第27話 秋の日の夜
夏休みも終わり、中学校は二学期になった。
「はい、宿題を提出するぞ。」
逞真の言葉に教室中は溜息に埋もれた。
「ヤバ、終わってネ・・・」
「俺も・・・・」
「大丈夫、アタシもだから☆」
どれだけ小声でもそのような声は逞真にはお見通しだった。
「紘一郎と賢吾・・・それから芽依子。今日の放課後居残りだからな。」
「「「え゛、何で!?」」」
「宿題を全て終わらせろ。」
三人は同時に溜息を吐いた。
「流石駿T・・・」
「駿Tに聞こえないもんはないね・・・」
「それを知りながらやった俺たちが悪かったみたい。」
逞真は頷いた。
「他にやり忘れたやつはいないか?」
生徒たちはブンブンと首を振った。
*************
9月上旬・・・・
萌は新しいピアノの楽譜を買うために、近くの本屋に来ていた。
まだ日が強くて暖かかったが、夕日が綺麗で、まだ青々とした木葉が夕日色に染まっていた。
本屋に入って萌は足を止めた。何故なら、入ってすぐ近くにある参考書売場のほうで彼が何やら考え事をしているような顔で本を眺めていたからだ。
萌は微笑んでその人に近づいた。そちらはまだ気づいていない様子。Yシャツの膨らんだ部分を掴むまで多分本だけに夢中だったのだろう。掴んだ瞬間に反応して振り向いた。
「なんだ、誰かと思ったぞ。」
「駿君、全く気付いてくれないんだもの。」
「そうか。それは済まないことをした。」
萌は逞真の持つ本を覗きこんだ。
「結構悩んでいるみたいね。ここ、シワ寄ってた。」
逞真の眉間を触る萌。逞真は苦笑した。
「この頃2年生の学力が低下しているんだ。数学に限ってなのかは知らないが・・・・。学校祭前ということもあるのかも知れないが、もしかすると私の教え方が悪いということもある。」
「だから数学の参考書を?」
「あぁ。鉄則は知っておかなければならないし、休み明けの学力テストで出てきた部分についてどう書いてあるのかも調べなければならないし、中間テストではどう問題を作るかも考えなければならないし・・・」
「駿君、またシワ寄ってる。」
逞真はまた苦笑した。
「最近癖になってしまったのかもしれない。」
「よくないよ、そんな癖。」
「そうだな、生徒にも言われたよ。”駿Tが笑ったところ見たことない。そんなしかめっ面で疲れないんですかー?”と。」
「確かに言われてみれば全然笑わないよね。」
「面目ない。努力してみるよ・・・。」
「うん、それがいいよ。」
「ところで、萌は何をしにここに来たんだ?」
「あっ!そう言えば楽譜買うんだった。行かなきゃ。」
萌が行こうとすると逞真は止めた。
「今日も寄っていくだろう?」
「うん、そうさせてもらうつもり。」
「だったら待ってるよ。」
「うん、ありがとう!」
萌が楽譜を買って、逞真の車に乗り込み、家に着くと聖奈の姿はなかった。
「聖奈ちゃんは?」
「友人の家に泊まり込みで勉強だそうだ。明日の朝に戻るらしい。」
「そう。」
「まぁ、休んで行けよ。」
逞真はアイスティーを萌の前に置いた。
「ありがとう。」
「・・・思えばもう秋だな。」
夕日が沈む寸前の光を眩しそうに眺める逞真。
「早いものだ。こうして時は過ぎていく。萌と再会したのもまだ春だったのにいつの間にか秋になった。」
「駿君と過ごした中学時代の1年間も、あっという間だったよね。」
「あの時はまた別の早さだったけどな。非日常だったものだから。」
二人は笑った。
「ねぇ、駿君。」
「なんだ。」
「いま、ふと思ったんだけど・・・・よく、約束守り抜いたよね。」
「どういう意味だ?」
「好きな人も多分あの後できたと思う。なのに大人になった今、付き合ってもいなくてこうして再会してるじゃない?」
「・・・そうだな。でもあの頃は、約束を守るんだっていう気持ちが大きかったんだろうよ。私はそうだった。だから、恋人を作らなかったのかもしれない。萌はどうだ?」
「私もそうだよ、多分。駿君と逢うのを、待ってたんだと思う。」
「だから、互いの夢も叶えられた。」
萌は頷いた。
「気の遠くなるような約束だったけど、叶えられてよかったね。」
優しい微笑みに逞真は見惚れた。その時、夕日が沈みきって辺りが暗くなった。互いの顔が見えなくなったのをきっかけに逞真は萌との距離を縮めた。
「___萌」
そして、軽く萌の唇にキスをする。萌のほうの椅子に腰かけ細い体を抱きしめた。
「急にどうしたの?暗いね、電気点けようよ。」
「動かないでくれ。」
「えっ・・・?」
「どうかこのままで・・・いさせてくれないか?」
「駿・・・君・・・?」
逞真は萌を抱き締めながら呟いた。
「逢うために今までやってきたんだ。俺も・・・・約束を果たさなければな・・・・。」
*************_______
「兄ちゃん、朝なんだけどー。おっはよぉー!」
ドアの向こうの妹の声に逞真は目を覚ました。
「・・・ん゛っ・・・・」
ベッドの上で体をよじると、なんだかいつもよりさらさらした感覚があった。妙に思い体を起こしてみると、その姿に驚きのあまり沈黙した。
逞真は上半身裸で、下にはいているズボンも帰宅してそのままで、そのチャックが開いているという、正しくみだらな姿をしていたのだ。
「なっ、何故だ・・・?」
逞真が考え込んでいるうちに、またドアの向こうからノックが聞こえた。
「兄ちゃん、起きてる?開けちゃうよー。」
逞真は慌てて声を荒げた。
「まっ、待て聖奈!起きているから、大丈夫だから。も、もういいよ・・・」
「・・・?はーい。」
恐らくいつもとは違う狼狽した兄の声に多少不思議がっただろうが、聖奈は素直にドアノブから手を放した。
聖奈が遠ざかったのを確認して、逞真はもう一度自分の姿を見た。
「それにしてもどうしてこんな格好をして眠ってしまったんだ?」
昨夜については全く覚えていない逞真。不意に棚にある時計を見た。そして勢いよく時計を掴んだ。
「・・・あ゛!?嘘だろ!?」
時計は7時30分を指していた。勿論逞真が学校に出勤している時刻だ。
逞真は素早く着替え部屋を飛び出した。慌てる彼の先にはのんびりと朝食を食べている聖奈がいる。
「おはよ。」
「おはよう、すまん起こしてくれたんだな。」
「うんー、兄ちゃんが寝坊なんて珍しいね。」
「あぁ・・・」
生返事を返して洗面所に入り、1分もしないで出てきた。
「寝癖なおすの早っ!!」
逞真はテーブルに置いてある麦茶を飲みほし、リビングを出ていった。
「麦茶、私のだったんだけど・・・あっ!」
聖奈は逞真を追いかけた。
「兄ちゃん!」
「なに。」
逞真は靴を履いている最中だ。そんな中、聖奈は兄に顔を近づかせくんくん嗅いだ。
「どうかした?」
「なんかいいにおいがする。」
「は?なにも着けていないのだが。」
「でも、これどっかで嗅いだことある匂いだよ。どこで嗅いだんだっけ・・・」
「?まあいいか。そういやお前、いつも戻ってきた?」
「6時くらい。いつもなら兄ちゃん起きてる時間なのにびっくりした。起きてくるかと思ったら起きないんだもん。」
「そうか。では、俺はもう行くからな。」
「兄ちゃん。」
「ん」
「行ってらっしゃいっ」
逞真はやっと聖奈に振り返った。
「行ってきます。」
学校につき、職員室に着いてからも逞真は考えていた。
(本当に昨日のことは覚えていない。萌が来て抱き締めたところまでは覚えているのだが・・・そのあといつ萌が帰ったのかすらわからない。まさか、酒に酔ったとか?それで二日酔いをしない自分を褒めたいが・・・。でもなぜ裸になったのだろうか?聖奈がしたわけないよな。兄が無防備の間に服を脱がした次の日にあんな無邪気な笑顔を見せるほどあいつは演技できない。それなら・・・・まさか、な。俺に限ってそんなことは____)
「駿っちー」
その時伊東先生に声を掛けられた。
「は、はい?」
「今日の教員バレーボール大会、出席してくれない?一人足りないんだよね。」
「あ、あぁ・・・いいですよ。」
「じゃ、よろしく♪ん?」
「どうしました?」
「駿っち、今日いい匂いだね。」
「それ、今朝妹にも言われました。そんなにします?」
「うんうん。服の中からプンプンするよ。」
「それって、肌がいい香りってこと?」
「そうだね。シャワーでも浴びた?」
「いえ、今日は特に。」
「そっか。とにかく頼むねー」
伊藤先生がいなくなり、逞真は一息ついた。
(あんなことに気を取られているわけにはいかないな。集中しなくては。)
そして、職員会議が終わり、教室に入る。
「おはよう。」
「おっはよーございます!」
「相変わらず朝から元気なメンズだな。」
「・・・先生、いい匂いがします。」
「あ、ホントだ。」
逞真は呆れた顔をした。
「それについては家の奴にも言われたし、伊東先生にも言われたぞ。」
「女の人の香水の匂いですよ?」
「先生、そんな香水着けてるんすかぁ?」
「いや、別になにも・・・今日は急いでいたし着け忘れた」
「あと先生、首に・・・」
「首?」
その時朝読書のチャイムが鳴った。
逞真は最後に生徒が呟いた発言が気になり、朝の会終了後、職員室の洗面台で首元を確認してみた。
「・・・・あれ?」
確かに首筋の一部が少し赤くなっている。痣と言うよりもそれはまるで・・・・。
逞真は急に悟ると首を押さえ、保健室に向かった。
「あら、駿河先生。どうしましたか?」
「冷却シートを一枚いただけませんか。貼っておきたい箇所があって・・・。」
「そうですか。どこです?私が貼りましょう。」
「だ、大丈夫です。自分でやれますから。失礼しますね。」
逞真はそのシートをもらうと風の様に保健室を去った。
職員トイレの鏡で小さく切った冷却シートを貼りながら、溜息を漏らした。
(こんな部分が腫れていたら、生徒でも察する奴は察するからな・・・まだ数人にしか見られずに済んだが。でもなぜここなんだ・・・・?香りといい、首の痣といい、昨夜一体なにがあったんだか。)
その日の夜、逞真は喫茶店で萌と逢っていた。
「今日は流石に参ったよ。朝来た途端に皆からいい香りがすると言われて。生徒に聞くと女の香水のような香りだとよ。意味が解らない。」
萌はフフッと笑った。
「それ、きっと私の香水の香りよ。」
逞真は自分の匂いを嗅いだ。
「・・・確かに・・・」
萌は頬を赤くして、囁いた。
「・・・昨日の夜は楽しかったわ。」
「・・・は?」
何が何だかわからないような顔をする逞真に萌は首を傾げた。
「まさか、昨日のこと覚えていないの?あ、そっか。お酒飲んでたもんね。仕方ないか。」
「待て・・。私は何かしたのか?その夜、萌に。」
萌は再び顔を赤くして、周囲を見た。
「ここじゃ、言えないことよ。駿君も少しは察してよ。」
逞真は沈黙して、そして考えた。
「・・・・なっ・・・まさか、あれか・・・!?」
近づいて萌に耳打ちする。
「・・・そうよ。本当に覚えてないみたいね。」
「真面目にか・・・・。その時の私はどうかしてなかったか?」
「いいえ。私に誓ってくれたわよ。約束を守るって。つまり運命を誓うってことよね?」
「・・・おそらく。」
「駄目だ。今の駿君に言ってもどうしようもないみたい。」
逞真は頭を抱えた。
「まさか・・・萌を襲うとは・・・。だから今日、首筋に___」
「キスマークついてた!?ごめんなさい、強く吸い過ぎちゃった。」
「それはいいんだが・・・萌、大丈夫だったか?」
「ええ。逆に良かったわ。駿君、優しかったから。駿君となら、またしてもいいかなっ♪」
「馬鹿。何言ってるんだよ・・・・」
「冗談じゃない。」
萌は微笑んでいたけれど、逞真はショックのあまり何も言えなかった。
「それで、今の駿君はどうなの?運命を誓ってくれる?」
「・・・・・」
「・・・無理にとは言わないわ。昨日の駿君はきっと思うところを忘れてたのよね。」
「済まないな・・・。」
萌と逞真は気まずい気持ちのまま別れた。
逞真は家に戻ってからも部屋で考え込んでいた。
(何故・・・あの時の俺は萌としようと考えてしまったんだ・・・?俺は教師だぞ。どんな誤解を引き起こすか知れたものじゃないのにな・・・。)
逞真の表情はまた大人びたものが重なっていた・・・・______
萌と先生の関係がどんどん深まっちゃいます・・・!
次回もよろしくお願いします☆