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倉井はどのくらい暗い?

作者: 西田ハル

 彼女は暗い。妙に暗い。やけに暗い。怖いくらい暗い。

 どのくらい暗いかって言うとハンパないくらい暗い。

 名前も倉井。

 とりあえず、暗い。

 ちなみに、彼女は自分が暗いことを否定しない。

「干渉しない人なら好きです」

 そんなことを言って、いつも自分の世界に潜っている。

 そんな彼女から、珍しく電話が来た。

 それは、大晦日の朝の出来事だった。



「もしもし」

 震えた携帯電話を耳に充て、欠伸をしないように声を発する。一人暮らしだと声を出す機会が少ないから、いざ、って時に口が動かない。

『あ、倉井です』

「いや、いきなり暗いとか言われても」

 受話器の奥からの小さな声。具体的に例えようのない抽象的な声。そんな声の持ち主は一人しかいない。

 珍しいこともあるなと思いながら、電話ごしに茶化す。

『違います、名前です』

 バッチリ反応してくれた彼女に感謝して、久しぶりだなと笑って用件を尋ねた。

「どしたん、いきなり」

『先輩は明日暇ですか?』

「ん? ちょいまった……えっと」

 唐突な誘いに、予定の書かれた手帳を繰る。家族の集まりは明けてから三日後、予定はなかった。

 なのでその旨を伝えると、数秒の間を空けて唾を呑む音。

『初詣行きませんか? 私と』

「別にいいけど、お前って初詣とか行かなさそう」

『私も縁起を担ぎたくなることもありますってば』

 じゃあ、明日の昼前に伺いますという台詞を最後に通話は切れた。時間は一分と少し。

「珍しいこともあるもんだな」

 今一度、思ったことを口にして年越カップ蕎麦を啜った。



 十時。

 俺からしたらまだ朝。倉井からしたら昼前らしい。

「明けましておめでとうございます」

 ボロアパートの建て付け危うい扉を開けて、雪の中やって来た倉井を招き入れる。

 淡いメイクと濡れ羽色の長髪。ファーのついた青いダウンを着ている。

 彼女の髪につく雪が、結構な強さであることを物語っていた。

「雪ん中ごくろーさん、コーヒーでも呑むか?」

 労いの言葉もそこそこに短い廊下を進み、彼女を簡素なリビングに招待する。しかし、いきなりの渋い顔。

「どうした」

「嫌味ですか? 私がコーヒー嫌いなのを知ってての」

「そうだっけ」

 はい、と不機嫌そうにリビングのこたつに早速入る倉井。ダウンは脱ごうとはしない。

 沸いた湯で紅茶を入れて彼女に渡す。すると、嬉しそうに微笑んでありがとうございますと熱い紅茶のカップを受け取った。

「先輩は去年、どんな年でしたか?」

 熱いはずの紅茶をなんの苦もなく口に含む彼女に、すげぇなおいとか思いつつ返答する。

「バイク盗まれる、空き巣に遭う、蜂に刺される、車に轢かれる、んで頭五針縫う、エトセトラ。とまぁ泣きっ面に蜂どころの騒ぎじゃないくらい悲惨な目に遭った。そしてなんかに呪われてるって彼女にフラれた。泣きっ面に死神だ」

 それは……、と呟いて倉井は苦笑い。

「先輩の為に、今年はいいことなくても悪いことがないようにって祈りますね」

「高望みするより堅実そうだな、普通を望むってのは」

 黒いジャケットを着込んで、倉井を見る。

「んじゃ呑み終わったら……ってもう呑んだのか。熱くないのお前」

 既にカラのカップを持つ倉井。驚きのスピードだ。紅茶を渡したのはついさっきだったはずだが。

「案外、平気ですよ。じゃあ行きましょっか」

 玄関でブーツを履く後ろ姿。今更だけど知り合った当初では想像もつかないような姿。

 あの時はメイクもオシャレもせず、残念な醜態を曝していた。昔とのギャップが凄いが、でも彼女らしさは残っている気がする。

 敬語とか、漆黒の髪とか、『暗い』に敏感とか。

「倉井、変わったな。去年なんか転機でも訪れたん?」

 倉井は雪降る外に飛び出して、俺に振り返った。見たことのないような表情。少しの違和感もある。

「誰かさんのお陰です」

「?」

「いいからいいから、行きましょ」

 手を引っ張られ、弱まった粉雪の世界を歩く。近くの名も知らない神社までの道程を話をしながら。

「私の去年は楽しくなかったですよ、先輩みたく悲惨なのよりは全然いいと思いますけど――」

 何故か当たり前のように繋ぐ互いの掌。ずっと前から何度も何回も繋いだことがあるような、そんな感覚と彼女の温もり。

 決して暖かくはない。でも冷たくもない。どちらも感じないということは、きっとお互いの手の温度は近いということ。

 倉井の話を半分聞き流し、神社の境内に進入する。初詣をする人もちらほら見受けられた。

「早く行きましょうよ」

「そうだな」

 急かされて小銭を賽銭箱に投入し、手を合わせる。隣では両手をしっかり合わせて目を閉じている倉井。なんだか変だ。

 たった今、再開した人とは思えないくらい自然体で接している。というか自然体すぎる。

 長く礼をする彼女を置いて、先に少し離れた場所で待機する。

「あれ、先輩?」

 お参りの後、いつの間にか隣にいない俺を捜す倉井を呼ぶ。やって来る彼女の目は不信そうに細まっている。

「置いてくのは酷いです」

「いや、ごめん。長かったから」

 まぁいいです、とぷいと彼方を向き歩き出す倉井。その背中を追い掛ける。

 神社を離れ、しばらく無言のまま彼女について行く。行き先は分からない。

 すると、思考を読んだかのように呟く。

「目的地は私の家です。お節料理準備してありますからご飯は心配しないで大丈夫です」

 揺らぎのない足取りが彼女の言葉の信用性を表している。確証はないけど、違う場所に連れて行かれることはないだろう。

 雪を踏んで、小さな足跡つけて畦道を進行する。田舎の匂いがしてきた頃、倉井は一つのアパートの前で立ち止まりこっちを向いた。

「変なとこ見ないで下さいね、じろじろ部屋の中みたら怒りますから」

「了解」

 釘を刺されて部屋に上がる。下った指示通り真っ直ぐリビングの椅子に座る。テーブルの上にはお節料理が綺麗に整頓されていた。

 遅れて姿を現した倉井は、ピンク色のエプロンを着ている。見たことないのに、見たことあるような錯覚。既視感というやつだろうか。

「み、見ないで下さいって言いましたよね?」

 僅かに頬を染めて、お雑煮を二つ持って来る倉井。言葉は尖っているが、声音は柔らかい。

「あぁごめん」

「謝っても行動に変化がないんですけど」

 ぶしつけな俺の視線も、どこか嬉しそうに受け止める。違和感を全く感じないけど、彼女は変わった。

 昔は『関わらないで』オーラを展開していたのに、今は逆に関わってくる。もしかして俺だけに対する反応だろうか、とか想像してなに考えてんだかと思考を捨てた。

「どうぞ」

「ん、いただきます」

 緊張した面持ちになって、それとなくお雑煮を勧める仕草。恐らくお節料理は出来合えだから、自分で作ったお雑煮を食べて欲しいんだろう。

 挙動が露骨すぎて不審の域に達している。

 例えば、お雑煮にばかり食べたり、おかわりありますよとやけにお雑煮の存在を際立たせたり。

 俺が、お雑煮に手を伸ばす振りをしてお茶を取ると、思いっ切りうなだれたり。仕舞いには悲鳴を上げたり。

「おおお、お雑煮食べて下さい」

 ついに指名した。まぁ顔を真っ赤して可愛らしいので、それに免じて素直に従う。

「旨いじゃん。お前って料理得意?」

 こくこく、と人間メトロノームの倉井。やたらと顔が緩んでいる。

 なので、ちょっと遊ぶ。

 好きな人をからかいたくなるというのはこういうことだろうか。いや、そうすると俺は倉井が好きってことになる。

 まぁ別に好きでいっか。

「あぁ、料理上手い人が彼女だったらな」

 ぴくりと全身を微細に震わせる倉井。

「後、年下で」

 びくりと肩を震わす倉井。

「黒髪で」

 ぐっと拳に力を込める倉井。

「可愛い娘」

 くたっと顔を突っ伏した倉井。

「おい待て待て待て」

「へ?」

 思わず倉井の肩を叩く。頭を上げた彼女の表情は何事かと疑問符を浮かべている。

「なんで可愛いで潰れるんだよ」

 俺の問いに涙目の倉井は答える。変に罪悪感を覚える。

「だって……私可愛いくないですもん」

 どうやら倉井は気付いてないらしい。彼女が思う以上に彼女は可愛いということに。

「付き合ったことないから付き合ってみたいです。私可愛いくないから無理ですよね」と神社に向かう間に零したが、可愛くないというのは恐らく間違いだ。

 倉井は可愛くないんじゃなく、誰も可愛いということに気付いてないだけだろう。まぁ、近寄んなオーラ全開の奴に近寄る奇特な奴は俺くらいだった訳で。

「お前は可愛いよ、付き合って欲しいくらい」

「うあ……えと」

 俺の唐突すぎる告白に唖然と言葉を詰まらせ、あたふた掌をひらひらさせる倉井。そんな仕草が異様な程可愛い。

「そ、そんないきなり言われても……私が料理で落としてから告白する作戦をしてる真っ最中だったのに」

「あながち、俺と付き合えますようにとか祈ってたんだろ」

「ひゃふ……な、なななん、で」

 あわあわ視線を泳がせて、これ以上赤くならなそうだった顔を更に赤くさせた。

 そんな真っ赤で熱を放出する頬に右手を充てる。

「なんとなく、な。しかし、お前から電話なかったら俺は今年を棒に振ってたんだろうな」

「あわわわわわわわわわわわ」

 慌てて椅子ごと壁に逃げる倉井。俺はそれを笑って、テーブルを迂回して彼女を捕まえる。

「返事待ちですが」

 今度は両手で彼女の熱い頬を挟んで尋ねると、目を回し気味にかくかく頷いた。了承と判断してもいいだろう。どうにしろ、彼女もそのつもりだったろうし。

「あははっ、なんだよ、湯でダコかよお前は」

 ぷにぷにと弾力ある頬を弄んで、その頬の赤さに思わず吹いてしまう。赤くなるのにも限界がありそうなもんだが。

 彼女を解放して、俺は床に座る。

「びっくりした……びっくりしましたよ先輩!! 酷いです酷すぎます」

 真っ赤な顔で抗議する倉井を見上げて、こんな可愛い顔出来るんだなと思う。それにしても、これからこれを一人占め出来ると考えると、まぁテンションが上がる。誰も見たことない表情を全部一人で見れる訳だ。しかも恋愛経験に乏しいから、ちょっとした台詞で真っ赤に染まる。これでテンションが上がらない奴はおかしい。

「可愛いな、お前」

「お、お世辞はいいです」

 羞恥心がピークに達したのか椅子から降りて目を逸らす倉井。どの行動も可愛すぎる。

「あのもう、か、可愛いとか頬に触れるの止めて下さい。絶対しないで下さい」

 無愛想にそっぽを向いて口を結ぶ。しかし、あっさり緩む口元。

「んんっ」

 咳ばらいをして、後ろを向く。しかし、肩が震えていた。

 そして、ヒステリックに叫ぶ。

「うああああああああ!! もうダメ人間だ私、もうダメダメダメ!! 先輩は口三味線が上手いだけ本心なんて一切ない一切ない。…………あああああああああ」

 一通り忙しそうに頭を抱えた倉井がぐりんと振り返る。顔は真っ赤なまんま。

「先輩……」

「ん?」

 倉井は真っ赤な顔で、でもしっかり目を合わせて言った。



「責任、取って下さい。じゃないと怒りますから」

なんかこんな話ばっかりです。


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