第二章 研究室でも、謎、また謎
こんにちは。「中2の夏に、白石くんが神様になった」を読んでいただきありがとうございます。
舞台は、2026年の大阪・羽曳野。自由研究に熱中する中学生たちが、応神天皇陵の石室である〈存在〉と出会い、世界の成り立ちを垣間見ていきます。
もしよければ、青春の謎と発見の旅を一緒に楽しんでください。
§2 研究室でも、謎、また謎
(1)
7月22日。快晴。
パパが作ってくれた、アメリカンなサンドイッチ弁当をリュックに入れて、朝7時半の電車に乗った。いつもは制服で行くんだけど、今は夏休みだし、涼しげな白のワンピースに麦わら帽子という格好。
今日も暑そう。
三重県伊勢市の外宮の近くにある、皇學館大学までは片道2時間。もう、ちょっとした旅行だよね。でも、今日はそんなことどうでもよかった。あのメールとURLのことで頭がいっぱいだったから。
キャンパスに着いたのは10時を少し回った頃。受付に許可証を提示して、宗教文化研究センターの2階へ。今日予定されているのは午後からのIQテストと、グループでの簡単な思考実験だそうで、それまではここで待機することになっている。
部屋には、矢納さんしかいなかった。
「おはようございます。暑かったでしょう? 電車混んでた?」
座ってた椅子をクルッと回転させて、矢納さんが話しかける。
「ううん、大丈夫。おはようございます、矢納さん。……あのね、ちょっと、さっそくなんだけど、矢納さんに聞いてほしいことがあって……変な話なんだけど……」
言いかけて、わたしはハッと口をつぐんだ。
——今日のことについて、口外しないこと。
メールの中にあった、その一文。それを思い出したとたん、喉がぎゅっと締めつけられるようになって、言葉が出てこなくなった。
「ん? どうした?」
「あ……いや……その、うちのママの話なんだけど、してもいい?」
「もちろん。女子中学生の悩み、なんでも聞くよ」
わたしは話題をすり替えるようにして、ママのことを口にした。
宮内庁書陵部、古市陵墓監区事務所勤務、応神天皇陵……
そんな単語が出てくると、矢納さんの表情がピクリと動いた。そのあとの彼の反応は、予想外だった。
「……ああ、それはすごい。きみ、知ってる? 応神天皇陵の石室、戦前に露出したことがあるんだぜ」
「うん……ネットで調べたから、一応知ってる」
「1934年の室戸台風の翌年、古墳の前方部の頂上で、崩れた土砂の中から、竪穴式石室の天井岩が見つかってね。でも、旧宮内省は内部を調査しなかった。すぐに埋め戻した。……いや、“見なかったことにした”だけかもしれないけどね」
彼は、冗談とも本気ともつかない口調でそう言った。
「ネットで、石室の報告書があるって聞いたことある?」
「……ある。で、実は……ひょんなことから、多分そのことに関係があるURLを知ったんだけど、そこにアクセスしようとしたら……うちのパソコン、子ども用で、ブロックされちゃってて……」
「へぇ、面白そうな話じゃない……じゃあ、うちのパソコン、使ってみる?」
「え、いいの?」
「もちろん。ここは探究の場だからね」
彼はニヤリと笑って、研究室の奥にある自分のデスクの前に、わたしを案内した。
モニターは2台。キーボードの横には、古墳の資料と論文の山。わたしは椅子に座り、慎重にメールのメモを取り出し、アドレスを入力した。
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ftp://eganomofushioka_2.va
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Enterキーを押す。
真っ黒な背景にプロキシを経由する旨の画面が表示され、Jump先のアンカーに4組の数字が示される、IPアドレスだ。
クリックすると、またjump画面とIPアドレス。それをクリックするとまた違うjump画面。
「なにこれ?」
「なんだこれ?」
わたしと矢納さんの声がシンクロする。
「ダークウェブにでもつながるのかな?」
矢納さんが、なんか物騒なことを隣で言ってるよ。
なんと3回もプロキシを経由して、やっと目的のサイトが表示された。これはもう、世界の何処かわからない場所にある、誰かの孤立したハードディスクにつながってるってことかな。
そして「パスコードを入力してください」の文字が表示された。
「え? 」
「パスコード?」
「ううん……でも、待って。メールの末尾に、変な記号列があったかも……」
わたしはもう一度メモを見返し、そこにあった8桁の数字とアルファベットの組み合わせを打ち込んだ。
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moifsdiu
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モニターがまた一瞬だけ黒くなり、次の瞬間……。
画面の中央にはAOBのロゴマーク。古代文字のような奇妙な図形が背景にある。
(AOBってなんだろう?)
その下には、英語と日本語でこう書かれていた。
——階層2の記録へのアクセスを開始します。
わたしと矢納さんは、お互いに目を見合わせた。矢納さんは緊張した表情で頷いてる。わたしは、もう心臓がバクバクしてる。耳の奥で始業のチャイムが大音量で鳴ってるみたいだ。
(2)
——階層2の記録へのアクセスを開始します。
——本サーバは、AOBに帰属し、当該アドミニストレータよってのみ保持・管理されています。
——変更、削除、ダウンロード、コピー等の権限はユーザにはありません。
——違反行為が確認された場合は法的処理を行います。
(え……なにこれ)
わたしは思わず矢納さんの顔を見る。矢納さんも、画面を見つめたまま完全に固まっていた。
「AOBのサーバ……データベース? 本物か?」
「矢納さん、AOBって何?」
「Any Other Business、その他って意味。文科省の協力機関、何やってるのか誰にもわからない団体だ」
「その他?」
「なんでもありってことなのか、内容は言えないってことなのか、とにかくわからない。NGO団体としてもあまり知られてもいないし、政府絡みのわけわからない外郭団体なんて山ほどあるから、誰も気にしない」
数秒のインターバルの後、画面には大量のサムネイルが並ぶ。全部白黒の画像だ。ファイル名の多くは英語、あるいはそれに似た文字列だった。英単語に見えるのに、意味をなしていないアルファベットが気持ち悪い。
文字が読み取れないので、わたしは適当にサムネイルをクリックした。
すると、画面いっぱいに広がったのは、かなり横長の表だった。ヘッダには、数字のように見えるけれど、桁が均一ではなく、アルファベットと混在していたり、記号らしきものが入り込んでいたりする羅列。
「……暗号?」
「そうだな、ファイル名も含めて、おそらくASCIIコードの配列を変えたテキストを、表示しているんじゃないかな。単純な暗号で、正しくASCII配列を直せば解けるのだけど…」
矢納さんがモニターを指さして、
「このデータはすべて画像データだ。テキストをコピーしたりできないように、テキストもピクセル画像に変換してあるんだ。だから、ちょいちょいと、テキストをいじって読めるようにはできないってことだ。完全な解読には時間がかかるな。アルファベットを全部、手打ちし直したうえで、解読しなきゃならんからね」
そしてモニターに顔を寄せて、画像を拡大した。
「見てくれ、この部分──、ここは暗号じゃないっぽいぞ」
矢納さんが指差した箇所には、“Sumer”と読めるかどうかギリギリの英字がある。
手書きの文字で、かすれているし、字が汚くて判別が難しい。「シュメール?」
それに並ぶいくつかの記号もある。
その下には日本語の箇所もあって、「……帝国」「……王朝」「ハーン勢力」などと、部分的にかろうじて読める日本語も混じっていた。
「なにこれ……年表…かな?」
「かもね。だけど……普通の年表じゃない。おそらく……いくつかの人類文明の勃興を、その文明圏の人口をパラメータにして、その下のグラフと対応させているんじゃないかな。“試行”として評価してるのかも。いや、“記録”してると言うべきか」
「試行?」
「そう、ゲームみたいな感覚で……たとえば多人数MMORPGの運営者が、プレイヤーたちが作るパーティーや、クランや、ギルドの勢力を評価するためのデータに似ている感じがする。何度も何度もやり直されてる感じがあるな。これは……」
矢納さんがモニタを凝視している。
たしかに、そこに記されていたのは、歴史というより「実験のログ」に見えなくもない。
アレクサンダー大王、ローマ帝国、フビライ・ハン、大英帝国
──読み取りにくかったけど、これで合ってるんなら時系列としての順番は合ってる。やっぱり年表……。
年表の横幅に合わせた折れ線グラフが下にある。山型がいくつもあって、それが上の年表の人物の勢力、人口とか国土面積とか、そういうものを表しているようにも思えてくる。
グラフのところどころには、読み取れない日本語もあって、これは完全に読み取れない。
矢納さんがゲームに例えたように言えば、ラスボス討伐とか、ノルマ達成とか、そういうミッションを「達成」とか「未達成」とか、そういうふうに記録しているみたいじゃないっ?
「ねえ、矢納さん……このデータ、なんだと思う? 前方後円墳と関係あるのかな」
わたしはちょっと興奮して聞いた。
「わからん。……でも、わざわざこんなフェイクデータを、作って、集めて、隠してるっていうほど、AOBがもの好きの団体とも思えない。作り物にしては凝りすぎてるし、“現実感”がある。というか……」
そう言って、矢納さんはいったん画面から目を離すと、心配そうにまわりを見渡した。
(つづく)7月9日投稿予定