超える事態に直面したらろくにその力など発揮できないことが」
ファディアントは、えっえっ、と泣きながらサブリナ様を見ている。
「あなた一人でお金を稼げますか、あなた一人でその病気が治せますか、あなた一人であのドラゴンを追い返せますか」
「できるわけないだろうがぁ!」
ファディアントは涙と鼻水、降ってくる雨で顔をグシャグシャにしながらサブリナ様の肩を掴んで揺らす。
「では国王ではない国民はそのような事態に陥った時どうしていたと思いますか」
サブリナ様が冷静に話している間にも雷はガンガン落ちて周りの城を破壊していて、ファディアントはその度に身をすくめている。
「知らん!国民のことなど知らん!」
「死ぬのですよ」
ファディアントはサブリナ様の顔を見る。
「お金を稼げなければ日々の食事が出来ず死にます、病気を診てくれる人がおらず治す手立てがなければ死にます、何者かに襲われても自衛できる術がなければ死にます。そして何より国王が国民を守ってやらねば国民は死にます。
あなたは何もしてないとおっしゃるでしょうが、何もしないせいで死に瀕した者たちが大勢城下にあふれかえっているのですよ」
サブリナ様はファディアントの目を静かに真っすぐに見つめた。
「なんて無力なんでしょう、あなたは。何もできないただの無能な人」
その言葉にファディアントは言葉を失って、嗚咽もあげず呆然とサブリナ様を見つめ返す。
するとファディアントはボロボロと涙を流した。かと思えば、泣きながら口端を上げて笑い始める。
「私が、無力だと?国王の私が…何もできない、ただの、無能な人…!?」
「ええ」
ファディアントは、ははは、と笑い、肩を大きく揺らしてその場で笑い転げた。
「ア~ッハッハッハッ!無力か!そうか私は無力か!何もできないただの無能な人間か!」
ファディアントは立ち上がって卒倒しているマーリンの服を掴みあげると、龍姿のガウリスに向かっていく。
「クォラァ!化け物!この女は随分金のかかった美味い女だぞ~!食え!たーんと食え!」
ディアンはまだ腰が抜けている状態だけれど、それを見て叫ぶ。
「お父様!お母様をどうするおつもりですか!」
ファディアントはギッとディアンを睨みつけた。
「黙れ小童!もう世継ぎすら作れんお前とて無能の人間だ!お前もこの化け物に喰われてしまえ!あーっはっはっはっ!」
ファディアントはマーリンをその場に放り投げて、ディアンを掴むと、ズルズルと引きずりガウリスの元へと近づいて行く。
「うわ、うわあああ!お父様、やめ、やめてえええ!」
「そーら化け物食え食えた~んと食えホーイホイ♪」
ファディアントは歌いながらディアンをガウリスの近くへと放り投げ、マーリンも蹴とばしながらゴロゴロとガウリスへ近づけていく。
「…壊れたか?」
サードがそう呟いていると、
「要らない」
と声が聞こえた。
何かしら重低音のその声に頭を動かすと、龍がファディアントを真っすぐに見ていて、牙の目立つ口がかすかに開いたら、
「要らない」
とさっき聞こえたのと同じ重低音の声が聞こえる。
まさか、龍姿のガウリスが喋った?それなら会話が通じるかも…!
「ガウリス!お願い元に戻って!」
大声で怒鳴るように声をかけると、ギラギラと発光している目が私を見据えた。…正気に戻っている目じゃない。むしろ私が声をかけたことでイライラが増している…!
ガウリスが唸り声を一つ上げると息もできないぐらいの風が部屋の中を襲って、私たちのいた部屋から一直線の真向かいの部屋までが削れて皆が飛ばされた。
とっさに無効化の魔法を全方向にかけたけど、お城から外に吹き飛ばされて地面に落下してる時に無効化は意味がない!じゃあ地面に叩きつけられないよう下から風を起こす…!
下から風を起こすと、一緒に砕け飛んだお城の瓦礫が皆に当たってしまったようで、あちこちから、
「ぎゃー!」
「てめえざけんな!」
って叫び声と怒鳴り声が聞こえる。怒鳴り声は確実にサードだけど。
すると地面の雑草が大きくなって、その大きい葉がクッションになって皆が受け止められる。
「エリーナイス!」
アレンにそう言われたけれど、私はこんなことしてない、じゃあ誰が…。
すると肩に手を回された。
バッと顔を上げると、お父様が私の横にしゃがんで真面目な顔で私を見ている。
お父様は私の手を取って立たせた。
「お父様…」
「酷い音がしたから駆けつけたんだ。何があった?」
じゃああの建物から飛び出して、こうやって葉っぱを大きくして助けてくれたのね。
今までのことを説明しようとすると、お母様がマリヴァンを抱えて、その後ろからは雨避けの布を持った使用人がお母様を追いかけて、その後ろから見張りの兵士たちが「止まれー!」と追いかけてきている。
すると城の向こうからヌッと龍姿のガウリスが頭を出したのを見て兵士たちが一斉に腰を抜かした。
「…ドラゴン…!?どこから現われた…!?」
お父様が目を見張りながらガウリスを見ている。
ガウリスはこちらに全員居るのを見て、身をうねらせ一声咆哮をあげると空がカッと光る。
ヤバい!
お城の敷地全体を包み込む勢いで無効化の魔法をかけた。その瞬間、ドドオッとお城全体を包み込むように雷が落下する。
船では上からの圧力にわずかに船体が沈んだけれど、地上だと地震でも起きたかとばかりに地面が揺れて、無効化の魔法も使っているというのにその振動でお城の色のついたガラスが次々に粉砕されていく。
「敵か!?」
「うわああ、ドラゴンだぁあ!」
兵士たちもいきなりのドラゴンの登場にそれぞれが戦おうとするやら逃げるやら。それにあちこちから指示が飛んでくるせいで皆が余計混乱していてあちこちをおろおろとさ迷っているだけ。
するとお父様が指を上にあげる。
バンッと私のかけた無効化の魔法が消えた。そしてカッと光った瞬間にさっきと同じような雷の束がバリバリと轟音を立ててガウリスに向かって集中的に落ちた。
ガウリスはグアア、と叫び、一瞬もんどりうつ。
「やめて!」
お父様私はすがりつく。
「あれは私たちの仲間なの、今は我を忘れて怒ってるだけで、元の人間の姿に戻せば普通に戻るの!」
「仲間!?ドラゴンが!?」
お父様はは驚いた顔をして攻撃の手を止めた。
ガウリスはあれくらいの雷を集中して受けたというのにあまりダメージはなかったみたいで、それでも自分が攻撃されたことに余計に怒っているのか目の色が金色から赤っぽい色に変わっている。
そのまま口を大きく上げて空に向かって絶叫した。
あまりの大きい叫び声に思わず耳をふさぐと、目の前の地面にボンッと何かが落ちてわずかにバウンドした。
目の前にあるのは…氷?…じゃなくて、もしかして手と同じくらいの大きさの、雹…!?
風もどんどん強くなって、空からバラバラと拳くらいの大きさの雹が次々と降ってくる、それも大きさがどんどんと大きくなって頭くらいの大きさになってない…!?
お父様は指を動かして私とお母様、マリヴァンに使用人に当たりそうな雹を次々と粉砕させていく。
「建物の中に!早く!」
お父様が周りの人に声をかけるころには雹の形がツララみたいな形になって、暴風の勢いで斜めに飛んであちこちの人に刺さり、城を破壊して、木をもなぎ倒していく。
私はあわあわしながらガウリスに向かって叫んだ。
「ガウリスお願い!あなたを祝福します、神の名のもとに!」
混乱のまま叫ぶけれど、雹であちこちが破壊される音、叫び声、暴風で私の言葉はちっとも届いてない…!
すると、雨よけの布をかぶったお母様がマリヴァンを抱えたままスッと前に出た。
「私が」
アレンがマリヴァンを抱えているお母様をハッと見て、
「エリー、いつの間に子供産んだの!誰の子!?金髪だからガウリス!?」
と驚いた表情をしている。
「それ私のお母様よ!」
少し離れた所から突っ込んでおいた。
お母様はスゥ、と息を吸うと、
「アァ~~~~~~」
と声を出した。
その声は暴風雨でビュウビュウ吹き荒れる音、ガウリスの咆哮、建物が破壊される音、空を響く雷の音、人々の叫び声も貫く高音で、ガウリスも思わず口を閉じてお母様に目を向ける。
アリアはそのままゆったりとメロディを歌いだした。
これは…。
「お母様の…子守歌…」
お母様は全く魔法は使わない。
…ううん、あまりに危険すぎて魔法を使う時には数人の専門の魔導士の見張る元で使用しないといけないから面倒で使わないって言った方が正しいのかも。
私とお父様は自然を操る強力な魔法を使うけれど、お母様の魔法はもしかしたら私たちより強いかもしれない。
お母様の魔法は歌で周りの人たちの精神に作用するもの。
甘い歌を歌って周りの男女をいい雰囲気にさせるという軽いものを披露したことはあるみたいだけれど、使い方によってはとんでもないことになる。
戦争の時には気持ちを高揚させて兵士たちを人の心を持たない殺人兵器にすることもできれば、暗い曲を歌って自分の手を下さず相手を自殺させることもできる。
そうやってその人の気持ちなんて無視して好きに操れるから、一人じゃ使ってはいけないって言われている。
けど歌の魔法を使わなくてもお母様は自前の歌声と表現力で数々の舞台の上に立って、その歌声に魅了されたお父様に求婚されて結婚したって聞いている。
でも特別に専門の魔導士が居なくても魔法を使ってもいいって許された状況がいくつかある。
そのうちの一つが…。
「子守歌で…子供を…寝かしつける…時…」
ああ…久しぶりに聞いたけど…どんどん心地よくなって体から力が抜けていく…。
子供の頃、まだ眠くない、もっとお話しを聞かせてってお母様にしつこくねだる度に子守歌を歌われて、この優しい歌声を聞いていたら抗えずすぐに眠りについていたっけ。
もう…耐えられない…。
私のまぶたが閉じる直前、周りの兵士たちと一緒に、頭がグラングランと揺れているガウリスがガクッと落ちて、人間の姿に戻ったのがみえた…。
アリアの名前はモーツァルト「魔笛 夜の女王アリア」から。
色んな夜の女王アリアを動画で聞きましたが、上手すぎて怖いアリアと大人しすぎるアリアと男のアリアと娘役より年下のお母様アリアが居ました。
歌えるだけで凄いってのは分かりますが中でもディアナ・ダムラウという方のアリアが好きでした。




