闘技場の頂点
空気が振動する。歓声によって。
終わらない喝采の中、目の前の巨大な扉が大きく開いた。それはまるで巨大な化物の口の様に。
僕は足を踏み出す。恐怖なんて物はない。それが当たり前の行為だし、何回も繰り返してきた道だから。
僕にとってその道しか進む先も帰る先もない。だから歩くだけ。
薄暗い一本道を抜ける、化物の口に入ると眩いくらいの陽の光が僕を照らす。
そして待ちわびた胃袋にいる腹の虫の様に歓声が更に高揚する。
僕の目の前には大きな円状の居場所がある。
そこには僕ともう一人だけの世界。
巨大な斧を軽々持ち上げた大柄の男が拍子抜けしたように僕を見つめる。
それはきっと僕が期待していた物より劣って見えたからだと思う。
でも、もう毎回されるリアクションに僕自身が対処するのすらもう飽きてしまった。
僕は毎回、相手の攻撃が始まってから動くんだ。その方がここの人たちも喜ぶし、運動になる。
腕が折れる程度くらいまではダメージを受けても文句を言わない。逆に褒めてくれる。
晩ご飯が多少立派になるんだ。
だけど今日は、朝から調子が悪いから本気を出す。
「さぁ、始まりましたコロッセオナンバーワンの座を掛けた対決です!」
なんどこの言葉を聞いただろうか。もう聞きすら飽きてしまった。
それでもなお観客はここに集まるのだから不思議で仕方ない。飽きないんだろうか?
「悪いが、王座は俺が貰うぞ小僧!」
大きな斧を構えて、直線に突っ込んでくる大柄の男に僕はずっと立ち尽くす。
盛り上がる歓声はいよいよピークに達している。砂埃が足元から舞いながら、ドスンドスンと音を立てる。
「僕よりも強ければ、どうぞ」
…すでに歓声は止んでいた。
戦いは一瞬だった。何やら僕が勝ったのに悔しそうにしている人たちやすごく喜んでいる人たち、感情はバラバラだ。
単調な攻撃なんて簡単に避けられる。最小限の行動で相手の急所を狙って掌底を当てるだけ。
それだけで戦いは終わった。僕が未だに本気になってまで戦う相手と出会った事がない。
僕は終わった後の空気が嫌いですぐにその場を後にした。
「ーーようやく見つけたわ」
観客席一角から全身フードに身を包んだ者が声を上げた。その声はまるで長年探し求めていた物をようやく見つけた様な深みのある声だった。
「ーー貴様、腕が折れるくらいは演技をしてみろといつも言っているだろう」
「ごめんなさい。今日は調子が悪くて、」
いつもの薄暗いかび臭い部屋に帰ると僕のご主人がいつもの様に罵声を飛ばす。
「一日に二回出場するからと言って体調が理由などと舐めよって、お前を生まれから育てた儂に泥を塗る気か!?」
「ごめんなさい」
観客の人たちとはまた違う高揚している気持ちを抑えきれない僕のご主人は、苛々としつつも鍵をかけてその場を後にした。
先ほどまでの歓声は消え失せて、天井からぽつりぽつりといつまでも振り続ける水の音だけになった。
この空気が一番落ち着く。でも、僕がこの部屋にいると唯一外の景色が見れる鉄格子のついた窓から一羽の鳥が飛んできてくれるのだ。
それが、とても楽しみで、僕の癒しである。
「今日も来てくれたんだね」
僕の友人なんだ。ずっと僕を慰めてくれて、たまには何の種かわからないけどそれでも僕を楽しませてくれる。この前は花を持って来てくれた。
「いつか僕も君の様に外の世界を見れる日が来るかな?」
鳥は返事をしてくれる。でも僕は鳥じゃないからその言葉はわからないけどそれはきっと「うん、きっと出れるよ」なんて言ってくれている様に思えた。
一日に2戦あるのは珍しい。僕の戦いを見てそれで自分の腕試しの為に挑んでくる人たちなんかが主だと思う。
僕の主人が2戦するのはあまり許可しないのだけれど、最近はこの事も多くなってきたと思う。
歓声は前よりも多いと思う。いつもの場所に立ち、化物の口が開くのを待つ。
そしていつもの様に口の中に入り、円状の居場所へと向かう。
今日の相手は騎士か。
全身を鈍色の鎧を纏い、剣と盾を持っている。
朝の相手と違って多少は盛り上がる戦いが出来そうだ。
「さぁ、今日は先週と同じく2度もチャンピオンの戦いを見ることが出来る!さぁ、王座はどちらの手に輝くのだろうか」
もう聞き飽きた声にも多少高揚している気がする。
でも結果はいつもと同じ、僕が圧勝して終わり。
…不思議だ。今日の観客はいつもと違う気がする。人は多いけど歓声の量が少ない気がする。
それに殺気がすごくあるような。
僕を賭けにして人生でも掛けている人が多いのだろうか。
まぁ、僕の世界以外の事はどうでもいいや。
視線を元に戻すと騎士は武器を構えていた。
ちょっとは楽しませてね。
朝、大柄の男がした様に加減して直線を走る。
加減したからと言って遅いわけじゃない。通常の人間なら速いと思えるレベルの速度だ。
僕に武器は無い。この拳だけが武器だ。
あの程度の鎧なら貫通出来る。
拳に力を入れ、殴りかかる。
が、予想通りにその攻撃を盾が防いだ。がぎぃんと音が響く。
僕じゃなかったら拳が壊れている所だよ。
「君の力はその程度じゃないだろう?本気を出してくれてもいいのよ?」
鎧越しに聞こえた声はとても男の声とは思えないくらい甲高い声だった。
それなのに、僕の拳を一歩も引かずに受け止めている。
盛り上がる歓声なんて、もう耳には入っていない。僕は心の中で喜んでいた。
本気を出していいって言われた。この人なら僕の本気を受け止めてくれそうだと。
「僕の本気は人じゃ耐えれないかもよ?」
「私を馬鹿にしてもらっては困る。これでも色々な物は体験しているからな」
鎧越しにふっと笑った気がした。初めてこんな人にあった。僕の実力の10分の1ですら敵う相手がいなかったというのに。それなのに僕は盾を蹴り飛ばして、距離を取った。
「久しぶりにこの力を使うよ」
足の踵から力を象徴とする魔法陣を展開する。
騎士はすぐに僕の力に気づいた様に盾を全面に出して、体を強ばらせる。
次は腕、肘から魔法陣を2つ連結して展開。
足の魔法陣は速度の力。地面を蹴ると同時に騎士の目の前まで距離を詰め、その拳を振り下ろす。
その盾を破壊する事をイメージして作り上げた連結した魔法陣がすぅーと加速する様に腕へとぶつかる。その衝撃を保持したまま、衝撃を盾へとぶつける。
爆発音。先ほどの金属がぶつかる音なんかではなく、それは衝撃と爆音を奏でていた。
地面の砂埃が速度の為か、衝撃の威力かまるで霧の様に舞い上がる。
歓声なんてもう気にしている暇はない。自分の拳の手応えに僕は驚いていた。
「まさか、本当に僕の攻撃を耐えるなんて」
「その攻撃、やっと出会えたよ、ハンニバル」
盾を破壊する程度の力加減を加えたにも関わらず盾どころか騎士すらも全くその場を動いていなかった。嬉しい。嬉しくて仕方ない。
いままでこんな敵は出会った事がない。もっと戦いたい!
「ねぇ、もっと本気を出してもいい?」
「じゃあ、接近戦で頼むわね。少しお話がしたいの」
両腕の肘から魔法陣を展開して、連打。
盾を狙うとかではなく、もう当てる気で。
両腕を混ぜながらも足も使って、猛攻撃。
騎士はその攻撃も盾と剣を使って易々と防いでいく。
「あのね、私達実は貴方をスカウトしに来たの」
「スカウト?」
「そう、貴方のその力に魅入られてね」
喋りながらも攻撃の連打をやめないのに息一つ乱さずに攻撃を防ぐ騎士に僕は更に速度を上げていく。
どこまでこの騎士はついてこられるのだろうか。もっともっともっともっと。
ご主人には止められていたけど、自分の限界まで。
さすがに騎士も耐えられなくなってきたのか、徐々に下がり気味になる。
「貴方、外の世界が見たくはない?」
「え、」
その一言に僕は攻撃を止めてしまっていた。
僕が憧れていた世界にこの人が誘ってくれている。これは鳥が僕の願い事を叶えてくれたの?
「貴方の力はこの場所で終わるだけじゃないはずよ。外の世界はとても楽しくて、きっとおもしろいはず」
「ぼ、僕が外の世界に…?」
僕は主人の方へと視線を向ける。
周りの観客が立ち上がる程、盛り上がる中ご主人もまた喜んでいるようだった。
「あれが貴方のご主人ね、貴方には外に出る権利があるわ。私達と来て」
「……」
僕は一緒に行ってもいいのでしょうか。僕を育ててくれたご主人をおいて、
僕の夢である外の世界へと出てもいいのでしょうか?
でも、この機会を除くももう外の世界にはいけない。そんな気がして、
「うん!」
僕は決心しました。この自分だけの檻を破って外の世界を見たくて。