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第10章

 夕日が王都郊外の訓練場を赤く染めている。


 ここは冒険者たちが技術を磨くための公共の訓練場で、城壁の外の広い空き地に作られていた。

 地面は踏み固められた土で、所々に木製のダミー人形や的が設置されている。


 俺は汗をかきながら、アルフレッドから借りた木製の練習用剣を構えていた。


「もう少し腰を落として……そう、それでいい」


 アルフレッドが俺の後ろに立って、剣の構えを指導してくれている。

 彼は今日は軽装で、白いシャツに茶色い革のベストを着ていた。

 袖をまくり上げた腕からは、長年の鍛錬で鍛え上げられた筋肉がよく分かる。


「こうか?」


 俺は言われた通りに腰を落とし、剣を両手でしっかりと握った。

 木製とはいえ、剣は思ったより重い。

 手のひらには既に豆ができそうになっていた。


「そうだ、上達してるよ。魔法だけじゃなく、近接戦闘もできるようになったほうがいい」


 確かにその通りだった。

 先日のオークとの戦闘でも、咄嗟の判断で魔法を放ったが、あれは偶然うまくいっただけかもしれない。


「基本の突きをやってみろ」


 アルフレッドの指示で、俺は前方のダミー人形に向かって剣を突き出した。


「もっと腰を入れて! 剣先がブレてるぞ!」


 何度も同じ動作を繰り返していると、全身に汗が吹き出してきた。


「よし、今日はここまでにしよう」


 アルフレッドが練習の終了を告げると、俺は剣を下ろした。

 シャツは汗でびっしょりになっている。

 訓練場の端にある木陰で、二人は草の上に座り込んだ。


 アルフレッドが水筒から水を飲み、俺にも渡してくれる。

 冷たい水が喉を潤し、生き返ったような気分になった。


「アルフレッドはどうして冒険者になったんだ?」


 休憩中の何気ない会話として、俺は彼に聞いてみた。

 アルフレッドは空を見上げる。

 夕日に照らされた彼の横顔は、いつもの明るい表情とは少し違って見える。

 どこか寂しげで、物思いに耽っているような表情だった。


「実は貴族の三男でさ」

「え、貴族?」


 俺は驚いた。アルフレッドが貴族出身だなんて、全く想像していなかった。

 確かに立ち振る舞いには品があったが、それよりも庶民的な親しみやすさの方が印象的だったからだ。


「ヴァンダイン家って聞いたことあるか?」

「いや……」

「まあ、そんなに有名な家じゃないからな。でも一応、男爵家なんだ」


 男爵。貴族の階級としては一番下だが、それでも俺のような平民から見れば雲の上の存在だ。


「家督は長男の兄貴が継ぐし、次男の兄貴は宮廷騎士として王宮で働いてる。優秀な兄貴たちと比べて、俺はどうにも……」


 アルフレッドの声に、わずかな苦渋が混じった。


「でも強いじゃないか」


 俺は素直に思ったことを言った。

 アルフレッドの剣の腕前は確かなものだし、人格的にも立派だと思う。


「強さだけじゃダメなんだよ。貴族として必要なのは、政治的な駆け引きとか、社交術とか、領地経営の知識とか……そういうのが俺は苦手でさ」


 彼の表情が曇る。


「パーティーとかで、みんなが腹の探り合いをしてるのを見てると、息が詰まりそうになるんだ。本音で話してくれる人なんて一人もいない」

「それで家を出たのか」

「ああ。親父には散々怒られたけどな。『貴族の責任を放棄するのか』って」


 俺は意外だった。アルフレッドにもコンプレックスがあるなんて。

 いつも明るくて、自信に満ちているように見えていたのに。


「蒼真はどうなんだ?」


 今度はアルフレッドが俺に聞いてきた。

 俺の表情が曇る。


 話すべきか迷った。

 現実世界での俺の惨めな境遇を、彼に知られたくない気持ちもあった。

 せっかく築いた関係が壊れてしまうかもしれない。


 しかし、アルフレッドは自分の弱さを正直に話してくれた。

 だったら俺も——。


「俺は……いじめられていた」


 声が小さくなる。


「学校で毎日、同級生たちに馬鹿にされて、殴られて……」


 アルフレッドの表情が真剣になった。

 いつもの軽やかな雰囲気が消え、じっと俺の言葉に耳を傾けている。


「父親にも殴られてた。母親が死んでから、父親は酒浸りになって……八つ当たりで俺を殴るんだ」


 思い出すだけで胸が苦しくなる。

 あの頃の記憶は、今でも鮮明に残っている。


「みんなから嫌われて、居場所がなくて……死のうと思ってた」

「つらかったんだな」


 アルフレッドが静かに言った。

 その声には、深い理解と同情が込められていた。


「でも今は違う」


 彼が俺の肩に手を置く。

 その手は温かくて、力強い。


「俺たちがいる」

「ああ……」


 俺の声が震える。

 胸の奥が熱くなって、また涙が出そうになった。


「蒼真、俺にとってお前は初めての親友なんだ」

「親友……」


 その言葉が、俺の心に深く響いた。

 親友。そんな言葉を誰かから向けられるなんて、夢にも思わなかった。


 アルフレッドが力強く頷く。


「貴族社会にいた時は、みんな利害関係でしか付き合ってくれなかった。俺の家の地位とか、将来的な利益とか、そういうものを目当てに近づいてくる奴ばかりだった」


 アルフレッドの瞳に、わずかな寂しさが宿る。


「でもお前は違う。俺のことを、アルフレッドという一人の人間として見てくれる」


 俺の胸が熱くなる。


「俺も……アルフレッドが初めての友達だ」


 本当にそうだった。

 現実世界では、友達なんて一人もいなかった。

 話しかけてくれる人もいなければ、俺の方から話しかける勇気もなかった。


「本当の友達って、こういうものなんだな」


 俺は呟いた。

 利害関係もない。見返りも求めない。

 ただ純粋に、相手のことを大切に思う。

 そして自分のことも大切に思ってもらえる。


「そうだ。これが本当の友情だ」


 二人は立ち上がって、向かい合った。

 アルフレッドが拳を前に出す。

 俺もそれに合わせて、拳を突き出した。


 二つの拳がぶつかり合う。

 男同士の約束。


「何があっても俺たちは仲間だ」

「ああ!」


 俺は力強く頷いた。


 夕日が二人の友情を祝福するように、オレンジ色の光を投げかけている。

 訓練場には俺たち以外誰もいなくて、風が草を揺らす音だけが聞こえていた。


 俺たちは肩を並べて、王都への帰路についた。

 空には一番星が輝き始めている。

 夜風が心地よく頬を撫でて、一日の疲れを癒してくれた。


「明日はエリーナとルナと一緒に、薬草採取の依頼だったな」

「ああ。楽しみだ」

「俺たち四人なら、どんな依頼でも成功させられそうだな」

「そうだな」


 俺は心の底から同意した。

 仲間がいる。親友がいる。

 こんなにも心強いことはない。


 現実世界では一人ぼっちだった俺が、今では三人もの大切な人たちに囲まれている。

 この幸せを、絶対に失いたくない。


「アルフレッド」

「ん?」

「ありがとう」

「何がだよ」

「友達になってくれて」


 アルフレッドが俺の背中を軽く叩いた。


「こっちこそだ、相棒」


 王都の灯りが見えてきた。宿屋では、エリーナとルナが俺たちの帰りを待っているのだろう。


 今日という日は、俺にとってかけがえのない一日になった。


 親友という、人生で最も大切な宝物を得た日として。

 

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