第三章 白石くんとわたしの肝試し
こんにちは。「中2の夏に、白石くんが神様になった」を読んでいただきありがとうございます。
舞台は、2026年の大阪・羽曳野。自由研究に熱中する中学生たちが、応神天皇陵の石室である〈存在〉と出会い、世界の成り立ちを垣間見ていきます。
もしよければ、青春の謎と発見の旅を一緒に楽しんでください。
§3 白石くんとわたしの肝試し
(1)
7月30日。快晴。
わたしは、自宅マンションの窓から見える青空をぼんやり見上げていた。
暑いよー、まだ朝の8時だけど、すでに空気はムッとするくらい。皇學館大学でのことが、ずっと頭の中をぐるぐるしてて、なんだか現実に戻ってこられない。石室のこと、あのサイトのこと、そしてあの「階層2」にあった年表。
(……あれ、夢じゃなかったよね)
あれがなんだか知りたい! 強烈な好奇心がわたしを駆り立てるけど、現実のわたしには夏休みの宿題が容赦なくのしかかってくるわけで……。
しぶしぶリュックに資料を放り込んで、図書館へ向かうことにした。今日も麦わら帽子。ワンピースは昨日とちがって水色の、ひざ上丈のミニワンピ。
駅前の図書館は、夏休みのせいか、わりと混んでいた。小さい子を連れた親子たちも多くて、にぎやか。
わたしはまだ、自由研究の課題を決めていないけど、「日本の歴史」「古代史」「考古学」って書かれた棚に、いつのまにか足が向いちゃう。
もっと無難な、自由研究向きのテーマを探さなきゃと思っているのに、気づいたら『前方後円墳の謎』とか『世界の古代文明』みたいなタイトルの本を手に取ってる。
(……ダメダメ! 完全にひっぱられてる)
そのとき、ふと視線の先に、見覚えのある横顔があった。
「白石くん?」
彼がこちらを向いて、ちょっとだけ驚いた顔をした。そうして、ふわっと笑う。
「……あれ、日向さん?」
——そういえば、まだみんなに、わたしの名前言ってなかったよね。
わたしの名前は、日向・D・結(HINATA・D・Yui)。パパがアメリカ人で、クリスチャンだからミドルネームが入ってるんだけど、学校には日向 結としか届けていないので、クラスメイトはミドルネームのことは知らない。
っていうか、わたしがハーフだってことも知らない。わたしの見た目がぜんぜんハーフっぽくないからね。
まぁ、そんなわけで白石くんは「日向さん」とわたしのことを呼んだってわけ。
中学2年になって同じクラスになったんだけど、あまり話とかは、したことはないなぁ。でもわたしの名前を知っていてくれてたのが、ちょっとうれしい。
白石くんは、成績が良くて、運動もそこそこできるから、わりと一目置かれてるんだけど、あまり目立ってない。仲良しグループがあるってわけでもなく、ひとりでいることが多い感じ。
普段白石くんのことを、あんまりよく見たことがないので、しげしげと見てみると、私服の彼は薄いグレーのTシャツに、紺の麻っぽいパンツ。背もわたしより10cmは高い。ちょっとモジモジしてるのは、きっとわたしが、ミニワンピを着てるからかも。
わたしも、少しだけドキドキしながら
「白石くん、何してるの? ひとり?」
「うん、自由研究の資料探し。テーマ決めたんだ」
「へえ、なに?」
「前方後円墳」
(おっ!)
頭がビビビ、ってなった。
「え、ほんと? すごい偶然! わたしもいま古墳の本ばっかり見てたとこ」
「日向さんが? ……へえ、ちょっと意外」
「え、意外? そうかなぁ」
「いや、ごめん……日向さんは、明るくて人気もあるから、そういう人はあんまりこういう地味なの興味ないのかなって」
「失礼な。わたしこう見えて、皇学館大学のゼミに通ってるんだから」
「へぇ、本当? ……日向さんすごいね、でもなんか、合ってるかも」
彼はふっと笑って、持っていた本を閉じた。
「じゃあ、ちょっと話さない? 自分ひとりじゃうまく考えがまとまらなくてさ。白石くんの意見とか、聞きたいなって」
(2)
それからわたしたちは、閲覧スペースの丸テーブルに移動して、自由研究の話をすることにした。向かい合わせに座るか、並んで座るか一瞬迷ったけど、白石くんはさっさと向かい側の椅子に座っちゃた。
白石くんは、自分の資料や、作図した図面なんかをテーブルいっぱいに広げて、古墳の形や配置について熱っぽく話す。
「正面の四角いほう、あれってさ、多くの古墳が東か南東を向いてるんだよ。つまり、太陽とか月が昇る方向」
「へえ、そうすると、朝日や月光が回廊に差してきれいだよね、きっと」
「そう。それが多分、何かの儀式のタイミングだったんじゃないかって思ってるんだ」
「なるほど……ピラミッドとかにも、そういう仕掛けあるっていうよね」
「そうそう、そうなんだよ、それでね……」
わたしは、白石くんの話を聞くのに夢中になっていた。
(普段静かなのに、興味のあることはこんなにしゃべるんだ)
わたしは、矢納さんから聞いた話を思い出して、つい口を挟んだ。
「それって、エジプトのピラミッドの配置が、オリオン座の三つ星と同じって話に似てない?」
白石くんは話すときも、あまりわたしの目を見てくれないんだけど、この時ばかりはキラーンと輝いた瞳で、真っ直ぐ見つめてくる。
「それそれ! そうなんだよ。古墳の並びも、前方後円墳のくびれの部分から、左右に延長して辿ってみると、別の前方後円墳にぶつかったりするって説がある。それを調べてたんだ。もしかすると、星座を模してたのかもしれないって思って」
「じゃあ、大きい古墳は明るい星、一等星ってことか」
「あっそうかも! すごいよ日向さん。で、その星座が神様がいる場所だと思われてた方向だったとしたら──」
白石くんは、もうわたしの目をずっとみたまま話してくるから、わたしはなんか恥ずかしくなって、少し下を向いて
「うん」
とだけ答えた。
そうだよね、この世界には、まだわたしたちが知らない秘密が、たくさんあるんだろうし、そう思うと、夏休みの自由研究が、ちょっとだけワクワクしてきた。
「ねえ白石くん、また今度一緒に自由研究しよ?」
「うん、日向さんのLINE教えてもらってもいい?」
やっとわたしの目から、視線を外してくれた白石くんは、うつむいてはにかみながらそう言った。
(3)
夕方5時55分。部屋のカーテンを閉めて、机の上にノートと鉛筆を広げる。
パソコンの前に座ると、わたしがちょっとだけ緊張してるのがわかる。
(Zoomなんて、何回もやってるのに……)
でも今回はちょっと特別だ。
あれから10日経っているから、あのとき矢納さんがスクショを撮りまくっていた、謎の資料の解読が進んでいるかもしれない。
そう思って、昨日矢納さんにZOOMでの対話をお願いしていたのだ。
今日、白石くんが言ってた前方後円墳の「星座説」についても、矢納さんに話してみようと思ってる。
18時ちょうど。
Zoomの入室を許可された。
——こんばんは、結さん。お疲れさま。
——こんばんは、矢納さん。あの年表の解読進みましたか?
画面には、いつもより少しだけ改まった表情の矢納さんがいた。背後には例の研究室の本棚。よく見ると、古代暦のポスターも貼ってあって、X—Fileのモルダーの部屋みたいだ。
——はははっ、結さんはせっかちだね。あれはそんなに簡単に理解できるものじゃないみたいだ。それより昨日のLINEで結さんが言ってた白石悠翔くんって、クラスメイトの子、前方後円墳をテーマにしてるんだって? ちょっと驚いたよ。
——うん、わたしも。たまたま図書館で会って、そこから……もう盛り上がっちゃって。
——意外なボーイフレンドが、我々の研究に登場したな。詳しく聞かせてよ。
矢納さんは画面越しにウインクして、資料ファイルを共有してくれた。
——年表の解読はまだなんだけど、その他の資料には前方後円墳に関係するものがあったよ。似たような研究をしている日本人がいて、その人の公開している資料を手に入れた、これだ。
画面に表示されたのは、近畿地方に点在する前方後円墳の分布図。
直線で結んでいくつかのグループに分かれている。
——これ、なんですか?
——前方後円墳の、丸い陵墓部分と、祭事に使う方形部をつないだ縦のラインじゃなくて、左右に直交するラインを延長していくと、他の前方後円墳に当たる。その前方後円墳の左右のラインを延長すると、また他の前方後円墳に当たる。これを近畿地方の約800基で繰り返していくといくつかのグループができる、それがこの図
——あっ、それ白石くんが言ってたやつだ。白石くん、その説が載ってる本を図書館で探してた。
——図書館にはないだろうな、査読前の論文だからね。うちの研究所のデータベースから見つけてきたんだ。
(そっかー。白石くんに見せてあげたら喜ぶのにな)
——で、ほぼ同じものがあの謎の資料の中にもあった。そっちのほうは、前方後円墳の配置図に、全天図を重ね合わせている。
——全天図っていうのは星、星のこと? これ……じゃやっぱり星座ってことですか?
——そうだ、仁徳天皇陵とか応神天皇陵とか大規模なものを一等星に見立てているようだ。
——そ、それって3大ピラミッドが、オリオン座の三つ星の配置に倣って作ったっていうのと、同じようなことですか」
——そう。前に結さんに話したことがあったね、オリオン座を模したピラミッドと同じ発想で、前方後円墳群も古代の夜空を写し取っていた。ただわからないのは、この配置に当てはまる星座はないんだ。
——えっ
——僕が思うに、これはおそらく古代の星空だ。古代と現代では北極星も違うからね。
たとえばピラミッドを作った5000年前は、北極星は現在のこぐま座のポラリスではなく、りゅう座のトゥパンだった。それは地球の歳差運動のせいで、26000年周期で元の位置に戻るということを繰り返している。
でも、この全天図の星座の配置は違いすぎる。おそらく過去に何回か起こっている、ポールシフトの影響で、現在とは全く違う星空だったんだじゃないかなと考えているところだ。
矢納さんと話するときには、知らない単語が出てくることが多いから、わたしは手元にスマホを置いとくようにしてんだ。今も速攻で“ポールシフト”を調べている。
——ポールシフトって、……地磁気逆転? 80万年前ってことになってるよ。前方後円墳が作られたのは1600年前だよ。
——僕もそれが納得がいかない。80万年前は氷河期だとされているからね。……しかし人類はいた、旧石器時代前期だ。
——じゃあ……前方後円墳を作った人って、80万年前の祖先から星空の配置を聞いて知っていたってこと? それで、そんなふうに配置したのかしら?
——旧石器時代前期の人類っていうのは、現在の人類の直接の祖先じゃないんだ。だから、その記憶が引き継がれていることはありえないと思う。
——どうして……。人類が発生した頃からずっと地球を見ている、神様みたいな存在から聞いたとか?
——お、やっぱり結さんは発想がいいね。あの資料は、まさにそれを指し示していると思われるんだ。人類を作った存在が、われわれの想像もつかないような、長いスパンで人類を観察している、そう示唆しているんだ。
ちょっと情報が多すぎて、思考が停滞してる。
でも、わたしこの感覚は知ってる。
孤立した情報をいくつも与えられ、なんの関連性もなく、与えられる情報が増える過程で、〈類似性〉〈連続性〉〈規則性〉を探し出す。
そして、〈定理〉〈法則〉を仮定して、空白部分を埋めていき、全体像を推測していく。
Perceptual Inference[知覚推理]と呼ばれているその訓練を、小学校の「全国児童知能検査」以来、皇学館大学の特別ゼミでわたしは受け続けている。
数列の法則性の推理、虫食い文章を穴埋めしていく問題、100枚の写真の共通点を見つける問題など、難問クイズの特訓をしてるみたいでわたしは楽しんで訓練を受けていたんだけど、今回のこの謎は全然わからない。
いや、全然じゃないけど全体像の真ん中にあるものが、まったく想像できない。
——あの謎の資料から、読み解けたのは今んとこ、これくらいなんだけど、そっちの自由研究の方はどうなの? なにか行き詰まってるの?
——そう、確かにそれが今日のZOOMの本題だったんだけど、前方後円墳に関しては現地の調査を少ししてみたいなと思ってて、それが終わってから、近々また矢納さんに相談するよ。
——そうか、次にこっちに来るのは8月30日だからね、夏休みの宿題をそこまでひっぱるのはまずいか。
——へへ、そういうこと。
——じゃ、最後にさ、
と矢納さんは、テキスト書類のPDFを共有ファイルとして渡してきた。
——前方後円墳とピラミッド、そして南米の遺跡の幾何学的相似についてまとめた、イタリアの学者の論文だ。まぁ、これも査読前の論文で、正しいかどうかはまだわからないがね。イタリアだけど、論文だから英語で書いてある。君なら読めると思って、英語原文のままで送るよ、帰国子女だからいけるよな?
——帰国子女じゃないよ、ただのハーフで日本生まれだってば。でもまあ、ありがとう。読むね、ちゃんと読む。
会話は、45分ほど続いた。わたしは画面を閉じたあと、少しぼうっとしていた。でも、そのぼんやりの中で、はっきりと感じていた。
この世界の[全体像]、モヤっとしていた形がおぼろげに見えてきた。それを確かめるために、もう一度あの〈穴〉に行ってみよう。
(4)
夜の応神天皇陵。
わたしたちは、ふたりして懐中電灯を持ってきていた。月が明るくて、空気はむわっとしていて、とても蒸し暑く、風もほとんど吹いていない。
「本当に、ここ入っていいの?」
白石くんの声は、小さい。
「ダメに決まってるよ。でも、埋めたってことは、見られたくないものがあるってことでしょ?」
結局、わたしの考えは合っていた。
あの日、わたしが穴を覗き込んだ時、割れた岩天井の一部は、石室の床に落ちていた。あれを回収して、天井岩を修復するには、石室に降りなければならないはずだ。宮内庁は、天皇陵墓の発掘調査を許可していないし、職員にも、陵墓内部に立ち入ることは禁じている。だから、彼らは〈修復〉はできずに、〈埋める〉ことしかできないはずだってね。修復する許可をとるのに、何日もかかるだろうからね。
それで、わたしはあの石室に入ってみようって決めた。あそこにはきっと何かある。知りたい、知りたい。
白石くんに「いっしょに行ってくれる?」って聞いたら、わりと簡単にオーケーしてくれた。
「自由研究のためには、重要な調査になるね」って。
夜に出かけることについては「お友だちと肝試しに行く」とママには言って、出てきちゃった。
実際、石室の穴にはベニヤ板が被せられ、その上に土が盛られていただけだった。
わたしと白石くんは、持ってきた軍手をはめて、土を除けてベニア板を外した。
白石くんがロープを取り出して、近くの木の幹に、しっかりと結んでくれたんだけど、そのロープには30cm間隔で結び目が作られて、手で掴みやすくなってる。
すごいな白石くん、準備バッチリだよ。
かなり苦労して、わたしがはじめに、降りてみると、石室の中には、落下した天井岩のかけらがあるだけで、本当に空っぽだった。
四角い石の箱みたいな部屋。出入り口は一箇所もない。まるで、なにかを閉じ込めていたみたいだけど、何もそれらしき形跡はない。
「白石くん、いいよ、降りておいでよ」
懐中電灯で照らしながら、わたしはそっと声に出す。
(ここに、何かがあると思ったんんだけどな……。それとも、この石室全体の岩そのものが、封印になっているとか……穴が空いちゃったから、そこから逃げちゃったとか?)
白石くんが降り立った音を、耳だけで聞きながら、わたしは懐中電灯で、部屋の奥を照らしてよく観察する。スマホで何枚か写真も撮った。
「白石くん、降りれた?」
「……」
「ねえ、苔も生えてないし、虫もいないし、ここ、なんかおかしいよね」
「……」
振り向くと白石くんは、部屋の中央で立ち止まったまま動かない。
「白石くん?」
そのとき、うめき声のような息が漏れた。
「……う、う、うわあ!」
白石くんは、まるで虫を追い払うために、両手で頭を守るような仕草をしながら、壁にもたれ、そのまま、ずるずると崩れ落ちた。
「ちょっと! 大丈夫? 白石くん! どうしたの、そっちは虫がいるの?」
駆け寄ると、彼の顔は真っ青で、目は虚ろになっていた。
(取り憑かれた? 幽霊に?)
(5)
わたしの部屋。ベッドに横たわる白石くん。
パパが、わたしのベッドに白石くんを運び込んじゃったから、いつもわたしが使ってる、ピンクのかわいいブランケットをかけて眠っている。
わたしは脱ぎ散らかした服とか、パジャマとかを、慌ててクローゼットに隠し終えたところ。
ノックしてママが入ってきた。水まくらを白石くんの頭の下に入れてくれる。
「熱はないけど、すごく消耗してるわね。……結、いったい何してたの?」
「……肝試し、……あの…応神天皇陵で」
「……んもう、宮内庁に知れたら大ごとよ」
ママは呆れたように言ったけど、それ以上は叱らなかった。白石くんの寝顔をじっと見つめている。
「この子、霊感体質なのね」
「ママ、そんなことわかるの?」
「長いこと墓守みたいな仕事をしてるんだもの、なんとなく感じるのよ」
*
しばらくして、白石くんは目を覚ました。
「……ここは……」
「わたしの部屋。白石くん倒れたんだよ。覚えてる?」
(大変だったんだから、あそこから白石くんを連れ出すの)
わたしが四つん這いになって、踏み台になってあげて、フラフラの白石くんに、なんとかロープを握らせて、やっとのことで脱出して、タクシーでここまで帰ってきたんだからね。
彼はしばらく黙っていたけど、ぽつりぽつりと話し出した。
「……何かの声というか……イメージ? 言葉じゃない……けど、意味がわかる気がした。あれは、思念ってやつなんだと思う」
「幽霊の怨念ってこと?」
「違うと思う。やっぱり声かな…」
「何て言ってたか、覚えてる?」
「うん……でも、断片的で……『思考と肉体は、水と器。器に水が注がれる』……そんなことが、言葉じゃなくてイメージで伝わってきた…と思う」
「なにそれ」
「僕にもわからない、なんのことだろう」
ママは冷静な顔で、わたしと白石くんの会話を聞いていた。
わたしは、白石くんが接触したのは、何かの残留思念だと感じている。なんたって、お墓だもんねあそこは。でも、あの石室には幽霊なんかじゃなくて、何者かの思考が封印されていたんじゃないかな。
ママにそんな考えを悟られないように、白石くんのおでこに、手を当ててみたりしてごまかした。
白石くんの顔があっという間に真っ赤になった。
*
ママが白石くんを車で送っていった。リビングに戻ると、パパがいつものようにコーヒーを淹れてくれている。
「結のボーイフレンドは、肝試しで倒れちゃったのかい?」
ニコニコしながらパパが言う。
「ボーイフレンド……なんかじゃないよ」
「ふーん、そうかい」
「そうだ、ねえパパ、英語の文章でよくわからないのがあるの、教えてくれる?」
「ふーん、彼のことはもういいのかい?」
わたしは無視して、矢納さんからもらった、英文論文のプリントアウトを出した。黄色のラインマーカーでなぞってある部分を指して
「ここなんだけど」
「……ふむ。なるほど、こりゃ難解な英文だ。センテンスがバカ長いね、なにかの論文かい? ピラミッドと前方後円墳、ナスカの地上絵、ティワナク遺跡における、幾何学的考察と類似点の比較……」
「そうなの。で、この注釈にある“identity of universe”って、どういう意訳すると思う?」
パパは、論文の前後のページを何度も見返しながら、長い間答えなかった。
「……えーと、この論文によると、古代エジプトの統治者たちは、地上に設置したピラミッド群を通じて、“identity of universe”との接触を試みていた。
だけど、知り得た情報が膨大すぎて、記録しきれない。心霊的な祭事で〈宇宙的な存在〉を自分たちの体に降霊させて、直接情報を得ようとしたが、彼らの脳の容量ではその情報を保持できなかった。
脳の記憶容量を拡張するための、外科手術の痕跡があったり、コーンヘッドと呼ばれる手法で、幼児期から頭蓋を長く大きく補正していき、脳が大きく成長するようにした風習もあった、とあるね。
“identity of universe”の“identity”は、『個性』と普通は訳すけど、この場合は『正体』かな。
神とか、そういった存在に対して使う、畏敬の念をはらったニュアンスではない文脈だからね。『正体』くらいの日本語がちょうどいいかな。
そして“Universe”は“the”がついてないから、『宇宙』ではなく『全体』って意味になる。つまり〈万物の正体〉って日本語になるのだろうね」
「万物の正体……。なんだろう」
「とてつもなく曖昧な日本語だけど、何もかもこいつのせいだって感じで、書かれているね」
「その“こいつ”のためにピラミッドを建てたの?」
「そう。星の配置を模して、意識体が存在する“座標”を再現しようとしたとある。だけど、寿命が短すぎて、ピラミッドが完成する前に死んでしまったり、接触に成功しても、ごく一部の情報を得ただけで、脳の容量がいっぱいになってしまった。
また、後継者に引き継ごうとしても、その後継者の情報容量が低かったりで、継承は困難だった。ゆえに文明はそれ以上発展せず、ピラミッドだけを残して、やがて滅亡した。
一方、アジアに興った文明では、遺伝による記憶の継続的保有を行っていた……とさ」
「遺伝による記憶の継続的保有……。もしかしてそれが……日本?」
「……おそらく。世界を見ると、ある民族は地球規模の経済圏を築き、その覇権を握ることで、人類の統一を図った。日本は血統と遺伝によって、人類を統一する方法の、情報を得るための〈器〉を得ようとした。どちらも、世界人口の1%程度の規模のグループだが、世界に大きな影響力を持つための方法論だな」
「記憶容量の、大きな特性を持つ遺伝子を保護して、遺伝による容量の拡張を重ねていく。
そして十分な情報容量を備えた人間でも、情報のすべてを受け取るのことはできなくて、〈万物の正体〉に必要な情報だけを直接教えてもらう。「世界を統一し得る文明になるにはどうしたらいいんですか」とでも聞いたのかな。そして、蓄積した情報を遺伝的に継承していくってわけだ」
「そっか……世界統一っていうのが文明の目的なのかな、アレキサンダー大王とかフビライ・ハンとか」
「どうだろうね、しかし、中学2年の自由研究ってのはこんなに高度なことをやってるのかい?」
「へへぇ、まぁね」
パパと会話しながらわたしは、“identity of universe”というのが、いろんな宗教の、〈神様〉ってことなのかなって考えてたけど、そのもっと上の存在、〈万物の正体〉があるように思えてきた。
ずるいくらい、すべてを知っている存在。
わたしにとって、新たな情報のジグソーピースだけど、これをどこにはめればいいのかわからないよ。でも、わたしの中にはひとつの予感がある。
(白石くんがカギをにぎっている)
(つづく)7月10日投稿予定