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黒幕

 クロは私の顔を見上げている。クロの顔には、人間のような感情が宿っているよう感じられた。まるで驚いている私を見て面白がっているように私にはみえた。

「どう、その格好? 気にいってくれた?」

 声に合わせてクロの口が動く。この声は確かに、クロの口から発せられたもので間違いなさそうだ。

「六年くらい前の私だったら最高に喜んでたと思うけど」

「そのときは、こんなことできなかったからさ」

 こんなこと、というのはそのままの意味なのか。私やあの男を魔法使いにして、誰かに変な武器を持たせて、私の目には人間がおもちゃにみえるようにして、そしてへんてこなドームの中に皆を閉じ込めた。

「なんでこんなことしたの」

 クロはきょとんとした表情を浮かべている、ように私にはみえた。

「君が喜ぶと思ったから」

「喜んでは……」

「いない。って? そうかな、結構楽しんでくれてたじゃないか」

 ほうきで空を飛び、目の前で種のない魔術をみて、フィクションとしか思えないものをみることができたのは、楽しかった……かもしれない。

「このまま放っておけば、このドームはどんどん大きくなって町を、市を、やがては国全部を覆うだろう。楽しそうじゃない。空想の世界が現実になるのは」

「私は……」

 それは魅力的な提案に思えていた。

「君が望むなら、元に戻してあげられるけど。僕にはもう一回同じことをするだけの力は残っていないよ」

「それなら」

 私は迷った。ここで止めてと行ったらすべてが終わってしまう。

「へえ、そのしゃべる猫が黒幕だったわけだな」

 男の声がした。声の方を振り向くと、黒魔道師の男が立っていた。

「元に戻されるのは困るな。俺はこの世界の方が気に入ってるんだ。あの、くそったれた現実世界よりもさ」

 男の声は、くそったれた何かを思い出しているのであろうとげとげしいものだった。

「お前はどうするつもりなんだ」

 もしも元に戻したいと言ったら、男はどういう行動にでるだろうか。

「どっちにしても、念には念を入れとくか」

 男の手に青い炎が灯る。そういえば、

「さっきの二人は、どうしたの」

「こうしたんだ」

 男は青い炎を私の足元に向けて放った。逃げる間もなく、地面から冷気が這いあがってくる。クロの黒い毛皮に白い氷が混じっていく。氷はみるみるうちに成長して、クロの体をすっぽりと包みこんだ。

 男は、氷の彫像になったクロの首を掴んで持ちあげた。

「返して」

「この空間が、世界中を覆い尽くしたら返してやるよ」

 足を踏み出そうとした。しかし、ひざ下まで凍りついてしまっていて動くことできなかった。

「おとなしくしていれば、何もしないから。しばらくそこで待っててくれよ」

 男はクロを手に持ったまま私に背を向けた。そのまま歩き去ってしまう。このままでは元に戻ることができない。フィクションの通りの魔法や技が使えるのなら、向こうのほうが圧倒的に有利だ。何か、この魔女の女の子の特技は他になかっただろうか。昔みた映画を思い出す。始まりから終わりまで、ストーリーをたどって行くとひとつ思い出した。魔女の女の子が激昂するシーンだ。相棒の黒猫をさらわれて、救出するために彼女がやったことは。

 私はほうきの柄を男の方に向けて構えた。私はそのシーンがあまり好きではなかった。魔女のイメージに反する、と作中でも非難されたシーンだ。

 私はそのシーンを精密に思い出す。やり投げのようにほうきを振りかぶり、相手の後頭部をめがけてほうきを投げつけた。

 私の腕力だけでは威力が足りない。だが、ほうきのもともと持っている速度を上乗せすれば十分な威力になる。空気を切り裂く音。私と男との間の距離を、ほうきは一瞬で駆け抜ける。男は振り返る直前、後頭部にほうきの柄の一撃をくらって、そのまま地面に倒れ込んだ。

 手から氷の彫像が落下する。地面とぶつかった衝撃で、クロを覆っていた氷は細かい無数の粒子になって散らばった。

 私の足元も氷解していく。

「助かったよ、志穂。中には、ああいう輩もいるんだね」

「やっぱり、はやく元に戻そう」

「本当にいいのかい」

 クロはもう一度私をみあげる。私は、迷うことなく答えることができた。

「ありがとう、でもごめんね。私は、好きな人と待ち合わせをしているから」

「そっか、わかったよ」

 クロは笑っているようにみえた。

「だけどちょっと、淋しいな」

 まばたきをした一瞬のうちに、私の目の前からクロはいなくなっていた。ぶかぶかの黒いローブも、竹ぼうきも。路地裏には、気を失った男がまだうつ伏せに倒れ込んでいた。Tシャツにジーンズというありふれた格好だ。私の手には、時計と鞄が戻って来ていた。

 さっきまで、クロがいたところに何かが落ちている。かがんで拾い上げる。それは、月の明かりを背景に少女の横顔が映るキーホルダーだった。

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