訪問
ようやくの朝食が済んだ後。
今日は大切な日だから、
とイザイに言われて、
カグヤは和服の中でも特に
綺麗に仕上がっている服に着替えた。
朝のお風呂の後には
綺麗な紅色の和服を着ていたのだが、
どうやらそれでは足りないらしい。
わざわざ着替えるのは手間だったが、
今日は大切な日だから、
とイザイがしつこく言うので、
仕方なく部屋に戻って着替えた。
カグヤの長い銀髪を活かせるように、
黒を基調とした生地を
濃い青の帯で締めて、
唇にそっと紅を差す。
そして、桜色のかんざしで
上品に髪をまとめたら、
本日二人目の月の姫の完成である。
「カグヤちゃんっ、今日も綺麗よ!」
どうやら今日のお見合いの相手は
相当な家の出身であるようだが、
カグヤはあまり期待せずに
どのような男が来るのか考えていた。
今まで来た男達は皆、
素晴らしい男であったが
カグヤの心を動かせなかった。
イザイはいつも以上に
気合いが入っているようだが、
おそろく今回もカグヤの
心を動かすには至らないだろうと、
カグヤは半分憂鬱な気分だった。
「カグヤ、準備はできたか。」
なんと、今日はオーゼも一緒のようだ。
普段はお見合いの場には
ほとんど顔を出さず、
イザイに任せているオーゼが
貴族らしい白の礼服を身にまとい、
カグヤのことを待ち構えていた。
そういえば、イザイもイザイで
貴族夫人に相応しいように
いつも以上におめかししていた。
それなりの家の人間が来ると
ある程度は予想していたが、
これはもしかすると、
今日お見合いにやって来るのは
王族の血を持つ人間なのかもしれない。
だが、たとえどんな家の産まれだろうと、
カグヤが気に入らなければ
選択肢は一つしかない。
王族だろうと何だろうと、
カグヤは自分の夫に求めるものを
変えるつもりはないのだから。
「うん。いいよ。」
「よし。ならば行こう。
もうすでに部屋にお越し頂いているんだ。」
今朝はスズメのこともあって
かなり遅れてしまったので、
お見合い相手には
それなりに待たせてしまっただろう。
この件に関してはカグヤは何も悪くないので、
何か文句を言われたらその瞬間に
帰ってもらうことにしよう。
どこの誰だか分からないが、
悪く思わないで欲しい。
そして向かったのは、
いつもお見合い会場として使っている
質素な部屋ではなく、
客人をもてなすための客室だった。
「失礼致します。」
コンコンとノックしてから、
オーゼがゆっくりと扉を開ける。
太陽の光が差し込む部屋には、
向かい合うように並べられた長イスと
木の匂いがするテーブルしかない。
そして、扉側から見て手前のイスに
腰かけて待っていたのは、
雪のように白い髪の男だった。
「随分と遅かったではないか。
この私を待たせるとは、
たった数年でいい度胸を持つようになったな。」
威圧感のある重い声。
男はゆったりと立ち上がり、
振り返ってカグヤ達の方を見た。
その男の顔を見た瞬間、
カグヤは思わず「げっ。」と
声を漏らしてしまった。
王族に近い血筋の人間が来ることは
ある程度察していたつもりだが、
まさか王様本人がこんな所まで
来るとは思ってもみなかったのだ。
「申し訳ございません。
ご存知の通り、私共の娘達は少々
扱いづらい性格をしていますので、
予定通りに進むことの方が稀なのです。」
「お前も苦労するな。」
招かれていたのは、
このタトリケ王国の現国王であり、
カグヤとはそれなりに深い関係にある
エンド・トード・タトリケだった。
エンドとカグヤは名降りの儀以来、
バーンブ家の地位が低いこともあって
直接顔を合わせる機会がなかったが、
カグヤが血狩りを壊滅させた事件で
剣姫の二つ名や屋敷や地位を
褒美として与えてからというもの、
貴族達が参加するパーティーなどで
王族に嫁入りしないかと
しつこく勧誘しているのである。
その度にカグヤは断っているのだが、
どうやらとうとう痺れを切らして
直接乗り込んできたらしい。
こうして直接バーンブ家の屋敷に来ることは
今回が初めてのことで、
カグヤは面食らってしまった。
しかも護衛役の一人さえ
エンドは連れていないので、
彼に何かあってはバーンブ家が
滅ぶかもしれないと
カグヤは気が気でなかった。
「エンド王。わざわざお越しになるとは、
今宵はどのような御用でしょうか。」
カグヤはエンドの反対側のイスに
腰を落ち着かせると、
余談も何もなしにいきなり
本題をぶつけていった。
カグヤとて建前の大切さや
身分の違いは理解している。
だが、カグヤとエンドの間で
気を遣うようなことはなくなっていた。
こうした場での彼は王ではなく、
互いに一人の人間として振る舞っている。
王としての権限も何もなく、
だから彼は部屋の上座ではなく
下座に座って待っていたのだ。
これが縁談のための話なら
有無を言わさずに帰すし、
ただの暇潰しにきたのなら
これも有無を言わさずに帰す。
何か他に特別な理由がない限り、
カグヤはエンドを追い出すつもりだった。
彼もそれを理解した上で、
カグヤと向かい合うようにもう一度座る。
オーゼとイザイがカグヤを挟むように座り、
使用人がお茶を持ってくるのを待ってから、
エンドは懐から紙を取り出して
それをそっとテーブルに置いた。
「カグヤ・バーンブよ。先に言っておくが、
これは婚姻のための紙でも、
何かの契約の紙でもない。
ただの議事録のような物だ。」
もしそれが婚姻届だったとしたら、
カグヤはすぐにでも破り捨てていた。
しかし、茶化すようなこともなく、
エンドは丁寧に説明してくれる。