私ってそんな子だった?
サブリナ様は扉の傍の窓辺に座ると、
「私はここにいますから気兼ねなくお話なさいな。時間になればお呼びします」
と言う。
私はお父様たちに招かれるがまま二階にあがった。
「思ったより住み心地は悪くなさそうね」
「ええ。王女様のおかげで衣食住に不自由したこともございません。一階にはお風呂とトイレ、キッチンとダイニングがございます。二階はそれぞれの小さい部屋、三階は全員がくつろげる共同スペースでしたが、今はマリヴァン様の遊び部屋となっております」
使用人が建物の中を簡単に説明してくれる。
元々暮らしていたディーナ家屋敷と比べると質素な造りで狭いけれど、一般的な家よりかなりいいわよね。
城下町には家すらない人が大勢いるんだから、この四年間、衣食住で頭を悩ませることなくこの家で過ごせていたのなら、むしろお父様たちは捕まったことで安全に過ごせてきたんじゃないの?
まあ王家がお父様にしたことと軟禁してることは絶対に許せないけど。
軟禁されているけれど肉体的な苦痛は伴っていないって神のゼルスたちも言っていたけれど、これなら本当に心配する必要はなかったんだわ。
それに窓の曇りガラスは内側から見ると普通に外の様子が見える。どうやら外からは見えない仕組みの窓みたいね。
それも夏で暑い時期だけど建物の中はひんやり涼しい適温。窓にしろこの適温にしろ、何かしらの魔法がかかっているに違いないわ。
そうなるとこの家、ものすごく良い家じゃない。
元々住んでたディーナ家の屋敷もこんな魔法仕掛けの造りじゃなかったもの。
家の中をキョロキョロしながら進んで、お父様の部屋の椅子に座る。私の隣にお母様、その膝の上にはマリヴァンが乗っていて、チラチラと私を見ている。
年の離れた弟が気になるからジッと見ると、マリヴァンは私と目が合う度にピャッと顔を逸らしてお母様の胸に顔を埋めてしまう。
警戒されているのかしら。…そりゃあいきなり知らない大人のことをお姉さんだって紹介されても戸惑うわよね…。
それでも小さい子に警戒されるのって少し落ち込む…と思っていると使用人が紅茶を用意してきて、カチャカチャと皆の前において行く。
「あまりに綺麗なお姉さんが来たからマリヴァン様は照れてらっしゃるのですよ」
見上げると、使用人は目じりのしわをくっきりと浮かび上がらせながら微笑む。
「大変美しく成長なさいましたからね、フロウディア様」
前より深くなったしわの笑顔に、ホワッと心が温かくなる。
「あなたのこともずっと心配していたのよ。実のお爺様のように思っていたのだから…」
すると使用人はとんでもない、と顔をしかめて首を横に動かす。
「大旦那様がお爺様であって、私は使用人であると何度も申しております」
本当のお爺様は私が産まれる前にこの世を去ってしまっている。
だから私は物心つくときから家にいる、この老齢の使用人こそが私のお爺様だとずっと思っていた。
そうやってお爺様お爺様となついていたある日、
「フロウディア様、私めはフロウディア様のお爺様ではありません。私は先代の大旦那様、フロウディア様の本当のお爺様のころよりここに使えている使用人でございます。フロウディア様も五つになりましたから、これより先は私のことをセルロンと名前でお呼びつけください。これ以上お爺様と言われては大旦那様に申し訳が立ちません」
あの時は子供だったから、ああそうなのと簡単に納得してすぐ名前呼びに変えたけど、一度間違って「セルロンお爺様」と言ってしまって以降、
「私めのことは使用人と呼んでください」
と言われて、使用人と呼ばなければ返事もしてもらえなくなったせいで今も使用人呼びのままなのよね。
するとお母様が私の腕をツンツンしてきた。
「マリヴァン抱っこしてみる?」
「え…いいの?」
お母様の言葉に戸惑いながら返すと、お父様は笑う。
「何を遠慮する必要がある?フロウディアの弟なんだから好きな時に抱っこして可愛がればいい」
お母様がほら、とマリヴァンの脇を掴んで渡してくる。でもここまで小さい子を抱っこしたことなんて一度もないから、どれくらいの力で受け取ればいいのか悩む。
あわあわとマリヴァンを受け取ると小さいのに結構重い。軽々とマリヴァンを抱えて渡してきたお母様って思ったより力があるわ。
そして膝の上に向き合うように乗せてマリヴァンをジッと見る。
膝の上のマリヴァンのお尻は暖かくて、照れているのかモジモジとした顔で下を見て、たまに上目づかいでチラと私を見て、目が合うと小さい手で顔を隠してどうしていいか分からないように身を動かしている。
ああ…可愛い!
口端がゆるんでいるのが自分でも分かる。私はマリヴァンの柔らかい髪の毛を撫でてギュッと抱きしめた。
マリヴァンは「ヒャッ」と身を強ばらせたけど、私の服を恐る恐ると掴む。
少し身を離しながらはマリヴァンの顔を見て、
「あなたのお姉さんよ」
と言うと、照れ照れとした顔ながらもマリヴァンもニコッと笑った。
ああもう、可愛い!離したくない!
もうメロメロになってしまってマリヴァンをこねくり回すように撫でながら、お父様たちのこの四年間のことを聞いた。
お父様たちは四年前の戦争でエルボ国が辛勝したあと、牢屋に残っていたお父様、ブロウ国のお城の中を迷っていた使用人とお母様はエルボ国兵士に捕まえられて、急ピッチで建てられたこの中に入れられたんだって。
ご飯は一日に三度運ばれて、必要な物も言えば王女がこっそり用意してくれる。それに小さめのキッチンもあるから使用人が紅茶を用意してくれたり、簡単なお菓子も作れるくらいに設備が整っているからあまり下級貴族時代と変わらない生活を送っていたみたい。
「ただし、この建物の外に出られるのは王家の者の誕生日など特別な日…それも私たちを憐れんでいる外の兵士らがこっそり出してくれる時だけ。マリヴァンは産まれてからまだ一度も外に出たことがない」
スロヴァンはやるせない表情で手を伸ばしてマリヴァンの頭を撫でている。
薄々思っていたけれど、マリヴァンの髪の毛はお父様や私と同じ金髪。もしかしてマリヴァンの髪の毛も抜けたら純金になるんじゃ…。
マリヴァンの髪の毛を撫でている私を見てお父様も私が何か察しているのに気づいたみたい。
「そう、マリヴァンの髪の毛も私たちと同じだった」
「じゃあ国王にマリヴァンのことが知られたら…」
ヒヤッとして顔を上げると大丈夫、とお父様は頷く。
お母様のお腹に赤ん坊がいるとこの建物の中に入ってからお父様たちは気づいた。でもこんな状況で赤ん坊をどうやって産んで育てればいいのかと悩んでいる時、城内の人の中でお母様のお腹のことにいち早く気づいたのはサブリナ様なんだって。
身長の高さ的にお母様のお腹の辺りがよく見えたからだと思う。
「もしそのお腹の子の髪の毛も純金になる可能性があるとしたら、あなた方に子供ができたことは他の者に伝えてはいけません。私のお父様たちの耳に入ってしまったら取り上げられる可能性が高いです。仮にお父様たちがここに来た時にはアリア、あなたは絶対に姿を現してはいけませんよ」
サブリナ様は国王たちにマリヴァンが取り上げられることを何より心配していたみたいだけど、それでも国王らはお父様たちを手元に囲っておいたらあとは満足なのか、一度もここに来たことはないみたい。
そうしてサブリナ様はお母様のお腹のことを知ってからあれこれと動いてくれていて、マリヴァンも外に出られないこと以外では不自由を感じることもなかったみたい。
「けどサブリナ様は二年前に熱でやられてしまったと聞いていたけれど」
お城に侵入した時だって酷いことをされてもニタニタと笑っているだけで、王家として政治には関われなさそうと思っていた。
けど実際は違った。
サブリナ様は母親の王妃よりもはるかに口調も態度も大人びていてしっかりとしているわ。王女や王妃を飛び越えて、女王とも思えるぐらいの気位の高さもうかがえるぐらい。
「なのに何でお城では黙って熱でやられていたふりをしているのかしら。酷いこともされているのに何も声をあげないのよ。王女なのにメイドに手をあげられていたの、あんまりよ」
私の言葉にお父様もお母様も言いにくそうに口を閉ざして、二人で少し目を合わせてからゆっくりと口を開いた。
「戦争の後、国をどうにかしないといけないと国王や王妃に言い続けたらしいが、全く聞く耳をもたず、次第に疎ましそうな目で見られるようになって…毒を盛られたそうだ」
「毒…!?」
まさか、と声を詰まらせて、身を乗り出して聞く。
「国王に?」
「…国王か王妃のどちらかだろうが分からない。死ぬ程の毒ではなかったらしいが…」
あまりこんなことは話したくないという顔でお父様は続ける。
「自分は出しゃばり過ぎたから毒を盛られたとサブリナ様はおっしゃっていた。それ以降は熱にやられ政治などには関われないと思わせ、目をつけられないようにとあのような行動をなさっているらしい。
だが出しゃばり過ぎたから何だ?サブリナ様はこの国のことを思って発言していただけだ。その返答が毒を盛るなんて結果で終わるなんて…この国の王家は本当にどうかしている。我が子に毒を与える親がどこにいる?そんな人間がこの国を束ねているんだ、そう思うと…」
お父様は国王たちへの嫌悪感と、サブリナ様に対する痛ましい気持ちが一緒になった顔つきで黙り込んでしまった。
「…本当はこんな建物や国など、私の力を使えばすぐに脱出などできる」
黙り込んでいたお父様が口を開く。
「マリヴァンのことを考えるのならもうここを立ち去りたい。だが私たちがここから去ってしまったらサブリナ様の避難場所がなくなってしまうし、そのような状態で見捨てて立ち去ることなどできない。そうだろう?」
「何でいつもここに来るんだか」兵士はそう文句を言っていたけれど、そうか、サブリナ様にとってここは普通の自分を受け入れてくれる人がいる、心休まる場所なんだわ。
そりゃそうよ、あんな自分に暴力を振るうメイド、考えなしの無能な王家、そんな人たちの傍に居るよりならこうやって受け入れて話し合える人たちの傍に居たいのは当たり前。
そうなるとサブリナ様は…このお城での居場所がほとんど無いに等しいじゃない、あんなに立派な方だというのに…!
私は意を決した顔つきになってお父様たちを見た。
「私はお父様たちと別れてから、エリー・マイという名前で旅をしているの。ブロウ国の牢屋に入れられている時に助けにきたあの黒髪の男覚えてる?サードっていうんだけど、あの男はあのあと聖剣を手に入れて勇者になって、今は勇者御一行として私も冒険しているわ」
「勇者…?噂だけは聞いたことがある、遠くの国々で活躍しているようだと…。だがまさか、フロウディアが、女魔導士のエリー・マイだというのかい?」
お父様もお母様も使用人もまさか本当に?と驚きの顔で私を見てくる。そのまま色々と聞かれそうになったけど私はそれを遮って話を続けた。
「この国に来たのはもちろん皆を助けるためなんだけど、ここの王家を追いやるつもりでもいるの」
その言葉にあれこれと好奇の顔で質問しそうになっていた皆は一転して驚いた顔に変わって、目を見開く。
「それ…本気で言ってるの?」
お母様は王家を追いやるなんてことを口にする私に困惑した表情で問いかけてきて、お父様は少し厳しい顔つきで私を見る。
「フロウディア、それは犯罪といえるものじゃないか?」
「…」
そりゃあ国家反逆罪とかそういう犯罪にはなるでしょうけど…。でもだから何なのよ。そもそも今の状況で国王が居て良いことなんて一つもないじゃない。
そう思うと「本気なの?」「それは犯罪だよ」と正気を疑うような、そして正論を言ってくるお父様とお母様がもどかしくてわずかにイライラしてしまう。
そこでふと思う。
そういえば私もサードの考えに対して「何言ってるの、馬鹿じゃないの、そんな変なことやめてよ、それ犯罪でしょ!」ってよく言っているわ。
もしかしてサードっていつもこんな気持ちだったのかしら…。でもサードって本当に悪事に近いことも平気でするんだもの、ストッパーが居なくなったら何をしでかすか分かったものじゃないわ。
まずサードのことはどうでもいい。私はお父様とお母様を見据える。
「お父様もお母様もこのままずっとこの建物の中にいるつもり?そうなったらマリヴァンは外に出ることも無いままここで一生を終えるのよ」
二人とも言葉に詰まって黙り込む。私は更に身を乗り出したけど、膝の上のマリヴァンがテーブルと私に挟まれてプキュウ、と潰されるから少し身を起こした。
「城下町の状況も見てきたわ。未だに家はほとんど建ってなくて瓦礫だらけ、そのせいで人は外で着の身着のままで人並みの生活も送れないし、国外に行こうにも人が外に出ないように国が規制してる。四年もの間そんな状態なのよ?
それなのに国王ときたら国民を手助けしようともしない。そんな王家にずっと支配されてる国民が可哀想だと思わないの?王家の国民に対する関心のなさで死ぬ人はこの四年間で数えきれないほどいたはずよ、そっちの方がよっぽどの犯罪行為じゃないの」
つらつらと文句のような言葉を連ねると、お父様たちは驚いたような顔つきで私を見ている。
「…何よ、そんなに驚いた顔して」
「あ、いや…」
お父様は坊主頭をかいた。ショリショリと音が聞こえる。
「随分と口が達者になったものだと思ってね…」
お父様の言葉に思わず口をつぐむ。
それ、サードに似てきたっていうこと…?ううん、アレンとガウリスに似てきたのよ、きっとそうよ。
「色んなところを冒険してきたんだもの、そりゃ色んな人と話して見識が広がるというものよ」
お母様も私がつらつらと言葉を重ねたのに驚いた顔をしていたけれど、お父様の腕をさすりながら頷いている。
「しかしいきなり王家を追いやると言われてもね…そりゃ、あんな人でなしの国王など追いやってしまえればと思ったこともあるが…。だがそれはサブリナ様もかい?」
そう言われて私は黙る。
国王と王妃と王子は最低レベルの人間だけど、サブリナ様は人としても王家の者としてもちゃんとした人。
そうか、王家丸ごと追いやる考えで行動すると、サブリナ様も外に追いやってしまうことになる…。
「…どうにかサブリナ様をこの国の王位につかせたいわ」
エルボ国を隣のラリア王国の一部にする、それがサードが考えた案だけど、サブリナ様という存在が居るならこの国の頂点にサブリナ様を立たせたい。
「しかし娘にも毒を盛る親だ。その娘が自分の代わりに王位につくとなれば本気で毒殺するかもしれん」
「…」
やりかねない、あの国王と王妃だったらやりかねない。そのうえでサブリナ様が死んだとしても、
「ふーん、そうか死んだか」
「ねーえー、ガーネット欲しい~」
ってふざけたことしか言わなそう。
想像の中でのことでも本当にあり得そうでイライラする。この世の中に罪とか犯罪って概念が無かったら、私はとっくにここの王家の者を殺しているわ。
『いいじゃねえか、世の中から馬鹿が一人減るくらい』
サードが前に言っていた言葉がふと脳裏に響いてきて、私は頭をブンブンと横に振った。
落ち着いて自分、いくら相手があんなのでも殺人に手を染めたくないわ。
息を落ち着かせてから私は言葉を続ける
「とりあえずどうするかは皆と相談してからだけど」
するとお父様は私を真剣な目で見てきた。
「それでもそれは王家への反逆行為で犯罪だ。下手をすれば殺されるかもしれない。私は娘を犯罪者にしたくはないし、あんな王家のために失いたくない」
考え直してくれ、やめてくれ、というお父様の心の声が真っすぐに私にぶつかった。
お父様たちを悲しませてしまうならやめようか、と心がグラッと揺れたけど、すぐに脳裏に浮かぶのは道端でお金を求めて手を伸ばしてきた人たちの姿。
軟禁されていたけれど、結局お父様たちはこの四年間、命の危険もなく不自由もなく暮らしていた。でも城下町では未だに命の危険にさらされて不自由な生活を送る人たちがいる。お父様たちはそんな城下町の状態は分かっていない。
この国を根本から変えるようなことがないとあの人たちは救われない、助けられない。
私はお父様の目に応えるように真剣な顔つきになって、真っすぐに見返した。
「犯罪にはしない。死にもしない」
…ってさも自身満々な雰囲気で言い切ったけど、その部分をどうするか考えるのはサード。そのサードがどのようにして王家を追いやるのか分からない。分からないけど多分…。
「私たちは法律的に合法の上で王家を退位させて、代わりに政治を執り行う人としてサブリナ様上に据える」
その言葉にまたスロヴァンとアリア、使用人も驚いているというより感心したような顔つきで私を見ている。
「…何よ」
ああいえ、とお母様は軽く首を横に振った。
「まさかフロウディアの口から法律的に合法の上とか、政治を執り行う人を上に据えるなんて難しい言葉が出てくるとは思わなかったから…」
「…」
セリフィンさんも私のことをポワッとしてた子がこんなにしっかりして…って言っていたけれど、十四歳までの私って自分が思っている以上に頭がお花畑のような子だったのかしら…。
スロヴァン「我が子に毒を与える親がどこにいる?」
昔々、ンバズイという名の食べられるか分からない植物があった。
ある飢饉で食料が不足する中、父親と母親は長男を連れ、母親は家に残る子供たちにンバズイで作った鍋料理を食べるように言い残して仕事に出かけた。母親は仕事の最中泣きながら家の方角に向かって手を合わせた。
家に帰ると子供たちのはしゃいでいる声がする。中に入ると子供たちはンバズイの鍋を食べ切っていた。ンバズイは食べられると知った人々はそれを食べ飢饉を乗り切った。
飢饉の中、跡継ぎの長男だけ連れて毒かもしれないものを残りの子供らに食べさせたって話。
「そんなものだとは知らず、うめえうめえって鍋の底まですくって食ってたんす」
老人になった当時の子供は泣き笑いの顔でそう語っていたと。明治か大正にあった話。




