広告や宣伝がネガティブな効果を生み出す時代が来るはず
もしかしたらすでにその時代は到来しているかもしれない。外出すると至る所で広告が目に入り気が滅入ってしまう。特に電車の中など最悪だ。まさに四面楚歌といった様相である。満員電車でぎゅうぎゅう詰めになっている圧迫感よりよほど不快感がある。よくぞみんな我慢できるものだと思うのだが、広告から目をそらすためにスマホの液晶と睨めっこしているのだろうか。しかし、ネットを閲覧していても広告が勝手に割り込んでくるのだから、メールや保存した画像くらいしか有効な逃げ道はない気がする。紙の本を読んだり、瞑想に耽ったりすることで回避することも出来るが、夢中になりすぎると下車駅を通過する恐れがあるので要注意である。なぜそんなリスクを背負わなければならないのかという怒りが芽生えること請け合いだ。
外出をせず家に引き篭もっても、広告はどこまでも侵入してくる。テレビや雑誌、チラシは物理的に遮断可能だが、ネット広告は何かのサイトを利用している時などに強制的に割り込んでくるのだからタチが悪い。ネットは全く利用しない生活をすれば良いのだが、現代社会でそれはほぼ不可能と思われる(まれに実践している人間もいるが)。遮断が比較的容易な旧来の広告と違い、ネット広告は短い場合で数秒ではあるが確実に目に入る。決められた再生数が経過しないと飛ばすことができないからだ。自分の時間の中で、望んでもいないものをほぼ強制的に見せられているわけで、これがいかに人間性を無視した蛮行であるかを今一度見つめ直して欲しい。これを当然のこととして受け入れるような社会は根っこのところがおかしくなっているように思える。
広告や宣伝という仕組みはかなり昔から存在し、俗にいう「オールドメディア」の最たるものだと思うのだが、ネットが広く普及したことでより凶悪な進化を遂げた形になっている。ネットというニューウェーブの登場が、オールドな存在の権威をより強くしているのは皮肉な話である。ネットメディアやSNSをオールドメディアへのカウンターとして崇め奉っている人ほど、その実、広告の拡散に大きな貢献を果たしていると言えるのではないだろうか。個人のサイトやSNSの投稿において、ベタベタとみっともなく通販サイト等のリンクを貼って利益を得ようとする浅ましい人間は数知れずだ。人間としての尊厳が失墜するばかりだから辞めることを推奨したい。
なぜ広告や宣伝といった行為がこれほど隆盛を誇っているだろうか。品物の購入者なり、有料サービスの利用者なりにアンケートを取ったとしても、聞かれた方が正直に答える保証はない上に、そもそも人間の行動の決定要因は大体複合的であるから、広告や宣伝の効果を確かな数値で表すことはできないと思うのだがどうだろうか。
はっきりとした関係が分かっていないのに、これまで広告を多く行った商品やサービスほど売り上げが大きいというジンクスのようなものから慣例的に広告を打ち続けている可能性もゼロではないし、もしくは、広告に効果があると人々に思わせることで利益を得ている個人や企業の思惑といったものがあるのかも知れない。いずれにせよ、広告にかかるコストとそのリターンが釣り合っているとは思えない。
JR在来線のグリーン車を利用することがたまにあるのだが、とても快適な移動時間を過ごしている。席がゆったりとしているということもあるが、何よりもグリーン車には広告がないことが個人的には大きい(広告の流れているグリーン車も存在するかも知れないが、自分の使っている範囲での話だ)。鉄道会社の収入源として広告料がある以上、車内に宙吊り広告や貼り付け広告があるのはどうしようもないが、グリーン車を利用する場合は追加料金を払っているため、それと引き換えに広告を見ることを免除されているとも捉えることも出来る。
同じような現象はネットでも起きており、各種サイトを無料で利用する場合は一定の間隔で広告が割り込んでくるが、有料会員となれば広告の割り込みがなくなるか、頻度が下がることになる場合が多い。有料会員への誘い文句に「広告なしでサイト利用可能」といった趣旨のものが多いことからも、送り手側も広告が煩わしい存在であるという認識を持っているように思える。
大仰な言い方をすれば、利用者は広告・宣伝という刃物を喉元に突きつけられ、追加で料金を払うように脅しをかけられているようなものだ。送り手側が優勢な立場にいるうちはその脅しにも一定の効果があるだろうが、移り変わりの激しい世相のなかで送り手と受けての力関係に変化が生じるのは当然に予想されることだ。広告を見ることは強要するようなサイトやサービスは利用しない、広告を打つような企業の商品は購入しないという意識が大きく広まる可能性もある。広告に便乗して小銭を稼ごうというさもしい根性の人間がいる限り、今のようなスタイルにも存続の芽があるだろうけど、社会全体が貧しくなり下に流れるお金が減っていけば、そういった人間も掌を返すはずだ。
広告を発信する側も、受け取る側も今一度私たちが置かれている状況に目を向けた方が賢明ではないだろうか。多少なりとも余裕があった時代には見逃されてきたことも、今後も同じように扱われるとは限らない。貧しい時代を生きることを受け入れざるを得ない世代は、大した効果もあげない仕組みやそれを盲目的に支えようとする人間を信用しないはずだ。終わり




