勝負一本!
サードの「で、ルールは?」の発言に、その部屋の時間が一瞬止まった。
「え…チェス、やったことないの?」
流石のロッテもその言葉には耳を疑っているらしくてサードに聞くと、
「ショーギなら指したことある。さっきやってるの見たら似てると思ったが。で、駒はどう並べんだ?確かこれはここなんだろ…?」
サードは駒を持ってウロウロと手を動かして置いていっている。
これは本当に駒を置く位置すら把握していない動きだわ…。
「ちょ、サード…本気でそれで勝つつもりあんの?」
アレンが嘘だろ?という顔で聞くと、サードはアレンを睨んだ。
「ったりめえだ、やるなら勝たねえと意味ねえだろ」
その言葉にはリッツもカチンとした顔になって、
「ここまでの初心者に負けるとは思わないね」
というと、ロッテはニヤニヤ笑いながらリッツを見る。
「いやいや、本気出さないと負けるかもよ。あたし、こいつに色々文字とか教えたんだけどさ、簡単にスラスラっと覚えちゃったわけ。こいつ凄く物覚えがいいし頭の回転が早いのよ。きっとルールさえ覚えたら厄介な相手になるよ」
そうね、サードは物覚えは異常に早いもの。
ロッテの言う通り意味不明な文字もスラスラ覚えたし、冥界で会ったハチサブローだって面白半分でスパイの術を教えたら次々に覚えてしまって国に連れて帰ろうとしたらしいし。
…そういえばキョウっていう小難しい長い呪文も二回ぐらいで全部覚えた上にその内容も自分で考えて理解するぐらいで、下働きの身分だったのにジューショクっていう一番の地位の人の間違いも正したんだっけ…。
そのせいでその宗教施設で修行していた人たちには睨まれていたみたいだけど…。
リッツはロッテの言葉を聞いて、本当に戦えるのか?勝つつもりなのか?という困惑と挑戦的な顔がごっちゃになった表情でサードを見ている。
「で、置き方は?」
サードが聞くとガウリスが、
「まずはポーンというこの頭が丸い物をこの列に八個並べます」
と盤を指さしながら言って、サードは、
「これはフか」
と独り言みたいに言いながら並べていく。
「ガウリスもチェスは知っているのね」
エリーがそういうと、ガウリスは軽く頷いて、
「暇な時に神殿でよくやっていました」
「俺はやったことないけど、置き方くらいなら知ってる」
とアレンも言う。
私はチェスの存在は知っているけど一度もやったことが無いからルールも駒の置き方すらも分からない。
「それでランクという、二番目のこの列の両端にルークという塔の形をした駒を置きます。その隣がナイト、馬の形をしたもの。その隣がビショップ、その僧正冠のもの、クイーンは…サードさんは黒なので黒いマスにそのギザギザとした冠の駒を置いて、残りの所に王冠の形をしたキングの駒を置きます」
サードはガウリスに言われた通りに駒を次々と置いて行って、並べ終わった盤面を見て、
「駒が少ねえ気がするな、チェスってのは」
と覗き込んでいる。
「あんたの言うショーギってやつはもっと駒が多いの?」
ロッテが聞くとサードは頷く。
「ショーギは自陣で二十、二列じゃなくて三列に布陣するんだ。で、動かし方は?」
サードはガウリスに視線を向けるけど、ガウリスは、
「恐らく私よりロッテさんに教わった方が分かりやすいかと思います」
とロッテにそれまでいた場所を譲った。ロッテはそれなら、と指を駒に向けて、
「駒は他の駒をまたいで動けない、自分の駒のあるところにも動けない。ただし相手の駒があるところには動けて、それを取ることはできる。ああ、けどナイトは一個抜かしで動けるよ」
「ケイマ…」
サードは呟くと、先を促すようにロッテに視線を向ける。
「キングは周り一個ずつに動ける」
「ショーギと同じか」
「クイーンは上下左右斜めどこまでも動ける。ただし相手の駒があればそこで止まる」
「カクとヒシャ」
「ルークは上下左右、どこまでも動ける」
「ヒシャ」
「それでビショップは斜めにどこまでも動けるんだけど…」
「カク」
ロッテの説明を聞きながらサードは謎この言葉を呟きつつ真面目な顔をして聞いている。そうして一通りロッテが説明をして、
「これで大体のルールは説明した。何か質問は?」
と聞いている。
「相手の奪った駒は自分の駒にして動かせねえのか?」
「倒したらそれまで。その駒は終わり」
サードは少し妙な顔をして、ふーん、というと盤面に向き直る。その様子を見てリッツが駒に手を伸ばした。
「僕が白だから、僕が先に動かさせてもらう」
チェスは白い駒の人が先に動かすものなんだって。リッツはコン、と駒を動かして、サードもコン、と音を立てて動かす。
駒を動かしていくコン、コン、という軽い木の音が部屋の中に響いて行く。
少しずつリッツがサードの駒を取っていって、サードもリッツの駒を取っている。
でも見た感じどっちが有利に動いてるのかさっぱり分からない。
「今、どんな状況なの?」
「サードが押されてるかなぁ」
ロッテが軽く言う。
自分が戻るか戻れないかを賭けてのプレイなのに、ロッテは二人の対戦を見るのが楽しいといった表情だわ。
「やっぱりサードは初心者っぽいもんね、動きが。リッツはあたしに勝てたことないけど普通に強いよ。ただやっぱり目の前の駒優先で取っちゃうところがあるから負けるのよねぇ」
「あまり僕の弱点を喋らないでくれ」
リッツはたまに喋りながら駒を動かしているけど、サードなんて始まってから一言も口をきいていない。全ての集中を今チェスに向けている、って感じだわ。
そのようにして少しずつ、少しずつ盤面から駒が少なくなってスカスカになってきた。
するとサードは眉間にしわを寄せて軽く唸りながら身を乗り出して、
「…なるほど、盤面の中央に駒を集めれば有利になったんだな、失敗した」
とこの対局の中で初めて口を開いた。
「ここまで来てから気づいたか」
リッツも言葉少なく返す。
見ればサードの駒はあまり動いてなくて、リッツの駒はサードの陣に迫っていてサードの駒が動きにくそうに固まっているような気がする。
やっぱりロッテの言う通りサードが押されていたんだと思いながら、まさかあのサードが負けるのかしらとチラとサードの様子を見てみる。
サードは間を空けて盤の上を長々と眺めて何も言わずに黙り込んでジッと見ている。
「…相手の駒が使えれば、そことここに置いてオウテなんだがな…」
サードが呟きながら駒を動かす。その駒はすぐさまリッツのクイーンに取られた。
「あ、サード。そろそろヤバいよ。チェックされる」
場面が動いたとばかりにロッテがサードに声をかけた。
チェックは、チェックメイトの一歩手前の…まあ自分の身がヤバいって感じの意味だったわよね。
でも駒を見ても何がどうなってサードの駒がヤバいのか分からない。
「…どういうこと?」
小声でガウリスに聞くと、ガウリスが盤上に指を差す。
「このままサードさんが何もしないで逃げていればサードさんのキングはチェックされ、そのままだとチェックメイトでサードさんの負けです。まあ、そんな簡単にチェックメイトはされないでしょうが、どこかで攻めに転じなければ…」
ガウリスも頭の中で色々と考えているのか盤面を覗き込んで黙り込んだ。
…でもガウリスの説明を聞いてもどこをどう動かしてサードが危なくなるのかよく分からない。ああ、でもリッツのクイーンがサードのキングに接近してるのは分かるわ。
えーと、クイーンは縦と横と斜めに動けるから…リッツのクイーンが動いてサードのキングの延長線に移動したらチェック、そのまま逃げなかったらチェックメイトでサードが負けるって意味ね。
サードは息を吐きながら体を起こしてリッツを見た。
そんなサードの様子を見たリッツは、諦めてきたな?さあどうする?とばかりに口端を上げてサードを見返す。
でもサードは何を言ってやんがんだ?と言いたげに悪い顔で笑った。
「キャスリング」
サードはそういうと、キングと隅にあるルークを動かした。
「えっ…。いいの?一度に二個動かしても」
私の言葉にガウリスがまた口を開く。
「そういうルールなんですよ。どちらも動いておらずお互いの間に駒がない時にキングを安全な位置に移動させ、ルークを隅から動かして活用できます」
…ういえばそんな説明をロッテがしていたかしら…。あまりにもたくさんのルールを一気に聞いたから途中から聞いても言葉が耳を素通りしていたのよね。
あれ?っていうか今気づいたけど、グラン、槍を支えにして寝てない…?…寝てるわ。いつから寝てたの?っていうか槍を支えにして立ちながら寝るって器用ね…。
コン、と駒を動かす音にグランから盤面に目を移すと、リッツはサードのキングを追い詰めるようにクイーンを移動させている。
するとサードがリッツ側の盤面に手を伸ばして、黒いポーンをリッツ側の一番端まで動かした。
「なる…じゃねえ、昇格」
サードは言い直してそのポーンをどかしてクイーンを置くと、
「チェック」
と言った。
「えっ」
いったい今、何が起きたの?
ただ、サードのポーンがクイーンになって、いきなりリッツのキングを捉えた宣言をサードがしたのは分かる。
私はガウリスを見上げた。その視線に気づいたガウリスは、
「相手の一番向こう側までポーンが行くと自分の好きな駒に昇格することができるんです」
と説明する。
「ん」
リッツが顔色を変えて盤の上に目を走らせる。
「目先の駒に集中するから負けるって、さっき弱点を教えたわけじゃなくて忠告したつもりだったんだけどなぁ。サードがキングをわざとさらけ出しておいて、途中であちこちでコソコソ動いてるのに気づかなかった?
あーあ、さっきまではリッツが有利だったのに、サードのポーンを無視してキングを狙うから一気に追い詰められちゃって…そこがダメなんだよ、リッツは」
リッツはロッテの言葉を聞いているのか聞いていないのか。少し考えてから、クイーンを動かそうとして、でもその手を止めて、キングを一つ動かして逃げようとする。
「そこだとチェックメイトだぞ」
サードはルークを途中までスーと動かして、でも途中でピタリと止めて元に戻していく。
「やり直すか?」
サードの真剣な表情が崩れ、ニヤニヤとした笑いを浮かべてリッツを見ている。
リッツはキングから手を離して前のめりになりながら盤面を見て駒をどう動かそうとあれこれ考えているけど、ロッテが静かに声をかけた。
「…こりゃ詰んでるわ。あとはどう動こうが十手以内でキングが取られるね」
「まさか…」
あり得ないとばかりにリッツは色んな手を考えているみたいだけど、それでもやっぱりどう動いても自分が負けると察したみたい。
リッツはため息をついた。
「こんな初心者に負けるとは…。いや、キングに集中し過ぎて手元を見ていなかったのが悪かった…」
「今更自分の弱点に気づいたのかよ。ロッテとの対戦で一回目も二回目もキング狙いすぎて負けてただろ」
サードの言葉にリッツは顔を上げた。
「…あの二回で、そんなことを考えていたのか?」
「まあな。ルールと駒の置き方は完全に把握できなかったが、人の弱点を見つけるのは得意なんだ。てめえは目先の利益優先、今までの失敗や負けをその後に経験を生かせない。…いや違うな」
サードはそこで一旦止めてリッツを見やる。
「てめえは後に生かす経験として残す必要がねえって、どこかで思ってんじゃねえの?」
「…どういうことだ?」
「てめえは利用されるか、遠巻きにされるかの対応をされてねえらしいじゃねえか?それならこうやってチェスをやるのもロッテとだけだったんだろ?そのロッテに負け続けていたらロッテに勝つまでって面目でどこまでも向かって行って、いつまでも構ってもらえるからな。
もしロッテに勝って、はいそれなら切りのいい所でさようなら、って言われるのを避けたいがためにロッテに負け続けても同じところを改善しようとしなかった。違うか?」
「…」
わずかにリッツの表情が面白くなさそうなムッツリとした表情になってサードを睨んでいる。
「…別にそういう目的で負け続けだったわけじゃない。ロッテの手段が絶妙だったのと、単に僕の動きが単純だっただけだ」
「自分で単純な動きだって分かってるじゃねえか。そこを何で直さねえ?負けてたらロッテに構ってもらえるからだろ?違うってえのか?」
サードが揚げ足を取るようなことをすぐさま突っ込むように言ってケケケ、と笑っている。
リッツは答える義理は無い、とばかりに椅子の背もたれに背中を預けて腕を組んでムスッとした顔でそっぽ向いた。
「僕も君と対戦して分かったね。君はこんなにも性格が悪い動き方をして、あとは相手を罠にはめてあんな災害を引き起こす魔導士でとどめを刺しているんだろう?これだったら魔族とも対等に渡り合えるだろうさ」
だが、とリッツは面白くない顔をしていながらも、サードを見る。
「ロッテ以外の者とチェスをするのは初めてだったから新鮮で楽しかったのは事実だ。もう一回相手をしてくれ。その一度でロッテも君たちも速やかに解放する。…これは約束だ」
サードはフン、と鼻で笑うと駒を元に戻していく。
「次はキングを狙い過ぎて足元がお留守になってて寝首をかかれたなんてヘマはすんなよ」
「しないさ」
サードとリッツは駒を並べ直して、白の駒のリッツが最初に動かす。
「…本当は最初に駒を動かす白の方が有利なんだろ?初心者の俺に譲れってんだ」
サードはコン、と一瞬で駒を動かしながら言うと、リッツの面白くなさそうな顔が崩れて思わず笑った。
「気づいたか?ロッテの方が上級者だから僕に有利な方を譲ってもらってたんだよ。それで君がロッテ側に座ったもんだからそのまま黒でやってもらったんだ」
「性格悪いな」
リッツが少し考えてから駒を動かす。サードはすぐさまパッと駒を進める。
「君にだけは言われたくないね」
リッツは少し考えてから駒を動かしサードの駒を倒す。サードは一秒足らずでリッツの駒を倒す。
リッツは少し考えてから動かす。食い気味にサードが駒を動かす。
「君、適当に打ってないか?」
さっきからパッパとサードが駒を動かすのが気になったのかリッツが顔を上げてサードに声をかけるけど、ロッテは首を振った。
「いいや、これはいい出だしだよ」
サードはニヤニヤしながら顔を上げた。
「俺は昔から早打ちして相手を焦らせてミスさせるのが好きなんだ。やり方もさっきので覚えたから本気で行くぞ」
リッツはそんなサードの顔を見て、感嘆の表情を浮かべながら苦笑いした。
「本当、人間のくせに嫌な性格だ」
リッツは駒を動かした。
「褒めんなよ」
サードはそう言いながらパッと駒を動かして、リッツの駒を倒した。
動画でひふみんと羽生さんの対局を見たことがありました。
分かる人にはお互いが瞬時にエグい攻撃をしていると分かるようですが、私には鋭い目つきの羽生さんと、プクー!とほっぺを膨らませるひふみんしか分かりませんでした。




