魔王は転生したら勇者になりました。
「……きて、起きて」
……なんだ、五月蝿いな。何かあったのか?
「なに言っ……に出……やく起き……」
あぁもう五月蝿いな。放っておいてくれ。この私を起こすなど愚行にもほどがあるぞ。
「あーもー!!いいから早く起きて!おーきーてー!!!」
甲高い女性の声に思わず驚いて飛び起きる。やけに寒いなと思ったら布団を引っぺがされていたようで、春先にタオル一枚は流石に堪えた。奪い取られた布団を取り返すべく手を伸ばすがあっけなく払いのけられてしまう。
「もう!肝心なときに寝坊するのまったく変わってないんだから……おばさんが服用意してくれたから早く着替えてね」
「……ん」
矢継ぎ早に何かを言っているが、正直眠い。よく考えなくてもあたりは黄色い光に包まれている。なんだ、まだ昼間じゃないか。せめて沈んでから起こすのがマナーというやつだろう。
先ほどの女性……いや、まだ少女といったところか、彼女は気がつけば退室していた。床に放置された布団を手繰り寄せ、再び安眠を迎えようとした。
「……ん?」
ガバッ!と起き上がり辺りを見渡す。あまり広くない部屋は物があまり片付けられておらず、モンスターの書かれた絵や魔法呪文の本が散乱していた。ふと自身の手を見る。1、2、3……両の手合わせて10本の薄い橙色の手がそこにはあった。力を入れると拳になり、一本ずつ解いていくこともできた。ためしに噛み付いてみよう、と一番太い指を口にいれると痛みが走った。……たしかに、これは自分の手だ。
部下の一人が変な薬でも盛ったのか?まったく、人間になる薬など一体なんのために作り出したのだ……。
はぁ、と深いため息をついて布団から出る。ちょうど入り口の近くに全身鏡が置かれていた為、自分の姿をぐるりと見渡した。白と水色の縦じまの薄い服に身を包み、やたらと跳ねた頭髪に口の端についた白い涎のあと。見た感じではまだ15かそこらのひ弱な男児がそこに立っていた。
「……なんだこの姿は。せめてもう少しまともな姿にすればいいものを……」
あちこちを触ってみても鍛えている様子もない。ためしに手をかざしてみても、何の魔法も発動しない。失敗作もいいところだ。早く犯人を捕まえて解毒剤でもなんでもいいから早急に作らせなければ。
そういえば先ほどの小娘、服がなんとかと言っていたな。ふと辺りを見渡すと大量の本が積まれた丸いテーブルに丁寧にたたまれた服が置いてあった。とりあえずこれを着ればいいのだろうか?人間の脱衣の知識は無いが、とりあえずこの服と似た形状だろうし当てはめれば分かるだろう。そう思ってひとまずズボンを下ろした。
「いつまでかかってるの!?まさか二度寝して……キャアアア!!!」
業を煮やしたのか先ほどの少女が再び部屋に現れた。しかしその直後顔を手で覆い、目線をそらした。心なしか顔も赤い気がする。
「ちょうどよかった、この服の着方がわからないから手を貸してくれ。……おい、聞いているのか?」
「わわ、わかった、わかったから!!と、とりあえず下!!隠して!!!」
下?と思い目線を下げる。……うむ、どうやら脱ぐのはこの長いやつだけでよかったらしい。丈の短いぴったりとした素材の何かを再び履きなおすと、少女は指の隙間から辛うじてこちらを見た。
「分からないって……ズボン履いてシャツ着てベスト着てコート着ればいいでしょ……?」
「どれがどれなんだ?」
ぐい、と近寄ればぐい、と後ずさられる。なんなんだこの女は。というか、この女どこかで見たことがあるような……。
「ナズナちゃーん?今の声どうしたのー?」
「えっ、あ、いえ、なんでもないですーー!!」
ふと下のほうから先ほどの叫び声に劣らない女性の声がした。目の前の少女はその声に答える。
……まて、今何て……。
「ナ、ズナ……?」
「な、なに……?張り切りすぎてちょっと頭おかしくなっちゃった?」
ナズナ、ナズナ。ぽつりと呟いた言葉に目の前の少女は反応する。薄緑の髪に桜の髪留めをつけた少女。そうだ、この女は……この姿は……!
訳がわからない、という表情を浮かべるナズナを押しのけもう一度鏡を見た。間違いない、この顔、この背丈、そしてこの服。たしかにあの日、やってきた人間どもだった。
「おい、今日は何月何日だ…」
「えっ……4月7日だけど」
あいつらがやってきたのは少なくとも雪が降る季節だった。季節が巡ったのか?この女だけは殺し損ねた、だからここにいても可笑しくはない。なら何故この姿になっている?
そういえば「こいつ」を吹っ飛ばしたとき、何かがねじれる気配がしたが……まさか、入れ替わってしまったのか?
おそらく「こいつ」とナズナはこれから「魔王」を倒しに出かけるのだろう。つまり私、だ。しかし私はここにいる。そしてここにいるはずの「こいつ」が居るのは……おそらく、魔王だ。
「ハハッ……ハハハッ」
「え、え……シズヤ、どうしちゃったの?」
まったく、これが夢ならなんて良かっただろうに。私を倒そうとした人物に私が成り代わるなど、妄言も甚だしい。勇者というものは世界に平和をもたらす存在だと聞いた。
ならば成り代わってやろう。この世界の全てを手に入れるには最適な方法だ。
不思議そうに顔を覗きこんでくるナズナに「俺」は笑って答えた。
「なんでもない、ちょっと張り切りすぎちゃって。着替えるからちょっと部屋の前で待ってて」
たしかこんな感じだっただろうか。そう言うとナズナの表情は緩んだ。どうやら正解だったようだ。
「あ、うん……よかった。いつものシズヤだ。なんかさっきまでのシズヤ、別人みたいだったし」
「何言ってるんだよ、俺は俺だろ?」
「……!うん!」
俺を倒そうなどと宣ったこと、後悔するといい。