始まりは泉から
ふらふらとした足取りで下を向きながらドルシーは、あるとき自分の影が緑色の地面に向かって伸びていないことに気付いた。影の先は、………透明に透き通った水面。バッ、と驚いて顔をあげたドルシーは、まるく大きな瞳を更にまるくさせた。
彼女の目の前にあったのは、透明で美しい泉だったのだ。
「えっ…!?こんなのあったかしら……?」
ドルシーは驚愕を隠せないように言う。その驚きは、この野原に泉があったこと(彼女はこの野原を自分が一番詳しいと自負していた)と、此処まで美しい泉を見たことがないという思いから来るものであった。
風一つない静まった空間、勿論泉にも波紋一つない。雪が積もったあとの真っ白な地面に思わず足跡を付けたくなるように、ドルシーはそっと泉に触れた。
瞬く間に広がっていく波紋。
その幻想的な光景に彼女は感嘆の息を吐く。
ーーーなんて綺麗なんだろう。
帰ったら姉さまと兄さまたちに知らせよう。アルにも言って、母さまと父様にも自慢しよう。大きくて綺麗な泉があるって。
いつの間にかぐるぐるとした気持ち悪さが無くなっていたドルシーは、両親や兄妹達に泉のことを自慢する己の姿を想像する。こんなに凄い泉を見つけたんだ、きっとみんな喜ぶに違いない。
思わず口元を緩めるドルシー。もう一度と彼女は泉に触れようとした………ときだった。
ずるり、
「、え?」
状況がよく飲み込めないドルシーは小さく声を漏らす。
ドルシーは、泉に触れる為に腰を屈め若干危うい体制をしていた。…そして不幸なことに、手を伸ばした拍子に体制を崩してしまったのだ。大きく目を見開く彼女、急いで体制を整えようと重心を変えるのが、それは意味を成さなかった。
静寂の世界の中、彼女のヒュウ、という息を飲む声が響く。
何に助けを求めたのか誰も(彼女でさえも)知らないが、ドルシーは手を伸ばした。しかし、嗚呼、なんて無情なことか!誰もその手を握らず、彼女は泉へと落ちた。
バシャンッーー
……彼女は、気付かない。
そこは止まった空間。異世界への入口。" 招かれた者"しか入れない。並行世界と呼ばれる其処。
彼女を招いた誰かが、悲しげに微笑んだ。
「…こんちには、憐れなお姫様」