おもちゃの街
宙を舞った。けれど、細いほうきの上にまたがる形はとても不安定で、気を抜くとバランスを崩して落ちてしまいそうだ。突然の出来事で、何が起こっているのかわかっていなかったけれど、体は自然と動いた。両足の太ももでほうきをぎゅっと挟み、前傾姿勢をとって両手で柄を握るとほうきの軌道は安定した。左右にふらつくことなくまっすぐに、徐々に高度をあげていく。さっきまで見上げていたビルの窓が、ゆっくりと私の視界の下の方へと流れて行く。このままでは、ずっと上空に飛んで行ってしまう。
重心を少しだけ左に傾ける。するとほうきは少しだけ方向を変えた。もっと思い切って重心をずらすと、Uターンすることができた。柄を掴んだままの両手に体重をかけると、今度は柄の先が地面の方を向き、ほうきは徐々に降下していった。
風船の引っかかった街路樹の周りにはぬいぐるみの集団が集まって、私を見上げている。ぬいぐるみたちが、赤い口をぼけっと開けている様子がおかしくて、私は思わず笑ってしまいそうになるが、同時にバランスも危なくなる、集中していないと、ほうきをコントロールすることができない。
ほうきの軌道を微調整しながら、風船に向かう。まっすぐ、ゆっくりと。枝にぶつからないよう距離を掴みながら近寄る。十分に街路樹に迫ったところで、私は思いきって片手を伸ばした。ほうきのバランスが片方に崩れる。地上から、うわあっと悲鳴に似た声が聞こえた。
風船の紐をたぐりよせると、紐を巻き込んだままもう一度両手で柄を握った。少しずつ地面が近づいてくる。ぬいぐるみたちが私とぶつからないように離れたため、着陸地点には円形の人だかりができていた。
トン、ともう一度足の裏に地面の感覚が帰ってきた。私は男の子に、風船を手渡した。
「ありがとう」
私はほう、と息を吐いた。周囲の人だかりから、わっと歓声と拍手があがる。
「魔女さん、おみごと」
「すげー」
「どうやってやったんだ、あんなの」
拍手と歓声が私を包みこんだ。ウサギのぬいぐるみは、私に何度も頭を下げてくる。頭についた耳はぶんぶんしなっている。
「すみません、本当に」
「いえ、もう結構ですから。耳、取れちゃいますよ」
ウサギはきょとんとした様子で首を傾けた。そうだった、私以外の人には、ぬいぐるみは見えていないのだった。
「今度からは、気をつけてね」
男の子に語りかけてなんとかその場をしのいだ。男の子は、私の頭を見ているようだった。
「どうしたの?」
「リボン、なくなってる」
頭に手をやる。本当だ。先ほどまであった布の感覚がなくなっていた。正直なところをいうと、あまり目立つから、なくなってしまったほうが嬉しい。
「なくてもヘーキだから」
私がそう言っても男の子は納得した様子を見せなかった。
「あの、よければこれ使ってください」
ウサギはその白いもふもふした手を差し出した。その上には、私がしていたものとそっくりな赤いリボンがある。
「あなたがしていたのとは違うんですけど、よければ」
男の子は期待を込めた表情で私の方を見ていた。なぜそんなものを持っているんだろう。とにかく、私は彼を失望させたくなくて、
「ありがとうございます」
笑顔でそれを受け取った。思ったよりも手間取ることなく結ぶことができた自分が、なんとなく腹立たしかった。
その後は、写真撮影を何回も求められた。入れ替わり立ち替わり、私の両隣に人が並ぶ。私は押し寄せる人の波をくぐり抜けて、もう一度ビルのすきまに身を潜ませることにした。
時間を知りたかったけれど、私の所持品の時計もどこかに消えてしまっていた。携帯電話もないから、加納くんにも連絡をつけられない。それに連絡をつけたところで、どうやって今の状況を説明すればいいのだろう。途方に暮れたけれど、ひとつ案を思いついた。
このまま加納くんを探そう。そして、今日はもう遊べないことを謝って、家に帰ろう。ほうきで空を飛んでいけば、ひと目を気にすることもない。
私はもう一度ほうきにまたがった。できれば、今の貢献を客観的に目にしたくない。こんなことをしていいのは、せいぜい小学生くらいまでだ。
地面を蹴る。すると、ほうきはふわりと宙に浮かんで、少しずつ高度をあげていく。さっきの経験で、操縦のカンを掴むことができたようだ。運動神経はそんなに良くないはずだったのに。
ビルの谷を抜け、屋上を超えて空に舞い上がる。目の前には、空と雲だけが広がっている。少し下を向くと、雑多な建物の群れがひしめいている。不思議と恐怖は感じなかった。
大津通りに沿って飛んでいく。出来る限り、ビルの上を飛ぶ。道行く人が、ふっと上を見上げた時に気付かれないように隠れるためだ。
通りを行く人々はさまざまな格好をしていた。さっきはぬいぐるみばかりだと思っていたけれど、そうでもない。中には、プラスチック製と思われるロボット。名前は忘れてしまったが、ガンダムだとかスーパーロボットだとかそういう類だと思う。確か、クラスメートにプラモデルを組み立てるのが趣味の男子が、そんなロボットを校内に持ち込んで没収されていた。グリコの人形もいた、ペコちゃんもいた。カーネルサンダースに、あれは……黒ひげ危機一髪の海賊だろうか。私たちの想像の中にしか存在しないキャラクターたちが、通りを闊歩している。ぬいぐるみ群れというのは違う。きぐるみの群れ、というのも不正確だ。きっとあのキャラクターたちは、私たちが幼いころ遊んだおもちゃたちなのだ。
私はビルの屋上から、おもちゃの街を眺めた。この光景も悪くないなと感じたとき、ひとつ重大な事実に気付いた。
加納くんも当然、おもちゃを頭からかぶっているだろう。そうなると、空から見分けることができないじゃないか。
ほうきがぐらりと揺れる。もう力を込めてバランスを取り直す。私はもう一度、加納くんに心の底から謝った。ごめん、今日は会えそうもない。そして、後日どうやって説明したらいいのかもわからない。
私はほうきの柄を、自宅の方向に向けた。だいたいの方向はわかっている。計画は変更だ。とにかく、一度家に帰ろう。
風を切って宙を駆ける。空を飛ぶ夢は叶った。こんな気分でなければ、もっとこの状況を楽しむことができたのに。私は機械的に、ほうきのスピードと向きをコントロールし続けた。
と、目の前の何かにぶつかる感触がした。まるで、トランポリンのマットに正面から突っ込んだような反発力を感じる。けれど、空中に障害物は何もない。ただ虚空が広がっているだけ。
目の前に向かって手を伸ばしてみる。柔かい感触。力を加えると、ぐーっと何か透明なものが引っ込んで、力を緩めるとまた戻ってくる。私は手の平を上下左右に動かしてみる。傍から見たら(空の上だから誰もいないけれど)まるでパントマイムをしているように見えるだろう。
どこかに穴が開いていないか確かめながら、ほうきの高度を落としていく。ずっと透明な壁に手を当てていたけれど、外に出る道は見当たらない。
地面に着地した。目の前の壁は相変わらず存在する。勢いをつけて、思い切って体全体でぶつかってみる。透明な壁は勢いをゆっくりと吸収して、反動で私を突き飛ばした。私は地面に座り込んで目の前の光景を眺めた。他に、外に出ることのできる場所を探さないといけない。
「残念だけど、ここからは出られないみたいだ」
後ろに人が立っていた。




